66疑惑を解消します
少しだけセクシー? な話題が出ます。苦手な方はご注意を。
買い物を終えたわたくしたちはそのまま帰路に着くため、騎士学校に歩いていきます。
わたくしは一人で帰れるので大丈夫だと言ったのですが、残念ながら行きにレナートに捕まってしまった前科があるので、全く信用してもらえず、送っていただくことになりました。
騎士になるために鍛錬を積んでいるので、暴漢くらい蹴散らせます、と言ったのですが先生としてはわたくしの手に余る相手に自分の知らぬところでエンカウントしてしまうのが恐ろしいらしいのです。
秋も深まってきて、日が落ちるのが早くなってきて、空はオレンジ色に染まり始めています。
視線の少し先に見覚えのある後ろ姿を見つけます。あの水色の髪……。
「あ! エナハーン!」
声を聞いたエナハーンはこちらに振り向きます。
「えっえ? リ、リジェット? その髪……どうしたの?」
「ああ! これは先生の作った魔法陣で、白い髪が目立つ場所では視線をかわすために使っているんですよ」
そう言うと、エナハーンは不思議そうな表情を少し緩めてくれました。
「そっそうなの? この人は……えっ?」
エナハーンは先生の姿を見て、目を丸くして、驚いた顔をしています。顔……というより、髪を見て驚いているように見えるのは気のせいでしょうか。
「この方はわたくしの魔法陣の指導をしてくださっている、先生です!」
先生の名前を言っていいのかわからず、とりあえず『先生』とだけ紹介します。
先生は特に名乗らず、ペコリと会釈をしただけなのでそれが正解だったのでしょう。
もう騎士団の前あたりまで来ていましたので、先生は友達がいるのなら大丈夫だろう、とそこで別れることになりました。
「先生、今日は色々ありがとうございました!」
「いいえ。また、面白い催し物があったら誘うね」
「はい! 楽しみにしています!」
次はどんなところに一緒に行けるのだろう、とルンルンで騎士団の敷地に戻っていくと、エナハーンはなぜか考え込みながら怪訝な表情を崩さずにいるのでした。
*
蚤の市から戻り、夕食を取った後、わたくしは寮のリビングのソファで、ハーブティーを飲んでくつろいでいました。
今日はお風呂の順番が最後だったので、蚤の市で買った入浴剤をお風呂に入れることができました。ですので、わたくしはホカホカでいつも以上に上機嫌で夜の時間を過ごしています。
かわいい猫足がついたバスタブは、この女子寮の中でも気に入っているポイントの一つです。
メラニアは明日の授業に備えたいということで早めに寝るそうで、もう自室に戻っています。メラニアは一度寝ると十時間くらいは平気で寝てしまうと言っていたのでかなりのロングスリーパーのようです。
今日のお買い物も楽しかったな……。とぼうっとしていると、後ろからおずおずとエナハーンがやってきます。
すぐに話しかけてくると思っていたのにしばらく、立ち止まっていたので、不思議に思って後ろを振り返り、視線でどうしたの? と聞くようなそぶりを見せると、あわあわとした様子だったエナハーンが覚悟を決めたように口を開きます。
「あっあの……。リジェット?」
「どうしましたか?」
何か積もる話がありそうな雰囲気を察知しわたくしは、エナハーンにソファに座るように促し、カップをもう一つキッチンから持ってきて、お茶を勧めます。
エナハーンはどこか緊張した面持ちで、そのお茶に口をつけました。
「わっわたくし、あなたに聞きたいことがあって……。でもとってもプライベートに踏み込むようなことですし……。きっ聞いていいかわからないことなんですけども……」
「なんですか〜。そんなに身を固くしなくともいいですよ! なんでも聞いてください!」
就寝前仕様に調整された間接照明の魔術具がぼんやりと優しいオレンジ色の光を放っているというのに、リビングルームにはなんとも言えない緊張感が漂っています。エナハーンは何を聞きたいのでしょう?
「あ、あのっ! 今日あった金髪の男性の方……いたでしょう?」
ああ、先生のことですね。
「はい、あの方がどうかしたのですか?」
にこりと笑顔で相槌を打つと、スッと大きく息を吸ったエナハーンは少しだけボリュームの上がった上ずった声で、言葉を紡ぎました。
「そっその先生という方と、リジェットは……その……なんというか……。にっ、肉体関係にあるのかしら⁉︎」
「は?」
は? え? は?
おっと……。あまりの混乱に心の中が乱されてしまいました。思っても見ない言葉にポカンと口を広げて見せることしかできません。
わたくしの脳内には今、広大な、広大な、宇宙が果てまで続いています。
ニクタイカンケイ?
美味しく食べるのはお肉? それに関係がつくと男女のそれ……。え? 何? へ?
