24専属料理人を育てます
最近のわたくしは随分貪欲かもしれません。シュナイザー商会との取引が成功したことに加え、お母様の協力を得て自信をもったわたくしは、次に欲しいものを得ようと模索しています。
わたくし、自分の事業展開のために専属の料理人が欲しいのです。
いくらわたくしが美味しいものが好きでも、わたくしに美味しい食べ物をプロの方々のように作り出す能力はありません。今後お茶を改良して行こうと試作するのにも、プロの力を借りた方がいいでしょう。
……というのは建前で、ただただ美味しいものが食べたいだけなんですけどね。
先生の家でご飯を食べてから、わたくしはやっぱり美味しいご飯っていいなあ、と漠然と思うようになったのです。
オルブライト家の料理人も腕はいい方だとは思うのですが、先生のお料理には遠く及びません。なんというか、大雑把なのですよね……。うちの料理人。
先生のお料理は繊細で、素材の味を引き出すような調理法をされています。味の微調整が素晴らしく絶妙なのです。
それまではご飯は栄養素として取れれば良くて、まあ、おいしければ嬉しいな、くらいな認識で重要度が低かったのです。
しかし、一度味をしめてしまうと、先生の授業がない日においしいものが食べられないことが辛く感じてしまいます。美味しさ、それは罪……。
ですが、わたくしは腐っても伯爵家令嬢です。いくら前世の記憶を持ち合わせているとしても、厨房に入ることは決して許されません。
ラマに見つかったら、めちゃくちゃ怒られるでしょう。その前にわたくし、魔力量が少ないのできっと調理に必要な既製の魔法陣も動かすことができないと思います……。なんて残念なのでしょう。
ということで、わたくしは専属の料理人を育てるのはどうだろう、と思い立ちました。
どうやって?
それはこれから考えます。
今のところノープランです。絶対どのお店でも今の職場に不満のある料理人はいると思うので、そういうところから引き抜いて来れれば、それが一番なんでしょうけど。
その前にどこに腕のいい料理人がいるのか知るところから始めないといけないですね。周りの方に調査してみましょう。
*
「ラマ。ラマはおいしいものを食べたいときどうしますか?」
いきなり突拍子もない質問にラマが怪訝な顔をしています。それはそうでしょう。わたくしは自分の淑女教育の課題をこなしている途中でいきなりラマに話しかけたのですから。
それでもラマは、わたくしの質問を読み取り、答えてくださいます。
「おいしいもの……。そうですね。わたくしであれば街に出かけてランチがおいしい、リベランにいきますかね。ディナーは高すぎていけませんけど、ランチはわたくしでも払える金額ですからね」
「リベランは宿泊施設ではないのですか?」
「宿泊施設のほかにレストランも併設しているのですよ。高級ホテルにはレストランが付いていることが多いですからね」
はあ、そんなところがあったなんて。わたくし全然存じませんでした。リベランのレストランでは一流の食材を使った料理を一流のシェフが調理しているそうです。裕福な商人はもちろん貴族もお忍びで通っているくらいの優れた名店として名を馳せているんだとか。
そんな素敵な場所、わたくしもぜひ訪れたいです!
ですが、簡単に街のレストランに行くことはできません……。個人の来店となると、家からの査察かと思われてしまう可能性があります。
誰かをもてなすだとか何か大義名分があれば、オルブライト家令嬢のわたくしでも足を運ぶことができるのに……。
そうだ! 最近先生にお世話になりっぱなしてしたから、お礼にそのリベランのランチをご馳走するのはいかがでしょう!
