事実を知ります
一週間後の聖の日。
わたくしと先生とマハは、ノアに連れられスミの遺体を搬入するために森へ向かいます。
朝の森は浅く霧がかっていました。春の初めだと言うのに、森の奥の空気は真冬のように冷たく、吐いた息は瞬く間に白く色づいてしまいます。腐葉土のように柔らかい土の上には薄く雪が残ります。
埋葬場所となる森はレナートが提供してくれました。
王都からそう離れていない位置にある、シュナイザー百貨店の所有地の一つだそうです。
昔から特殊な魔法陣を森全体にかけているため、都会に近いわりに森のなかはそのままの自然が残されていて、奥に行けば奥に行くほど、原野の風景が広がります。木の影から妖精でも飛び出してきそうなほど、生命力に満ち溢れていて——どこか日本の里山の風景を想像させるような場所です。霧がかる苔むした森を歩いていると、うっかり『あちら側』に戻ってしまいそうで、わたくしはその懐かしさが怖くなってしまいます。
生前のスミとも関係が深い土地で、彼女はこの森で商材となるたくさんの宝石を作り上げてきたそうです。
ノアの「この辺りで」いいでしょう、と言う言葉でわたくしたちは足を止めます。
「今、スミ様のご遺体は弔いの一族がかける魔術で、起こりうる変化を封じ込めている状態ですので、それを今から解いていきます」
ノアによって、搬入されたスミの遺体は、あらかじめ巻いたベールの上から、弔いの一族特製の白と銀が混ざったような色合いの布に全体がきつく巻かれており、顔も見えない状態になっていました。
「スミは自分自身から出る瘴気を封じ込める魔法陣を使用していたのに、こんなにきつく布を巻くなんて……」
マハがスミの状態を労るようにいうと、ノアはいつものように無表情な顔で、けれどもどこか否定がこもった声音で、首を横にふります。
「瘴気を封じ込める魔法陣もあった方がいいものですが、この魔法陣で封じ込めているのは瘴気ではありません。これは『ご遺体の変化』を抑えるための魔術布ですから。——さて。埋葬場所はこの辺りでいいでしょう。それでは皆さんにお見せしましょう」
布を剥ぎ取られた瞬間、スミの形をしていた遺体が、いきなりボコボコと振動を立てて蠢き始めました。
人間の大きさであったはずのそれは収縮し、十秒もたたぬ間に鉄のような鈍色の光を放つ球体状に形を変えていきます。
「なっ!」
声をあげたのはマハでしたが、わたくしも同じように驚いて目を見開きます。
慌てて先生の顔を覗き込むと、先生はこの状態を予測していたかのように、表情を動かさず、じっとそれを見つめていました。
やがて『スミの遺体だったもの』はまるで魔法陣が展開される時のような光を放ちながら膨張し、一瞬の間に掌ほどの大きさの物体にぎゅっと凝縮しました。
そこに現れたのは、ギシュタールでの魔獣討伐実習で見た、ふわふわで愛らしい、モルモットのような形をした——魔獣の子供だったのです。
「ま、魔獣……」
「そうですよ。その通りです。これは魔獣です」
わたくしとマハはその光景に息を呑みました。
ノアは淡々と言葉を続けます。
「人は死ぬと、やがて魔獣と化す生き物なんですよ」
人は死ぬと魔獣になる?
「嘘……」
じゃあ、わたくしたちが今まで使っていた、魔鉱製の剣も、魔術具も——今わたくしが耳にしている魔術補助用具のピアスも、全て亡くなった人でできていたということ?
ザアッと一気に全身の血の気が引いていくのがわかりました。
『リジェットは、戦争が起こると魔獣が増える理由を知っている?』
『いいえ……』
『そっか……。あまり知らない方が気楽に扱えるからいいかもね。でもこれだけは言える。魔獣の秘密を知ってしまっても、国のため、民のため、私たち騎士は魔獣を狩らねばならない』
いつかのステファニア先輩の言葉が頭の中にリフレインします。
だからステファニア先輩はあんなに重々しい口調で忠告をしてくれたのですね……。
わたくしが呆然としていると、マハは小さな歩幅でかつてスミであった魔獣の子供に近づきます。そして何を思ったか、その魔獣を自分の胸元に抱き上げました。
「マハ⁉︎」
「俺は呪い子だから……、この姿になったスミといても……己を損なわない」
魔獣を抱え込むように蹲り、ボロボロと涙を流しながら口走ります。
確かに呪い子は瘴気の影響を受けません。
「魔獣でもいい。俺はスミと一緒にいたい」
マハは必死な顔をしていました。
『それ』がスミの意思を持った生き物なのかは、わかりません。けれども、もう二度と動かないと思われたスミが魔獣となって動いたと言うことが、マハには衝撃的で……何よりも重要だったのでしょう。
しかし魔獣は人を襲います。
今は小さく見える、その魔獣も、人を喰らうのです。
そこには確実に、スミの意思はありません。魔獣は魔獣の本能のままに、行動するだけ。
いくら気を付けたとしても、共にいれば、マハも喰らいかねません。
大切な家族を失うのことは亡きスミにとって、望んでいません。
だってスミは死ぬ直前まで、マハを大切に、心から大切に……していましたから。
