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白兎令嬢の取捨選択  作者: 菜っぱ
第一章 大領地の守り子
34/157

33先生はなんで魔術師になったのですか?


 事業の準備は着々と進めていますが、そんな中でもわたくしは相変わらず週に一回、先生の家で魔法陣を勉強させてもらっています。


 今日もいつもの様に先生の家で魔法陣教室が開かれています。


 思いつきで始まったこの教室ですが、先生は特に嫌そうな顔をせず、わたくしを受け入れてくださるのです。わたくしだったら週に一回半日も時間を潰されてしまうのは嫌ですが……。先生はなんて心が広いんでしょう。


「もう……。先生は聖人か何かですか?」


 魔法陣の模写を続けながら、ポツリと口に出すと、先生がバッと顔を上げこちらに視線を向けます。なんだかいつもより視線が鋭い気がするのですが、気のせいでしょうか?


「それは、どういう意味かな?」


 なぜなのかはわかりませんが、先生の顔はいつもの優しい微笑みとは違い、にっこりと、いつもより凄んだ笑顔になっていきます。なにか地雷でも踏んでしまったかしら……。あああ、どんどん笑顔が深くなっていきます!

 わたくしは体が小刻みに震えるのを止めることができません。


 美人の凄んだ笑顔は怖いのです!


「い、いえ……。あの……深い意味などなくて。ただ先生があんまりにも優しいので、すごいなあ、と思っただけですの。いくらわたくしが領主の娘だからと言って、週に一回も自分の時間を潰されたら、大体の方は嫌がると思うのです。先生は神様のごとく、懐が深いなあって」

「なんだ、そういう意味か」


 そういうと先生は表情を緩めます。よくわかりませんが、地雷はうまく処理をできたようです。


「前も言ったけど、ここには誰も来ないし、暇だからいいんだよ。今はどこかから振られている納期のある仕事もないしね」


 のんびりと、いつもの口調で先生が答えを返してくれたことにほっとします。

 

 いや……本当に先生は謎の多い人ですよね。


 知らない方が幸せなのかもしれませんが、あまりのミステリアス感に探りを入れたくなってしまいます。

 先生の経歴など、知っていれば余計な地雷を踏まなくてすみそうですし!

 危機回避に有効な手段だと思ったわたくしは先生に聞いてみることにしました。


「先生! わたくし先生のこと知りたいのでいくつか質問しても良いでしょうか?」


 先生が今日もお茶の準備をしてくれたので、束の間の休憩タイムが始まります。

 ちなみに今日のおやつはスコーンでした。

 イチゴのような味のジャムが付いていて、本当に美味です……。今日わたくしが持ってきたお茶が紅茶だったので、それに合わせてくれたのかもしれません。


 あ、おやつの美味しさに話が脱線してしまいました。話を戻しましょう。

 わたくしは先生の深い緑色の瞳をじっとみて、理由を話します。


「今まで五、六回この家に来ていますが……それでもわたくし先生のことあまり知ることができていないのです。先ほどのように聞いてはいけないことがあれば、先に教えていただきたいです……。とっても怖かったのです」


 わたくし、無神経なところがあるのは自分でも自覚していますが、決してわざと地雷を踏んでいるわけではないのです。すべて不幸な事故なのです! これ以上事故は起こしたくない……そんな様子が体から滲み出ていたのか、わたくしを見て、先生は苦笑しています。


「そんなに怖かった?ごめんね。いいよ。聞くだけはなんでも聞いて。でも機密で話せないこともあるから、答えられない問いには答えないけど。以前王都に住んでいた関係で、緘口令の魔法陣が敷かれている事柄がいくつかあるから、喋っちゃうと死んじゃう可能性があるんだよね」


 ひいいいっ‼︎ 先生はそんな危ない魔法陣を敷かれているのですか……。人間火薬庫じゃないですか!! 質問しても何が飛び出すかわからない緊張感を抱えつつも、わたくしは頭の中で何を聞こうかまとめ始めます。

 あ、そういえば前から、気になっていたことがありましたね。


 ——先生はどうして、魔術師になったのでしょうか。そしてどうやって魔術師になったのでしょうか?


