115その思いは切実でした
わたくしが何もいえずに立ち尽くしている時。わたくしが入ってきた扉が開きます。
「はあ。スミは本当に……俺のことをなんもわかっていないよね」
驚いて扉の方へ振り向くと、そこには渦中の人——マハがたっていました。
「マハ、いつからそこに……」
スミの震える声にわたくしも心の中で同意します。全然気が付かなかったわ……。一応、わたくし騎士学校で訓練を積んでいる身ですから、人の気配には敏感な方だと思っていたのに。
「リジェット様が部屋に入ったのがわかってから急いでこっちに戻ってきたから……大聖堂の掃除うんぬんの辺からかな」
そんな前から話を聞かれていたなんて。全然気が付きませんでした。もしかしたらマハは気配を消すような魔法陣を使用しているのでしょうか。
「どうして、わたくしがこちらにきたことがわかったのですか?」
「あんたが先生って呼んでいる男から、スミの護衛に役立つような魔法陣をいくつか買っておいたんだ。その中から、侵入者の検知用の魔法陣をこの部屋と宿のあちこちに展開してある。他にもいろんな魔法陣をスミのために同時展開しているよ。俺は魔力だけは豊富にあるから。いくらでも展開できる。それにしても……あの魔術師は本当に魔術の腕だけはいいよね。」
その答えを聞いて、スミは目を丸くしていました。
「あなた……。大聖堂でのお勤めを放ってきたの?」
「大聖堂の勤めなんかよりも、スミが無事であることの方が何倍も大事だ。それに、最近は俺の下につくものも出てきて、仕事を丸ごと押し付けることだってできるし」
その口ぶりから、マハが意外にも有能で、大聖堂の中でもある程度の地位を確立していることを悟ります。
「……スミ。もうこんな風に俺に内緒で誰かに会って勝手に俺の行先を決めるようなことを相談するのはやめて」
スミだけを責めるような言い方に、わたくしは慌てて口を挟みます。
「ごめんなさいマハ。わたくしがスミの予定を考慮せずに、急ぎで連絡をしてしまったのがいけないんですよ」
そういうと、マハはぶっきらぼうな言い方で反論します。
「別に。リジェット様が接近したことに対しては怒っているわけじゃない。むしろ感謝しているね。スミの心中がよおく、わかったから」
「マハ……」
スミは後ろめたそうに、視線を揺らします。
マハはそのままスタスタとスミのいるベッドの前まで歩き、スミを見上げるように跪きます。
「ねえ、スミ? 本当にスミは俺が——スミがいなくなっても、生きていけるような安穏な日々を望んでいると思っているの?」
「それは……」
「俺はそんなこと微塵も願ってなんかない! 俺の願いは少しでも長くスミと一緒にいることだ」
マハの懇願し、絞り出すような言葉は傍観者であるわたくしまで泣いてしまいそうなほど、感情が込められていました。
「スミに言われなきゃ、大聖堂で働くなんて面倒なこと、しようなんて思わないよ。大聖堂で働くとこはスミの初石を取り返すための手段であって、目的じゃない。それをスミが望んだとしても、僕は望まない」
スミの痩せほそった手を、繊細なガラス細工を扱うように優しく握りしめたマハ。手をそのまま、額に近づけ、主人に乞うように言葉を絞り出します。
「最後まで運命に争ってよ、スミ。俺がまだ諦めていないのに諦めるような真似しないで」
「それにしたって……状況が……。あまりにも分が悪いわ」
スミは、弱々しく首を横に振り、マハの言葉を聞き入れようとはしません。
「俺はスミの聞き分けがよくて、何もかも俺のために計画立ててしまうところが嫌いだ。俺のため、俺のためって言ったって、本当に俺のためになっていやしないんだ」
「それは……」
食い違っていた双方の思いがぶつかり合っているように見えます。二人の旅を、紡いできた軌跡を知らないわたくしがここにいることは、二人の間にズカズカと土足で踏み入っているような気がして、ここにいていいのだろうか、と少し気まずい気分にもなりますが言い合いがヒートアップして、スミが万が一体調を崩したらまずいので一応止まることにします。わたくしは、壁。
「スミ。俺の思いを受け入れなくてもいい。だから俺を一人にしないで。そのためだったら、俺は何を失っても……構わないから……」
マハの心からの叫びは部屋の中に溶けるように消えていきました。
*
わたくしは一人、帰り道をとぼとぼと歩いていました。