「へぇーーーー〜ー⁉︎ い、一体どうしてそんな解釈に⁉︎」
「えっえ⁉︎ 違うのですか⁉︎」
とんでもないことを口に出したはずのエナハーンの方がなぜかきょとんとした表情を見せています。わたくしはダラダラと滝のように冷や汗をかきながら必死に弁解をします、
「ち、違いますよ‼︎ 何を根拠仰っているのですっ!」
「だ、だって、リジェットの髪、一筋あの方の金が混ざっているじゃないですか!」
わたくしは誰にも気が付かれていないと思っていた髪色の変化にエナハーンが気づいたことに驚きながら、話を続けます。
「あ? え、ええ。よく気が付きましたね」
でもそれがどんな根拠に⁉︎ と混乱しながらあわあわしていると、エナハーンが捲し立てるように、言葉を続けます。
「かっ髪色が変化するなんて……。そっそういう関係でないとありえないじゃないですか……」
「え⁉︎ そういう関係だと髪色が変わるのですか⁉︎」
「リ、リジェット。知らなかったのですか?」
「はい……。全く存じ上げませんでした。」
エナハーンはぜいぜいと荒く息を吐きながら、わたくしにその現象のことを説明してくださいます。
「せっ正式な婚姻の魔法陣で結ばれた夫婦がその……ね、閨を共にすると、薄い髪色を持つ方の髪色が、相手の髪色に少しずつ変化するのですよ……。
こ、婚姻の魔法陣を結んでいなくとも回数が多かったりすると色が写ることがあると伺ったことがあるので……先生という方とリジェットはそういう関係なのかと思ってしまって……」
エナハーンが息も絶え絶えに、顔を真っ赤にしながら説明してくださいます。だから先生の髪色を見たときに変な顔をしていたのか、と謎が解けた気分になります。
「リ、リジェットは実習の時に先生という方が描いた魔法陣が使えていたでしょう? かっ髪の色が同一になると相手が使っていた魔法陣が使えるようになるから……だからてっきり……」
ああ、お茶を飲んでいたはずなのに嫌に喉が渇くのはなぜでしょう。わたくしはぐいっとお茶を飲み干し、ドンと荒くカップを置きます。すっと息を吸いあげ、一呼吸置いたところで、否定の言葉を重ねます。
「違います! 断じてそういう関係ではありません! わたくしと先生の間には師弟関係以上の関係性は存在しません!」
急に色めいた話題を自分に振られたことに対しての恥ずかしさと、他の人間にはそう思われても仕方がないという事実に身悶えます。
「ほ、本当に……? 知らないうちに変なこと、されていないですか?」
エナハーンは本気で友人の身持ちを心配するよな顔をしています。
「そんなことしませんよ! 先生はわたくしのこと、よく動き回るうさぎのおもちゃくらいにしか思ってませんから大丈夫ですよ!」
というか、魔力によって髪色が変わるなんて初耳です。どうしてオルブライト家の方々はわたくしにそれを教えてくださらなかったのでしょう……。
あ、でもそういえば……。
わたくしはまだ魔法陣をかけなかった頃に自宅の資料室で見つけた家族の姿絵に描かれたお母様のことを思い出します。そうか……。それで若い頃のお母様の髪色は灰色だったのですね。
それと……。記憶が正しいか不安なのですが、ラマの髪色も最初にあった時よりも黒くなっている気がするのですよね……。
初めてあったときはもっと薄い灰色だった気がするのですが、今のラマは濃い灰色髪なのですよね……。ラマは恋人がいた、と仰っていたので髪色の濃い相手と……。回数……? あああ‼︎ 何も考えてはいけません。これは、プライバシーに関わります。
気がつけるポイントはいくつもあったのに何にも気がつかなかった自分の愚かさにため息が出てしまいます。
わたくしもっと視界を広く持つべきですね……。
「あの、本当に先生とはそういう関係じゃないんです。多分、血液を使う魔術の実験のせいで色がうっかり混ざってしまったのではないでしょうか?」
「そ、そう? そっそれならいいのですが……」
エナハーンになんとか納得してもらえたようでわたくしは安心して、脱力してしまいます。
まあ、魔術の実験で混ざったというのは今思いついた出任せですが。
わたくしの髪色に先生の色が混じってしまった原因は十中八九、あの石のせいでしょう。
以前会ったことのある、スミと言う色盗みの女は髪色が絵筆を洗った後の色水のように、濁った色合いをしていました。
多分あれは色を盗んだときに色が髪に定着してしまったためではないでしょうか。あくまで仮説ですが、わたくしの現状を合わせて考えると大きく間違ってはいない気がするのです。
一度色を盗むとこれだけの色がうつる、と言うことは、スミと言うあの女性はどれだけの色を盗んだのでしょう?
