132似たもの同士の贖罪
スミ目線です。
冬が好きだ。
寒さで、手が痺れそうな感覚と、野宿先の小さなテントで入れるホットココアの暖かさ。
夏は広葉樹に覇権を奪われ、ひっそりと目立たない常緑の針葉樹たちが、森の主役となる、冬。そんな冬が好きだ
旅をしていると、ああ、死ぬなら冬の寒い日に、森に解けるようにひっそりと死にたい、と何度も思った。
でも現実は、そううまくいかないみたい。
秋の終わりだというのに、夏のような、もわりと肌にまとわりつく風が、頬を撫でるように吹く。かつては白かった私の髪が、今は工場からたなびく黒煙のような淀みのある黒さを持って、夜の暗さにその醜さを馴染ませるようにたなびく。
こんな気持ちがいいとは言い難い微妙な天気の日に私の全てが終わるのかと思うと、やるせないような気になるが、それも私らしいのではないか、と思い直す。
夏の終わりに体調を大きく崩した時は、ああ、私は大好きな冬まで命をつなぐことはできないのか、と思ったけれど、オフィーリア姫の助けのおかげで、なんとか繰り越し、この大好きな季節の直前まで、生きることができただけ幸運だったのだろう。
リジェット様と別れたあと、私とマハとクゥール様は、大聖堂の裏手に回る。
私は技術的にできることはほとんどないため、侵入のための工作は全てクゥール様頼りだった。クゥール様は張り巡らされた、防衛の魔法陣の根源を見つけ出し、使用権を塗り替える作業を行っていた。張り巡らされた魔法陣を一つだけ破棄してしまうと、ジェンガが崩れるように、他の魔法陣も崩れ落ち波紋を広げてしまうそうなので、奪い取った分補完するように、魔法陣を塗り替えるらしい。
この作業は他の魔術師がやっているところを見たことがあるが、その術者は胃が壊れそうなくらい集中して、やっとの思いで塗り替えていた気がする。力任せに塗り替えることは簡単でも、塗り替えられたことを知られないように、魔力で染め上げるのは相当難しい作業なのだ。
そんな手間のかかる繊細な作業を、クゥール様はいとも簡単に行っていく。まるで、物語の住人のようだ、と感心しながら、その作業を見守る。
ふと思いついたように顔をあげる。長い間、国内国外を回っていたため久しぶりに大聖堂をこんなに近くで見た。
この大きな建物を見ると、ああ、私はいくつもの季節と旅を経て、ここに戻ってきたのだなと思い知らされる。
だが、以前とは違って、安堵のような心ほぐれる感情はちっとも生まれてこなかった。この世界で物心がつく頃から我が家として過ごしていたはずの大聖堂は、現在、憎むべき人間が巣食う、魔王の城のような悍ましい存在へと変貌してしまった。
遠い目をしながら見つめて見ていると、マハが心配そうな顔で私の顔を覗き込んでくる。
「スミ……。体調悪いの?」
「全然。大丈夫よ?」
「本当に……?」
さっきまでぐったりしていたから、マハは気が気ではないのだろう。でも、嘘はついていない。
クゥール様の施しを受けた私は、こうして自分の足で動けるようになるまで復活していた。
正直、ここまでクゥール様が協力してくれるとは思っていなかった。
リジェット様は、素直な気質をお持ちの方なので、こう言ってはなんだが、比較的卸しやすい。少しばかり弱いところを見せれば、力になろうと躍起になってくれる。育ちのいい人間はどこまでも真っ直ぐで、折れない。
しかし、クゥール様は人間の好き嫌いが激しいように見える。いや“よう”ではなく実際、激しいと断言ができる。きっと私のことだって、大して好いてはいないはずだ。
私自身も彼があまり得意ではない。
彼が、誰も信じたくない、守る者を作りたくないと心から願っている、人間としての器が浅く、許容力に欠ける人間であることが、私にはわかる。
私もそうだから。つまるところ、完全な同族嫌悪だ。
しかし、クゥール様はリジェット様のためなら、動くのだ。そのことが私にとっては不思議で奇妙で。まるで心を閉ざした魔物が、純真な少女にだけ心を開く過程を見ているかのようで、愉快だった。
その手の作家が心から書きたいと願う、御伽噺が目の前で展開されている。
その過程を見られただけでも彼に関わって良かったな、と思えた。
魔物のような男の、感情が揺れ動く瞳の色は、目を見張るほど、美しいのだ。
作業が終わったのか、私の様子を薄目で観察するように見ていたクゥール様が、その重そうな口を開く。
「スミ、君には言っておくけど僕は君がどうなろうと__例え死にそうになったとしても、第一に優先するのはリジェットだ」
「ええ、それはもう。十二分にわかっていますわ。……でもそう言いながらリジェット様を一人で、囮に使うような真似をするとは思っていませんでしたけど」
クゥール様は、痛いところを突かれたように顔を歪ませる。
「大丈夫だよ。リジェットには防衛の魔法陣をこれでもかと……彼女が知らないところにも仕込んであるんだから。傷つけられるのは、僕か、シェナン・サインくらいのもんさ」
「まあ、お一人は故人ですから実質一人だけじゃないですか」
「……そうだよ。悪いかな?」
浮かべた笑みは、歪みない美しい薄い微笑みなのに、ゾッとするような酷薄なさを感じるのは、この人が力あるものだからこそなせる技だろう。
真正面から対峙すると、力ない私とは、その成り立ちと有り様が根本的に違うものだということを思い知らされる。
