54始まりの挨拶 後編
秋の始まりの深夜。
僕は久しぶりに王都に足を伸ばしていた。
王都はミームに比べると、明かりの魔法の設置箇所が多い。そのために街の中を歩いていると、時間帯のわりに繁華街は明るい。
だがそれは街の中だけで、白い砦のような壁面に囲まれた王城付近になると、灯りはどんどん少なくなり、星明かりが目立つようになってくる。
徐々に視界が暗がりに包まれていく中、石畳の小道を抜けて僕は進んでいく。
王城に向かうのはやっぱり面倒だ。王城へは歩いてでないと入れない。王城に入り込むのに転移陣を使うことはできないからだ。
何故そんな条件がついているかというと、僕がそう言う風に設定してしまったからだ。
僕が王城に住んでいた頃、自分の居住範囲を守ろうと防衛の魔法陣を描きあげたことがある。その際、侵入者が魔法陣を使って逃げたら追跡が面倒なので、その防衛範囲に足を踏み入れた者は、転移陣を使うことができぬように設定をしたのだ。
だが、その魔法陣は隙をつかれて王族に取り上げられてしまい、今では王城全体を防衛するための魔法陣として勝手に使われてしまっている。
奪われてしまった後の魔法陣はそうそう触れる機会もなく、描き換えをすることはできない。
……どうして僕は防衛の魔法陣に転移陣の排除なんて組み込んでしまったのだろう。
自分の足で進むなんて、面倒でならない。
第二王子が家に乗り込んできた時もそうだけれど、僕は他人に無断で住居に侵入されるのを許せるたちではない。
しかし、だからと言って魔法陣に制限を強く敷き込みすぎると、イレギュラーなことに対応できなくなってしまう。
僕にとっては苦渋の決断だったが、あの時の失敗を踏まえて、あえて自分の住居の防衛は緩めに設定をしている。
……どうせ僕はどんな襲撃をされても死なないし。
*
キラキラと輝く星に照らされながら、僕は一人で王城の離宮に侵入する。
王城の東の塀、離宮近く、白壁の穴。
遮断の魔法陣が脆くなっている部分を見つけた僕は、そこを潜って薔薇に似たエダムが生茂る、離宮の庭園内に進む。
ここの警備は何回入ってもザルだ。見回りの門番の目は節穴だし、これでは誰でも入れてしまう。と、侵入した僕がため息をついてしまうレベルだ。
離宮にはまだ明かりがついている。住人はまだ起きている様だ。僕は少し前に訪れた時と同じように窓のノックをして、住人に訪問を知らせる。
するとすぐ、中の住人が動く気配がした。小走りで、女性がこちらに向かってくる。
「あら、クゥールじゃない? 久しいわね」
「姫様姫様、お久しぶりですね」
姫様、と僕が読んだ美しい艶やかな黒をふんだんに髪にもつ、女性が紫がかった桃色の目を見開いて僕に駆け寄ってくる。
しばらく会わないうちにリジェットのような幼い少女らしさは薄くなったようだ。少しの身動きで艶やかな色気が漂う。それでいて、気品は失わないところが彼女の持ち味だ。
僕が敬語で接するのは、この姫様くらいだろう。
友人である姫様は僕の突然の訪問だったにもかかわらず手放しで喜び、迎え入れてくれた。
「クゥール、突然どうしたの?」
「僕はこれからこっちにくることが多くなりそうなので、ご挨拶に、と思いまして」
「あら? もう王都は嫌いだと言っていたから、もう来ないと思っていたわ。こっちにくると呪いで調子が悪くなるんでしょう?」
僕の元気そうな様子を見て、姫様は驚いた顔をして首を傾げた。
それまでの僕には、現王から受けた呪いの影響が色濃く残っており、王城に向かうと、苦しみが酷くなる現象が起こっていたのだ。
「それが……。最近なぜだか体調が良くて。この前王都に行っても体調が狂わなかったので、もう大丈夫みたいなんですよね」
この不思議な現象の原因が何か、見当はついている。多分、これはリジェットのせいだ。おかげ、と言うべきだろうか。
呪いの浸食により大きく体調を崩していたあの日、リジェットが帰った後、体に違和感を持った。
どう考えても、リジェットが来る前より体が軽くなっていたのだ。何かがおかしい、そう思った僕は捜索の魔法陣で、部屋の中を確認した。
すると、ベッドの下におかしな異物があるのを発見してしまった。
箒で吐き出すと、そこには黒い宝石のような石がことりと落ちていた。その石はどの角度からでも禍々しい光を発っていた。
呪いを石として排出する。それが色盗みの女の能力であることは知っていた。王城で暮らしていた頃、王に仕える色盗みが存在していたからだ。
