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白兎令嬢の取捨選択  作者: 菜っぱ
第二章 王都の尋ね者(騎士学校二年生編)
153/157

138幸せの基準は人それぞれです


 スミの言葉にマハは言葉を失っていました。

 まるで、自分が信仰していた神様に裏切られたような表情でスミの顔をみています。


「この世のすべての色を石に落としたい。自分の命に変えても。これが私の望み。私は色狂いの色盗み。私は……通り名のまま、欲望に身を任せて色を奪って行きたのよ」

「だとしても……自分が生きることよりもそれを優先することがあるかよ」

「私はね、狂っているのよ。最初から」


 スミはからりとした笑みを浮かべていました。そのまま、マハと向き合い、彼の手を包み込むように握りしめます。


「スミは自分勝手だ。俺の幸せなんてちっとも考えてくれない」

「そう。その通りよ、マハ。私はあなたが慕ってくれるほど、よく出来た女じゃないの」

「……知ってる。でもそれでも、俺はスミのことが好きだった」

「マハ。わかって欲しいことが一つだけあるの」

「……何?」


 マハは掠れた声で呟きます。


「あなたがいくら私を愛そうと、あなたの人生はあなただけのものなの」


 その言葉を受けて、マハはハッとしたかのように目を見開きました。


「私がこのまま死んだら、あなたは私を殺した全てのものを憎むでしょう? それは私の望むことじゃないの。あなたには、あなたの人生があって、その人生で何をするのかを選択するのはあなたなの。……私じゃなくてね」


 マハはその言葉に身を硬くします。


「そんな……。俺はスミがいればそれでいいのに。スミがいることが、俺の幸せなのに!」

「ねえマハ。あなたはあなたで幸せになって。私に頼らずに」


 二人のやりとりを見ていたわたくしはあまりの切なさに涙をこぼしていました。

 どちらの気持ちもわたくしにはわかりますから。


 自分のやりたいことをやり切って、後悔なくこの世を去ろうとしているスミのことも。

 愛する人がこの世の全てで、スミのことを失いたくないマハのことも。


 スミはこの運命が自分にはふさわしいと言っていたけれど、わたくしはもう少しだけ二人に時間を与えてください、と強く祈ってしまいます。


 ふと視線を上げ、先生の顔を見ます。すると意外なことに、先生はその光景を目にして、苦々しい表情をしていて拳を握りしめていました。


 あまりにも強く握りしめすぎて、爪が皮膚にめり込んでしまいそうです。


「……先生?」


 声にハッとした先生は、こちらをじっと見つめています。

 そして、私の顔を見て、表情を崩します。


「何もできなかったな、と思って」

「え?」

「どんなに人並外れた力を持とうとも、救えないものは救えない。こういう時、所詮、僕は人間なんだって思わされるよ」


 先生もこの顛末を受け入れられていないんだわ。

 やっぱりこの人は一度自分の内側に入れた人に対しては、どんなに弄ばれても、利用されても、心を尽くしたいと思う人なんだわ。


 誰がこの人を、魔物と、バケモノと呼んだのだろう。


 化け物なんかじゃない。

 先生は、本当に優しい人。


 多分、わたくしの勘違いでなければ、先生はわたくしのことを弟子として、心から大切にしてくれています。


 わたくしが死ぬということは、この人をまたひとりぼっちの世界に戻すということ。


 先生はいつも「自分の命を蔑ろにしないで」とことあるたびにいっていました。

 でも、わたくしはスミと同じように、前の人生で後悔をした経験を持っているので、この人生では後悔なく死ねたら、それで、満点だと思ってしまって、自分の命を顧みない無茶を繰り返してきたのです。


 この人生はわたくしのものだけじゃない。

 わたくしの人生の一部は他の人の——わたくしを大切に思う人のものでもあるんだわ。


 先生は、かすかに体を振るわせていました。この現実に怯えているように見えます。


 これからひとりぼっちになるマハと自分を重ね合わせて、しまっているかのように。


 あなたをひとりぼっちにはしない。


 わたくしは先生の震える手をぎゅっと握りしめました。



 これからどうしよう。

 スミのやりたいことを止めずに、ここまできてしまいましたが、スミはこの大聖堂のトップであるグランドマザーという人を殺したのです。


 ……と、いうことはわたくしたちは反逆者。

 ここで捕らわれたとしてもおかしくはありません。


 冷静になった瞬間に、さあーっと背中に冷や汗が流れます。


 その時でした。

 わたくしたちの後ろにあった階段の扉がバンっと勢いよく開かれます。


「スミ様!」


 わらわらとやってきたのはこの大聖堂に勤めているであろう聖職者たちでした。男性と女性が半々、といった感じで、先ほどまでわたくしたちの行く手を阻んでいた聖職者たちとは違い、十代、二十代の人が大半でした。

 

