108聖堂に潜入するには準備が必要です
大聖堂に潜入する当日。寮の玄関前で、わたくしは持ってきた茶色い革の鞄から、髪の色を水色に変える擬態の魔法陣を取り出します。人目がないことを確認してから、髪色を水色に変化させます。寮の部屋のなかで変えても良かったのですが、ラマにしられるとあらぬ心配をかけてしまうので、今日はこっそり行動しています。
先生と一緒に行動する日は尾行しないと決めているらしいラマですが、王族との関わりが深い大聖堂に行くとなると、慌てて止められるに違いありません。
それに最近ラマは、日中どこかへふらりと出かけることも多いのです。最初は買い出しかな? と思っていたのですが、いつも決まって複雑な表情をしながら戻ってくるのです。……王都で恋人でもできたのかしら。邪魔するのは野暮ですので、わたくしは口を出さずにただただ見守るまでです。
よし、準備完了。これで王都の街を歩いても人目を集めることはありません。そう意気込んで騎士学校の門を抜けると、先生が門の前には腕を組み、壁際に背を預ける姿勢で佇んでいました。
今日の先生はいつものような白く艶のある布を巻いた装束ではなく、ビロードのような黒一色の長いロングコートを着ていました。どちらかというと、王都に住む裕福な商人寄りの格好です。裕福であるふうに見せることで大聖堂の人間に足元を見られないように、という意図を感じるコーディネートです。髪色も元々の複雑な金から、夜空を落とし込んだような綺麗な藍色に擬態させています。
「先生、お待たせしました。早かったですね」
張り切って手をあげながら答えると、先生は心配そうな顔をしてこちらを見ます。
「リジェット……なんだかいつもみたいに街に出向く時の格好に近い気がするんだけど……。何か他に羽織ものとか持ってる?」
そう短く言った先生は頭を抱えていました。
「え? あ、はい……。準備が足りなかったですか? わたくし今日はちゃんと髪色だって水色に変えていますし、洋服だってそこまで派手なものではありませんから、擬態としては問題ないレベルだと思うのですが……」
今日の装いに何か問題でもあったでしょうか。服も、貴族の子供というよりは、王都に遊びにきた商家の子供をイメージして、レースや宝石による装飾がないシンプルな若葉色のワンピースにしたのですが……。はっ! もしかしたら先生の格好に釣り合わなかったでしょうか。
自分自身を見回しながら、キョロキョロとしていると先生はそこじゃないよと、軽く息をつきます。
「……ちなみに君に、課題としてだしていた要素を抑える魔法陣は完成した?」
「いいえ。それができておらず……」
実はわたくし、スミのために大聖堂に入るにあたって、先生から既存の魔法陣を改良するように申し付けられていました。
その一つとして、着手するよう言われていた一つが、わたくしのもつ要素の中で一番強いといわれていた、聖の要素を抑えるための魔法陣作りです。
聖の要素は修復を司る要素です。建物の修復や、……これは禁術ですが人間の修復を可能とする魔法陣を使うことができます。……とは言ってもわたくしは白纏の子で、ほぼほぼ魔力がなく生まれていますから、他の人が描いた魔法陣を使うことはできないのですけれど。
その聖の要素を封じ込めることが、果たしてなんのために役立つのかわからないまま、寮の自室で一人、頭を悩ませながらうんうん作業をしていたのですが……。まさかここで必要なものだったのでしょうか。
「呪い子が呪い子の存在を認識できる、という話は知っているだろう? 聖の要素が強いものの中には同じ条件のものを識別できる人が少数だけど存在するんだ。大聖堂には、聖や粛、無の要素が強いものも多く在籍しているから……・きっとリジェットは誰かしらに見抜かれて、勧誘……で済めばいいけど、拘束されると思うよ」
「え⁉︎ そんな能力がある人がいるんですか? わたくし全くそんなのわかりませんよ⁉︎ というか、呪い子は瘴気の有無で呪い子を選定するっていうのはまだわかるんですが、聖の要素ってどうやって見分けるんですか?」
驚いて先生のほうを見ると、先生は真面目な顔をしてわたくしに説き伏せるように言います。
「さあ。僕も感覚的になんとなくわかるだけで、何の要因が反応してわかるのかうまく説明はできないんだけど……。僕も大聖堂にはあまり好んで近づかないから、本当にそれだけの能力者がいるかどうかも断定はできないんだけど。少しでも用心はしたいんだ。……今もいるかはわからないんだけど、王城にいたときに、大聖堂出身の聖職者に一瞬で、自分が何者なのか、見抜かれてしまったことがあったからね」
先生が警戒を見せるということは相当、鋭い視点を持つ方がいるのでしょう。さらに先生は続けていいます。
「僕は人と人との関わりにおける機微に疎いから、もし君に何かあっても早く気が付けないかもしれない」
そう言った先生は、いつも以上に自信がなさそうでした。先生は確かに迂闊なところはありますが、それでもわたくしよりは、通った修羅場の数は断然多く経験豊富です。
しかし、その火の粉の避け方がなんというか……力技であることが多かったので__例を出すとしたらレナートのように、手練手管を尽くして、引き摺り込もうとしてくる相手には弱いところがあります。
先生の認識では、大聖堂という場所はそういう人間の巣窟なのでしょう。
「わたくし、自分の身は自分で守りますよ? 騎士を志望しておりますから守ってもらおうなんて微塵も思っておりません」