王は国同士の戦いのために、呪いを多用していた。
隣国、ラザンタルクとの和平が実現したのも、元王がラザンタルク側の王に施した呪いによるところの功績が大きい。
通常、人を呪うと、呪い返しを受けてしまう。しかし、色盗みはその呪いを石として体外に排出することができる。
だが、何事にも対価は必要で、呪いを石にする際に、色盗みは寿命をひどく削ってしまう。
だが、それは王にとっては大したことではなかった。彼のもとには何人もの色盗みが仕えていたのだから。
——つまり、王は色盗みを使い捨てにしていたのだ。
僕が王城から飛び出したその日、王はいつものように、僕を王城に縛りつけるために呪いを放った。
だが、通常とは質の異なる魔力を有する僕を呪うのは、普通の人間の身にはいささか負担が大きすぎたらしい。
その結果、王は多大な呪い返しを受け、体に不自由さを見せるようになった。
呪いを体内から取り除くために、色盗みの術が効果的であると知った王はさらに多くの色盗みを城に雇おうと、国中から色盗みになり得る少女を狩つくしたらしい。
だが、残念ながら王が雇った色盗みは質が悪かったようだ。術を何度受けても王の呪いは完全に取ることはできていない。その代わり、王のそばには色盗みたちの死体が山のように積み上がる。
中には僕が懇意にしていた色盗みの女もいたが、その者も最後には儚く散っていった。
——リジェットは色盗みの能力を得たのだろう。
僕は自分から呪いを排出させられたことで、それを確信していた。
黒に近い髪色を持つ、色盗みの初期仕様が白纏の子であると言うことは意外と知られていない。
リジェットに教えた通り、白い髪の子供のコレクターも存在する。しかし有用な色盗みをただの愛玩具のように粗末に扱うものは少ない。
彼女たちは国にとって重要な癒し手なのだから。
僕の晴れやかな表情をみた、姫様は嬉しそうに微笑む。
「あら? 呪いが解けてしまったの? おめでとう! これであなたも王都に頻繁に出入りできるわね」
「全部ではない様なんですが、王にかけられたものは大半、解けてしまった様ですね。もう一つの呪いの方は解けていないのでまだ全快と言う訳ではないのですが……、前より大分調子がいいです」
「そう……。それは本当によかったわ」
姫様が優しく微笑んだ瞬間、空気の流れが変わった様な感覚が僕を襲った。
それは音もしない。
しかし、リジェットの比ではないほどの速さの何かが動いたことだけがわかった。
次に異変に気がついた時には、首筋に果物ナイフを突き立てられていた。
ギラリと光るナイフが、僕の首元に軽く刺さる。
「いくらクゥールでも、姫様にそれ以上近づいたら、許さないからね!」
「ニーシェ……」
僕は背後を奪ってそのまま首元にナイフを突き立てたのは、姫様の従者であるニーシェだった。キャピっと楽しげな様子で口角が上がっているが、青みのある紺色の目が少しも笑っていない。
「ニーシェはまだ、その服が似合うね……。そろそろ骨格的に無理があると思っていたけど、まだまだ余裕がありそうに見えるよ」
そう言うとニーシェは楽しげにメイド服のスカート部分をひらりと見せつけてきた。
細身でしなりのある、細い肢体に、赤みがある黒い布地フリルがふんだんに用いられ、白いエプロンがついた、メイド服はニーシェによく似合っていた。
白に一滴青をたらし込んだような色合いの髪もお団子にまとめあげられ、メイド服のエプロン部分と同じ白い素材のフリルで包み込まれている。
「ね! まだ行けるっしょ!」
——ニコニコ笑っているが、ニーシェは男だ。
隣国のラザンタルクから現王への輿入れのために国を越え、こちらにいらっしゃるオフィーリア姫の側で使えるために性別を偽ってまでついてきた、変わり者の従者である。
ニーシェは確か、十七になったのではなかったか? と頭の中で情報が通り抜けていったが、一々気にしていると頭が痛くなるので、思い返すような無粋な真似はしない。
この二人は王都にいる数少ない僕の友人だ。
「ニーシェ。僕は姫様にその種の好意はないっていっているでしょう? 僕の女性の好み、知っているくせに」
「あー……。なんつーかクゥールっておんなじような女とばっか付き合うもんね。こう……、年上で影のありそうな幸薄なタイプ。そんでもって胸がでっかい感じ!」
ニーシェはいい笑顔ですっきりと言い放つが、あけすけに自分の好みを客観的に語られるのは精神的に来るものがある。
「どっちかって言うと、姫様は可憐で美しいタイプだからな……。あと、影はないし幸薄じゃない」
