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白兎令嬢の取捨選択  作者: 菜っぱ
第二章 王都の尋ね者(騎士学校二年生編)
151/157

136女神の羅針盤が動きます


 グランドマザーは、ここにいる全ての人間の顔を一人ずつ、舐めるように見つめます。

 スミも、白纏に見えるわたくしも、聖女である先生も、黒髪の子供姿のマハも__そして、倒れ込む教皇の姿も。


 そして、そこから何かを感じ取ったのか、嘲笑のようにハッ! と短く笑います。


「どうやら、あなたはいろんな人間を自陣へと引きこんだのね。その努力は賞賛に値するでしょうね」

「私はただあなたに従うがままに、外回りの仕事をしていたわけではないのです」


 グランドマザーの賞賛というよりは挑発するような言葉に対して、スミは冷静に返します。

 スミはその言葉に揺らされるほど、弱い人間ではありません。

 でもきっと、グランドマザーの目には自分が育てた子供が精一杯強がっているように見えるのでしょう。また一つクスッと莫迦にするような笑いをこぼしました。


「どんなに、優れたものを近くに揃えたとしても、無駄よ。だってそれはあなた自身の実力ではないもの。……あなたは、どこまでも弱くて、醜悪な色狂いの色盗みの女なのよ」


 グランドマザーの言葉にスミは苦い顔を見せます。


「……それは重々承知ですよ」

「こんなに美しいサポーター、あなたには不釣り合いだわ。……聖女様がお美しいのはもちろんのことだけど、あなたの後ろに隠れている彼。とっても綺麗な顔をしているわね。まだ年若い少年のように見えるのに、しっかりしているところから見て、呪い子かしら」


 そう言ってグランドマザーはマハに視線をやります。急に話題に上がったマハはビクッと肩を揺らしていました。

 グランドマザーは視線をスミとマハへと交互に動かします。


「あなたと、美しい彼が隣同士に立っていると、まるで宝石の色見本みたい。生まれ持った時から運命として持ち合わせた正しいお手本のような黒と、醜い術によって体内に色を宿してできた紛い物の黒の違いがよおく、わかるわ」


 ねっとりとした、鼓膜の奥を舐めるような声でグランドマザーは声を出しました。

 スミは一瞬言い返そうとした後、その衝動を呑み込み、少し間を空けてから、一言ずつ、組みあげていくように言葉を発します。


「グランドマザー。私はかつての慈悲深いあなたを尊敬していました」


 グランドマザーは何を言い出したのだろう、という表情で、長いまつ毛をまたたかせました。

 スミは言葉を続けます。


「昔のあなたは圧倒的に正しかった。あなたは自分の幸せよりも他人の幸せを真っ先に選べる人だった。清廉な正しさをあの年齢まで貫けたということは、きっと歳を重ねたあなたの中には少女のような純粋さが残っていたのでしょう。でも、だからこそ僅かな悪意に染まりやすかった」

「あなたは何をいっているのかしら? 全く意味がわからな……」


 スミはグランドマザーが話していても、それを完全に無視して、上に言葉を重ねていきます。

 その様子はまるで、今の彼女の言葉は何も信じない、と言うことを明確に表しているようでした。


「私はずっと考えていたんです。あなたは望んで、狂ったのではないと。何かの事故でそれを手に入れてしまっただけで」


 スミは「そうでしょう?」とでもいいたげに、グランドマザーの顔をじっと見つめます。

 グランドマザーは頷くことも否定することもしないまま、じいっとスミの瞳を恨めしそうに見つめていました。


「それで……。私わかったんです。私は以前のあなたを慕っていた立場の人間として『あなたが本当にしたかったこと』を請け負わなければならないんだって。あなたが。狂う前のあなたが望んでいたことは三つあります」

「望んでいたこと? ……なんだったかしら。私、忘れてしまったみたい。よかったらあなたが教えてくれる?」


 グランドマザーの挑発するような言葉を受けて、スミはニッコリとした聖母のように穏やかな微笑みを顔に浮かべました。


「一つ、自分の欲望のままに大聖堂を蝕んでいた教皇を廃すこと」


 スミは、倒れて血を流す教皇に視線をやります。


「狂う前、あなたは自分の寿命がもうすぐ尽きてしまうことに対して憂いを抱えていましたね。あなたは教皇を脅す材料を持っていた。あなたは聖職者には珍しく、階級の高い貴族の出身です。あなたのご実家は教皇を長らく支援していたでしょう?」

