111わたくし騎士になってもいいのでしょうか?
突然のヨーナスお兄様の登場と、尋問じみたやりとり(と、多分ヨーナスお兄様が先読みだという事実の発覚)にはびっくりしてしまいましたが、もう授業が始まってしまうと伝え、苦笑いを携えながら追及を振り切り魔法陣選択の授業が行われる教室へと向かいます。
魔法陣選択の授業が行われるのは、剣の訓練が行われる競技場近くに建てられた、小さなプレハブ小屋じみた建物です。剣の訓練時に使う剣が収納されている収納庫も同じ形で隣に立ち並んでいるので、一見教室には思えない簡素さですが、ちゃんと扉の部分に管理責任者として、エドモンド様の名前が入ったプレートが備え付けられているので、ここで間違いはないでしょう。
入室前に競技場に据えつけられた塔型の時計で時間を確認すると、開始時刻を五分ほど過ぎたところでした。まずい! 初日から遅刻だなんてっ!
わたくしは慌てて、扉に手をかけました。
「遅くなって申し訳ございません! 二学年のリジェット・オルブライトです!」
がらりと教室の扉を開けると、教室の中にはエドモンド様が顔の前で手を組みながら、教壇に座り、何やら悲しそうな笑顔で待ち構えていました。
「やあやあ。待っていたぞー。……心の奥底から、本気で」
それもそのはず。教室にはエドモンド様以外、誰もいなかったのです。
いくら小さい教室とはいえ、十人ほどの生徒が学べるはずの部屋にエドモンド様とわたくしが二人だけ。がらんとした誰もいない教室を見渡します。
「あれ⁉︎ 他の方々はいらっしゃらないのですか?」
「例年は少なくとも四・五人はいるんだが……他の連中は、より実践的な授業を選択したらしいなあ。今年、魔法陣専攻を取るような物好きは君だけだ。リジェット・オルブライト」
現実を受け入れるため、わたくしは瞬きを繰り返します。
「そ、そんな……。今年は受講者が少ないだろうとは思っていましたが、まさか一人だなんて」
「まあなあ……。今年は特殊な年だからな。何せ、戦争が近いのが騎士学校の生徒にも知られてしまっている」
我が国、ハルツエクデンは、西の隣国ラザンタルクとは和平が結ばれていますが、東の隣国シハンクージャとは何年かごとに争いが勃発しては、冷戦状態になる、という流れを繰り返している状態です。
そんなシハンクージャは最近、民衆から王が新しくたったこともあり、近いうちにハルツエクデンに侵攻してくるだろうという見方が騎士学生内でも広がっているのです。
「最近はシハンクージャ国境沿いが随分きな臭い動きを見せているからな。騎士学校の生徒は最前に立たされることになる。少しでも自分の即戦力を上げるために、実技系の選択授業をとっている生徒がほとんどなんだろう。魔法陣の知識は前線でも役には立つが、どちらかというと後方支援系の能力だからな。……ということで、マンツーマンで楽しい授業を始めていこう!」
エドモンド様はから元気な様子で、腕まくりをし、教壇上に積んでいた授業資料を広げようとしますが、わたくしの頭はまだ停止したままでした。
え……。科目選択の授業って全体の約半分を占める授業ですよね。そんな大切な授業なのに、選択している人がわたくししかいない? わくわくしていたはずの気持ちがどんどん沈んでいきます。それどころか、トレンドから外れてしまっているのではないか、というわけのわからない不安まで湧いてくる始末です。
「わたくしも他の生徒たちのように、実践むきな授業を選択するべきでしょうか……」
「おいおい! 君がこの授業を取らなかったら、私の授業枠がまるまる空いてしまうだろう? それだけは勘弁してくれよっ!」
「他の生徒たちは他の授業をとっているということは、魔法陣選択の授業なんてどうでもいいと思っているんですよね? わたくしは魔法陣、大好きですけども……今、戦いが始まるであろう前に、魔法陣を勉強する意味はないのでしょうか……そんな場合じゃない?」
動揺していたせいで、思っていたことがポロポロと口から出てしまいます。微かに悲しそうな表情を見せた、エドモンド様はわたくしの不躾な、態度に怒ることもせず、諭すように言葉を紡ぎます。
「……まあな。魔法陣は使う場面では華やかだが、創る、調べるという分野ははっきり言って地味だ。全員が魔法陣を描ける必要はない。そもそも魔法陣は使う人間の魔力によって出力が変わるものだから、黒を身に纏う人間がいれば、それで十分だという見方だって残念ながらあるからな。騎士が魔法陣を描く技能を持っていたって役に立たないだろう、魔術省の人間に任せておけと言われることだって、正直多々ある。だが、戦場に立った時、魔法陣を描ける、治せる人間が部隊に一人いることはその戦況を変える力を持つことだと私は考えている」