 この国の貴族の教育は基本的に、家庭教師によって施されます。最近は家庭教師を雇えない貴族向けに小さい学校もできているようですが、それほど広く学校制度が普及しているわけではありません。


 そんな国で魔術師になろうと思うと、結構難しいのです。


 魔術師になるのに一番手っ取り早い方法は、わたくしのように師匠に師事する方法ではないでしょうか。

 ただわたくしが先生に出会えたことは大変幸運なことだったのでしょう。普通伯爵家と言っても魔術師をお抱えで家に迎えているなんてことはありません。オルブライト家のお抱えに先生がたまたまいる、という今の状況はかなりイレギュラーなことなのです。


 通常魔術師は王都の魔術省に集められていますから、なかなか会える存在ではありません。

 そういえば先生は何年か前までは王都に住んでたとおっしゃっていたので、その時のツテで誰かに師事していたのでしょうか。


 ……まさか、独学ってことはないですよね?

 魔法陣を独自で解読するなんて、わたくしの頭脳では到底無理ですが、先生は初心者にわかりやすくするために、魔法陣を解体し、本に示せるくらい頭が言い方なので、そのくらいできるのでは?

 あ、ありそうで怖いですっ!


 ……そんなことは最初はから聞けないので、まずは基本的なことから聞いていきますかね。


「では、先生。好きな食べ物は?」


 わたくしが聞くと「そんなことでいいの!?」と先生がブフォッと吹き出します。

 ……そんなにおかしな質問だったでしょうか? 相手のことが知りたい時に初めから確信をつくようなプライベートな質問をするのは良くないかな……と思ったのですが。

 あと、食べ物の好みは楽しい人生を送るために重要なことですから。今後の手土産の参考にさせていただきたいですし。


「うーん。なんだろう。多分一般的な男性よりは甘いものが好きかな? とは思うけど。甘すぎるのは得意じゃないけど、果物は毎日食べるかな?」

「果物ですね! これから手土産の参考にさせていただきます」

「いや。あんまり気を使わなくてもいいからね。あ、そうだ。君がいつも持ってきてくれるハーブティーも変わった風味がして好きだよ」


 いつもの手土産も喜んでいただけていたようですね。よかったです。

 果物が好きならば、今度果物の香りづけをした紅茶をお持ちしてもいいかもしれません。まだ試作段階ですが、ラマには結構好評なんですよね。


「先生は小さい頃から、果物がお好きだったんですか? お生まれは王都なのかしら?」


 質問に少しづつ確信に近い部分を混ぜていきます。その質問に対して、ほんの少しだけですが先生は辛そうにふっと目を細めます。

 最近、わたくしは先生の表情の小さな動きに気づけるようになったので、それがわかってしまうのです。先生は大体きれいな微笑みを顔に浮かべていますが、不都合があった場合、表情に少しだけ揺れが現れます。この質問でも表情が少し揺れたように感じたので、聞きにくいことだったのかもしれません。

 先生は一度目を閉じ、何かを決意したかのように言葉を紡ぎます。


「リジェットは不思議だね。今まで誰も聞いてこなかったことを、たくさん聞いてくる」

「すみません……。言いたくないことを聞いてしまいましたか?」

「いや、いいんだよ。そう言うわけじゃないんだ。ただ、今まで周りの人間に自分のことを何も聞かれなかったからそのことについていろいろと考えてしまってね」

「先生の周りの方々は先生についてあまり質問をしてこなかったのですか? 先生はこんなに謎だらけなのに?」

 

 なんだかそれはとても不可解な事象のように思えてしまいます。


「リジェット、知ってる? 人は自分の想像を超えたものに出会うと、無関心を装って、自分を守ろうとするんだ。理解できないものと対峙してわかり合う努力をするくらいなら、無視を決め込んでしまった方が都合がいい」


 無視、と言う言葉を聞いて、なんだかいろんなことがわかったような気がしました。ヨーナスお兄様も、お父様も、先生のことを魔術師として、頼りにはしていますが、特にバックボーンを知ろうとしてプライペートな質問をしたりはしません。


 その関係はあくまでも、有能な魔術師と雇い主というだけの関係性です。


「先生はオルブライトのお抱えになってから、ずっとそんな思いをされていたのですか?」

「何もここにきてからのことじゃないよ。ずっとだ。生まれてきてからずっと」


 淡々という、先生の言葉に息を呑みます。誰も先生のことを一人の人間として扱ってくれなかったということでしょうか? 今までに誰一人も?


