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白兎令嬢の取捨選択  作者: 菜っぱ
第一章 大領地の守り子
40/157

39色盗みの女に会いました


 その日は朝から、何やらお母様が騒がしい声をあげていた、と侍女のラマから報告がありました。


 一体どうしたのでしょうか。


 新しい刺繍糸が手に入ったのか、図案を手に入れたのかわかりませんが、わたくしは大人しくしていた方が良いでしょう。新たな淑女教育課題を積まれたら困りますからね。


 そう思ってわたくしは部屋でいつも以上に大人しくお勉強をしていたのですが、抵抗虚しくお母様から部屋にすぐこちらにくるようにと、呼び出しがかかりました。

 ……時間がかかる用事でしょうか。今日は午後から砥石で剣を磨こうと思ったのですが。


 予定を狂わされたのは残念ですが、この屋敷で上位者である、お母様には逆らわない方が無難でしょう。何か粗相をしてしまえば、せっかく取り付けた応援をそいでしまうことになりかねません。



 お母様の部屋の前に立つと、何やら部屋から賑やかな声が聞こえてきます。


 ノックを四回し、部屋に入ると何故だかお母様は目を少女のように紫色の瞳をキラキラと輝かせています。……どうしてでしょうか。

 ソファーに座っていたお母様はガバッと立ち上がり、待ちきれない様子で口を開きました。


「リジェット、色盗みの女がオルブライト領にいらしているそうよ! 一緒に宝石を買いに参りましょう!」




 色盗みの女。




 それはこの国では珍しい宝石売りの名称ですね。

 この世界では宝石は鉱山から取れるものではなく、色盗みの女が作り出すものとされています。


 色を盗むと言ってもそのものの色を無くしてしまうわけではありません。その色に手を添えることでその色をコピーするように記憶するそうです。わたくしも見たことがないので詳しい仕組みわからないのですが。


 わたくしも色盗みの女が作ったとされる宝石をいくつか持っています。お父様にお誕生日の贈り物としていただいたのです。水に海色の絵の具を落としたような滲みと藤色のルチルが入った宝石は見る方向によって色合いの濃淡が変わる趣深い石で、わたくしの大切な宝物です。


 色盗みの女が作り出す宝石はその術者が見た数だけの多彩な色合いを有しており、一目見たら心奪われ、忘れられなくなってしまうほど美しく、貴族の間で装飾品として人気の高い逸品です。


 その色盗みの女自体は国中を回っているので、なかなか自領に来ることがなく、その存在自体、希少性が高いのです。色盗みの女がきたとなると、貴族女性はまるで待ち構えたバーゲンセールが来たかのように宝石を買い求めます。


 淑女教育はあまり好きではないわたくしですが、淑女的なものが嫌いなわけではありません。

 お母様がくださるハンカチもくださるだけだったら、見目麗しいですし、好んでおります。


 宝石も同じように嫌いではありません。

 むしろ好きかもしれません。


 見ていると、なんだか心ときめきますし、ずっとみていられます。持っていて悪い気はしません。


 まあ、剣の輝きと比べてしまえば、ときめき度は劣るのですが。


 それに色盗みの女が作る宝石には美しいだけでなく、人を守る力があるとされています。

 何かに加工すれば、戦いの道具として使えるかもしれません。


 それならわたくしもぜひ、何点か買い求めたいです!

 乗り気なわたくしに気をよくしたのか、お母様はいつもより優しくわたくしに微笑んでくださいました。


 行くと決まれば、行動は早いです。

 わたくしとお母様は外出の準備を整えて街に出かけました。



 馬車を降りた場所は、オルブライト家が経営するカフェテリアでした。

 一階は庶民向けのティースペースとなっていますが、二階は貴族の会合用にスペースが設けられているのです。

 色盗みの女は、二階の来賓用の部屋に招かれていました。


「ようこそ、おまちしておりました」


 入室すると、女性の声が聞こえます。この方が色盗みの女でしょうか?

 女性は黒いベルベットのような質感のワンピースを着ています。貴族の作りこまれた服とは違い、裾を摘んだような細工が施されていて、緩やかな作りをしています。


 あと目につくのは髪色でしょうか。なんだかみたことのない不思議な色をしています。濃い灰色、と言えば灰色なのですがただの単色の灰色ではなく、様々な色を混ぜたような色をしているのです。


 例えは悪いのですが、その色は絵具筆を洗った後の水の色に似ています。決して美しいわけではないのですが、この方の雰囲気もあってか、それがとても神秘的に感じられてしまいます。

