128タイムリミットが近づきます
「終了! 皆筆記具を置くように!」
教室中によく通る、教官の声が響き渡ります。
まだ日が天高い位置にあるこの時間。
一日の中、最後の一コマが終わったことを示すチャイムと共に、生徒たちの“終わったあ〜!”という声が校舎のあちこちから聞こえてきます。
この時間をもって、一週間に渡ったテスト期間が終了になりました。詰め込んだ知識が、一気に頭から抜けていく感覚を味わいつつ、ほっと息をつきます。
どうしようか……間に合うだろうか。と今回のテスト中、不安に怯えていたわたくしですが、メラニアとエナハーンの助力もあり、ギリギリのギリギリでしたが、なんとか無事にテスト期間を乗り越えることができました。
二人が対策ノートを貸してくださらず、何も知らないままいきなりテストに向かっていたら、もともと入学前にお兄様たちの教科書を読んで、予習をしていたわたくしであっても、落第していたかもしれません。二人に何かお礼をしなければ!
今回のテストは対策が不十分だったのは明白なので、上位は狙えないかもしれませんね。次席剥奪かもしれませんが、それはそれで、派閥争いを熱心にやっていらっしゃる方の目に留まらなくなりますから、それはそれでよかったのかもしれません。
「リジェット〜!」
「わわわっ!」
後ろの席に座っていたメラニアが、わたくしの肩をガッと掴み、ゆさゆさと前後に揺らしてきます。
「いや〜やっと終わったね! 共通科目、応用ばっかりでしんどいなあと思ったけれど、どうにかなった気がする!」
勉強があまり得意ではないメラニアはテスト期間前、勉強が得意なエナハーンとつきっきりで、応用問題を中心に勉強をしていましたからね。その成果が表れたのでしょう。
「そっそうですね〜。メラニア、とっても頑張っていましたものね」
先生役に徹していたエナハーンも、嬉しそうにニコニコ笑ってメラニアの方を見ています。主人の落第を防げて、ひと段落、というところでしょうか。
「もうみんなテスト期間は頑張ったし、今日はご褒美に街の方に遊びにでも行っちゃう?」
「まあ! いいですね! そういえば昨日から、シュナイザー百貨店でセールが行われていると聞きましたよ?」
「おっ! そうなの? シュナイザー百貨店っていつもは高級すぎて、手が出ないものばっかりだけど、セール時期なら手が届くかも⁉︎ みんなで行ってみる?」
「わ、わたくしも是非行きたいです」
ということで、みんなで街に繰り出すことになったわたくしたちは、一度準備のため、寮に戻ることにしました。
自室に入ったわたくしは、制服から街にお出かけ用の私服に着替えようとクローゼットを開きます。すると見知らぬ洋服が数枚増えていることに気がつきます。
あれ? わたくしこんなお嬢様らしい服装もっていなかったはずなのですが……。
もともと、制服で過ごすことが多い騎士学校生活の中では、部屋着と剣のお稽古時に使う練習服と、先生と出かけるときに使う、平民仕様のワンピースくらいしか使わないので、オルブライトの屋敷に住んでいた時のようなお嬢様服を使う機会はほとんどありません。
なので、屋敷からも数着しか持ってきていませんでしたし、ほとんどきていなかったのですが、なぜか今のクローゼットの中には十着以上並んでいるのですが……。
「ラマ〜! ちょっといいかしら?」
自室の扉を開き、リビングにいたラマを呼びます。
「なんですか?」
早くもキッチンで今日の夕食の準備を始めていたラマでしたが、わたくしの呼びかけに手を止め、こちらに駆け寄ってきてくれます。
「クローゼットの中に、見知らぬ服が増えているのですが、何かご存知ですか? 街に行くくらいの軽装のものから、王族に謁見するとき用ほどの豪華なものまで多種多様な洋服がとり揃えられているのですが……」
「ああ、それはオルブライト家の旦那様と奥様からの贈り物ですよ」
「お父様とお母様が?」
驚きで目をパチクリさせていると、ラマはことの顛末を教えてくださいます。
「ええ。先日お二人から、リジェット様の生活の様子を聞かれましてね。足りていないものなどはないかと問い合わせがあったので、リジェット様のお洋服が少ないことをお伝えしました」
「ええ⁉︎ ……確かに少ないとは思いますが、足りないというほどではありませんよ?」
「今はいいかもしれませんが、今後の王族の動きによっては、王城に招かれる機会だってなきにしもあらずです。そうなったとき、このワードローブでは対応しようがありません。……ちなみに、旦那様と奥様は、リジェット様がご自身の事業で得たお金で、自分の身の周りのものくらいは集めているのだろうと思っていたようでしたが……。リジェット様はそんなものにちっと興味がないとお伝えしたところ、呆れていましたよ?」