それでしたら、お父様の許可もおりそうですし、問題ないのではないでしょうか。先生にはかなりお世話になっていますしね。次の授業の際に予定を伺いましょう。
先生とリベランへランチに言って良いか、お手紙を出したところその日のうちに返信がきます。お父様からの許可は無事に下りました。
それどころか「クゥール様が我が領地に留まってくれるかはリジェットにかかっている。よくもてなすように」と先生とのランチを推奨するようなお言葉までいただいてしまいました。
魔法陣製作の技術が鬼のように高い先生が、領地にいることはオルブライト家にとってもありがたいことですからね。聞くところによると、先生の結界の魔法陣を領地で購入してから、領地の防衛費や人員が大分節約できるようになったそうです。
頼りにしだした時に急にいなくなられても大問題ですからね。先生にはできるだけ長く、ミームに住んでいただきたいです。
*
魔法陣教室がある水の日。先生に次の週の水の日に、ランチをリベランでしましょうと提案すると、快くOKが出ました。
そういえば、今回はミームの街ではなく、オルブライト直轄地の街でのお食事ですが、擬態はどうしましょう。
「わたくし、髪の色は変えていくべきでしょうか?」
先生は一瞬うーん、と迷った表情をしましたが、すぐにいつもの微笑みに戻ります。
「直轄地でならいいんじゃないかな? 直轄地を取り巻くように防御の魔法陣で取り囲んでいるから、襲撃されることはないだろうし、君の姿も街の人に知られているから、擬態すると勘ぐられるだろうし」
「わたくしの姿って、街の人はご存知なのですか?」
「君が生まれた時に街でお披露目のパレードをしたとセラージュが言っていたよ。オルブライト家の子息は全員やったって言ってたけど、何考えてるんだろうね。そのころは僕の結界の魔法陣もなかったはずなのに」
わざわざ白纏の子を危険に晒す必要はないのに、と先生は続けていいます。先日シュナイザー商会との商談の後、謎の刺客に襲われてから、先生はわたくしに対してちょっと過保護になったような気がいたします。
でも我が子を見せびらかすパレードをわざわざするなんて、確かに謎文化ですね。きっとオルブライト家に古くから伝わるしきたりか何かかと思いますが……。
街の人たちはわたくしの髪が白いことについては何も思わなかったのでしょうか。わたくしでしたら領主一族の令嬢がほぼゼロ魔力、だなんて今後の領地の未来がとっても不安になりますけど。我が家はこんなんで大丈夫でしょうか。
「直轄地の方にもわたくし足を運んだことがあまりないので、街の人がわたくしに対してどう思っているのか、よくわからないのですよね。今回少し街の様子も確認してきてもいいでしょうか。お父様も先生がいらっしゃる場でしたら、わたくしが出歩くのにも文句を言わないと思うのですよね」
「ふーんそうなの……」
先生はちょっと考え込んだ表情をします。
「先生? もしかして、本当はいくの億劫だったりしません?」
心配になって問いかけると、先生はハッとした表情を見せました。
「いや、そんなことないよ。オルブライト家の来賓としてレストランに向かうのならば、少しかしこまった服装していかなきゃかなって考えてただけ。擬態の魔法陣でもいいんだけどね」
そうか、先生はいつも神父服の様な前ボタンのワンピース型の服の上に古代ローマ人のような布を巻いたような変わった装束を着ていますが、この世界では一般的ではないですからね。
先生曰く、この服装が一番楽らしいですし妙に似合っているのでわたくしはいいかな、と思ってしまいますが、街の人はそうは思わないかもしれません。
「まあ! せっかくなら『おめかし』した先生もみてみたいです」
「ふふふ。じゃあ、ちゃんとしていかなくちゃ」
「それも含めて当日を楽しみにしていますね」
先生のおめかし着はどんな服なんでしょう。想像するだけでとっても楽しみになってきました。
*
リベランでのランチ当日、わたくしはオルブライト直轄地の街の広場で、ラマと共に先生を待っていました。
一人でもいけますよ、とラマには言ったのですがわたくしを一人で街に立たせるのはどうも不安なようで、先生と合流するまでは一緒にいると言って聞かなかったのです。
わたくしそんなに信用ないかしら、と出かける前は落ち込んでいたのですが、広場に着いて見ると、その真意がはっきりとわかりました。
通行人全員がわたくしの方をどうみてもチラチラみています…‥。
やはり白纏の子は大変目立つようですね……。リベランに着くまでは髪色を変えておくべきだったでしょうか。
広場についてから少ししたところで、先生が細い路地から歩いてきました。どうやら路地裏に先生の転移スポットがあるようです。
「大変お待たせしました」
「いいえ、全然まってないので大丈夫ですよ。……先生お洋服素敵ですね」
「そう? ありがとう」
今日の先生の服装はブラウンのジャケットにスラックス、中に白のチンデルセーター、淡い緑のシャツというパッと見いいところのおぼっちゃまに見える綺麗めの服装をしています。
少し厚手のセーターを着ることで、先生の痩せ具合も気にならないくらいに隠れています。
