105新しい寮長を決めます
木の葉が赤く色づく秋の初め。試験を無事に突破した私たちは、二年生になりました。
二年生の授業は基礎的な内容が多い一年生の授業よりも、実践的な内容が多くなるとヨーナスお兄様やステファニア先輩から伺っているので、わたくしは今から楽しみでなりません。
やっと手応えのある授業が始まる……とわくわくする前にわたくしたちには一つ、決めるべきことがありました。
新しい、女子寮の寮長決めです。
前寮長のステファニア先輩は無事に騎士学校を卒業し、騎士団に所属する運びとなりました。
ですが、騎士団には女子寮がないために、引き続きこの騎士学校生が住むための女子寮に居住することになっています。
ただ、これは女性騎士が少ないが故の特例であり、寮長という役職は基本的に学生が担うことになっています。
騎士になると忙しくてそれどころではありませんしね。
そんなわけで、始業式を翌日に控えた今日はわたくしとメラニアとエナハーンとステファニア先輩__女子寮に住むメンバー勢揃いで、わたくしたちの部屋に集まり、寮長決めの話し合いをする運びになりました。
「ステファニア先輩、寮長室からの引っ越しは終わりましたか?」
「ああ。それは問題なく」
ステファニア先輩は涼しい顔をして答えます。わたくしだったらラマの手を借りないと手間取ってしまいそうな作業ですけども、キチンとした性格のステファニア先輩の手にかかれば造作もないことなのかもしれません。
「もっ元々二年間住んでいたのですし、わたくしたちの誰かが寮長になったとしても、引っ越しはしないでしょうから、引き続き使っても良かったとは思いますが……」
エナハーンが控えめに、手を挙げながら意見を口に出します。
ステファニア先輩は以前、わたくしたちの寮室の奥にある、寮長室を住居として使用していました。ですが、騎士団の勤務時間は、色々なパターンがあり、呼び出しがあった場合は朝早く出勤することもあるそうです。そのため、夜間の出勤でもわたくしたちに物音などの気を使わなくて済む、一階の部屋を使いたいという申し出を受け、そちらに移ることになっています。
「そうはいかないよ。寮長室は、学生に必要な書類が多く置いてある場所だからね。そこに私が住んでいたら、君たちが出入りしにくいだろう?」
「そっそれは……そうですけど。で、でも、ステファニア先輩にとっても二年間暮らした、馴染みのある部屋でしょう? わ、わたくしたちも独占する気は全くありませんから、何かご用事があったら、ステファニア先輩も気軽に声をかけてくださいね?」
「ありがとう。……で? もう誰が寮長になるのか大体は決まっているのかな?」
ステファニア先輩の言葉を受けてメラニアが答えます。
「まあ……この三人の中で寮長に向いている人と言えば……エナハーンでしょ」
「エナハーンですね」
わたくしとメラニアは視線を合わせ、うんうん頷き合います。
その言葉にエナハーンは目をかっ開き、すかさず止めに入ります。
「ま、待ってくださいっ! なんでわたくしなんですか? おっおかしいでしょう? だって、爵位も一番低いですし……」
「いや、でもこの中じゃエナハーンが一番しっかりしているでしょ?」
「そうですよ! わたくし、寮長なんて広い視野が必要になる職務こなせるだけの資質がありません。視野、狭いですもの!」
どーん、と胸を叩きながら自信満々にいうと、ヘナヘナと力が抜けたエナハーンが、涙目になっていました。
実はこの話し合いの場が設けられる前にわたくしとメラニアは事前に話し合って、エナハーンを寮長にする意向を固めていました。
爵位が高く、騎士団内での地位が確立されているメラニアと同じくリージェが高いわたくしは学内でたびたび起こる、派閥争いを逃れる口実をもともと持ち合わせています。
それに対して、エナハーンはどちらも持ち合わせていないために、一人になると派閥形成を目論む生徒たちに囲まれてしまいがちでした。
あと……。単純にエナハーンってとっても可愛らしい見た目をしているんですよね。どこか守ってあげたくなるような可愛らしさがあるエナハーンは男子生徒たちに人気が高く、派閥関係なしに口説かれやすいところがあります。
ですから、寮長という監督生の立場を持ち合わせていることが、エナハーンの助けになるとわたくしたちは考えたのです。
寮長は他の寮の生徒に対しても、注意喚起できる権限を持ちますから、自分の身を守るためにはもってこいの称号です。
そんな企みを知らぬエナハーンは、わたわたと顔を青くしながら、拒否しようとしてきます。
「そんなこと言っても……リジェットは自分で事業を展開して、……領地では次世代のリーダーを担っているではないですか」
「……あら? 知っていたのですか?」
メラニアやエナハーンには自分の事業のことを大っぴらには話していなかったので、知っていたことに少し驚きます。
「そ、そりゃ知っていますよ! 王都の百貨店でも特別展が開かれていて、みんなリジェットに興味津々なんですから! この前、リージェを発表する雑誌に特集組まれていたでしょう?」
おっと、それは知りませんでした。
「そうは言われましても……。あれはどちらかというと、リーダー職ではなくオーナー職を担っているだけですからねえ」
最近は領内の事業はわたくしが口を出さなくとも安定した収益を出せるようになっています。関わっている方々がみんな、優秀だからというのもありますが、最近はお母様も積極的に関わりを持ってくださっているようです。貴族夫人として発言力をもったお母様がいれば、それだけで有能な広報担当を持ったようなもの。
この前様子を見に伺った時も、“リジェット様は知恵とお金と場所だけ提供してくださればそれで十分です”と言われる始末。
わたくし、事業にいらなくなってきているんですよね……。まあ、社長が仕事しない会社は部下が優秀なことが多いですから……いいのかしら?