 緩く癖のある髪を長く垂らし、服と同じ生地でできた帽子を被っている彼女は、まるで前世で想像した典型的な魔女のように見えます。


 年齢はまだお若そうに見えますけど……。下を向いた時にあどけなさが香る気がいたします。二十歳にはなっていないくらいではないでしょうか。

 ただ、わたくしは先生をものすごく年上だと思ってしまった前科があるので、年齢を勘ぐることに関しては些か自信がありません。


 色盗み、という特別な魔術を使うのですから、魔術師、という認識で間違いないとは思うのですが。

 この方も特別な魔術を司る方なので、先生と同じように高位の方なのかもしれません。


 部屋に入ると宝石の数々の色彩が目に飛び込んできました。

 ……わあ、綺麗です。

 ローテーブルの上には宝石に傷がつかぬよう白い布が敷かれています。布の上には色分けされた大量の宝石がざらっと撒かれるように並べられていました。


「お久しぶりです、オルブライト伯爵。そしてはじめまして、リジェット様。私は色盗みの女のスミ、と申します。

 今日はお二人のためにとっておきの宝石をご用意しましたので是非ご覧くださいな」

「ありがとうございます。拝見します」


 あ、この人口元に黒子があるわ。近づくと見えるそれは彼女をより怪しげに、色っぽく見せるためのアクセントになっていてとても魅力的に見えます。瞳の色も綺麗な菫色ですし……。とってもミステリアスで素敵な方だわ。


 スミはわたくしたちの方を見ながら、ふわりと微笑んで、宝石の説明をしてくださいます。


「これは森深くしなやかに育つ針葉樹の葉の色、これは聖なる泉の底の色ですね。これは霧深い朝の植物に着く朝露の瞬きの色です。好き嫌いはあるかもしれませんが、貴族のみなさんにはとても人気のお色ですね」


 どの宝石も少しずつ色味が異なり、一つとして同じ色のものはありません。

 世界にはこんなに美しい色があるのか、とため息が出てしまうほど美しい宝石にうっとりと思いを馳せます。


 真剣にみていたら、あまりにも美しいので、息も忘れてしまっていました。

 ……この宝石たちは果たしてわたくしが買うことができる金額なのでしょうか。


 チラリ、と値段を見て、ああ無理だな、と諦めます。

 そこにはわたくしがハーブティーの生産権利を売って得た金額の、何倍もする額面が提示されていたのです。


 お母様は値段を気にせず、何点か手にとって購入する宝石を注文書に書いていました。こうすると後で家まで届けてくれるそうです。


 お母様は豪胆だわ……。


 自分で購入するのは無理そうですが、色盗み、という魔術自体にはとても興味があります。諦めわたくしは色盗みの女と話始めます。


「この宝石は魔術で作られているのですか?」

「魔力の打ち出し方が魔法陣とは異なるのです」


 打ち出し方、という言い方が耳に残りました。魔法陣を描いたり作動したりする際に魔力を打ち出しているという感覚はなかったので、少し不思議な感じがします。


 もしかして、魔法陣の文字の中にも魔力を含ませていた、ということでしょうか。それであったら魔力の弱い人間が他の人間が描いた魔法陣を使えないことに納得が行きます。自分より強い魔力自体を使役するのは困難でしょう。