髪も後ろでひとまとめにまとめていて、耳周りの魔術具も抑えめにしているので、なんだかいつもより男性っぽく見えるから不思議です。いや、いつも先生は男性なんですけど。
いつもと違うこの感じもとっても素敵です。
「じゃあ行こうか、ラマもリジェットを送ってくれてありがとう」
「いいえ、大丈夫ですよ。この後半休をいただいているので、本屋に寄りたかったのでちょうどいいのです」
そうでした。ラマは無類の読書好きなのですよね。推理小説が好きで、たまに面白い本を教えてくれるのです。
付き合わせてしまって申し訳ないな、と思っていたのですがこの後街で予定があるならよかったです。
「いい本があったらぜひ教えてください! 良い休日を」
ラマに軽く手を振って別れた後、先生と二人でリベランまで足を進めます。
煉瓦敷のクラシカルな馬車道を抜けると、ガラス張りのテラリウムのような建物が見えてきました。
「あ! あれがリベランですね」
「あんまり中心街から離れていないんだね。あ、レストランのは入り口はホテルとは別みたい。あっちだって」
ホテルの入り口はまだ見えていませんでしたが、レストランの入り口は目の前に見えていました。先生はホテルの方に泊まったことがあるのかもしれません。
「先生、リベランにきたことがあるのですか?」
「レストランの方はないよ。だから今日ちょっと楽しみなんだよね」
綻ぶような優しい笑みにこちらまで嬉しくなってしまします。ふふふ、先生も美味しいものがお好きなんですね。さて、今日はどんなものが食べられるのでしょう。
レストランの入り口に向かうと、わたくしたちがくるのを待っていたのか、シルバーグレイの髪色をした年配のウエイターに声をかけられます。
「お待ちしておりました、リジェット様。さあどうぞ中へ」
流れるように歩き出したウエイターは、美しい立ち振る舞いでわたくしたちを席に案内してくださいます。一流レストランにふさわしい美しい所作に惚れ惚れとしてしまいます。
椅子を引かれ、席につくとすぐさま他の男性が挨拶にきました。
「私のレストランにようこそ、リジェット様。このレストランの料理は全てわたくしが手掛けております。どうぞお楽しみください」
総料理長を名乗る恰幅のいい男性は、堂々としていて自信に満ち溢れた表情で挨拶をされます。
決して作法に反しているわけではないのですが……その態度に隠された高圧さを感じとってしまい、なんだか引っかかるものを覚えてしまいます。
ん、なんでしょう……。なんだか、直感的に苦手なタイプかもしれません。わたくしはチラリと総料理長の手元に目を向けます。
「あら、ご挨拶ありがとうございます。楽しみにしておりますわ」
あまり長くお話をするのは得策ではなさそうだと判断したのか、軽く挨拶を交わした後、総料理長はその場を立ち去りました。
その一連の流れを確認した先生が小声で話しかけてきました。
「もしかして君、オルブライトの名前でここを予約したのかな?」
「そうですよ。何か問題でも?」
予約はお父様にお任せしてしまいましたが、もしかしたら不都合があったのかもしれません。先生がやっぱりか…‥と呟いています。
「うーん。ウエイターの視線が痛いような気がするけど、仕方がないね」
「ああ! すみません! やっぱり目立ちますよね」
わたくしが一人焦っていると先生は「セラージュがやりそうな手段だ」と小さく呟きました。
「……まあ、予想はしていたし、仕方がないことだよね。割り切って料理の味を楽しもう」
先生がそう言ったところで、ウエイターがやってきます。テーブルの上に目眩く美しい料理が運ばれてきました。
果物の香り華やかなピンク色のソースがかかった前菜のサラダ、お魚の白身と芋のスープ、口直しのシャーベットのような氷菓子、そしてメインはホールデインと呼ばれる鹿と牛の間のような姿をした草食動物の希少部位の肉を使ったコンフィ。
フランス料理のコースのように、次々と目が楽しい料理が運ばれてきます。
「え! このコンフィ、美味しいですね!」
「ねえ、家でもやってみようかな」
ランチなので品数は少なめですが、それでも十分豪勢でした。わたくしも先生も量をたくさん食べるタイプではないので、これでもうお腹いっぱいです。
まあ、デザートは別腹なんですけどね。それぞれを食べ終わった後、わたくしたちは柑橘系の果物であるシナの皮を甘く煮たオランジェットのような味のチョコレートケーキを頂いているところです。わたくし強烈なチョコレー党なのですが、この世界にチョコレートがあってよかったです。
「このケーキ美味しいですね。屋敷で食べるものよりも甘さ控えめでとっても好みの味です」
「オルブライト領は海に面しているから、どうしてもね」
「海? どうして海が近いと甘いものが多いのですか?」
「リジェット、もしかして知らないのかい? 砂糖は海からとるじゃないか」
「え‼︎ 海から砂糖⁉︎ 塩じゃないんですか⁉︎」
その答えを聞いた先生は目を見開きます。
「君は塩は海から取れると思っていたんだね?」
「え……。普通そうじゃないんですか?」
「普通……か。興味深い見解だ」
どうやらこの世界では、砂糖は海からとるものらしいです。ということは……、海の水は甘いということでしょうか! 今までの常識が全く通用しません!