「だから、リジェットにこういう風に一人の人間として扱ってもらえるのが新鮮すぎて、ちょっと戸惑っちゃうんだよね。だから質問に答えるのが下手かもしれない。ごめんね」

「……いえ。とんでもございません」

「君は要するに僕が何者なのか知りたいんだろう?」


 やっぱりお見通しでしたか。そりゃ先生ですもの。わたくしの下手な誘導なんて、初めから引っかからないですもんね。


「先生はどうして魔術師になったのですか?」

「その質問に答えるには僕の生い立ちを聞かなくちゃいけない。楽しくないことだから聞かないほうが楽だよ」

「これからもわたくし、先生と長い付き合いことを覚悟でこちらに通っていますから。ぜひ聞かせてくださいませ」


 わたくしの視線の力強さに、先生は観念したように見えました。

 そして先生は自分の生い立ちをポツリポツリと話し始めます。



「私は地方の貴族の家の愛妾の子として生まれたんだけど、九歳の頃に王族に魔術の才がある、と言われて王都に召集されてね。一人で王都に住まねばならなくなってしまったんだ。王都に召集された、と言っても誰かに引き取られたわけではなかったから守ってくれる人間もいないし、立場も危うかったからね。魔術は学べば学ぶだけ、自分の力として使えるし、ちょうどよかったんだよ」

「学びたくて学んでいたわけではなかったのですね」

「自分の価値を高めることは、自分を立場を確立させることの助けになる」


 語られる真実には痛々しさが所々に感じられます。決して望んだわけではなく、仕方がなくなったことが伺えました。


「騎士になろうとは思わなかったのですか?」


 この国で立場が弱い者が名を上げるのに、一番手っ取り早いのは騎士になることでしょう。平民の中でも腕が立つ者であれば、貴族の護衛として雇われるものもいます。王家の剣は貴族の子息が中心ですが、それ以外であれば問題ではないでしょう。


 その質問に先生は自分の腕をまくって見せるような仕草をしました。そういう先生の腕は細く、全くといっていいほど筋肉がついていません。わたくしは最初先生の腕を見た時に、正直どれだけ鍛えていないのだ、と思ってしまっていたのですが、何かご病気など召されているのでしょうか?


「家族と別れる時に、呪いにかかってしまってね。私には武の資質がほとんどないんだ」


 ——呪い。


 その一言はわたくしの想定外でしたので、息が止まるほど驚いてしまいます。


 呪いは誰かの思念によって作られる、病気のような存在です。ただ病気よりも厄介なところは、呪いでは決して死ぬことができない、というところでしょう。


 死なない程度に、苦しみを与え続け、動きを制限される厄介な術です。ただ、呪いを受けると体に大きなダメージを受けますが、呪った側も同じだけダメージを受けてしまうので、実際に呪いをほとんどありません。自分より資質の強い相手に呪いをかける場合は命がけで呪いをかけねばならないので、戦場で死際にかけられてしまった、という話は聞いたことがありますが、わたくしの周りに呪いを実際にかけられた方はいませんでした。存在はしているけれど、あまり身近ではない存在です。


 先生に何があったのでしょう。チラリと視線を向けると、深くは聞かないでほしいと言わんばかりに微笑まれました。おっと、地雷、地雷。

 経緯についてはあまり触れない方向で話を進めます。


「家族と離れ離れになって、体を自由に動かせないような呪いをかけられて……辛かったですよね」

「家族と離れること自体はあまり辛くはなかったんだよ。あまり気持ちのいい話ではないけれど、元々私は生まれも特殊で、家族からよく思われていなかったしね。それよりも、今までの人間関係も、常識も通用しない場所にいきなり連れてこられたことの方が辛かったかな」


 そうか、先生は頼れる人もいない土地にいきなり連れてこられてしまったんですね。


 それはどれだけ辛いことなのでしょう。

 わたくしは、家族に夢を反対されているからと言って、嫌われている、ということでは全くないし、わたくしに何かあったら家族は全力で助けてくれると思います。


 わたくしは所詮、守られて、大切にされている立場の人間なのです。


 きっとわたくしには想像のつかないくらい辛い出来事だったに違いありません。


「先生はその後、先生のことを守ってくれる人に出会えたのですか?」


 先生はわたくしの目を見つめています。口角はきれいに上がっていますが、眉尻は下がっています。

 その表情こそが質問の答えでしょう。


 きっと先生だって、誰かに守って欲しかったに違いありません。

 それなのにいつだって、先生はわたくしの安全を気にしてくれますし、わたくしを弟子として大切にしてくださいます。大切にしてくださる方をわたくしも大切にしたいと言うのは自然な感情でしょう。気付いたらわたくしは言葉を口にしていました。

 

