112一般論で語られた先生の評判を聞きます
「それに……。君が今、こんな状況に陥っているのは時期が悪いせいもある」
エドモンド様は、目線を下げて申し訳なさそうにつぶやきます。
「王が崩御し、まだ新たな王も経っていない状態で、国も騎士団も未だかつてないくらい不安定だ。オルブライト家の子女である君にだからこぼせる内情だが、今後派閥争いは苛烈を極めるだろう。シハンクージャとの争いが起きようものなら、戦いさえも自陣の強固さを知らしめるための道具になるのは間違いない。現時点でも騎士や騎士学生たちは国を守る防波堤となる存在であるはずなのに、王族の票稼ぎ——派閥の人数稼ぎの頭数としてだけしか考えられていないのが現状だ。派閥争いでは騎士本来の国を守るための力や能力よりも単なる票数の多さが物を言う……この不毛で、国がまとまらない状態が、いつまでも続くことは私たち教官としても避けたい」
エドモンド様渋い顔をしながら語る現状は、わたくしが知っているものと変わらず、厳しいものでした。
そういえば、騎士学校の中でも、例年であれば権力を持たない、リージェや爵位が低い貴族の子息達が今年はさも“自分たちは尊ばれる存在だ”と言わんばかりの態度の大きい顔で教室や競技場を使っていたのを見ておかしいと思っていたのですよね。
そういったあまり力を持っていない貴族達は爵位を持っていても、家自体にさほどお金はなかったりするので、比較的羽振りがいい商家出身の学生の家で働かせてもらって、騎士学校での学費を工面することも多いのですが、今年に限ってはそういった様子も見られず、余裕ありげに優雅で貴族らしく過ごしている姿がよく見られるのです。それだけならいいのですが、貴族でない家出身の学生達に、身分差を盾にして冷たく当たっていると言う話も聞かれます。
大方、両王子達が貴族子息の買収に乗り出したのでしょうけど。
「あの……。あまり、こういうことを聞いてはいけないんでしょうけど、教官方の間では王位継承争いに関する進捗状況などは降りてきているんでしょうか。今年は第二王子であるアルフレッド様も騎士団に所属しましたから、王子に近しい人間から情報が流れたり……とかはしませんよね。すみません、こんなことを聞いて」
王位継承争い関係で、何か困ったことがあれば、エドモンド様を頼れと、お父様に言われていたわたくしは、立場上情報を漏らせないだろうな、とは考えながらも、情報欲しさに質問を投げかけます。
しかし、エドモンド様の口からは教員同士で共有されている情報が意外と明け透けに語られました。
「ああ。それは学生たちにとっても気になるところだから聴きたくなるのも無理はない。だが、残念ながら教官たちの間で流れている情報も学生たちとの間で流れているものと大差がないんだ。通常であれば、第一王子である、ジルフクオーツ様が、王位を継ぐことになるが、議会で承認がなされないことで、王位継承が滞っているというのが現時点での状況だな。主に反対しているのは第二王子派と旧王族派に縁が深い貴族たちだ。あとは……意外なところでは魔術省の人間も頑なに首を縦に振らないらしい。魔術省に勤める知人がこぼしていてな」
ハルツエクデンでは新たな王が立つ場合には、任命権を持つ貴族の賛成が過半数あることが求められます。
任命権は各貴族家庭の当主が持っていて、一代貴族でない限り、どの家も一票ずつ持っているものです。ただ、その投票する人同士の中にも会派が存在し、自分の意思とは関係なく、大領地の領地持ちに擦り寄るために票を売ったり、自分の子供たちが王子に支えていたりすると、子供の未来を考えて、票を調整する動きを見せたりと、なかなか法律上グレーなことをしている貴族も多いようです。
とは言っても歴代であれば、新たな王の誕生に関しては反対するものはほとんどおらず、任命のための議会が開かれても、それ自体は形だけのものとされ、そのまま新王が任命されることがほとんどです。
ですから、今回のように第一王子であるジルフクオーツ様が新王になることに反対する勢力が国に多く存在している状況は異例の事態だと言えるのです。
今代の正式な王の決定は、王が崩御し、喪が明けていないことと、第二王子のアルフレッド様がまだ正式には成人をしていないこと(この国の成人は十五歳)が加味され、アルフレッド様が成人される、一年後の議会に持ち越されることになりました。
エドモンド様から語られた情報の中で、新王選びが難航していたという部分は騎士学校内の噂を聞いていたので知っていましたので驚きません。
しかし、エドモンド様が魔術省の方とも繋がりを持っているという事実に驚きます。