「わたくしと幸薄って随分遠く離れた言葉よね。わたくしは自分で選択してここにいるのに」
大輪の薔薇のように優雅に微笑んでいるのに、毒気を感じるのは、僕たちが長年『きちんと』交流を続けていたからだろう。
姫様は停戦のために結ばれた和平条約の印として、ハルツエクデンにやってきた。表向きには王の煮え切らない裁量が問題で婚姻を結んでいないと言うことになっている。だが、実情は異なる。あの手この手を使って婚姻を引き伸ばしているのは彼女の方だった。
彼女は淡々と、この国の主導権を握る瞬間を狙っているのだ。
……本当に僕の周りには野心家が多いよね。リジェットといい、姫様といい。
でも僕はそんな彼女たちの生き様が好きだ。
心躍るエンターテイメント。
状況によって変わる、スリリングな展開。これを間近で見られるのは、僕の唯一の幸運と言ってもいい。
僕は離宮の応接室にある、ソファセットに案内された。
姫様は向かいの一人掛けのソファに座り、僕は二人掛けのソファの端に座る。きっとここにいれば、ニーシェが僕の隣に座るだろう。
僕が座ったことを確認したニーシェは腰に両手を当てながら、ふう、とため息をつく。
「今日はクゥールお客様だから、仕方ない。お茶を用意してあげる」
「あ、じゃあこれをいれてくれる?」
そう言って僕は懐に手を入れた。僕の布が巻かれたような形の魔術師のお着せの隙間にはあわいにつながる、空間魔術の魔法陣を仕掛けてあるため、好きなだけ荷物を詰め込むことができるのだ。
そこからお土産として持ってきた、リジェット特製のハーブティーを取り出し、ニーシェに両手で手渡した。もちろんシェカの家で作られた、贈答用の木箱に入ったものだ。
「あら? なあに、これ。お茶かしら? 珍しいわ。それにこの箱、とっても味わいがあってかわいいわ」
姫様も興味深そうにパッケージを見ている。
「それは僕の弟子が作ったものなんですよ」
「え?」
「まあ」
そう言うと姫様も、ニーシェも目を丸くして驚いている。
「あなた……。いつの間に弟子なんて作ったの?」
「気まぐれだったんですが、思いの外気に入ってしまいましてね……。仕方なく手元に置いているんですよ」
「クゥールが誰かの面倒みるとか……。この世の終わりか?」
ニーシェは失礼なことを。姫様はまあ、と一言いって僕の言葉に嬉しそうな表情を見せた。
「あなたが手元に置いて面倒を見るなんて、とっても面白い子なんでしょうね。どんな子なの?」
なんと言ったらリジェットのことが姫様にうまく伝わるだろう。思考してもうまく言葉が見つからない。見た目はおしとやかな令嬢で、声も可愛らしくて、でも戦いを好む、戦闘狂。
突拍子もない行動をする、実業家気質。
そんなリジェットを一言で表すのは難しい。
悩んだ挙句、どうしようもない言葉が出てきてしまった。
「なんというか……水鉄砲だと思っていて遊んでいたら、戦車だった、というか」
「戦車?」
「なんでもありません」
戦車はこの世界にはないんだった。
僕のごまかしが入った言葉に姫様はクスクスと上品な仕草で笑って見せた。
なんだか居心地が悪くなって、僕はハーブティーを口に含む。
「でも、彼女はどんなに僕が力を見せつけても、ただの人間として、扱ってくれるんです」
その答えに姫様は酷く優しく、目尻を下げた。
「あなたはこの世界の楽しみを見つけたのね」
「ええ」
リジェットは不思議な子供だ。硬く閉じようとした僕の心にするりと忍びこんでは、思っても見ない行動を度々起こす。
それは僕にとって本当に面白い娯楽だ。
柔らかな空気を感じ取った僕は、姫様に微笑みを返す。するとお茶を入れ終わったニーシェが隣に座り、僕を肘で小突いてくる。
「ツンツンとんがって、うっかり王を殺そうとした人が子供を庇護するとか、笑えるっ!」
「うるさい、あわいに投げ込むよ?」
「投げ込めるものなら投げ込んでみなよ? クゥールにできるかなぁ? 呪いが解けて、幾分マシになったみたいだけど、体全然鍛えてないでしょ?」
「うるさいよ」
ニーシェがいう通り、僕はニーシェを捕まえてあわいに投げるなんて真似はできないだろう。
ニーシェは動の要素——瞬発的な身体能力が異常に高く、僕はきっと魔法陣を使っても彼を捉えることはできない。国ごと滅ぼすなら別だけれど。
「実はその子供はオルブライト家の末娘なんですよ」
そう口に出すと、姫様は驚いた様子だ。
「まあ! オルブライト伯爵家の! あの家は黒持ちが多いから、槍玉に挙げられやすい家よね。