「……普通の御令嬢と同じことを求められても」
ただでさえ、少しでも事業で利益を得ることができたら、再投資したい派なわたくし。きっと、お父様やお母様が思い描く、理想の娘とはかけ離れているに違いありません。
認識の齟齬が生まれてしまったことを申し訳なく思いながらも、これがわたくしなのだから仕方がないと諦めてもらうほかありませんね……。
そもそも、お父様やお母様が心配するように王族の方々にお会いする機会なんてあるのかしら。
できればそんな機会に出会いたくないものですが、呼ばて会わないと突っぱねることもできないでしょうから……。そんな機会があったらどうにか頑張るしかないのでしょう。
憂鬱な気分のまま、お母様が用意したであろう、貴族御令嬢のお出かけドレスに手を伸ばし、ノロノロと着替え始めます。
着替えが終わり、リビングへ向かおうとしたとき、窓の向こうが光ったのがわかりました。慌てて窓をガラリと開けると、紙飛行機型におられたお手紙の魔法陣が飛び込んできました。
「これは……スミに預けていたわたくしの魔法陣だわ」
急いで中を確認します。
するとマハの書いた文字で“スミの体調が思わしくない”という内容が書かれていました。
やっぱり、小康状態は一時的なものだったんだわ。
わたくしはすぐにそちらに向かうと連絡を返します。
焦りながらリビングに向かうと、エナハーンとメラニアもお出かけ服に着替え終わっています。二人ともわたくしが出てくるのを待っていたようです。
「お、来たね〜! って、あれ? リジェット。そんなに慌てて、どうしたの?」
「大変申し訳ないのですが、わたくしの王都に住む友人が体調を崩してしまったとの連絡が入りまして街に行けなくなってしまいました!」
そういうと二人はあらら! と大きく目を見開きます。
「リジェットは最近、出かけていることも多かったけれど、その子に会いに行ってたんだね」
「たっ体調が崩れると心細くなりますからね。わ、わたくしたちのことは気にせずに、早く会いに行ってあげてください」
二人の気遣う声に涙が出そうになります。
「申し訳ありません……。先に約束していたのはお二人の方なのに……」
「いいから、いいから! 早く行ってあげなって! 私たちは二人なら二人で楽しめるからさ〜」
メラニアにぐいぐいと背中を押され、玄関に追いやられます。
バタンと玄関のドアが閉められた瞬間、わたくしは持っていた転移陣を用いて、スミの部屋へと転移していったのです。
以前、転移した際に転移陣のポイントとなる魔法陣を張りこんでいたので、以前とは違い正確にスミの部屋へと降り立つことができたわたくし。
「あ、リジェット様!」
「マハ! スミの様子は?」
転移するなり駆け寄ってきたマハからスミの様子を尋ねます。
「昨日までは体調が良かったんだけど、今日になって苦しそうな感じで……」
慌ててスミが寝ているベッドに近寄ると、スミは額にびっしょりと汗を掻き、苦しそうに表情を歪めていました。
「スミ!」
「ああ……リジェット様。お忙しいのにご足労おかけしてしまって申し訳ありません……」
「そんな! わたくしのことなどどうでもいいのですが……」
苦しそうな中でもわたくしに恭しい態度を取ろうとするスミ。それでも、笑顔を浮かべるのがやっとのようで、起き上がることさえ満足にできないように見えます。
どうしよう……。思ったより体調が良くないみたい……。
わたくしの力では、スミの体を回復させることはできません。わたくしの研究している魔法陣は、攻撃や防御が中心で、回復に役立つ魔法陣の研究まで至っていないのです。
色盗みの宝石を売り買いし、金銭に余裕があるスミたちの方が、わたくしが描くよりもよっぽど高精度の回復の魔法陣を持っているはずです。
そんなスミでも対処ができないくらい体調が思わしくないのであれば、わたくしにできることはないのです。
「スミ、マハ。申し訳ないのですが、こちらに先生をお呼びしてもよろしいでしょうか?」
「クゥール様?」
「ええ。わたくしはスミが今持っている以上の回復の魔法陣を描くことはできませんけれど、先生ならそれ以上のものが作れる可能性があります!」
「でも……」
スミが惑った瞬間、マハが言葉を制します。
「リジェット様! クゥール様を呼んで!」
「マハッ!」
「今にも死にかけってときに、手段なんて選んでいられないでしょ⁉︎ いいじゃないか、シェナンだって、なんだって。今はリジェット様の味方になっている人なんだから!」