「魔法陣の文字は魔力だったのですか……」

「気がついていなかったのですか?」


 スミはあら、と驚くような表情を見せました。


「魔力の打ち出し方さえ学ぶことができれば、誰でも色盗みになれるのでしょうか?」

「リジェット、あまり込み入ったことを聞くのは不敬よ」


 お母様に肘で小突かれてしまいました……。うーんそうですよね。秘伝のレシピを聞き出しているようなものですし。


 チラリとスミの顔色を覗き見ますが、怒っていたり困っている様子は見られません。

 ただただ穏やかに微笑んでいました。


「誰でも、というのは難しいかもしれませんね。色盗みを行うことができるのは、その資質を持って生まれたもののみですからね」


 あら、ちょっと残念です。でも誰でもできたら宝石の価値が下がってしまいますものね。

 色盗みは国で保護されている、特別な魔術のひとつです。

 一般的に魔法を使うには魔法陣を用いますが、色盗みの女は手をかざすだけで、色を宝石に写してしまうのです。

 なんて不思議なんでしょう。


 わたくしは引き続き、宝石を眺めます。


「でも、先生の髪の色はここにはないのですね」

「先生ですか?」


 スミはおっとりとした様子を持ち合わせながらキョトンとした顔でこちらを見ました。


「わたくしの魔術の先生です。緑と金の間のようなとても珍しい綺麗な色の髪を持っているお方なのですよ」

「まあ、私もいつかその方の色を盗んでみたいです」

「ぜひ、とても美しいですから。盗んだ暁にはわたくしその宝石を買い取りたいですわ」

「まあ……。ふふふ。お嬢様はおませさんですね。人からとった色はその人にとって、大切な意味を持ちますから」


 その言葉に女は頬を染めてふふふ、と微笑みます。何か深い意味があるのでしょうか。


「今日はわたくしには高すぎて宝石は買えませんでしたけど、こんなにたくさん美しいものを見せていただいて、とっても有意義な時間を過ごすことができました」


 わたくしの言葉に、色盗みの女は少し考え込むような仕草を見せます。

 そして、一つのわたくしに提案をしてくださいました。


「あなたさまは本当に素敵な瞳の色と髪の色をしていらっしゃいますね。まるで瞳は沈む夕日の輝きを集めたかのようですし、髪は何にもそめられていない、美しいシルクのよう。——あなたの色を盗んでもよろしいですか?」


 色盗みの女にとってわたくしの瞳の色と髪の色は未知の色だったようです。色盗みの女に色を差し上げることはとても名誉なことだと、本で読んだことがありました。わたくしはすぐさまその提案を受け入れます。


「まあ、喜んで」


 そういうと彼女はわたくしのまぶたの上に優しく手を載せました。すると一瞬、そこが暖かくなったかと思えば、すぐに手が離されます。


 彼女は「見ていてくださいませ」と短く言い、わたくしの掌を握りました。


 わたくしの掌の周りを彼女の人差し指がつうっとなぞるように通るとそこにはわたくしの色が現れます。


 赤と白、その二つが液体のようにつるりと手の中に入っていきます。


 しばらくすると、それは小さな結晶になり輝きをピカリと放ちましたました。


「もう色の記憶は私の中に仕舞い込みましたから、この宝石はあなたさまに差し上げましょう」

「え! よろしいのですか? あ、ありがとうございます」


 わたくしはあまりにも唐突なサプライズに思わずワタワタと戸惑ってしまいます。

 色盗みの女が作る高価な宝石をタダでいただいてしまいました……。本当にいいのでしょうか?


「その宝石はあなたの大切な方に差し上げたらいいですよ。あなたがいない間にも、この石があなたの大事な方を守ってくださいます。そしてあなた自身のことも守ってくれるでしょう」

「え、そんな効果のある石なのですか?」


 スミは肯定するように優しく微笑んでいます。


 大切な人ですか……

 わたくしは頭の中でいただいた宝石を誰にあげようか考えます。


 通常であれば家族に渡すのが定石でしょう。ただ、わたくしの家族はみな、自分の好みの装飾具をたくさん持っていらっしゃいます。わたくしが宝石を差し上げても、喜んではくれるでしょうが、感動は薄いでしょう。

 わたくしはこの感動を分かち合える人に差し上げたいですね。

 そう思ったわたくしは先生に宝石をあげようと思いました。


 わたくしは色盗みの女にお礼を言って、その場を立ち去ろうとしました。

 立ち上がって、空気が揺れた瞬間、何故か嗅いだことのある香りが漂ったのです。


 ——甘いような、苦いような、煙で燻されたような独特の香りです。


 それは先生からも香ることのある独特の匂い、以前おばあさまが亡くなる直前に嗅いだ、あの独特の香り……。


 わたくしはこの香りのことを死の前触れのように感じています。


 何故、こんなお若い方から死の香りが……。

 わたくしの考えをまるで読んでしまったかのように女が微笑みます。


「あなたはとても感覚が鋭いのですね」


 深い微笑み方は先生によく似ています。

 その笑顔には慈愛と……少しの諦めがにじむのです。

 何かに気付いてしまいそう、そう思うととても恐ろしくて、体が震えます。


「大丈夫、全ては元の場所に戻るだけですよ」


 優しく愛しみを持った微笑みをスミはこちらに向けました。


「その身に纏った運命をあなたが使いこなせるように、遠くから祈っております」


 帰り際、そう呟いた色盗みの女の声が予言のように聞こえて、頭の中で何度もリフレインを起こしてなかなか消えませんでした。



「リジェット、この後のご予定は? 久しぶりにお茶でもどうかしら?」


 お気に召す宝石を購入することができたお母様はウキウキのご様子で、わたくしを誘いました。お母様に誘われるのはとても珍しいことなので、一瞬考えてしまいましたが、今日は水の日です。