だからこそ、私はこの人に釘を刺さなければいけない。
「クゥール様は、わたくしが死ぬところを、リジェット様に見せたくなかったのではないですか?」
嗤いながらいうと、クゥール様の顔がわずかながら、苦しげな色を見せる。
そんなことだろうと思っていた。
クゥール様は優しい彼女が、近しい人が目の前で亡くなって、心を壊すことになったら、と怖くなったのだろう。
だから、彼女を逃すように別行動にした。
でも、それは全くの無意味だ。
だってリジェット様は……自分がその手で人を殺すことを覚悟している人なのだから。そして、それと同時に自分の命を削って人を助けることを選んでしまう人だから。
優しくて、強くて、脆くて、弱い。
そんな彼女の支え方として、今のクゥール様のやり方はあまりにも効率的でないように見えた。
きっと彼女に必要なのは、その場から逃げることを選ばせるよりも、立ち向かった後のフォローなのだろう。
「あなたがどんなに彼女を守ろうとしても、色盗みの女の命は短いのですよ? 現に、リジェット様の頭には、あなたの色がほんの少しですが混ざっているでしょう?」
「……っ!」
「あの方は、あなたにかかった呪いを、盗みの術を用いて薄めたのですね?」
リジェット様が私たちの部屋を訪れるようになってから、間近で見る機会も多くなったことで彼女の髪に色が混じっていることに気がついた。
「えっ……。ちょっとスミ?」
リジェット様がいなくなった途端、空気が悪くなったことに慌てたマハが私とクゥール様の間を仲裁しようと割り入ってくる。
いくらなんでもこんな場面で口論するのは、得策ではないことはわかっていた。
それでも私は、口を動かすのをやめなかった。
きっと、私がいなくなった世界線で、リジェット様という、最後の色盗みになる人を生かすのも、壊すのも、この人だろうという確信があったからだ。
「あの優しい方は……これからもたくさんのものに心を砕き、寿命を削るだろうと、思ったことはありませんか?」
クゥール様が弾かれたように表情を変える。
「わたくしは死ぬ間際になって、やっと自分にとって何が大切なのかわかった愚か者です。わたくしはそれでも、残される側ではありませんので、本当の苦しみを知らないのかもしれません。でも、あなたはどう考えても残される側でしょう? 聖女は百年間、死ぬことができないのですから」
「君の見立てではリジェットは長く生きないってことか」
「ええ。元々の命数が少ないようでしたから。それなのに、彼女をわざと危険に晒すような真似をして__あとで後悔しますよ? あなたは、強いですが、それは自分の命を削られないという部門でのみの強さです。人を守ろうとする能力には乏しく、策は杜撰で、弱いのに」
そう言って表情不貞腐れたように顔を歪めるということは、思っていた通り、囮にするなんて言ったのは、彼女を危険に晒して見たかったからなのだろう。
リジェット様を相手にするクゥール様の様子を見ていると、少し勘に触るなあと感じる時がある。
クゥール様はリジェット様に優しさを分ける理由に名前をつけられずにいるように見える。
それは庇護欲なのか、はたまた父性愛なのか。
様々な情のあり方を並べてみるも、一番形として収まりのいい、感情を選ぶことができずにジタバタしている。
本当に彼は私と似ていて嫌だ。自分が犯した間違えを目の前で再演されている気分だ。私も、マハとの関係性に名前をつけられない人間だったのだから。
__だからこそ、壊滅的に気が合わない。
それでも、リジェット様はクゥール様と話されるとき、自分では気がついていないかもしれないけれど、頬を薄紅色に色づかせることがある。
それを見たら、ああ、そうなのか、とこちらは嫌でも気づかされてしまう。
私としては、クゥール様はどうでも良くても、リジェット様には幸せでいてほしかった。
彼女はこんなわがままで、自分のことしか考えていない私に手を差し伸べてくれた人だ。
きっと彼女はこれからも、いろんなものに巻き込まれていくのだろう。
オフィーリア姫のことも、あの核継のことだってどうなるかわからない。そんな彼女にとっての寄り添える場所が、軟弱なのは私としても許せなかった。
__死にかけの人間は、聖女に説教できるくらい、肝が据わるのだ。
「立ち向かうリジェット様に逃げろと言うのではなく、きちんと支えてください。あの方の寿命をこれ以上無駄に消耗させる前にね」
そういうと、クゥール様は項垂れたような、しゅんとした表情を見せた。
よし、このくらい言っておけば大丈夫でしょう。
きっと、彼はリジェット様のために動いてくれるはずだ。これからの未来も、この後すぐも。
これはこれまでもこれからも、あなたたちを利用し続ける、私にできる小さな贖罪なのだ。
「スミ……それはなんの掌握術なの? 脅しじゃん……」
小さく、マハが小突きながら言う。
「いいの。このくらい言っておかないと、あとが大変だもの」
意味のない言い争いなんて、私はしない主義だ。これも計算のうち。私はこの辺で、クゥール様を焚き付けておかねばならなかったのだ。
私の今日の目標は、初石を奪うことだけではないのだから。
二人に気づかれないくらい、微かに口角を上げた。
使えるものは感情でも、衝動でも__なんでも使うのが、商売人の基本なのだ。
「さ、大聖堂に早く入りましょう?」




