110もしかしなくとも先読みですね?
その日は、朝から空を覆い尽くすほどの厚い雲が広がる気が晴れない一日でした。昨日の大聖堂での探索において、気になる点を多く見つけながらも、わたくしは学生の本分を全うすべく、学校に向かいます。
今日から騎士学校での二年生の授業が本格的に始まるのです。
二年生のカリキュラムは、一年生の万遍なく学びを深める授業とは違い、より専門的な科目履修を望む生徒たちのために、全体の半分の授業が選択授業になります。
わたくしは魔法陣を描くことができるということもあり、騎士団の中でも魔法陣の製作と取り扱いを研究する、授業を多く取ろうと考えていました。同じく魔法陣を描くことができるステファニア先輩も、わたくしが取ろうとしているカリキュラムを履修済みで、様子をよく寮で聞いていたのですが、授業内容が面白そうだなと思っていたのです。
もちろん自分自身でも勉強はしていますが、現時点でわたくしの魔法陣の知識は先生由来のものがほとんどです。しかし、先生はいかんせん……天才肌というか、理解が早すぎるところが多く、わたくし自身の理解が追いつかずなんとなくで、進めてしまっているところも多いんですよね……。
ですが、騎士学校の魔法陣の選択授業は、魔法陣を描くことができたり、描くことはできなくとも魔法陣自体に興味があって、その歴史を学びたい生徒を対象としているので、とっても基礎的な内容になっているのです。
広いこぼしたところを学ぶにもちょうどいいですし、これは取らねば! と、ほぼ履修を決めていて、今日仮授業に出席しようと思っているのです。
それになんといっても、魔法陣選択の授業は担当教官がエドモンド様なのです。
エドモンド様は元々騎士団でお父様の同僚であった方で、オルブライト家にとっても親交が深い方ですから、特に派閥争いに加担をしているわけでもなく、わたくしとしても安心して授業を受けることができる数少ない先生です。
最近は教官でも、熱心に勧誘活動をしている方がいますからね……。授業くらい、真面目に大人しく受けたいのですが。
ちなみにメラニアとエナハーンは特に苦手教科も得意教科もないそうなので、一年生の頃と同じように、基礎的な授業を中心に、万遍なく授業を選択するようです。
そうなると、一人行動が多くなりますから、変な生徒に絡まれそうで鬱陶しいなあ、とちょっと辟易としていたのですが、あのアルフレッド様のよくわからない緘口令? が功をなしたようで二学年に上がってからはわたくしに絡んでくる生徒は綺麗にいなくなりました。
それどころか、廊下ですれ違ったりするとすぐ距離を取ろうとしてくる方がほとんどです。
なんだか、妙な気分になりますけれど、これはこれで便利なのでよしとします。たまには役立つ、アルフレッド様。
そんな訳で今日は一人で教室へ向かって行きます。前の授業の教室から一番近い転移陣設置場所で転移を踏み、今日の授業会場となる、騎士団の魔術部隊本部の扉前に降り立ちます。すると、視線の先に見慣れた人物が現れました。
「リジェット!」
聴き慣れた声にわたくしは顔をバッとあげます。
「ヨーナスお兄様!」
やってきたのはピカピカの騎士団服に身を包んだヨーナスお兄様でした。針葉樹のような白が混ざった青みが強い緑の騎士団服は、身長が伸びてすらりとしたヨーナスお兄様によく似合っています。
ヨーナスお兄様は久しぶりに元気な顔を見られて嬉しいわたくしとは反対に、眉間に皺を寄せ怒ったような表情をしていました。
「……リジェット、どうして君は昨日、大聖堂になんか行ったんだ」
「……え?」
わたくしは思っても見ない言葉に目を丸くします。どうしてヨーナスお兄様が大聖堂にわたくしが出入りしていたことを知っているのでしょう。ちゃんと髪色も変えていましたし、服装だっていつもと違っていたのに。
それに先生がかけた擬態の魔法陣だって作動していたはずなのです。それなのに……どうして?