「……私もこの三人の中なら、エナハーンが一番向いていると思うけどなあ」
話の行方を黙って見守ってくれていた、ステファニア先輩がゆるりと王子様のような麗しい微笑みを携えながら、優しく声をかけてくださいます。
「きっと、メラニアは試験中、必死に勉強しないと落第の危機が訪れるし、リジェットは魔術のことやら、剣の修行やら、やりたいことが多すぎて、もし寮長になったとしても寮長としての仕事は後回しにしてしまいそうだし……」
「うっ!」
「それはっ!」
実は進級試験でギリギリ赤点を逃れたメラニアは、頭を押さえながら声を上げていました。メラニアは優等生のエナハーンがいなければ、落第まっしぐらな成績ですから……。
わたくしも、二年生のうちにやるべきことがたくさんありますから……。絶対書類の山を作る未来しか見えません。
「痛いところつきますねえ……ステファニア先輩。でも全くもってその通りです。わたくし、今の生活を続けるとしたらあまり寮長の仕事に重きを置けないと思うので、きっと何かしらすっぽかします! ……それだと、エナハーンも困るでしょう?」
「そ、それはそうですけども……」
いつも少し困った顔をしているエナハーンですが、今日の困り顔は、いつも以上に眉毛が八の字に下がっています。
どうしよう……と目を回しているエナハーンを見てメラニアがパン、とこきみ良く手を叩きます。
「よし、寮長はエナハーンに決まりだ!」
「え、ええ〜」
丸め込まれたエナハーンは半泣きです。
そんなエナハーンを宥めるようにステファニア先輩が声をかけました。
「まあ、一見寮長ってなんの旨味もない雑用職に見えるかもしれないけど、やってみると意外と利点も見えてくるものだよ? 代々の寮長が受け継いできた日誌や、資料は見放題だから、色々勉強になることはあるし、何よりあそこは特別な防音の魔術が効いているから、寮室よりも幾分静かだ。部屋とはまた違うプライベートな空間として使うのもいいのではないかい?」
「そうだよ! エナハーン! 君にもそういう場所は必要だと思うよ! ……あ、そうだ。寮長室は小説を書く部屋にしてもいいんじゃない?」
「わわわ! メラニア! 何を言い出すのですか!」
いきなり、自分の趣味を明かされてしまったエナハーンはあわあわと、必死に隠そうとする仕草をします。
「へえ? エナハーンは小説を書くの?」
ステファニア先輩はそれを知らなかったようで、興味深そうな顔をしています。
「そうなんですよ! 私も小さい頃は書いたもの読ませてもらっていたんですが、結構面白くって!」
「めっ……メラニアああ! これ以上いったら怒りますよっ!」
顔を赤くして震えているエナハーンは珍しく激昂していました。それにはっと気がついた、メラニアはすぐさまごめんごめんと謝り倒しています。
この二人は……。エナハーンは代々メラニアの家に仕える家系の子供だと聞いていますし、一応主従関係にあるはずなんですが、実際のところは。ほぼ対等な関係性にあるところが面白いのですよね。
エナハーンが本気で怒ると、メラニアは強く出られないみたいですし、本当はエナハーンの方が強いのかも……。
「じゃあ、みんな。寮長は無事に決まったことだし、寮長室を案内しようかな」
そう言って、よいこらせとソファを立ったステファニア先輩が寮長室へと向かいます。わたくしたちも後を追うように立ち上がります。
「わあ! わたくし、寮長室のなかじっくり見るの初めてかもしれません」
「そういえばそうだね」
寮内で必要になる書類の提出のために寮長室を訪れることはありましたが、入ったことがあるのは扉を開けて最初に現れる一室だけで、その奥をじっくりと見た事はありませんでした。
「寮長室って外側から見ると狭そうに見えるけれど、中は意外と広いんだよ?」
ギイと扉が開けて、中に入るとまずは応接間が現れます。広さは女子寮の一階にある応接間よりも一回り小さいくらいの大きさです。
「ここはみんな入った事があるよね。でもその奥にまだまだ部屋があるんだよ」