「ではわたくしが先生を守りましょう」

「え?」


 先生は、ちょっと間抜けな、ぽっかーんとした顔をしていました。

 子供が何を言っているのだ、と呆れているのかもしれません。でもわたくしだって先生にしてあげられることがあるのなら、してあげたいと思うのです。


 先生と出会ってからまだ数回ですがなんとなく、自分と相手との距離を取りたがるところがある性質が先生にはあるということは薄々気がついていました。

 距離をとるから、他人からの好意にすごく疎いのではないのでしょうか。


「わたくしはただ、先生が魔法陣を教えてくれるから慕っているわけではありません。先生がいつもわたくしのこと大切に思ってくれているところ、先生がやさしいところ……。美味しいお料理が作れるところ……。そういうところが大好きなんですよ! 大好きな人は守りたいと思うのが通りでしょう?」

「もしかして僕……。餌付けに成功してる……?」

「くっ! 餌付けと言われるのは嫌ですが、先生が作るお菓子は美味しいので、仕方ありませんね! ……いつかお食事もいただきたいです!」

「やっぱり餌付けに成功している……」


 先生は呆然としながらも、笑いが薄く込み上げてきている顔をしていました。


「わたくし、もっともっと強くなって今からでも先生を守れるくらい強い騎士になりますからね!」

「いや、王家の剣は国を守るものだから、私は関係ないでしょ」

「そんなことありません! わたくしは国を丸ごと守れる騎士になるのですから、そこに含まれる先生だってまとめて守りますよ」


 つい無邪気に問いかけると、先生は困ったように微笑みました


「ちなみにそういうリジェットはなんで騎士になりたいと思ったの?」


 話題がだんだん気恥ずかしいものになってきたのを悟ったのか、先生は話題を逸らすようにわたくしのことを聞いてきました。

 あまり追求するのもかわいそうですから、その提案に乗ってあげましょう。


「わたくしは憧れの方がいるのです! 昔、王城でさらわれかけたことがあって、その時に助けていただいた、騎士志望の男の子にずっと憧れていて、その子に追いつきたくて努力をしているのですよ!」

「ふーん、じゃあ初恋の人に会おうと思ってるってわけだね」

「そんな……。初恋とは違いますよ。ただただ憧れているだけです。あと、その出会いはきっかけに過ぎないのではないかなと自分では思っています。わたくしは騎士を多く輩出するオルブライト家に生まれていますから、遅かれ早かれ騎士に憧れを持ったと思うのです。わたくし何も周りが見えていなくて家族には女の子は、お嫁に行くものだと指摘されて初めて女の子は普通騎士にならないのだ! と気がついた愚か者ですし」

「君はそれを指摘されても、お嫁に行こうとは素直に思わないのだね」


 先生はくすりと笑みをこぼします。


「それは素直とは別物でしょう。長いものに巻かれる力……ですかね。残念ながらわたくしは置かれた場所で小さな幸せを見つける力がないように思います。それだったら、自分で幸せだと思える環境を作り出したり、そこに行ける努力をした方が早いなあと思ってしまうのですよね。……わたくしは恐ろしく強欲なのです」

「君は運命なんていうものには流されないんだね。僕とは正反対だ」

「きっと先生はそうして得たものもたくさんあると思うのですよ。きっと選ばないことで得ることもたくさんあると思うのです。先生はミームでの暮らしを気に入っているように見えます。それはきっと先生の生き方で得た選択肢の中で最良のものに行き着いた結果でしょう。ただわたくしの場合は選ばないと手元にロクでもないものばかりが残りそうな予感しかしないので、今は足掻きを繰り返しているところですけどね」


 美しくない足掻きだということはわたくしにも分かっています。わたくしのやり方はちっとも合理的ではないですし、見苦しく他人には移るのでしょう。


 だからお父様だって止めようとするのです。


「こんなことを言ったら、馬鹿みたいだって先生も笑いますか?」


 青いねえと、笑われることが目に見えているので、自嘲気味に言ってしまいます。


「いや、そんなことはないよ」


 先生は、目を細めて微笑みながら言葉を続けます。


「僕はね、きっと君みたいな生き方をしたかったんだ。リジェット。誰に流されることもなく、自分の道を切り開く君の生き方はとても輝いて見えるよ。僕は君が折れない限り、君の生き方を応援しよう。

「まあ……いいんですか?」

「いいよ。僕ができなかったことを君が掴み取るのを、僕は見てみたいんだ」


 わたくしが驚いて目を丸くしていると、前に君の行く末を見守りたいって言ったでしょう? と言って先生は笑って見せました。



少しだけクゥールのことがわかりました。

彼もなかなかに不憫な人です。

次は 34へデリーお兄様が襲来しました です

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