「そう……だったかしら? 覚えていないわ」

「ええ。そうです。旅をしながら調べましたから、そこは間違い無いのです。あなたの発言次第で教皇への献金が途切れる。そのことを危惧した教皇は長らくあなたの反感を買うような動きをすることができなかった。例えば……王の呪いを解くための色盗みの女を無理やり、王城へと送り込むこと」


 王城と大聖堂。その二つはここに繋がりがあったのか、とわたくしは気がつきました。


「それまで、王城へと送りこまれる色盗みは建前上『希望者のみ』ということになっていました。教皇はまだ幼く、考えが広い範囲へ及ばない色盗みの女達を唆し、一定数王城へ送り込んでいましたが、それでも無理やりではなく、最終的には色盗みの女自身の判断に任せていました。実際に王城に出向いた色盗みの女が王城に勤務する文官や棋士と結ばれることも過去に何度かありましたからね。そういったストーリーに憧れる人間は一定数いますし夢を見ること自体は私自身も悪くはないと思っていました。しかし、そのごくわずかに残っていた良心的な仕組みも、あなたが狂って、大聖堂に所属する全ての色盗みの女が教皇の管理下に入ったことで破滅してしまった……。この行為により、かなりの数の色盗みの女が本来の運命よりも短く、命を散らして行きました」


 スミは床に目をやり、苦しそうな表情を見せます。


「二つ、この大聖堂を本来の信仰に基づく、健全な組織へと戻すこと」


 淀みない声でスミは続けます。


「今の教皇は貴族の天下り先でしかありません。国政で活躍できなかった貴族達が最後の成果を求めて着任する……。それがこの国の教皇のあり方です。そんな教皇という欲深い人間がトップに立ったことで、大聖堂内はだいぶ濁ったようですね。女神への信仰以前に出世欲に身を取り込まれてしまっていますから。そんな大聖堂には新たな指針を作る人間が必要でしょう」


 スミは意志がこもった強い視線をマハに目をやります。彼女はマハならそれができると信じているように見えます。


「三つ。女神の羅針盤という強い効力を持つ魔術具に意思決定の自由を奪われ、もう自分自身では自分の欲をコントロールできなくなってしまったあなたを自由にすること」


 スミの言葉を聞いたグランドマザーは、子供が初めてその単語を知って、意味に驚くかのように、目を大きく見開きました。


「昔のあなたはもちろんですが、今のあなたももう、色盗みの命を奪ってまで、生きたいだなんて思ってはいないんでしょう?」


 スミが確信をつくように問いかけます。


「そんなことは……ないもの。私は……私は……そう、永遠に生きていたかったはずなのよ」


 グランドマザーの声は動揺したように震えていました。

 スミはグランドマザーと対話を続けます。


「どうして?」

「どうして? 不思議なことを聞くじゃない。若く、美しくいたいという感情を抱くことは人間にとって当たり前のことでしょう? それに対して理由を抱くことなんて、なんて……ないはず……よ」


 グランドマザーの表情がわずかに歪みました


「んもうっ! あなたと話していると頭の中に霧のようなモヤが生まれてしまうわ! 本当に鬱陶しい!」


 グランドマザーは美しく編み込まれた後頭部の装飾の乱れを気にすることもできないほど心が乱れた様子で、頭をガシガシと掻きむしります。

 その様子を見たスミはそれまでも顔に滲んでいた微笑みをより深めます。


「靄も生まれるでしょうねえ。あなたは事実から、逃げているから」


 出血しそうなほどに鋭利な一言。


「うるさいっ! うるさい! 欲しいものを欲しいと言って、なにが悪いのよ!」


 グランドマザーは錯乱しながら、首元にかけてあったネックレスチャームのようなものを握りしめます。じゃらりと重い音がなる、目が荒いチェーンにかけられた小さなチャームは一見すると変わった骨董品のような印象を与えます。しかし、グランドマザーが握りしめてしばらくが経つと、そのチャームは禍々しい黒灰色の光を発し始めました。


「っ! 一体なにを……?」

「なにをって決まっているじゃない! 立場が違って話が通じない人たちと話すにはどうすればいいかって? 私と同じ側に立って貰えばいい話よ!」

「っ! まさか……」


 スミの弾かれたような表情を見たグランドマザーはニイッと片口をあげて邪悪な笑いを見せます。


「__……女神の導きに共鳴する子どもたちよ。敬虔な使徒となりその身を女神に捧げよ!」


 グランドマザーが握りしめたペンダントから謎の光が放たれます。光というよりも粒子の粒といった方が正しいでしょうか。

 カビの胞子がぼわりと一気に空中に浮遊する様にどこか似ています。


 その先天的な不気味さにわたくしの背中はゾッと、粟立ちます。


 光はどんどん広がり、やがて大聖堂の建物自体を覆い隠すほど大きく成長していきます。暗いのに明るい。視界を蹂躙されるような衝撃に目を開けたまま周りを確認することができません。そんなことをしていたら目が潰れてしまいそうです。


