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白兎令嬢の取捨選択  作者: 菜っぱ
第二章 王都の尋ね者(騎士学校一年生編)
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間話 古い憧憬2


 人通りのない王城の奥地にひっそりと隠されるように建てられた離宮。ここにも色に縛られている女が一人いる。私の生母だ。

 私が幼い頃から、母は王城での存在感を高めようと必死だった。


「あの金色の王子は王にふさわしくなどないっ! あんな子供に王座などやるかっ!」


 彼女は自分が黒髪の王子を生み出したことを何にも変え難い功績だと考え、それを誇りにして生きてきた。

 実際は、王族の証である黒髪の王子が、正室よりも身分が低い側室から生まれたことで、余計に王城が乱されただけだったが、彼女はそのことに気がつくそぶりは見せなかった。

 そんな彼女の気狂いにも近い様子を危惧した近侍たちは私を母に近づけようとはしなかった。どんなに母がせがんでも、月に一度の面会日にしか合わせないという方針を取っていた。私自身も、夢の中で生きているような発言を繰り返す自分の母に対して、どこか辟易としていて、そこまで会いたいとは思っていなかった。


 母親に会うくらいなら、他のことに時間を使いたかった。


 月に一度の面会日、私は近侍を連れて離宮へと向かう。部屋に入った瞬間、母は私を抱きしめる。


 そして、何度か髪を撫で、自分の産んだ子供の黒さを堪能したのち、いつものように耳元で囁いた。


「アルフレッド。あなたは王になるために生まれてきたの」


 彼女はなぜか自分の産んだ子供が、王になるにふさわしいと盲目的に信じていた。もう王城内は兄上が王になると言う方向で動いているにもかかわらず、彼女はそれを邪魔するように、動き、もがいていたのだ。


 当時の私はそんな母の様子を、恐ろしく滑稽だと思っていた。当の私は、王位継承争いに参加しようなんてこれっぽっちも考えていなかったからだ。そのくらい私は兄を尊敬していた。


 日々、弛まぬ努力を重ねる兄ならば、必ずやこの国を栄光へと導く、賢王になるだろう。そう信じていた。

 私は兄上の手駒として、役立つ人間でありたい。

 だからこそ自分の婚姻も、兄上の指示に従おう。私はそれを幼いながら心の中で決めていたのだ。







 その決意を変える子供に出会ったのは、王城で茶会が行われた時だった。


 長年騎士団の団長を務めていた男が、退官することになり、王城でも大きなセレモニーが行われることになった。

 そのタイミングで、貴族の子息たちの結びつきを深めようと、子供達だけのパーティーが催されることになったのだ。


 パーティーでの一番の目的は第一王子の地盤固めだ。当時、兄上をお産みになったセンドリック家、カトリーナ様が体調を崩され、公務につけない状況が続いていた。


 センドリック家の後押しが多く望めない中で、第一王子の存在感を強めようと第一王子主催のパーティーが催されたのだ。


 子供たちの茶会の最中、私付きの従者の一人が、裏手から身を隠すようしながら私を呼ぶ。


「王子、ご歓談中に失礼します。マリアンヌ様がお呼びです」


 母が? なぜ?

 面会日ではないため断ろうとすると、いかにも気の弱そうな風貌の従者は泣きそうな顔をして私を見ていた。もしかしたら、母に何かしらの弱みを握られているのかもしれない。


 このタイミングで呼び出されたことを疑問に思いながら、側室宮へと足を運んだ。


 部屋に入ると、母はなんの説明もなく、いきなり私の髪色を金色に変えてしまった。


「なんですかいきなり」


 いきなりの気候に不貞腐れながら言うと、母は粘着質な笑いを見せた。


「あなたは体格同世代より一回りも二回りも体格がいいでしょう。それに比べて第一王子は少し小柄よね? それで思いついてしまったの。……あなた、第一王子のふりをして、少し遊んでらっしゃいな」