「あそこは第一王子派の人間が多い場所だ。そんなところに君が行くなんて……」
「ちょっと待ってください。なんで、ヨーナスお兄様が、大聖堂に行ったことを知っているのですか?」
「……大聖堂に勤めている知人がいるんだ」
あ、これは嘘です。ヨーナスお兄様は自身では気がついていないかもしれないのですが、嘘をつく時、瞳が一瞬左に動く癖があります。
本当にわたくしのことを知っている方が、いたとしても先生が造形までいじった擬態を見抜くことなんてできるのでしょうか。
「リジェットに接近できるのは今日くらいしかないからな」
「……わたくしが今日ここにくることを知っていたんですか?」
「そうだ」
「まだ、授業選択が本決まりになっておらず、今日はお試し受講の日なのに?」
「……そうだ」
あ、またヨーナスお兄様の瞳が左にそれました。ううーん。ヨーナスお兄様何かを隠していますね?
追跡系の魔法陣を仕掛けられていることも一瞬考えましたが、昨日先生と会った時に変な魔法陣が付随していないか、ちゃんと調べたのでその線は薄そうなんですよね……。となると、ただ勘がいいだけなのかしら。
曖昧で、不可解なヨーナスお兄様の注意にわたくしは渋い顔をしてしまいます。
「クゥール様もリジェットに危ない橋を渡らせすぎだ。最近、お前はまた王都で余分を抱え込んでいるだろう?」
「余分?」
「……素性は知らないが、二十代ほどの年齢の女と、十代前半の髪の黒い子供だ。……あの人間たちは、リジェットにとって……。いや。とにかくあの二人には近づかない方がいい。嫌な予感がするんだ」
「……ヨーナスお兄様?」
わたくしは混乱で顔を青くしてしまいます。どうして、どうして、どうして? なんで、ヨーナスお兄様がスミとマハのことを知っているの? 二人に会ったのは図書館と、スミたちが使っている宿舎とシュナイザー百貨店の特別喫茶室だけです。その全ての面会には、遮蔽の魔法陣が使われていますし、ヨーナスお兄様がその交友関係を知っていていいはずがないのに……。わたくしの知らない魔術を使う術者が、ヨーナスお兄様の近くにいるということでしょうか?
……ん? 待てよ、そうだ、この世界には予知に優れた能力者がいるんでしたっけ……。
わたくしはぱあっと目を見開きます。
まさか__ヨーナスお兄様は先読み?
そう仮定するとしたら、納得できる点がいくつもあるのです。わたくしの騎士団入学試験の時、お兄様はわたくしが家から出してもらえなくなることを見込んで、先生の家に試験で使う道具を一式用意してくださいました。
その時はなんてまめで気が利くお兄様なんだろう、と驚いてしまいましが、冷静に考えたら、お父様に部屋に閉じ込められた時点で、普通わたくしが素直にあきらめることを想定しますよね?
それなのにお兄様は、わたくしが先生の家に行くということを予想して、荷物を用意してくださっていた……。
そのことがなぜか腑に落ちなかったのです。どうしてヨーナスお兄様はわたくしが先生の家に向かうことがわかっていたのだろう。まるで、それを予想していたみたいだ、と。
それだけではありません。
入学してすぐ、お兄様から学園注意を受けた際、わたくしはステファニア先輩にヨーナスは寮の前のベンチに座っているよ。としか言われていませんでした。
実はわたくしたちが暮らしている寮の周りあるベンチは一箇所ではありません。寮の周りを囲むようにベンチが配置されているのです。なので寮の前、という表現は曖昧で、わたくしは結構探し回らないとヨーナスお兄様にお会いできないな……。と考えていました。
なのに、わたくしとヨーナスお兄様は探し回ることもなく、お会いすることができたのです。
あまり気にしなければ、詳細も決めていないのに待ち合わせがうまく行くなんて運が良かったな、だとか、ヨーナスお兄様はまめで気が利くな、だとか考えて、スルーしてしまう些細なことかもしれません。
でも、大事な一局ではこういった小さな力が大きな意味を生むのです。常人に見えないその先が微かにでも見えていたとしたら……。
「リジェット。オルブライト家が存続するために、君には中立の立場をとってほしいと再三どの家族からも言われていたのを忘れたのか? それなのに、第一王子派との癒着が深い、大聖堂にわざわざ行くなんて……自殺行為もいいところだろう。第一王子はなんて、一番見込みがない派閥なんだから……」