 わたくしたちはすぐに防御の魔法陣を展開し、その光から逃れようとします。やっと目が開けられるようになって、あたりを確認しようとすると、目の前には思ってもみない映像が展開されていました。

 光はマハを狙うように進んでいくのです。


「え……」


 思わず、声をこぼします。


「なんでこの光はマハに集まるんだよっ!」


 そう叫んで対策を講じようとしたのは先生でした。

 懐から手持ちの魔法陣を取り出し、その中から浄化や防衛の魔法陣を選び出し、一気に起動させます。なんとか彼の体から光を切り離そうとしたのでしょう。


 しかし、対応策も虚しくマハの周りには粒子状に揮発していたものが、一箇所に集中して集まり、濃度が濃くなっているのがわかります。光__というよりもはやこれは闇そのものでしょう。その物質はマハの身体中を包み込むように覆います。ドロリと照度の低い闇に包まれたマハは、その姿がわからなくなってしまうほどでした。


 何これ……。


 わたくしはあまりにも暴力的な力を持つ魔術具を前に、立ち尽くすことしかできません。


 グランドマザーはわたくしたちが策も練れずに、立ち尽くす様子を見て、心の底から嬉しそうな、歪んだ笑みを見せました。


「ふふふ……。女神さまがくださったこの羅針盤は人の純粋な心から欲望だけを抽出して具現化をする魔術具! 純粋であればあるほど、効力を発揮するわ! あなたの大切な子供はこの羅針盤がよく聞くでしょうね?」


 その言葉を聞いて、はっとしたスミは黒灰色の光でできた繭に包まれてしまったマハの肩を両手でガッと掴み、意識を取り戻そうと前後に揺さぶります。


「マハ! だめよ! 耐えて!」


 うっと、小さく唸ったマハは、苦しげに薄く瞳を開きます。空間を捉えきれずに揺れる虚な瞳を見て、わたくしたち三人は息を呑んでしまいます。


 もしかしたら、マハは女神の羅針盤の術を受け、グランドマザーのように、自我を失い狂ってしまったのかもしれない。

 そう、そこにいた三人が諦めかけてを浮かべた、その時です。


「大丈夫だよ……スミ」


 震える小さな声を絞り出すように、マハが言葉を発します。


「マハ? ……マ、マハッ!」


 スミの瞳から、ぽろりと一粒涙が溢れました。


「私……。あなたに何かがあったりしたら、死んでも死にきれなかった……」

「大丈夫。びっくりはしたけど……。ちょっと魔力が体を巡った衝撃が大きくて酔っただけだから。あれ、自分の中にある魔力を塗り替えるような形で体の使用権を奪う魔術具なんだろうね。……うえっ……気持ちわるっ……」


 マハは眩暈と吐き気を訴えていましたが、女神の羅針盤の影響を受けず、自我を守っているように見えました。


 よかった……。ちゃんと、術が起こる前と同じマハだわ。

 わたくしがそう思った以上に、スミは、はあっ……と息をつき、力が抜けたような表情を見せます。きっと、心の底から安心したのでしょう。


 どうみても正気を保っているマハを見て、グランドマザーは驚愕の表情を浮かべます。


「ど、どうして……」


 マハはにいっと歯を剥き出しにして笑いました。


「俺にはあんなハッタリみたいな魔術具は効かない」


 マハはその理由がわかっているような口ぶりです。淡々と話すマハの姿を見て、グランドマザーはさらに取り乱した姿を晒します。


「なぜ! なぜあなたには女神の羅針盤が起動しないの⁉︎」

「術を受けて見てわかったよ。あれは人間の純粋さを糧にして力を増殖させる構造なんだろう? 純真であればあるほどよく効く魔術具だって? はは……。笑わせる……。俺はあんたが思うほど、純真じゃない」


 マハはギロリと、鋭利な目でグランドマザーを睨みつけました。


「俺はスミ以外の人間の生き死になんざ、興味がないんだ。スミを守るためならどこまでも非道になれる人間なんだよ。俺の欲望の原点は彼女だけだから」





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