あの後、スミが疲れた様子を見せていたので、わたくしは話したいことはありましたが、スミの体調のことを考えて早々に引き上げることにしたのです。
これから、スミとマハは二人きりで今度のことを話し合うのでしょう。
先ほどまでの光景を思い出し、わたくしは小さくため息をつきます。
マハとスミとの関係性を第三者目線で見た時、わたくしの目にはその関係性がどこか先生とわたくしの関係性のように映ったのです。
どうしても追いつかない人を一方的に慕ってしまっているマハとわたくし。少し心の距離は置きながらも、相手の幸福を願い自分を削ってまで行動を起こしてしまう、スミと先生。
その思いはどこまでも交わらず、不毛に思えて……。ため息を何度もつきたい気持ちになってしまいます。
きっとわたくしと先生の関係もはたから見ると、ああいうふうに見えているのでしょうね。
第二王子であるアルフレッド様もわたくしが先生を慕っている様子を見て、それは恋だと言ったわけもわかるのです。
でも、マハの必死さを目の当たりにした時、私が持っているこの感情は、あの必死さと同じものなのか、と首を傾げてしまったのです。
マハの思いは本物の恋のように思えたのです。自分の全てを投げ打ってでも、スミを助けたいという気持ちが溢れていました。
反対に、スミの感情は恋愛感情ではないですが、その情はわたくしの知っていた恋愛感情よりも一層愛情深いもののように思います。
どちらも同じように、尊く、失い難いものに感じましたが……。同時に儚くも見えました。
例えば、このまま、わたくしが先生に持ち合わせているこの感情を突き詰め、恋だと位置付け先生に告げた場合、先生は凄まじい勢いで心の距離をつくる気がします。
先生もわたくしと恋情が絡むような関係になることを避けている感じがしますし……。
このまま、思考を止めてしまっていたい。このままでいたい、という気持ちとこのまま答えを出さずに、先生の優しさにつけ込むような真似をしていていいのか、という気持ちがせめぎあいます。
そんなことを考えていると、目の前にふわりと手紙のような紙が飛んできます。そこに書かれた蔦の模様を見て、誰のものかわかったわたくしはそれを手に取り、ゆっくりと開きます。
やはり思った通り、手紙の中には小さな転移陣が描かれていました。発動をさせると、しゅわりと光って、先生の姿が現れました。
「リジェット……迎えに行くって言ったのに、一人で帰ろうとしないでよ。面倒な手を使う羽目になったでしょう?」
「先生……」
先程のスミとマハのやり取りを見た後に先生の姿を見ると、後ろめたさを感じてしまうのは何故なのでしょう。
「スミに話は聞けたかな?」
「……そうですね。とても貴重なお話が聞けた気がします」
「そう? ならよかった。……スミはどうなりそう?」
「きっと、マハに説得されて、初石を取り戻すために奮起するのではないでしょうか。わたくしもあの方にはもっと生きていて欲しいので、引き続きできる限り協力します」
「そっか。……ん? どうしたの?」
先生の指摘で無意識に顔を見つめてしまっていたことに気付きます。
「うーん。そうですね……。この世の中にはいろんな人がいて、いろんな考えがあるんだなって思い返していただけですよ」
無数に答えと選択肢がある世界で、わたくしは何を選べばいいのか。
先生とどんな関係を築いていくのが正解なのか。考えるだけで頭が痛くなってきそうです。
悶々と考え始めたわたくしの顔を見て、先生は眉を寄せます。
「なんかいきなり哲学的なことを言い出したんだけど。難しいこと考えると熱が出るよ? リジェットあんまり頭良くないんだから」
「失礼ですね〜。おっしゃる通り、先生より出来はよろしくありませんが、騎士学校で落第しない程度には勉学に励んでいますよ」
「まあ、君の努力は知っているけど。まあ、頑張ってくださいな」
「頭のいい人言われるとなんだか、ムッとしますね……」
きっと先生は落ち込む様子を見せたわたくしを見て話題を変えてくださったのでしょう。
先生のわかりにくい優しさに、少しだけ心が軽くなります。
とりあえず、今は。この優しい時間をもう少しだけ大切にしていたい。
そうしてわたくしはまた、この関係性に名前をつけることを保留にしたのです。
保留です。
次は金曜日に……投稿できるように頑張ります!