 きっと先生は自宅でもう何か用意してくれているに違いありません。それを無碍にするのはあまりにも申し訳ないので、お母様の誘いをやんわりと断ります。


「ありがたい申し出ですが、今日は水の日。クゥール様の元に向かう予定がありますので、お茶の方はぜひまたの機会にさせていただきます」


 お母様は少し残念そうな顔をしましたが納得してくださった様です。


「そう……。クゥール様によろしく伝えておいてね」

「はい、お母様!」


 わたくしはそのまま、急いで先生の元へ向かいました。

 何故か胸騒ぎがして、早く先生の元に向かわなければならない気がしてならないのです。



 いつもの様に転移陣でミームに向かい先生の家に入ると、どうしたの? と尋ねられてしまいます。あまりに急いでいたので、わたくしは息を切らしていた様です。

 色盗みの女にあったことを先生に告げると、先生は驚いた顔をしていました。


「君も色盗みの女にあったのかい?」


 先生は色盗みの女のことを知っているようでした。

 先生は優秀な魔術師ですし、魔法陣の材料として宝石を使うこともあるのかもしれません。


「その色盗みはどんな姿の女だった?」

「えっと……黒に近い灰色をした髪の女性で、たくさんの色を重ねたような、不思議な光りかたをしていました。瞳も黒に近い紫色だったような……」


 特徴を告げると先生は深いため息をつきます。


「よりにもよって末期の色盗みか……」


 末期、とはなんでしょう。先生は顔に焦りを滲ませています。


 いつも微笑みを崩さない先生がこんなに乱れるなんて。

 ——そもそも色盗みとはなんなのでしょう。

 謎だらけでよくわかりません。


「先生……。わたくしその色盗みから宝石をもらったのですが……」


 わたくしは手の中に握っていた赤と白の宝石を先生に差し出します。

 すると先生は目を瞠り、瞳を揺らします。


「これは、君の瞳と髪の色……。リジェット、君は色盗みの女の術を受けてしまったのかな?」

「……いけませんでしたか?」

「まあ遅かれ早かれこうなっていたのだろうね。しかし、末期の色盗みが宝石を奪い取らずに差し出すなんて……。信じられない」

「この宝石は何か魔術的に意味があるものなんですか?」

「意味はあるんだけど、僕は王都にいたときにその情報を知って、他に情報を漏らさないように魔術で制約を受けているんだよ」

 

 先生が制約を受けるくらいの重要事項?

 その言葉の響きにすうっと血が引くのが分かります。


「もしかしたら、以前来られたような王族の方が絡んでいるような案件でしょうか?」


 恐る恐る口を開くと、先生は口をつぐみます。


 制約で言えない、というこの場面での沈黙は肯定の意味を持ちます。


 まさか……。宝石を買いに行っただけで、国家の秘密に関わるようなことに触れることになるなんて……。

 わたくしは持っていた鞄の中から慌てて持っていた宝石を出します。


「この宝石を先生に渡そうと思って今日お持ちしたのですが……」


 石の色を確認して目を見開いた先生は息を飲み、真剣な表情で語りました。


「これは君が君であるために必要な宝石だ。君が持っていた方がいいだろう」

「誰かに渡しちゃいけない宝石なのですか? でも色盗みの女の方から、大切な人に渡しなさい、と言われたのです。

 ……それに今オルブライト家には良からぬものがいる気配がします。わたくしとしては渡さないにしても、先生に預かってもらえた方が安心できるのですが……」


 わたくしは以前の襲撃事件のことを思い出しました。あの日水の日以外、外に出ないわたくしの隙をつくことができたのはわたくしのことをよく知っている人間だと思うのです。


 屋敷の中に共犯者がいる、と考えるのが道理でしょう。その点、先生の屋敷はあわいに存在しますし、先生の許可がないと入れない仕組みになっているので大切なものの保管には都合が良い場所なのです。


「いいのかい?こんな大切なものを?」

「ええ、もちろん! わたくしこの宝石がそんなに重要なものだとは知らなかったのですが、最初から先生に渡そうと思っていたのです。大切な人に渡しなさいと色盗みの女に宝石をいただいた時、まず最初に先生の顔が浮かんだのです!」


 先生は顔を綻ばせて嬉しいと困ったの中間のような微妙な表情を作ります。


「じゃあ、僕はこれを受け取るしかないね。誰にも奪われないように大切にするよ。……リジェット、くれぐれも今後は色盗みの女には接触しないように、わかったね」

「はい……。わかりました」


 珍しく真面目な顔で諭すように言う先生の言葉に、わたくしは素直にうなずきました。





色盗みの女が出てきました。この物語全体を通した時のキーパーソンかもしれません。

そしてこのスミという女性の単体のお話も別で書いています。ただ、このお話の秘密に関わるお話になっているので、更新休止にしております。このお話が書き終わったら、ぜひ書きたいです。

次の更新は月曜日になります。

次は 40先生を看病します です

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