エドモンド様の言葉は実際に戦場に立った経験のある人間の重みのある言葉でした。
「実際に私が戦場に出ていたとき、自陣の人間が全滅仕掛けた時に、私自身も体を損傷して朦朧とする意識の中で死に物狂いで描き上げた、魔法陣が戦況をひっくり返したことだってあった。魔法陣の知識は、剣の鋭さや魔力の多さのように、即興的な強さは持たないが、隠し武器のように戦果をもたらすことだってある」
「そうですよね……」
「できる立場の人間が今できることをやるということは重要なことだと私は思う」
その言葉が、わたくしの心になぜか引っかかります。わたくしの立場。自分が置かれた歪な立ち位置。置かれた状況を振り返ると、今のままでいいのかという漠然とした焦りが湧き出してきます。
「だからこそ……わたくしはこの戦前という、貴重な時間で騎士団にいながら、魔法陣を学んでもいいか、少し悩んでしまいますね」
「……何か他にも不安なことでもあるのか?」
わたくしの顔色の変化が気になったのか、エドモンド様は準備していた手を止め、わたくしに向き合います。
「最近、ちょっと立場で揉めて……考え初めていることがあるのですが……。でも大丈夫です。それはわたくしの方で処理しますから。それよりも、もう時間も大分すぎてしまっていますし、授業を始めないとですよね」
無理に笑顔を作って、授業に必要な筆記具を持っていた手提げ鞄から出し、授業を受ける体制を整えようとすると、エドモンド様は、不安げに片眉を下げます。
「どうせ、授業を始めるにも二人しかいないんだ。誰を待つ必要もない。君は立場も難しいから悩みも多いだろう。今日は初めの導入ガイダンスも踏まえているから、時間もある。授業の前に君の悩みを聞いても問題ないぞ? 私は派閥争いにも関与していない立場であるし、なんなら今だって君の父親の臣下であるつもりだ。私にだったらどんな愚痴でもこぼせるぞ? ……きっと君が抱えているものは、寮内でもこぼせないような悩みなんだろう?」
「悩み……なんでしょうか」
「さあそれは聞いてみないとわからない。でもその考え事が君の頭の中を埋めている比率が多いなら、悩みと言えるかもしれないな。とりあえず、騙されたと思って言ってみなさい」
わたくしは、口に出していいのか悩みつつも心の底に溜まっていて、今日表に出てきてしまった疑問を言葉に落とし込んでいきます。
「最近、わたくしはこのまま騎士を目指していていいのかと思ってしまうことがあるのです。」
その言葉を聞いたエドモンド様は一瞬訝しげに目を細めます。
「なるほど? 戦争が始まる今の状況で騎士になるのは得策ではないと? ああ、そういえば君は両王子から強烈なアプローチを受けていたね」
「いえ! 王妃の座に収まることなど微塵も考えていませんよ? わたくしは戦いが始まれば、騎士でなくとも、貴族としての責務を果たすため、国を守ることに身を投じるつもりです」
「……国を守る意思はあるのに、騎士でいる意思は揺らいでいるのか? それも不思議な話のように私には思えるが」
「騎士、という役職がわたくしの立場の人間に対して最善解なのか……と考えてしまうのですよ」
「そうか……。君はクゥール様の元で魔法陣を学んでいるから、魔術師として働ける知識もある。それに加えて、自領で事業展開もしているらしいじゃないか。そちらでも商人__君の場合は領主代行か。として働くこともできるというわけか。実に選択肢がより取り見取りだな」
どうやら、わたくしが自領で事業を展開していることはエドモンド様の知るところだったようです。
「ええ。それに、今になって、なんで父や母がわたくしを騎士にしたくなかった__王都に行かせたくなかったのか、理由がわかるのです。父はわたくしをギシュタールに嫁がせて、ギシュタール領をオルブライト直下の領地にしたかったのでしょう。最近、実際に足を運んでからわかったのですが、ギシュタールは今、統治がままならず退廃の一途をたどっています。もともとは豊富な資源がのぞめる土地であるにもかかわらず、統治をすべきギシュタール家が管理を怠っていることで、その資源を目減りさせているのです。その土地をわたくしに統治させることで、戦前のハルツエクデンの資源を確保したかったのかもしれないと思うのです」
「……セラージュ様がそこまで考えて動いているようには見えないが」