その応接間を奥に進むともう一つ部屋がありました。そこには家具は何も置かれておらず、廊下のような分岐路のような役目をする部屋になっているようです。入り口から入って目の前には大きな窓があり、左に二つ、右に一つ扉がありました。
本当だ……。中はとっても広いんだわ。どう見ても外から見るよりも広い構造になっているので、この部屋にはなんらかの空間拡張魔術が用いられているのでしょう。
そのままステファニア先輩が案内してくださったのは、左の奥側の扉を開けた部屋でした。
「……この部屋、入ると周囲の音が遮断されますね! 防音の魔法陣なのでしょうか? それにしては感じがなんとなく違いますが……」
騎士団の敷地内はいつもどこかしらの部隊が演習を行なっているので、日中は教官の号令や銃器の音が外から入ってきます。うるさい、というレベルではないのですが、何か集中したいことがある場合は気になってしまうかもしれません。
この部屋の魔法陣はそんな余分に感じる音は消してくれるのに、小鳥のさえずりや、風の音など、聞いている本人が心地よいと感じる音は通してくれるようになっているのです。
なんて高精度な魔法陣なんでしょう。先生が作ったものではなさそうですけど……。
「ああ。この女子寮長室には面白い仕掛けがたくさんあるからね。……実はこの部屋は以前住んでいた王族の女性のために作られた部屋らしいんだ」
「え? 王族の女性が……騎士団に?」
騎士団に入る女性は大体、生家で厄介者扱いされていただとか、婚姻を易々と結べない立場にあるだとか、何か訳がある女性ばかりです。そんな場所に王族の女性が入学していたという事実に驚きます。
「なんでも王城に置いて置けない理由があって、隠されるようにここに住んでいたらしい。でも、決して蔑ろにされていたわけではなく、大事に扱われていたみたいだけどね。それを現すかのように、この部屋にある家具は、皆一級品ばかりだから」
「そうですよね……」
改めて部屋を見渡すと置いてある家具は、品数はキャビネットとデスク、それにランプシェードだけと少なめですが、質はいいものばかりです。王都一の百貨店であるシュナイザー百貨店の家具コーナーでもなかなかお目にかかれないような、一級品ばかりでした。
特にこの、黒く艶ががった木材でできたキャビネットは機能的にも相当優れているものに違いありません。黒はこの世界では尊ばれる色ですから、庶民が気軽に家具にしようとはできません。
この部屋を見ていると、以前(無理やり)招かれた第二王子であるアルフレッド様の部屋を思い出します。
アルフレッド様の部屋にあった家具もこの部屋の家具と同じように、濃度の濃い蜜のような黒い木々でできた、重厚な作りをしたものばかりでした。推測ですが、きっと同じ工房で作られたものなのでしょう。
「騎士団にはまだ明かされていない秘密が多くありそうですね……」
わたくしがそういうと、案内してくださっていたステファニア先輩も頷きます。
「そうだね。匿われていた王族の女性は、シェナン・サインとも親交が深かったらしい。もしかしたらこの部屋をもっとよく探せば、シェナン・サインに由縁のあるものが、何かが見つかるかもしれないね。私は時間がなくて探し尽くせはしなかったけど、探してご覧?」
「なっなんだか、宝探しみたいで楽しくなってきました」
初めは寮長になることに乗り気ではなさそうだったエナハーンも、最後の方になると目を輝かせて部屋の中を観察し始めていました。
そんな様子を見てにこりと穏やかに笑ったステファニア先輩は説明を続けます。
「ちなみに隣の部屋は資料室、その向かいの部屋は住居スペースになっているから、そちらも自由に使えるからね。エナハーンは住居スペースをあちらの部屋から移動したいかい?」
「わ、わたくしはあちらの部屋での生活に慣れてしまっているので、移らずに必要な時だけこちらを使おうと思います。メンテナンスはきちんとしますので心配しないでください」
しっかり者のエナハーンが寮長になってくださって本当によかったです。
こんな感じで、二学年の最初は和やかにスタートしました。
引っ越しをテキパキできる人に憧れます……。できない……。
次は日曜日に更新予定です。