 母はニタリと、張り付くような笑みを見せて言った。


 __要するにこの人は、私が第一王子のふりをして、彼の評判を落とすような立ち振る舞いをすることを望んでいるのだろう。

 自分の母親ながら、なんて浅はかな人間だろうとため息をつく。


 すぐに擬態を解いてしまおうかと思ったが、母の魔力は子供の私よりも強く、容易に解くことはできなかった。私の周りの従者で母や私より黒の濃度が高いものはいない。仕方がないが、擬態の効力が解けるまでは、このままの色でいるしかない。


 母の思惑通りになんて動いてやるか。適当に人助けでもして、兄様の評判を上げてやろう。内心ほくそ笑んで、私は城内を歩いていた。


 人助けが必要そうな人間は意外とすぐに見つかった。王城の庭園近くで、子供が麻袋に詰められて攫われそうになっていたのだ。


 最近、妙に城内の警備が甘く、こういった輩を見ることが多くなっている。

 王もこの状態を見過ごすことはなく、原因を調べてはいるが、なぜなのかはっきりとした原因は分かっていなかった。


 人攫いを倒し、子供を袋から出してやる。

 すると子供は私の方を見て目を輝かせていた。


 どうやら、兄上に似た金髪の姿ではなく、私自身の剣技に目がいったらしい。

 少女はオルブライト家の白纏の子__リジェットだった。


 リジェットのことは噂では聞いていた。

 武の領地、オルブライト領にまた髪の白い子供が生まれたと。王城でも、王の周りでも噂になっていたのだ。

 誰も持っていないたった一つの資質を持っていて、そして誰もが持っているものを持ち合わせていない。貴族としては異質な存在だ。


 王は彼女のことを、自分の手持ちの色盗みが足りなくなった際の手札として残しておきたいようだった。


 運命に逆らえない、哀れな子供。それが、彼女に対する私の印象だった。


 __しかし、彼女はそれをいとも容易く覆した。


 キラキラとした瞳。それはまるで満天の星々が輝く、夏の夜空のような煌めきを持っていた。私の心を撃ち抜いた。


「わたくし、あなたのような騎士になりますわ!」

「は?」


 無理だろう。お前は魔力がないではないか。

 この発言は子供の戯れだ。そう、真っ先に思ったはずなのに、不思議とこの子供の目からは流れを変えてしまいそうな力を感じた。


 抗えない運命に立ち向かう、力の ようなものだ。


 それはどこか、金を身に持ちながら王になるために努力を重ねる兄上と似ているように感じた。


 ようは、惹かれたのだ。この少女の強さに。


 なぜか、私はこの少女の成長を見届けたい気分になった。

 このまま、順当に私が育ったら、第一王子の剣となるために騎士団に所属することになるだろう。

 そうすれば、騎士団を目指す彼女にも会えるかもしれない。


 しかし一方で、あれだけ髪の白い少女が騎士になる可能性なんて、普通に考えたら、ゼロに近いことは理解していた。そんなことはわかっているのに、彼女のことを信じてみたくなるのは何故だろう。


 あれだけ強い意志と憧れがこもった瞳を持っている少女であれば、皆が絵空事で済ましてしまう大きな夢も叶えてしまうだろう、そんな予感を持ってしまった。


 これは賭けだ。普通なら、こんなバカなことはしないであろう、賭け。


 いつか本当に、あの少女が騎士団に入団する時が来たならば、素直な思いを告げてみよう。


「お前の瞳の輝きに、私は心を奪われたのだ」と。

 その時、彼女はどんな顔をするだろうか。


 あの日見た小さな子供に恥じぬよう、自分を律しはげもう。あの子供に出会った後の私は張り合いを持つことができた。

 私はより一層、剣や勉学に打ち込むことになったのだ。


 しかし幸福な子供時代はそこで終わってしまった。





 ざわりざわり、と不穏な空気が揺れる。

 王城に勤める者たちの顔色が、最近優れないのだ。

 何かがおかしい。そう思い始めたのはいつのことだっただろう。

 