「マハ……。あなたはスミに人を襲わせたいの? あなた自身を襲わせたいの? ……それはスミの望むことではないでしょう」
——場に静寂が広がります。
誰も何も言えません。
ここでマハの意思を尊重なんかせずに、結果だけを求めて、わたくしが剣を降ってしまうことも、先生が魔法陣で魔獣を廃すことも、できるにはできます。
けれども、それをしてしまったら、きっとマハは納得しないまま、スミを失った悲しさをスミを最後に殺した他人への憎しみに変換して生きてしまうでしょう。
魔獣になったスミを殺すか殺さないか。
辛いけれど、この取捨選択はマハ自身が行わなければいけないのです。
マハは、震えながら魔獣を抱きしめていました。
「マハ……」
わたくしはマハを信じて、見守ることしかできません。
「わかってるよ……。そんなことわかってるんだ! こんなことしても意味がないことくらい」
マハはしゃくり上げながら泣いていました。
「スミの望んだことは、魔獣になって人を襲うことじゃない。綺麗に消えて、地面に溶けてしまうことだった。だから、俺がやるべきことは一つなんだよっ!」
マハは、マントの内側を探り、腰から下げていたナイフを取り出します。
わたくしはマハが自死をしてしまうのではないかと一瞬慌てました。が、ナイフの刃先の方向を確認し、その心配は無用だったことをすぐさま、理解します。
マハの刃先は魔獣へと向かっていました。
「さようならだ、スミ。……愛してる。大好きだよ」
微かながら、グサリと肉をたつ音が聞こえます。
かつてはスミだった魔獣は少しの鳴き声も上げずに、その運命を受け入れるかのように、ゆっくりと目を閉じます。
そうしてスミは森に溶けるように消えていきました。
*
全てが終わった後、マハは放心状態のまま、スミが消えた先を見つめていました。魔獣の肉は地面に溶け、最後に魔鉱だけが転がり落ちます。
今までにわたくしが魔獣討伐で、何度も見てきた光景です。
ただその原理を知ってしまったわたくしにはその現象がひどく悲しい埋葬にしか見えませんでした。
憔悴するわたくし達の後ろから、小さな足音が聞こえてきます。
「終わったんだね」
「レナート……」
王族に謁見するような正式な装いの上下で現れた、レナートは感傷を感じさせない平然とした表情をしていました。彼はきっと、人間が魔獣になることを知っていたのでしょう。
レナートはスミの命を己の手で終わらせたことで、精神を消耗し、地面にうずくまっていたマハに優しく声をかけます。
「これから君、どうする? 本当にスミの願い通り、大聖堂に残るの? 今ならボクの店の従業員になることもできるよ? 君ほどの呪い子ならうちは大歓迎だけど」
ニヤリ、と意地の悪い顔を見せたレナートを見上げたマハは、諦めたように笑います。
「俺は……。スミが願ったことを引き継ぐよ。スミは白纏の子が国に食い物にされるのを何よりも嫌っていたから……。俺には大きな力はないけれど……。この国を内部から少しずつ、氷を溶かすように変えることはできるかもしれない」
「ふうん? 腹を決めたんだ。ならその魔鉱をお守りがわりに、魔術具にでもすればいい」
レナートは地面に残った魔鉱を指さして言いました。マハは顔色を変えます。
「そんなこと、できるかよ! この魔鉱はスミで出来ているんだぞ!?」
「だからこそだよ。昔から魔獣が何かを知っていた人間はそうしてきた。亡き者の存在を近くに感じられるよう、魔鉱を身につけられるようにしたんだよ。それが魔術具の起源だ。弔いの一族が現れた現代では魔術具は便利な道具、という認識になってしまったけどね」
レナートの表情は寂しげに見えました。
レナートはまるで、何百年も前の歴史そのものを知っているような口ぶりで言っていますが……。この人、五十代ですよね?
それまで黙っていたわたくしでしたが、どうしても耐え切れなくなって声を発します。
「どうしてレナートはそんなに詳しいのですか。まさか、レナート……弔いの一族が現れる以前から生きていたなんてことはありませんよね」
「そんなことないよ〜。ボクは先人が残した文献を調べるのが好きなだけ。人は死んでも、その人が残した記憶や思いは決してなくならないからね。記録は何よりの宝だ」
マハは驚きながらも真剣な表情でレナートの言葉に耳を傾けていました。
「ねえ、マハ。いくら呪い子であろうが、ボク達は永遠の存在じゃない。所詮人間はいつかは死に、滅びゆく弱い生き物なのさ。だからこそ、次の世代の人間が謎を解き明かせるように、情報を残し、次世代に繋ぐ責務を持っているんじゃないかな。……君はそのためにスミが残した財産を賢く運用していくべきだ。そこにある魔鉱もきっと君を助けてくれる」
「スミの魔鉱が俺を?」
「そそ。スミが世界の全てだった君にとっては、スミの死が世界の終わりだったかもしれないけれど、そのほかの人間にとってはこれが始まりだからねえ。グランドマザーが死に、教皇が倒れ、新たな大聖堂が開かれようとしているんだから。——君にはこれからも末長く働いてもらうよ」
レナートはニッと、片口をあげて笑った顔を見た瞬間、わたくしは新しい騒動に巻き込まれそうな予感を覚えたのです。