「他の国のことは知らないけど、少なくともこの国と同じ海に面する両隣の隣国では海では塩は取れない。取れるのは砂糖だ」
「え……。じゃあ塩はどこからとるのですか?」
「凍土にある氷から取れるから弔いの一族が切り出してくるんだ。そもそも弔いの一族の本業は塩の生産で、葬儀業は副業にすぎないからね」
「え! じゃあわたくしたちが口にしている塩は今までになくなった方々の死体と同じ場所で作られているのですか⁉︎」
「さあ、それはわからない。僕たちは凍土に足を踏み入れられないからね。死体とは場所を分けていると信じたいが、どうなっているのか本当のところは誰も知らないんだよ。でも塩という物自体が凍土の影響を強く受けているから、取りすぎると死にやすくなる、というのは聞いたことがあるよ」
それはただの高血圧なのでは……。と言いたくなりますが、この世界にその概念があるか謎なので口には出さない方が良さそうです。
「もうこの話は終わりだ。あんまり世間知らずだと思われるような発言は慎むように。いいね? 魔法陣を解くよ?」
そう言った先生はそのまま手を上げてウエイターを呼びます。最後に口直しの紅茶とともに頂いて、ランチは終了しました。
*
はあ……すっごく美味しかったです。幸福なお味がしました……。
この世界の食べ物は大雑把な作り方をされているものが多いですが、ここの料理は別格のようです。ただ、もう少しコンフィにハーブを使ったり、サラダの野菜に保存の魔法陣を用いて新鮮さを保ったりしたらもっと美味しいかもしれません。
改善点が明確にわかるので伸びしろがありますね。
ああ、いいなあ。わたくしここの料理人がとっても欲しいです。
誰か一人くらい釣れないかしら。
「わたくしここの料理が毎日食べたいくらいですわ」
わたくしはわざと強調するように言い放ちます。
一瞬、レストランの中の空気がシンと静かになりました。きっとその発言をこのレストラン中の人間が聞いたでしょう。
「その発言、軽々しく君がしてはいけないよ」
慌てた先生はわたくしの発言を戒めるように言いますが、わたくしは気にしません。それどころかクスリと挑戦的な笑みを返します。
「どうしてですか?」
「君は自分の立場を忘れているようだね。領主一族であるオルブライト家の令嬢がここの料理を気に入ったと発言すれば引き抜きだと思われても仕方がないじゃないか」
「あら。わたくしきちんとそれを視野に入れて発言しましたけれど」
わたくしが返した答えを聞いた先生は「リジェット、君って子は……』と顔をしかめて、小さなため息を付いています。
「君はそれを見越して僕をここに誘ったね?」
「ふふふ、そうなればいいですけど……。こちらのお店どうやら厨房内での人間関係に不和がありそうですから」
「どうしてそう思うの?」
わたくしはにっこりと微笑んで理由を説明します。
「さっきご挨拶いただいた総料理長という方、その役職についている割に手が荒れていないのですよね」
「……総料理長ともなれば指示が中心であまり料理自体はしないんじゃない?」
「いいえ。総料理長はすべての料理を手掛けている、とおっしゃっていましたわ。先程の挨拶を鵜呑みにするとしたらおかしな話だと思いませんか。ここの料理たちは一朝一夕では完成しない代物だと思うのですが、手が荒れないなんて。ラマに聞いたらここの料理は一週間おきにすべて新メニューになるそうですが、どう考えても手を荒らさずにレシピを作るなんて無理ですよね」
わたくしは厨房の方にチラリと視線を向けます。
「きっと、誰かがレシピを奪われているんだわ」
そう呟くと、先生は怪訝な顔をして眉を寄せました。
*
予想は的中したようです。店の外を出た直後、わたくしの手に一通のお手紙の魔法陣が止まりました。
「思っていた通りです。働いている方からお手紙がきました!」
お手紙を広げると、そこには”自分をオルブライト家に引き抜いて欲しい”との内容が書かれていました。リベランで働く下働きの料理人からのお手紙です。
「え? 君は今日、本当に料理人を引き抜きにきたの?」
「ええ。わたくし自分好みの食事を作ってくださる、料理人を探していたのです。こういう大きなレストランであればきっと条件が合わずくすぶっている料理人がわんさかいるはずでしょう? きっとわたくしが訪れれば、誰かしらからお声がかかると思っていたのですが、やはり釣れましたわ」
いい笑顔で言い放つわたくしを見て、先生は呆れたような困ったような微妙な表情を見せました。
「相変わらず強欲なんだから」
「あら? わたくしのこういうところが好ましい、とおっしゃったのはどこの誰でしたっけ?」
「僕だ……」
増長できる環境が整って嬉しい限りです! と口ずさむように言うと、先生は額を抑え天を仰ぎ見ました。
次の更新は月曜日です!