その疑問はわたくしの中に染みのように残り、消えることはありませんでした。
*
話が終わったわたくしは使っていたカップをキッチンに持っていき、軽く洗おうとします。
しかし水を出す魔術具を使えずに困って立ち尽くしていると、エナハーンが助けてくれました。
「あ、あの……。さっきは変なことを聞いてしまってごめんなさいね。まだわたくしたちであったばっかりなのに、踏み込んだことを聞いてしまったでしょう?」
エナハーンがしょぼんとした顔で言います。
「いいえ。わたくしも同じ立場で同じことに気がついたらきっと聞いていたと思いますから……。気にしないでくださいね。——と言うより気になったのは、エナハーンの観察眼が鋭いことにびっくりしてしまいましたよ」
「ああ……。そっそれは観察するのが癖になってしまっているだけなんですよ? スタンフォーツ家の屋敷で働いていた頃、よく食事に睡眠薬なんかを仕込まれていましてね……。それを警戒するために人の動きを観察していないと不安で、いろんなことに目が行ってしまうのです」
思ってもいない言動が飛び出して、目を丸くしてしまいます。
「すっ睡眠薬⁉︎ スタンフォーツ家はそんなに危険な家なのですか⁉︎」
わたくしの驚き具合を見て、勘違いに気がついたのか、エナハーンは慌てて弁解をします。
「あ、あのスタンフォーツ家の皆さん自体はみんないい人たちで、問題はないのですよ? ただ、わたくしとわたくしの母が珍しい性質を持っているからそれを狙う人間が多くて……。わたくし高く売れるそうなんです。こ、困ったものですね」
「ああ……。そうだったのですね……?」
釈然としませんが、わたくしも家に侵入者が入ったことがありますから、同じようなものでしょうか?
それにしても、エナハーンは水の要素が強いですが、それってそんなに珍しいことなのでしょうか。高く売れる、と言う言葉がなんだか気になりますが、ここで聞くのも野暮でしょう。
「リ、リジェット……? どうかしました?」
難しい顔をして自分の中で深く思考をしてしまったようで、エナハーンが心配した様子で声をかけてきます。
「いいえ、大丈夫です! 今日はもう遅いですし、寝ましょう!」
「そ、そうですね……。もっもし何かわたくしが力になれることがあったら、気軽に声をかけてくださいね?」
「ありがとう、エナハーン。そうさせてもらいます。あなたも、何かあったら相談してくださいね」
「……はい。そ、そうします」
おやすみ、と言い合ったわたくしたちはそれぞれの自室に戻っていきました。
*
明日も朝早く起きねばなりませんので、早く寝なくちゃと布団に入りますが、スミのことが頭から離れずに、思考を繰り返してしまいます。
スミのこと……。先生は末期だと仰っていましたし、レナートはダメだ、と言っていました。
あの方は残りの寿命が少ない……。
スミの体からした、あの苦くて甘い匂いは……。きっと先生が使っていた痛み止めの薬品の香りでしょう。
先生のことも心配ですが、レナートが先生のことを丈夫、と称していましたので、すぐにどうこうなってしまう、と言うわけではないのでしょう。日頃の先生からあの香りはしないので、本当に体が辛いときにしか使わない緊急の薬なのだと思います。
あの匂いが体に染みつくくらい薬を常用していると言うことは……。
頭の中に、もう起き上がれなくなったおばあさまの姿が浮かびます。
もう眠気なんて完全に覚めてしまいました。
わたくしが色盗みの能力を持っていて、寿命を削る可能性があるとして。
これからどう動くのが正解なのでしょう。
わたくしだって、騎士としての名誉の死ならばまだしも、自分の本意ではないところで死にたくはありません。
「わたくしは……、他人に色盗みの術を使えることを知られてはいけないんだわ……」
ひとりぼっちの部屋で呟いた言葉は夜の闇に吸い込まれるように消えていきます。
擬態をせず、白い髪のままで騎士学校に入学してしまったことを今更ながら後悔してしまいます。擬態をして入学した方が安全だったでしょう。
そういえば、以前先生の家に第二王子であるアルフレッド王子が侵入した際に、白纏の子が一人欲しいと言っていたことがありました。
装飾品を作り出すものが一人欲しいということなのでしょうか……。けれどもなぜだか、それとは違う意味があるような気がしてならないのです。王子は役立つ、と言うニュアンスを言葉に含ませていた気がするのです。
白纏の子……。色盗みの女はただの宝石製作者ではないのかもしれません。
とりあえず、今の時点で言えることは、第二王子の元につくと、自分の本意ではない使われ方をされてしまう危険性があると言うことです。
これからは自分の身の振りや言動にこれまで以上に気をつけなければ……。
ぐるぐる、ぐるぐる考えを巡らせたその日、わたくしは眠れぬ夜を過ごしてしまったのです。
エナハーンはこれを聞くのに、めちゃくちゃ勇気を振り絞りました。
次は 件の女性と再会します です。




