間話 君は提燈2
ヨーナスの言うとおり、後妻の子供は生まれなかった。子が生まれる直前になって流れてしまったのだ。
その際に、後妻は二度と子供が望めぬ体になってしまい、心を病んでしまったそうだ。そして、最終的に実家へと帰ったと聞く。
二度も妻を手放した男の元に、喜んで嫁ぐ女などいない。父の醜悪な噂は、国中に広がった。
父は苦渋の決断をした。
自分に刃を向けた娘を、後継と定めることを正式に発表したのだ。
私は驚いてしまったが、ヨーナスはそれを聞いて、ただ「よかったね」と言って微笑むだけだった。
「君は不思議な人だね。私の立場を考えたら、派閥争いのために、駒として手元に置いておきたいだとか、下心が働いてもいいはずなのに……。純粋に親切心で私によくしてくれているだろう?」
「親切心?」
ヨーナスはゆっくりと優雅に首を傾げた。
「ああ。最初は邪心があるに違いないと思っていたけれど、君を知れば知るほど、そんなことはないということを思い知らせる」
「私は随分、君に信頼されているんだね?」
「だってそうだろう? 聖人のような慈しみをこの状況下で発揮できるなんて、君はよくできた人間だよ。私はたまに君のことが不思議でたまらくなるよ」
「……私は君に安心感しか与えられていない存在ってわけだ」
「それだけじゃないけどね」
「それはよかった。たまには君に危機感だって与えてみたい」
その突然の宣言に身を強張らせる。やはり、ヨーナスも目的を持って私に近づいた人間だったのか。落胆が、心に重さのある靄を広げる。
ヨーナスに裏切られるのは痛い。そう思ってしまうほど、私は彼に心を預けすぎた。
「下心なんて君にはないと思っていたよ」
「いや……。下心なら過分にあるんだ。私よりも君に下心を抱いている人間はいないだろう」
「え?」
「私は……。君に心底惚れてしまっているのだから」
「は?」
何を言っているのだ。仮にも名門オルブライト家の子息だろう君は? そう問い詰めてしまいたかったが、ヨーナスの頬は、夏の夕暮れ空のように赤く染まっていた。
心臓の高まる音が私を焦らすように体の奥から響いてくる。きっと私の頬もヨーナスと同じ色に染まっているに違いない。
その好意が、どんな贈り物よりも嬉しいと思ってしまった私もまた、彼に心奪われてしまっていたのだ。
第二王子に呼び出された、とヨーナスの口から聞かされた時、ついにきたかと思った。
「私は自分にとっての優先順位を間違えたりはしないよ。私の人生の中で、一番大切なのは間違いなく君だ」
「……ありがとう。その言葉は嬉しいよ。だけど、君は君の家も守らねばならないだろう?」
「それはそうだけれど……。以前、ステファニアにも言っただろう? 私は三男だから、家にいつまでもいることはなく、どこかに婿入りする身分だと」
「言ったね。だから、君は私の家に来てくれると約束してくれた」
もしこのまま良好な関係が続き、婚姻まで持ち込む流れとなったら、自分が婿入りするとヨーナスは申し出てくれたのだ。それは後継となる私にとって願ってもみない申し出だった。
しかし、今はその時とはまた状況が異なる。オルブライト家の長子である、ユリアーン様はよりにもよって、第一王子の近侍騎士となってしまった。それだけでも悲劇であるのに、加えて次男のへデリー様はこの王位継承争いの中で一番望みが薄い、旧王族派のアンドレイ様に忠誠を誓ってしまっている。
その二人がこの王位継承争いの中、無惨にも散ってしまったとき、残っている後継候補はヨーナスだけになる。
そうなると、オルブライト家の人間は彼を外には出したくないだろう。
「君はオルブライト家を継ぐものになる可能性だってあるんだ。家を出るべきではないよ」
「いや、私はあの家を継ぐものではないだろう。それは本能的にわかるんだよ」
「どういうこと?」
「あの家の歴代領主がもつ、一定の気質を私は全く有していないからね」
「気質?」
「運命に争う力だ」
「……よくわからないな」