……あ、今はクゥール。オルブライト領にいるのでしたっけ?」
「はい。まだ今年のリージェはまだ決定していませんし、オルブライト家がリージェを上げるという噂も聞かれませんから。
本拠地として使うには問題ないと思うのですが……。心配な要素があれば早めに撤退します。僕の場合は撤退も簡単ですから」
撤退を考えたら、その時にあわいの家の入り口となる魔法陣をミームから取りのぞけばいいだけだ。リジェットは王都の入り口を知っているから、ミームの魔法陣を撤去しても魔法陣を教えるのに影響はない。
「まあ、しばらくは弟子がなにしでかすか、心配なので、動くつもりはありません」
「クゥールに弟子いるとか改めて信じらんなーい! ぷぷぷっ!」
ニーシェが馬鹿にするように挑発してくるが、それに乗ってやるほど僕は短気ではなかった。
「いつも孤独を身に纏って、わたくし達とも距離を置こうとしていたあなたが、目を離せないなんて。その子が大切なのね」
大切? 考えてもいなかった言葉にドキリとしてしまう。
「今は楽しく遊べるおもちゃですね」
「そんなこと言っちゃって……。きっと誰かにとられたら、怒るくせにね」
姫様は見透かす様な視線を僕に送って来る。僕はその視線の鋭さに、狼狽してつい視線を逸らした。
「姫様にもいつかご紹介しましょう。きっと気にいるかと」
「あらあら……。楽しみだわ」
嬉しそうな姫様に対して、ニーシェの顔は晴れない。ニーシェは姫様に近づく人間が許せないのだ。そこには女でも、男でも関係がない。
それに対して姫様は一度庇護下に入れたものは最後まで面倒を見るような漢気がある方だ。
そんな姫様を慕い、一番の側近であると言う自負を持っているニーシェからは姫様の関心を引くものは一様に気に入らない、と言う強い意志を感じる。
まるでその光景はご主人様の浮気を許さない使い魔のように見えた。
「それはいいけど、姫様にとって害を成す様だったら、私が排除しちゃうから、恨まないでね!」
「まあ、そういうタイプではないと思うけど……。一応気をつけておくよ」
ニーシェのあまりにも鋭利な笑いに僕は苦笑するしかできなかった。
*
久しぶりに二人にあったので、どうやら話し込んでしまったようだ。胸に仕舞い込んでいたチェーン付きの懐中時計をチラリと見たニーシェはその時間を確認して、眉をひそめる。
「もう遅いし、早く帰ってよクゥール。姫様はもう寝る時間なんだ」
「あら、もうちょっとクゥールとお話をしたいわ」
「明日は一応、王への謁見日なんだから。仕込みが必要でしょ? 早く寝てくださいっ!」
別邸に押し込められている身だとしても、王とのつながりは持ち続けているのか、と妙に感心してしまう。
姫様は計算高い方だ。自分の動きがどう言った影響を及ぼし、どう周りが変わっていくのか……。考えて動くことに長けている。
それと同時に、空間魔術に長けた魔術師でもある。ハルツエクデン国に入国してからというもの、城中に秘密裏に罠を仕掛け、人をさらっている。
彼女は謁見と名のついた会合で、果たして何をしているのだろう。……そういえばニーシェの髪色が少し薄くなったような気がするが、それも姫様の術の一部なのだろうか。
そういった底知れないところも、僕が彼女を気に入っている要因の一つだった。
「そう……、仕方ないわね……。クゥール、またそのお気に入りの女の子を連れてここにきてくださいな」
「はい、そうします」
姫様はお手本のように綺麗なカーテシーを見せて、部屋に下がった。姫様ほどの方なら僕に向かって目上の挨拶なんてしなくてもいいのだが、頬様は必ず僕を貴賓扱いする。
姫様が部屋から出る瞬間、ニーシェがしっし、と手をこちらに仰いできたのが目につく。
——ニーシェの機嫌をこれ以上損なわないうちに僕もあわいの家に帰ろう。
*
僕は城下の暗闇の中を歩いていく。
城下には相変わらず、色々なものが隠れていた。
悪意、企み、エトセトラ。
リジェットは……王都を訪れ、これから何と出会い、何を失うのだろう。
リジェットの王都での生活は、どんなものになるのか。どんなことをしでかしてくれるのか、今から想像するだけで楽しみでならない。
クゥール(先生)視点終わりです。
いろんなことがわかったようなわからないような……。ニーシェと姫様が書けて嬉しいです!
ちなみにオフィーリア姫の“姫様“は“ひいさま“とお読みください。
次はリジェット視点に戻ります。




