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白兎令嬢の取捨選択  作者: 菜っぱ
第二章 王都の尋ね者(騎士学校一年生編)
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間話 愛せない女 前編

スミ視点でスミの過去にちょっと触れます。


「スミ……」


 どこからか私を呼ぶ声がする。まだ幼さが残る掠れた少年の声。この声はマハだ。


 返事をしようと思うのに、体がうまく動かない。

 それに目も開かない。


 ……この様子だと、私はまた倒れてしまったのだろう。最近、ひどく体が痛む。


 意識を失う頻度も高くなっている気がするが、仕方のないことだ。これが色盗みの女の末路なのだ、と私は自分を納得させるように心の中で呟く。


 私は今どこにいるのだろうか、レナートやクゥール様と話したところで、記憶が途切れてしまっている。


 ……無事に宿泊施設まで戻れたのだろうか。まさか、あそこにいらっしゃったリジェット様たちにご迷惑をかけていたらどうしよう……。そんな考えが頭をよぎるが、体によほど疲れが溜まっていたのか、うまく考えがまとまらなかった。


 せめて一言、マハに大丈夫だよ、と伝えたくて身を捩ろうとする。すると、右手に暖かい温度が伝わってきた。


 どうやら、マハが手を握ってくれているらしい。


 ともに旅をして、大事な存在になったマハ。彼が近くにいるだけで私は心強さでいっぱいになる。


 きっと目を開ければ、心配そうな表情をしたマハの姿が視界に映るのだろう。そんなことを思いながら、私は深い闇へと意識を手放した。



 そもそも私は、どうしてこの世界に生きているのだろう。


 そうだ、そこから思い出してみよう。


 私には多くの白纏の子と同様に、前歴者の記憶というものが存在する。


 前歴者の私は『すみれ』という名のごくごく普通の日本人だった。小さい頃から絵を描くことが好きで、色を塗るのはもっと好き。


 そんなお絵かき少女だった私は勉学で身を立てるよりも絵を描く道に進みたいと考え、美大に進学した。


 美大に入ると自分より絵が上手い人間なんて山ほどいるし、自分の実力なんてちっぽけなんだ、ということを知った。でも、それでも私には他の人に負けない部分があった。


 ——私は『色』というものがとっても好き。


 色、というものの奥深さは私の想像を遥かに超える存在だった。少し色味が違うだけで、その作品は別物になる。絵においてデッサンはもちろん絵画の印象を決定づける大きな要因となるが、それ以上に『色』その世界観を支配してしまう。

 同じ構図でも色調を抑えるだけで、哀愁が漂い、逆に明るい色使いをすると、その絵は喜びに溢れる。


 もとの絵が全く、同じ構図であっても。


 私はその面白さにどっぷりとハマっていった。


 絵も好きだけど、色、そのものが大好き。

 だったら、その専門家になればいいのだ。そう思い立った私は色を研究するため、学科を跨いで、研究室に所属し、どっぷりとその世界に浸っていった。


 数多く存在する色の中でも、私は特に自然が作り出す、微妙なニュアンスの色が大好きだった。


 土地によって色合いを変える地面の土色。

 伸び伸びと育つ、植物の緑。

 灼熱の太陽の赤。

 どこまでも続く空の青。


 写真集には様々な色が納められていた。そのどれもが力強く、鮮やかに私の目には映った。しかし、それを心ゆくまで楽しむことはその当時の私には難しいことだった。


 度重なる環境汚染や謎の病原菌によって外に出るということが脅威とされていたからだ。


 それでも私は自然の色を見てみたかった。何度も家を抜け出して、街から森へと出ようと試みた。でも結果はいつも同じ。どこにいっても木々は枯れ果て、動植物からは生命の豊さは全く感じられない土地が広がってしまっている。


 誰がこんな未来、想像しただろう。

 地球という星は命の輝きを完全に失おうとしていた。


 前歴の私が亡くなる数年前には、気候変動も激しく起こり、それから身を守るため、建設されたシェルターの外へと一歩踏み出すと、荒れ狂う風に足元を掬われそうになる。


 そんな景色を見て私はいつも嘆いていた。

 そして、叶わぬ夢もみた。いつか本物の色を見たい、そんな淡い夢だ。そんなこのご時世、そんな機会に恵まれることなんてほとんどない。


 私のみたいものがない世界。過去には見たいものに溢れていたのに、それは失われてしまった。


 ああ、心ゆくまで、色を目に焼き付けたいのに、それは叶わぬ夢だなんて、なんて私は運が悪いのだろう。


 あふれんばかりの衝動を押さえ込もうと、他のことに興味を向けようと私は思ったのだ。何を思ったのか、忙しい学生生活の中で、私は恋人を作った。


 恋人になった人は私の研究室の先輩だった。他学科から、教授に懇願する形で研究室に入り込んだ変わり者の私のことを変に腫れ物の様に扱う人が多い中、優しく声をかけてくれた数少ない人間だった。


 それまでの私は絵と色ばかり追いかけていたので、対人関係を築くのがいかんせん苦手で、先輩の人懐っこい距離感に最初は戸惑っていたが、知り合う中で、だんだん話が弾むようになっていた。


 先輩はもともと日本の伝統色を研究していたこともあって、聞きたいことはたくさんあった。資料を見せあったり、休日に一緒に出かける様になったりしていくうちに関係性は少しずつ変化していき、ついにはお付き合いまでに発展したのだ。


 色にしか興味がなくなっていた私にとってそれは、快挙と言ってもいい出来事で、私も普通の人みたいな恋愛ができるのだ、とその時はひどく浮かれていた。

 そのことに安堵もしていて、私は以前にもまして、色への研究にのめり込むようになる。


 関係性は学年が上がるごとに、年を重ねるごとに深まっている。でもそう思っていたのは私だけだった。


 彼はある日、苦しげに顔を歪めてこう言い放ったのだ。


「すみれはさあ。本当は俺のことなんか好きじゃないんだよ。本当に興味があるのは、目の前にある研究ばっかりで、俺のことなんかこれっぽっちも考えていないんだよ。冷たいよね」

「え……」


 その鋭い指摘に私は言葉を失ってしまった。何も言い返せなかったからだった。


 私は興味があることに熱中していると、いろんなことを忘れてしまって、脳の奥の方へと押し込んでしまう。それは自分でもわかっていたことだったが、それによって誰かを蔑ろにして傷つけている自覚はなかった。


「きっとすみれは誰も愛さずに、暮らしていくんだよ」


 彼が吐き捨てた様に言った言葉が、胸の奥に突き刺さる様だった。それは事実で、私は彼よりも、自分のエゴを優先していたのかもしれない。


 私は誰も愛せない女、というレッテルを自分に貼って『すみれ』という人物の人生を生きてきた。







いや、間話で主人公以外を掘り下げるの、どうなの? 二話も書くんか? と自問自答しましたが、書くのです。だってこれこの話に必要な要素だから……。


次は後編です。

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