「ははは。そうだろう。でもね、代々オルブライト家の当主は王家の命令に逆らう気質があるらしい。父上にしてもそれ以前の領主たちも、王家の命令に逆らって自治を貫いてきたから、栄えてきた現状がある。私は押しに弱くて、どうもその辺はだめだ。長子であるユリアーン兄上も同じように押しが弱い」
否定ができない言葉に、微かに惑う。
「君の家……、大丈夫か?」
「大丈夫さ。私がいなくともオルブライト家にはリジェットがいるだろう?」
「リジェット?」
「ああ。リジェットは間違いなくオルブライト家の領主の気質を持った人間だよ。私よりよっぽどね」
意外な人選に目を見開く。
「それにしたって……。彼女は女性じゃないか」
「オルブライト家の先代領主は私のおばあさまだよ」
その言葉にまた驚く。
「それは……知らなかった。君の家は随分先進的な考えの家だね……」
「おばあさまが領主を引き継いだのは、領主として婿入りした自分の伴侶が早逝してしまったから、父上が領主になれる年齢まで中継ぎとして仕方なく引き継いだと聞いているけれどね。
それでも立派に領主を勤めあげて、税収を保つだけではなく、領地をもり立て、以前より繁栄させたから、父上も頭が上がらないと言っていた」
「すごい人だね……」
「そういうわけだから、私の家は心配がない」
ヨーナスは少しの憂いもなく言い切った。その歯切れの良さは、先読みができる人間だからこその特徴なのかもしれない。
「だからこそ、今の君にお願いがあるんだ」
「何? 叶えられる範囲のことなら聞き入れよう」
「婚約の魔法陣を描いてくれないか」
一瞬の間が生まれる。ポカンとした表情をしたまま、私は答えた。
「それは……。私にとっては願ったり叶ったりだけど……。君にとっては選択肢を狭めることになるだろう? 婚約の魔法陣は一度結んでしまうと破棄が難しいんだ」
「だからいいんだよ。私は弱い男でね。かわいい君が誰かの手に渡ってしまうのが怖くて仕方がないんだ。どさくさに紛れて、両王子が君を奪うことだって考えられる」
言葉を失う。以前の私は弱いものを憎んでいた。弱さは己のみを危うくするしかないし、不必要なものだと決め付けていたからだ。しかし今はどうだろう。自分の好いた男の口から溢れ落ちた、自分を求める言葉は甘く甘美に聞こえた。
この男の弱さなら、私は愛おしく感じてしまうらしい。
「いいよ。君が望むなら、今すぐにでも婚約の魔法陣を描こう」
「君が魔法陣を描くことができる人でよかった」
その言葉に、息をのむ。
“女が魔法陣製作なんて学ぶな、嫁にやりにくくなる”
いつの日かそう言った、父とは真逆の言葉だったからだ。
ゆるりと笑みを深める。きっとヨーナスは些細な言葉で私を喜ばせたことになんて気がついていない。
「君のためなら、私は何度でも魔法陣を描くよ」
「頼もしいね」
ヨーナスは遠慮がちに私を抱きしめた。もうとっくにそれ以上のことをしているというのに、彼はいつだって緊張した面持ちで私に触れる。
ヨーナスの腕の中にいると、私は自分がただの人間だったことを思い出す。名家の子女ではなく、騎士団の優等生でもなく、ただのステファニア。
それだけ、彼の腕の中は甘く、優しい。
戦いはすぐそこにある。しかし束の間、私たちは暖かで甘さが残る空気の中にいることを許されたのだった。
相変わらず私の人生は暗がりばかりで、一人で歩くと途方にくれてしまいそうだ。けれども君は、私の手をとって一人ではない人生をくれた。
いつの間にか現れ、心を奪い、そればかりではなく私の足元を明るく照らすのだ。
私の人生に必要だったのは、どこぞの王子様でもなく、夢にみた慈しみある家族でもなく、提燈のように共に歩んでくれる彼だったのだ。
__私はどんな手をつかってでも、この灯りを手放さない。
このお話をもちまして、一年生編が終了し、次のお話から二年生編が始まります。
……ですが、そちらの準備がまだ終わっていませんので、申し訳ありませんが一週間ほどお時間を頂きます。
次の更新は来週の日曜日予定です。




