117わたくしが戦う目的は
「戦争をコーディネート……」
「ええ。彼らが核継をハルツエクデンに介入させるタイミングを自由に操れるとしたら戦況を悪化させることも可能でしょう」
「……そうですよね」
スミの言葉を聞いて、以前オフィーリア姫が口にした、三国統一という言葉が頭に蘇ります。
それは歴代の国の権力者が夢見たこと。頂点に立つものの欲望のために、ハルツエクデン、ラザンダルク、シハンクージャの三国では多くの血が流れた歴史を持っていることは三国に住むものなら、当然常識として知っていること。
オフィーリアも歴代の権力者たちのように、自分の欲望のために三国を統一しようとしているのでしょうか。でも、それにしては拭いきれない違和感があるのです。
「以前、オフィーリア姫にお会いした時、オフィーリア姫は“自分はこの長きに渡る戦いの歴史を終わらせるために、王座に着く”という趣旨のことを言っていたのです。他の方々……ハルツエクデンの王子たちがハルツエクデン王、という立場に固執しているのに対して、彼女はもっと大きな脅威と一人戦っている印象を受けたのです。……多分、彼女が戦っているのは湖の女神そのものなのではないでしょうか」
「湖の女神、そのもの……?」
スミはわたくしの言葉を受けて瞳を不安げに揺らします。
「ええ。わたくしは先生から、オフィーリア姫の先読みの力は精度が恐ろしく高く、ほとんどの未来を見ることができると伺いました。そんな大きな能力を持つ彼女は、きっと大聖堂のグランドマザーが女神に狂わされていることくらい、知っているでしょう。だからこそ、あなたに動いて欲しくて接近した、と考える方が無難だと思うのです」
スミの言葉を受けてふと、考えてしまったのです。明確な先の未来を見て未来に干渉する力を持つ人間が、果たして自分の未来だけのために動くだろうかと。
それだけで満足するだろうか、と。
もし、わたくしが同じ能力を持っていたとしたら、己の幸福だけでは飽き足らず、自分の身の回りの人間全てを幸福にするために動き回ってしまうと思うのですよね。
それに、彼女は王女ですもの。そのスケールと懐の広さも桁違いに広いのではないでしょうか。
「確かにあの方は戦況をコントロールする力があるのでしょう。でも、きっと先が読める彼女なら、多くの人間にとって最善の未来に導いてくれるような気がするのです」
「……どうして、リジェット様はあの方__オフィーリア姫のことをそんなに信用していらっしゃるのですか?」
スミの疑問はもっともです。わたくしも、あの方の言葉がするりと心の中に入ってしまう理由がうまく説明できないのですが、なんとか言葉に表現しようと試みます。
「まだ、一度しか会ったことはありませんから、あの方を完全に信用をしているわけではないのです。ただ、あの方の瞳は欲にまみれた人間のように濁ってはいなくて……。どこか、必死に見えたのです」
ご自分の欲のために人の命を粗末に扱う人__ジルフクオーツ様の瞳の色がふと頭に浮かびます。澱み切った、彼の瞳は底がない、吸い込まれるような色をしていました。
「必死……」
「ええ。あの方の瞳に宿る意思の強さは自分の命がかかっている人間のそれでした」
わたくしは前歴の自分が戦乱の中で見た、なんとか生き延びようとする人々の瞳の色を思い出します。オフィーリア姫の瞳は、どこか彼らと同じ色を持っている気がするのです。
「私には……分かりませんでしたけど。リジェット様がいうならそうなのでしょうか?」
「前歴のわたくしは伊達に長生きしていませんからね。不甲斐ない人生でしたが、その分多くの人間を見てきました。オフィーリア姫はわたくしの今と前歴を合わせた二人分の人生で出会った人の中でも、群を抜いてああ、強い人だなと思ってしまう特徴を持った人ですね」
「そうなのですか?」
「ええ。だってあの方は事実上、敗戦国の人質なのですよ? なのに……。ご自分の足で未来を変えるために奔走しているのですもの。普通であれば、囚われの姫ですし、さっさと諦める方が楽に決まっているんです。抗う、ということは体力も、精神も摩耗させる行為ですから。でも、行動をやめないところを見ると……彼女の本当の目的は分かりませんが、なんだか素直にかっこいいな、と思ってしまいます」
スミは思っても見ないことを言われたことに驚いて、瞼をパチパチと開閉させます。
「だから今は、彼女の動きを危険視しなくてもいいかな、と思います。もちろん、許容できない悪行に舵を切った場合は、関わり合いたくはありませんが」
その言葉にスミは納得したような表情を見せます。
「そうですよね……。あの方は私の治療をしてくださったわけですし、害意を加えたわけではありませんものね」
少し間が空き、考え込んだ表情をしたスミは再び口を開きます。
「でも、彼女の従者の核継は確実に人を殺していますよ? その証拠に、核継が人間を喰らった時に現れる肌の変化が出ていましたもの……。核継は人間を喰らうと喰らった人間の肌の色を自分の体の皮膚に引き継ぐのですよ」
「スミはそう思うのですね」