そう言い切ると、先生はなぜが切なそうな表情を見せます。そんな顔をされると、わたくしがいじめたみたいじゃないですか。
罰が悪くなって、目線を逸らします。
「まあ……。今後どこかのタイミングで、大聖堂に行かなくちゃいけないわけだから、今日行けるに越したことはない。本当は聖の要素を抑えるためのガウンとか、服飾系の魔術具があるといいんだけど今はないから、方法を考えよう。例えば……やったことはないけど、要素を一定期間組み換える魔法陣とかって作れるかな……」
「そ、そんなのできるんですか⁉︎」
「うーん。やるとしたら、聖の要素を大量に使うから、効率が悪くて普通はやらないけれど、聖の要素が強すぎるリジェットに対して、それを削ぐために作るのであれば出来なくはないかも。リジェットは僕の色を多少取り込んでいるわけだし……」
「それって禁術……?」
「ちょっと考えるから、黙ってて」
先生はわたくしの口にグッと手のひらを当ててきます。
そうは言ってもこんな誰もが通る往来で、禁術構築をしないでくださいよ! 一緒に過ごす時間が長くなってきてわかってきたことなのですが、先生は簡単な魔法陣ならさらっと話しながらでも書くことができるのですが、一度も描いたことがないような、新たな魔法陣を一から構築しだすと、集中が深くなって、周りが見えなくなりがちになります。
ああ……。考えている間にも、騎士たちがもの珍しそうな顔でこちらに視線を向けてきます。
人目につかぬよう、先生の背中を押して人通りの少ない路地へと移動させます。最近、騎士団の敷地周りにも転移陣を設置するために下見を済ませていましたので、方向音痴気味なわたくしでも人通りが少ない道にたどり着くことができました。……よし、この辺まで来たら、とりあえずは大丈夫でしょう。
わたくしが移動させている、その間も集中した表情を崩さない先生は、手元でバインダーのような道具の上で、器用に魔法陣を描いています。よく立ちながら描けるなあとその器用さに感心していると、あっという間に魔法陣は描き上がってしまいます。
「はい作れた! これを描き写して」
先生はわたくしに描きたての魔法陣を突き出すように見せます。見たことのない組み合わせのその魔法陣はどうやら、本当に聖の要素を多く含んでいるようですね。
聖の要素が多く含んだ魔法陣ということは……やはり。
「ちなみに、その魔法陣は……禁術でしょうか……」
「もちろん禁術の範囲だよ。でも、今までにないものを捻り出したわけだから、まだ取締りの対象ではないでしょう」
その言い分は……どうなのでしょう。
間髪入れずにそういった先生は早く魔法陣を完成させるようにせかして来ます。
わたくしは、胸元のネックレスから紙とボールペンを出した後も描いていいのだろうか……と悩んでしまいます。間が長くなってくると、先生が肘でせっついて来たので、描くしかないと腹を決めて描き写します。
どうにか描き上がった魔法陣を、自分に対して使用すると、魔法陣はシュワンと白っぽい光を発して空中に解けるように消えていきます。
その直後、魔法陣がわたくしの体にダイレクトに影響を及ぼしたのか、ぐわんと目の前がピントボケのようにぼやける大き目の眩暈に襲われました。わたくしは慌てて先生の服の裾を掴むようにして体勢を整えます。
「あの……。どうにか魔法陣は作動して……この感じだと要素は変わったみたいなんですけど、粛の要素持ちでほどんど痛みを感じないわたくしがこんなにめまいがするということは、この魔法陣もしかしたら粛の要素がない人が使ったら相当苦痛を伴うことなのではないでしょうか」
「そうかもね」
さらりと言い切った先生の様子に唖然としてしまいます。
「そんなもの、人に手渡しちゃダメですよ⁉︎」
慌てていうと、先生はケロッとした顔で
「大丈夫。君、丈夫でしょ?」
と、言い放ちました。
なんだか最近、先生は優しいな……と思っていたのですが、それは勘違いだったようです。ああ、本来の先生はこういう方でしたね。
頼りにはなりますが、手段は選ばない。そういう方だということを忘れて、先生に頼ろうとしたわたくしが愚かだったということに改めて気付かされます。
あれ……。そういえば。一年生の授業で、先生の魔法陣を使うことができていたことがあったような。エナハーンが先生との関係を誤解した事件の時に、色を分けられた人間は魔力を受け継ぐと言っていましたし……。
「あの……。多分、わたくし先生の色を盗んでしまっているので、先生が描く魔法陣写さなくてもそのまま使えるようになったのだと思うのですよね」
白状するように言うと、先生はガッカリした顔をしました。
「それ……早く言ってよ。じゃあ今度から、描き写さなくてもそのまま魔法陣を使うことができるんだね」
そう言った先生は浅くため息をつきました。
「先生の魔力を取り込んで、先生の描く魔法陣が使えるようになったと言うことは、他の方が作った魔法陣も使えるようになったのでしょうか⁉︎」
黒よりも階位が高い先生の魔力なら、どんな魔法陣を使うことができるのでは、と目を輝かせます。
しかし、現実はいつも甘くないのです。
「いや、それは無理だろうね。僕の魔力はこの世界の人間とは質が全く違うから。それに僕が魔術を学び始めたのは、僕自身も他の魔術師の描く魔法陣が使えなかったのがきっかけだからね」
そ、そんな……。
わたくしはその返答に、肩を落とすしかできませんでした。
大聖堂に……いけませんでした……。次は水曜日に。