呼んで! ともう一度力強く言ったマハの言葉を受け止め、わたくしは至急、と表面に赤く記したお手紙を、先生の元へと飛ばします。
三分後、先生から返信の手紙が届きます。中には転移陣が組み込まれており、そこから先生が現れました。
……あ。そっか。わたくしもわざわざ転移陣を張らなくとも、そうやってこの部屋に来れば良かったのだと気がつきます。
「リジェット。スミの様子は?」
「身体中に黒い染みが広がってしまっていて、すごくくるしそうです。先生が描ける魔法陣の中に、今のスミにも効く、回復の魔法陣はありませんか?」
そういうと先生は考え込む仕草を見せた後、ゆっくりと首を横に振ります。
「僕が持っている魔法陣の中にスミの状態が回復するようなものはないね」
「そんなっ!」
「……“魔法陣の中”にはないだけで、手がないってわけではないよ。だって……僕は人の体を再生できるから」
「それって聖女の力ですか⁉︎」
「うん。でも、僕は寿命を補填することはできないんだ。あくまで僕ができるのは、一時的に人間の傷を治すことだけ。色盗みの女に染み付いた魔力による炎症を治しても一時凌ぎになるだけだけど……。まあ、やらないよりはましなんだろう」
先生はスミの体に手を近づけ、宙を撫でるような仕草をしました。すると、スミの体の表面が薄黄色に発光し、苦しみに満ちていた表情が少し和らぎます。
「あ……。先ほどよりも随分痛みが治りました……。クゥール様、本当にありがとうございます」
「別に構わないよ。だけれど、これも一時しのぎ。あと一日もすれば先ほどのような苦しさがぶり返してくるだろうね」
痛みに苦しむスミの姿は見ているこちらまで、痛々しくて、わたくしまでつらくなるほどでした。
こんなに苦しそうなスミの姿をこれ以上見たくありません。
そうだ……。スミの初石を取り戻すまでは、わたくしの初石を切り分け、貸し出すことはできないのでしょうか。
そう思って、考えを口に出そうとしたとき、強ばった表情をしたスミがわたくしの言葉を制します。
「リジェット様、あなたが今考えていることがわたくしには手に取るようにわかります。あなたは優しい方ですから……わたくしに心を砕いてしまうのでしょう。でも……それは絶対にいけません。わたくしの初石がまるまる残っているかもわからない状況なのですから」
「そんなっ! でも……」
行き場のないもどかしさに感情を揺らすわたくしの手をスミは両手で包み込むように優しく握り締めます。
「リジェット様。どうして私があなたの最初石を取らなかったか、わかりますか?」
「え……」
「自分の寿命は全て、自分のものだからですよ。誰かのために犠牲になる必要なんて、一切ないのです。他人の命を犠牲にして生きるほど、生き汚い生き方はありません」
「スミ……」
スミは悲痛な表情を浮かべているであろうわたくしに淡く微笑みます。その様子を後方にいる先生とマハは静かに見守っていました。
「わたくしは自分で選んで色を盗み、宝石にする仕事を営んでおりました。自分の初石を取り返す段階で寿命が足らなくなろうと、それは自業自得なのですよ」
「……君がそういう考えを持つ人間で良かったよ。万が一リジェットから寿命の譲渡を受けようものならこちらで処分せざる追えなくなったかもしれない」
「せ、先生⁉︎」
先生のあまりにも冷酷な思考にわたくしは非難の声をあげてしまいます。
「だってそうでしょ? 僕は弟子の君に害を加えるものを排除する義務がある。そこにどんな思惑があろうと、ただでさえ短命な人間が多い白纏の子から寿命を奪い取るなんて真似は許さないよ」
「ええ。そうでしょう。大丈夫ですよ、クゥール様。いくらリジェット様が優しかろうと、わたくしはそこまで要求するような真似はいたしません」
「それを踏まえた上で、君が生き残る道は一つだけ。本来の君が持つ初石を取り戻すことだ。でも、君は本当に運がいい。……悪運が強いのかもしれないけれど」
「……どういうことですか?」
わたくしが尋ねると、先生は不敵な表情を見せます。
「季節の変わり目に大聖堂の代表者による、鎮魂の儀が催されるらしいじゃないか。秋から冬にかけての儀式はちょうど今日の真夜中に行われるだろう?」
「グランドマザーが一人になる……」
マハがボソリと呟きます。
「そう。狙うなら今日の夜だってこと。今はまだ夕方。まだ真夜中までには時間がある。奇襲の準備をしようよ」
夕暮れ時、窓から差し込む黄昏色の光を背景にした先生は、何者にも陥れることができないであろう、強さを持っている__まさに聖女のように見えたのです。