その発言にわたくしは確信を深めます。
「今、なんとおっしゃいました?」
「は?」
「どうして、ヨーナスお兄様は第一王子派は一番見込みがないと判断されたのでしょうか? 何を根拠にしたのです?」
「……ただの勘だよ。それに第一王子は黒を身に持ち合わせていない。議会も第一王子が黒を持ち合わせていないことを理由に、再度王位につく法案を棄却したらしい」
「……勘ですか」
この感じは、ヨーナスお兄様は先読みで確定でしょう。それにしても、先読みって意外と周りにいるものなんですね。わたくしの事業に関わっている、ニエもきっと先読みでしょうし、未来がなんとなくわかっていて、その直感を信じて選択をしている人は意外と多いのかもしれません。
問題はヨーナスお兄様の先読みの精度がどれだけのものなのか、という点ですけども。
オフィーリア姫のようにほぼ全ての展開が分かってしまう(と、先生は言っていましたけれど本当なのかしら)方もいるそうですし、わかるのは明日の天気くらい、というただただ勘がいいと言えるレベルの方もいるのです。精度幅があまりにも多いのが先読みの特徴とも言えるでしょう。
第一王子に見込みがないと言い切ったヨーナスお兄様は、第一王子が王座争いに敗れる未来を予測しているのでしょうか。……はたまた、生き残る未来が予想できないとか?
そういえば、へデリーお兄様とお父様の情報ではヨーナスお兄様はアルフレッド様率いる、第二王子派に加わったのですよね。
そんな力を持つヨーナスお兄様が、第二王子派に加わるということは、第二王子が大きな力を持つことにつながるのでは……?
ヨーナスお兄様と対岸にたってしまったら……。きっとお兄様は遺憾なく力を発揮するでしょう。
「リジェット。頼むから、あらぬ噂を呼ぶ行動は避けて欲しい。私は妹を切り捨てるような真似はしたくない」
ヨーナスお兄様はどこか背筋がヒヤリとするような表情を浮かべていました。
ヨーナスお兄様は確かに優しいのですが、その優しさはユリアーンお兄様とは少し種類が違います。
ユリアーンお兄様は、いうならば誰にでも優しい博愛主義者です。家族でも、知り合いでなくとも、関係なく優しさを振り撒く気質です。その分自己犠牲も多く、削る部分も多いように見えます。
しかし、ヨーナスお兄様の優しさはある一定の範囲において限定的に振り撒かれるものなのです。
それは身内だけに対する愛情であって、自分が関与しないときめた外側の人間には時と場合によって、酷薄な選択肢を取ることができてしまう、気質なのです。
騎士学校に在学していた頃は、寮長として自分の寮を統括するために、結構荒っぽい統治をしていたとも聞いています。(本人は野郎しかいない寮だからね、と涼しい顔で言っていましたが)
もちろん、罪のない人を痛ぶるだとか、そういった非道な嗜好ではないのですが、自分の大切な人を守ることが第一であって、自分が守りきれないと判断した過分な人間は切り捨てることができてしまう人なのです。
今、わたくしはヨーナスお兄様にとって、大切な人の中に含まれていますが、戦争が始まったせいでそこから漏れたり、敵方に配置されてしまった時は躊躇なくわたくしを切り捨てるでしょう。
それがわかるから、ヨーナスお兄様の能力の高さは恐ろしいのです。
「これ以上の過分な動きは許容できない」
「……ヨーナスお兄様は心配性ですね。わたくしはオルブライト家のためにも中立を貫こうと思いますわ」
そういうと、怪しく光っていたヨーナスお兄様の目は優しく緩みます。ヨーナスお兄様ってステファニア先輩のためだったら、なんでもやりそうで怖いなあ……。
わたくしは……絶対中立でいよう……。そう心に決めた瞬間でした。
でも……。このまま、行動が全て筒抜けなヨーナスお兄様の目をくぐり抜けてスミの石をグランドマザーから奪い取るなんてできるのでしょうか?
授業前だというのに先生に相談することが増えてしまいました。
金曜日に更新できませんでした……。ヨーナスお兄様にいろいろばれやすいことが発覚しました。どうやって動けばいいでしょう。
次は水曜日に更新します。