「それでも、わたくしを王都に出すよりも得策だったに違いありません。適材適所、オルブライト家にとって正しい人員配置、ということを考えると……。わたくしが王都に出ることはあまり良くない結果と言わざるおえません。ましてや、両王子に目をつけられるなんて、愚策もいいところです。」
「君は騎士学校に来たことを後悔しているのか?」
「いいえ。わたくしは王都に来て、初めて学べることはたくさんありましたし、わたくし自身の弱いところ、未熟なところもたくさんわかりました。決して後悔はしていないのです。でも……面倒ごとが起こる度に、わたくしが騎士でいることはわたくしのわがままの結果なのだということを思い知らされるのですよ。わたくしが、わたくしの望む道を叶えようとすると、影響力が大きいことで必ず誰かを巻き込むことになってしまうんです」
「君はそれが心苦しくなるのか……」
「ええ。わたくしは気持ちの上では騎士として働きたい、と心から思っています。でも、わたくしが騎士になりたいと思ったのは、騎士として働くお父様やお兄様のかっこいい背中を追いかけたかったというそれだけの理由だったので……。きっと他の道__自領での事業展開や魔法陣の研究などを極めた方が、純粋な国の利益には結びつくだろうと思って、本当にこのまま自分の憧れのものに近づきたいというわがままな理由を突き通して騎士を目指し続けていいのか不安になってしまったのです。なれたとしてもそのむこうに何があるのか、とも考えてしまって……。すみません、いきなりこんなこと言われても困ってしまいますよね。忘れてください」
子供心に抱いた純粋な夢が、他の立場の人間にとって合理的でないことに今更気がついても遅いのですけどね。
笑って受け流そうとすると、エドモンド様は真面目な顔をして、考え込んでいました。そして、少し間が空いてから、ゆっくりと口を開きます。
「リジェット・オルブライトは真面目すぎるな。騎士になりたい理由なんて、簡単なきっかけでいいんだ。騎士の姿に憧れた、立派な理由じゃないか」
「でも、それだけです」
「それ以上の理由があるもんか。現に、騎士学校に通っている学生たちだって、ほとんどのものが金払いがいいだとか、地位が保障されるからだとか、騎士としての誇り云々とはかけ離れた少々不純……いや現実的、というべきか。そんな理由で騎士を目指しているだろう。そもそも最初のきっかけを辿れば、私が騎士を目指したきっかけだって、たわいのないものだ」
「エドモンド様はどんなきっかけで騎士を目指したのですか?」
「……騎士学校を受験する年に、幼なじみだった商家の娘が、騎士の旦那が欲しい、自分は騎士に憧れている、と会うたびに毎度のように言っていてな……。その娘を振り向かせたくて、というとんでもなく不純な理由だ。まあ、今の妻なんだが」
「まあ! 奥様が!」
わたくしが素敵なエピソードに目を輝かせていると、エドモンド様は照れ臭そうに頭を掻いていました。
「だから、ほら。きっかけなんてなんでもいいんだ。今はその妻の住む国を守りたいっていう理由で私は騎士を続けられている。教官になった今は受け持った学生を一人でも生き残らせたいという気持ちで働いている。……リジェット・オルブライトの目的だって、騎士を続けていくうちに見つかるさ。それに向いてるものがあるからといって、その職業に必ずしもつかなければいけないなんて、誰も思いやしない。いくら向いていても、そこにかける情熱がなければ、それは結果として優れて見えても中身は虚しいだけのものになってしまう。君は国を守る騎士の姿に強く憧れて、それになりたいと心から思っているんだろう。そのために、自分の得意な魔法陣を学ぼうとしているんだ。それの何がいけないっていうんだ?」
わたくしの頭の中にあった、モヤモヤがエドモンド様の温かい言葉で少しずつ溶けていくのがわかります。
「エドモンド様は、わたくしという立場の人間がこのまま騎士を目指していいとお考えですか?」
__オルブライトの娘という、王位継承争いにだって参加できる立場の人間が、自らの欲望を突き通していいのか。そんなニュアンスを含ませます。
「当たり前だ。騎士学校の門戸は誰にだって開かれている。王族にだって、どんな立場のどんな性別のどんな性質の人間にだってな」
そう返したエドモンド様は頼れえる教官らしく、ニッと歯をむき出しにして豪快に笑っていました。
猛烈な憧れのまま、突き進んでもいいじゃないですか。というお話。