 この異変に気がつき、わたくしたちを捕らえにきたのかと思われましたが、それにしては、スミを『様』付けで呼んでいます。


 すると、スミはスクっと立ち上がり、やってきた聖職者たちに向かって大きく、よく通る声で言い放ちます。


「わたくしは計画を達成しました。グランドマザーから抜き取った色盗みの初石はこちらに。生き残っている色盗みの女たちに直ちに返却してください。そのほかの持ち主が死亡してしまった石は、寿命が少ない色盗みたちのうち、生存を希望する者に平等に分配して。……あとの片付けはよろしくお願いします」

「はっ!」


 スミの指示で若い聖職者たちはサクサクと動き出します。


「……どういうことでしょうか?」


 わたくしが先生に言うと、先生は少しだけ呆れを滲ませた表情で、こちらを見ていました。


「スミは単独で行動していたように見えたけれど、実際は大勢の大聖堂の人間と繋がっていて、この行動を起こしたってことだろう。ほんと僕たちって彼女の手の内で、持ち駒として最後まで動かされていたんだねえ……。まあ、楽しかったからいいけれど」


 まあ……。そんな。


 無謀な計画のように見えて、裏では綿密に動いていたのですね。


 きっとスミはグランドマザーと上層部のやり方に疑問を持った人間を集め、密かに組織化していたのでしょう。


 わたくしと先生は少し、呆然としたような、気が抜けた表情で、仕事に励む聖職者たちを見つめていました。


 意外だったのは、マハもポカンとした表情をしていたことです。


 大聖堂の人とスミが連携していたことはマハでさえ知らなかったのかもしれません。


 マハは大聖堂ではなく、外回りの色盗みとして国から派遣されているスミ個人に雇われた従者だと言っていたので、大聖堂に潜入していた時期があったとしても、スミと大聖堂の人間の繋がりは知ることができていなかったのでしょう。


 スミの前に、二十代後半くらいの濃い灰色の髪をした糸目の、優しげな面持ちの青年が臣下のように膝をつきます。


「ロイ。あなたには大変な苦労をかけましたね。大聖堂内のことはあなたに任せきりでしたから」

「スミ様の外回りのお仕事に比べたら、どうってことないことですよ。……それよりもスミ様……例の呪い子の方は……」

「ああそうね。彼がマハです」


 そうしてスミの後ろに隠れるように立っていたマハをロイの前に差し出します。


「あ、この方、大聖堂でも見たことがあります。大変に有能で、上層部付きではなく青年部の方で引き抜こうという話が出てきました」


 ロイと呼ばれた青年の言葉を受け、マハが不安げな表情を見せます。


「青年部……?」

「ええ、マハ。彼は大聖堂の中でも教皇をはじめとした上層部に、従わない青年層をまとめているトップよ。ロイ、マハは強い無の要素持ちで純度も高いの。熱の要素も持っているのよ」


 スミがそういうと、それまで優しげに見える糸目だったロイの目が大きく開かれ、獲物を捉える肉食獣のように、ギラリと輝きました。


「それは大変に素晴らしいですね。大聖堂の次期教皇に相応しい」

「きょ、教皇?」


 マハは何も聞いていないという様子で、目を丸くしてスミの顔を見ています。

 その時、それまで厚くかかっていた雲が急激に動き出し、空の星々が顔を覗かせ始めました。

 まるで、この展開を空の住人たちが祝っているかのよう。


「ええ。ロイと私は以前からこの大聖堂が『正しい組織』に戻った後の組織編成について、秘密裏に相談していたの。それで、現在の教皇を排したあと、新しい教皇は外部から招いた方が、正常化につながるのではないかという話になって……」

「大聖堂は、特殊な組織です。大聖堂育ちの人間は外界に触れたことがないので、外の常識を知りません。外の人間から見たら、おかしいことに私たちは気がつけないのです。今まで、その役目を担ってくれていたのは、外回りの仕事を受け持っているスミ様でした。そして、それ以上に教皇となる方は大聖堂内の魔法陣を稼働できなければならないので、より完璧な黒を持っている方に限られるのですよ」


 その言葉でその場にいた人間の視線がマハの方へと一斉に動きます。


 マハの髪はこの国では、稀に見る混じり気のない黒です。


 ロイは膝をつきながら、マハを見上げ、彼の手を懇願するように握りました。


「マハ様。どうか、スミ様に変わって大聖堂をお守りいただけないでしょうか」

「私からもお願い」


 微笑みは崩さずに、懇願する姿勢は崩さずに、スミはマハの手を握りました。


「やだよ……」


 マハが髪が床と平行になるくらい、首を横に振ります。


「あなたにしか、頼めないの。私の最後のお願いを叶えて」


 スミがマハに向かって、懇願します。

 その姿にマハは、動揺していました。


 命が残り少ない、愛する人のお願いをマハが跳ね除けるわけがないのです。


「ずるい……。スミはどうすれば、俺が断れないかを、知っているんだ」


 美しいマハの左目から、一粒、涙が流れ落ちます。

 きっと、マハはスミの要望を受け入れて、大聖堂に残るのでしょう。


 わたくしと先生は、この結果へと導くために招かれた客人だったようです。



 スミが亡くなったのは、それからちょうどひと月後でした。





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