「エドモンド様は、魔術省にも伝があるのですか?」
魔術省はハルツエクデン王国の魔術を管理研究する機関です。先生も以前は魔術省に入って魔術を学んでいたことがあると言っていたので、存在が気になっていたのです。
「ああ。私は、騎士団の教官部署の中で唯一魔法陣を描くことができる人間だからな。魔術省との連絡はもちろんだが、後方支援部__ステファニアが今年から所属した部署だ。そこと騎士学校との連絡係にもなっている」
教官の役職で、魔法省との連携があるなんて。思ってもみない人間関係にわたくしは目を見開いてほえ、と変な声を出してしまいます。
「そうだったんですね。エドモンド様は騎士団の中でもいろんな教官方と話して連携をとっているイメージがありましたが……。騎士団以外でも様々な業種の方と親交が深そうですね」
騎士団の教官たちはどちらかというと、一人一人意識が高く、プライドが高い人たちの集まりです。入学試験の時にわたくしに突っかかってきた学部長の教官がいい例ですが、皆お互いを比べ合うことで高め合っている印象が強い方々です。
しかし、エドモンド様は、何というか……柔和でどんな教官とも不思議とすんなり、雑談できてしまうタイプなんですよね。騎士なのでガタイはいいですが、騎士として働いてきた来歴で体つきは良くても、それを和らげてしまうほどどこか優しげな雰囲気があるので、やり手感はあまり致しませんが、実は騎士団の中でも影の有力者なのかもしれません。
実際はコミュニケーションおばけ、ってところでしょうか。
出なきゃ、あのお父様の部下や王付きの近侍なんてできていませんよ……。
「もともと、足の怪我をする前は君の父上の直属の部下として、騎士団の統括に関わっていたから、大体の部署に顔は通じているかもしれないな」
わたくしはエドモンド様の言葉に素直に驚いてしまいます。そんなに顔が広かったなんて……。
「まあ! すごいです! わたくし、いろんな方と交流を持つのが得意ではない方なので尊敬します!」
「ははは。いろんな人と話すのは得意だからな。でも、そんな私が唯一打ち解けられなかったのが、クゥール様だからなあ」
「えっ! 先生が?」
「ああ。あの方は……。私には無理だ。人並み外れた力を持ち、それを乗りこなしてあの王まで圧するようなことができる人だ……。そんな人を相手にするなんて私には恐れ多い。……そんなクゥール様と良い師弟関係が築けている、君の方がよっぽどすごいと思うのだが」
エドモンド様は人の良さそうな困った顔で、わたくしを優しく見つめます。
……というかそんな方に恐れられる先生って。
情緒がないっていつも言ってきますけれど、本当に情緒がないのは先生の方なのではないでしょうか。
*
その後もどうせ、他の生徒がいないのだからと、今まで聞きにくかった、騎士団の組織情報のことや、魔法陣のことなど、さまざまなことを教えていただきます。
そのどれもがわかりやすく、ほほうとメモを取りながら熱心に聞いていると、すっかり授業時間が経ってしまい、気がついた時にはもう授業も終わり間近になっていました。
「……もうこうなったら、これからは授業の形態は完全に無視して情報交換や、魔法陣についての質問をする、時間にした方が有意義だろう。なんでも好きなことを聞いてくれ」
「え! いいんですか⁉︎」
「ああ。今回、雑談をしていて、君の扱う魔法陣のレベルがとてつもなく高いということだけがわかったよ。なんてったって、リジェット・オルブライトはあの、クゥール様の愛弟子だからな。なんなら、私の方が魔術的知識が劣っている可能性がある。だったら、大人しく負けを認めて資料を魔術省から持ってくる役目でもなんでもやった方が有益だろう?」
「わたくしもまだまだですから、エドモンド様に学ぶところが多いと思うのですが……。わたくしが先生に教えていただいた魔法陣の知識って、エドモンド様から見ても高レベルなものなのですか?」
エドモンド様は力強く頷きます。
「……そうだな。あの方は魔法陣だけでなく、魔術具にも造詣が深い。ハルツエクデンでは魔術具についての研究は実はあまり進んでいなくて、ラザンダルクの方がよほど技術が高い。その国内にない技術までをも網羅した授業をあの方自ら教えているなんて……。私には知識でも技術でも歯がたちそうにない。魔術省の中にもあそこまで魔術具に詳しい人間はいなかったから、あの方はあちらの国の技術者と直接なんらかの形で、繋がりがあるんだろう」