色盗みの女は人を殺めることはありませんから、人を殺める核継に嫌悪感を持つのでしょう。スミは怯えたような表情を浮かべています。
しかし、それを言ったら先生だって生き抜くために何人もの人を殺めていますからねえ。その事実を知りながら、そんな人間に師事しているわたくしも、広い意味でいうと同罪なのでしょう。それに……。
「でも、わたくしも騎士になる身ですから、いつか人を殺めますよ。己の正義のために」
その言葉にスミはハッと息を呑みます。
「ごめんなさい……。私はリジェット様を貶めたいわけでは……」
「いいえ。そんな風に受け取っていませんから、不安がらなくてもいいですよ。でも……。本当にスミの言う通りですね。人なんて、殺さない方がいいに決まっているんです。みんな建前を用いて人を殺めますが、それが正しいなんてことは絶対ありえないんです。己の正義というものも、人によって立場によって如何様にも変化しますもの。そんな不安定なものを信仰するのはきっと愚か以外の何物でもありません」
「リジェット様……」
スミは胸を押さえながら、苦しげに表情を歪めます。
これに対してはずっと黙っていたマハも眉間に皺を寄せ、難しい顔をしています。
「かっこいいからという理由で騎士に憧れて、騎士を志しましたが、わたくしたちが騎士となってやることは、平たく言えば人殺しなのですよ。己の国を守るという大義名分を持った__ね。こんなことを考えていると本当に剣を振るうことは正しいことなのか。考え込んでしまいますけれど。だからこそ、自分が戦う目的は自分で持たないといけないとわたくしは思っています」
騎士でいることが、戦うことが本当に自分にとっての最善解なのか、わたくしには分かりません。
「前歴のわたくしがした一番の後悔は、周りに流されて自分というものを消してただ生きてしまったことです。どんなに酷いことをされても、耐えて、声もあげなかったあの頃のことは今思い出しても不甲斐なすぎて、反吐が出ますが……」
でも、だからこそ……。
「わたくしは己を損なう全ての勢力に屈しません」
「……」
「わたくしは誰がなんと言おうと自分の意思に反する勢力に加勢せず、自分の意思を貫きます。そう思うと、もしかしたら騎士団に入隊せずに別の道を選ぶ選択もあるのかもしれませんが……。どちらにせよ、わたくしは前歴と同じ過ちを繰り返さないと自分に誓っていますから。スミも誰かに従わず、自分の良心のもと、自分が信じるもののために動いたらいいと思いますよ。別にわたくしと意見が一致している必要は必ずしもありませんし」
にっこりと微笑みながら自分の意見を告げます。スミとマハはそれを静かに聞いていました。
「リジェット様はお強い方ですね」
「どうでしょうね。強くありたいと思っていますが、本当に強いかなんて分かりません」
「いいえ。あなたはお強い方ですよ。リジェット様がオフィーリア姫に惹かれる気持ちがあるように、私はリジェット様の強さに惹かれますもの。……私はどうしても弱くて……すぐに逃げ出してしまう性格ですから」
わたくしに惹かれる、と言った瞬間、マハの瞳が鋭く光ったような気がするのは置いておいて。
スミの温かい言葉にわたくしは素直に嬉しくなります。少しでも、あの時の自分から脱却できているような気がして。少し強くなったことを他人に認めてもらえているんですもの。
「いろんな不安はあちらこちらに散らばっていますが、わたくしたちは今、わたくしたちにできることをするしかないと思うのです。スミとわたくしにとってそれは初石を取り戻すことなのではないですか?」
「……そうですね。本当に。そうです。スミと昨日あの後話し合って、目的と手段を取り違えるな、と言われてしまいました」
「……別にスミを責めたわけじゃないんだよ」
マハが気まずそうに肩をすくめる様子を見て、わたくしはつい顔が綻んでしまいます。今の二人は言いたいことをきちんと言葉にして、ちゃんと伝え合ったことがわたくしにもわかるほど、空気が和らいでいました。
「スミ、今日はわたくしに情報を知らせて下さってありがとうございます」
「……わたくしの勇み足でこんな夜遅くに呼び出してしまって、申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが……。少しでも
お役に立てたなら幸いです」
夜も深まったころ。これ以上こちらに滞在することもできませんので、わたくしは帰る準備を整えます。
帰ろうと転移陣を用意したその時、わたくしは昨日聞き忘れたことを一つ思い出します。
「あ。そうそう。スミに聞きたいことがあったのです」
「なんでしょうか? 私に答えられることでしたらなんでもお答えいたします」
その微笑んだ表情に安堵して、質問を口にします。
きっと、国中だけでなく隣国シハンクージャも旅したスミなら、わたくしが欲しているものの存在を知っていると思うのです。
「スミ、この世界でジャガイモやサツマイモに当たる食べ物を知っていますか?」
リジェットはなぜ戦うのか、がかけました。やったー!
次は金曜日に出せるように頑張ります。12時超えるかもしれませんが……。