エドモンド様の騎士らしい鋭い観察眼に、どきりと心臓が跳ね上がります。まさか、先生がラザンダルクの姫であるオフィーリア様と繋がりがあることを知っていたりしないですよね……。先生は意外と迂闊なところがあるので、いろんな人に行動が漏れてそうで心配になることがあるんですよね。
このまま、先生と誰が繋がっているか知っているか、なんて聞かれたらわたくしはうまく誤魔化せるでしょうか……。
話の流れが怪しくなってきたのを感じ、慌てて流れを変えます。
「エドモンド様は魔術省の方々にも通じていると言うことは、国の施設に備えられた、古くから存在する魔法陣にも詳しいのですか?」
「施設防衛魔術? 始祖の魔術と呼ばれる部類のものか? ……リジェット・オルブライトはまた、古典的な魔法陣に興味があるんだなあ。まあ、私は他の人間よりは知っているとは思う。もちろん、専門ではないから、参考資料をさらったくらいの知識だが」
「そうなんですね! わたくし、古くから存在する魔法陣にとても興味があるんです」
「意外なものに興味があるんだな。あまり、実践向きでない知識だろうに」
「でも基本的なものが一番、応用がききますから。古き良きものを味わってみたいのです!」
「なるほど。それは一理あるな。だが、古くからある魔法陣と言っても、魔法陣が今の形で普及をしてから、百年強しか経っていないからな」
「えっ! そうなんですか?」
「ああ。もともとこの国に、魔法陣は存在していたが、それを今の形に発展させたのは間違いなく、シェナン・サインだからな」
「第一の聖女が……? シェナン・サインも魔術師だったのですか?」
新たな事実の発覚に驚きます。ではこの世界のほとんどの魔術はシェナン・サインが一代で作りあげたもの?
「記録に残っている限り、シェナン・サインは優秀な魔術師だったようだ。王城に備え付けられた魔法陣の中で、最大の攻撃出力を持つ、他者の攻撃を反転する魔法陣は彼女の初期の作品だと言われているね。伝記上での彼女は天女のような肖像画で描かれることが多いが、実際は意外と気性が荒く、戦い方も火力が高いタイプだったらしい。魔術省にはそういった好戦的な部分の記録も多く残っている。……そういうところも、クゥール様に似ていると私は思ってしまうね」
「でも、先生は理由なく人を嬲ったりはしない方ですけれど……。それでも、エドモンド様は先生を恐ろしいと思うのですか?」
「ああ。しかしながら、リジェット・オルブライトにとって、クゥール様はいい先生なんだな」
エドモンド様は少し遠い目のような、悲しさが滲んでいるような、何ともわかりにくい表情をしていました。
わたくしはその表情になる理由が読み取れずに、困惑してしまいます。
「エドモンド様にとって、先生は……脅威でしかないのですか?」
「……正直そう思ってしまうところはある。私は王をも廃そうとする彼の姿を見てしまったことがあるからね」
「でも、エドモンド様の義足を直したり……。エドモンド様にとっても身近な方でしょう? 何かあった時に手を伸ばしても許されるような……」
「……あの方は私たちの手に及ばない尊い方だ。私の足を治したのだって、ほんの気まぐれだろう。私たちの手が届かないような方を都合よく扱うなんて、そのようなことはできないよ」
エドモンド様の諦めたような言い方に、わたくしははっと気付きます。
そうか、ほとんどの魔術関係者もこうやって、先生に一線を引いて、過ごしてきたのですね。
普通の人間とは違う、聖女という特殊な能力を持った先生は、王城の方々にも線を引かれて、それなのに一方で崇められて、そしてその過分な能力を持て余されていたのかもしれません。
先生は、わたくしと過ごす時間の中でぽつりと寂しそうに呟くことがあるのです。
「こんなふうに誰かと時間を過ごす日が来ると思わなかった」と。
わたくしから見ても人間として成熟して落ち着いているように見えるエドモンド様でも先生に対してだけは、自分の預かり知るところではないと、一線を引いてしまうのです。そうなると派閥争いに余念のない王城の方々は先生をこれ以上に邪険に扱ったり、逆に手駒に扱おうとまとわりついたり、一般的な愛情とは異なる欲まみれの感情を剥き出しに差し出してきたに違いありません。
先生のあの小さな家は、先生自身を守るためのシェルターのように見えることがあります。
そんな小さな部屋で、ひとりぼっちで過ごしてきた先生を思うとやりきれない気持ちでいっぱいになります。
わたくしは、自分以外のまともな人間から見た先生について客観的に知ることで、先生の泥のように黒く深い孤独を垣間見た気がしたのです。
次は金曜日です!