 最初に気がついたのは、夜遅くまで灯りがついていた、兄上の自室に灯りがともらなくなったことだ。

 代わりに、その昔、第一の聖女が使っていたとされる魔法陣の研究室に灯りがともるようになった。


 初めは“兄上も魔法陣に興味を持ったのだろう”と呑気に構えていた。

 しかし、よくよく考えてみればおかしい。兄上は王城で大切に育たられた方だ。命を脅かされるような襲撃にもあったことはなく、大病も経験していない。ということは女神がいるとされる、魔術選別の白い部屋に招かれたことはないはずなのだ。魔法陣を描く資格なんて彼にはない。


「兄上……?」


 いつも兄の部屋へと向かう時のように、研究室のドアをノックした。


 汚れた物置のような部屋を進んでいくと、中にあった小さな扉から灯りが漏れていた。どうやら、この奥にもう一つ研究室があるらしい。


 身をかがめ、中に入ると、そこには信じられない光景が広がっていた。


「おお、アルフレッド。来たのか」

「兄上……。これは……?」


 目に映る、無数の瓶、瓶、瓶。

 狭い部屋に、瓶詰めの標本が見渡す限り、ぎゅうぎゅうに詰められていた。


 その中に入っていたのは人間だった。


 先ほどまで生きていたような人間たちが飾り物のように収められていた。


 惑う。

 なんだこれは。目の前に展開される風景が理解できずに、背中に汗が流れる。


 これを作ったのは、兄上なのだろうか。

 あの、優しい兄上なのだろうか。


 何も言えずに、ただ呆然としながら部屋を見ていると、ゆるりと笑った兄上がこちらを向いて微笑む。


「美しいものはいい。心を満たしてくれるよね。だけど……私に話しかけてくる機能は必要ないと思わないか? だから、試しに一人、砂糖と塩につけてみたんだ。そうしたら気分が晴れてねえ。たくさん作ってん見たんだ」

「シロップ漬け……」


 シロップ漬け、標本の一種だ。


 海から取ることができる砂糖と、凍土から切り出した塩を同量入れて、聖水に溶かしたものに、生き物を漬けると生き物は時間経過をせず、美しいまま保存をすることができる。


 ハルツエクデンの貴族の中にも、その種の愛好家は数多くはないが、熱狂的なマニアたちが集う専門店なども存在していることは知っていた。しかし私はその趣向を最後まで、理解はできなかった。


 虫や魚などの生き物の標本なら、わかるのだ。だが、人間をつけるのはいかがなものだろうか。


 民は税を生み、国を支えることができる。その重要な人材をただ美しいというだけで、保存瓶の中につけてしまうのは、人道的視点からも首を傾げてしまう気持ちもあるし、いささか、人間というものの無駄遣いのような気がしてならなかった。


 ただ、やはり、弱いものは強いものの前では無力だ。愛好家が、強者であった場合、それが人であっても魚であっても、愛好家の餌食となってしまう。

 それが一産業となって国に集まる税収の一部をになっているのも事実なのだ。


「兄様……? これはなんですか? なんでこんなに……」

「私はねえ。お前の持つ黒い髪が、いつも目障りだったんだよ。アルフレッド。自分にはない、完璧な黒。欲しくても手に入らないもの。それをお前は何食わぬ顔で享受しているんだ。

 何度、お前を廃してしまおうと思ったか……。けれども、お前の黒が目を惹きつけるほど美しいのも確かだ。お前も彼らと同じように、私のコレクションに加わったらいい」

「は……?」


 兄上は自らの手をするりと蛇のように伸ばし、私の首にゆっくりと手をかけた。


 あの、優しかった兄上が。


 私は必死にその場から逃げ出した。護身用に持たされた魔法陣を使い、自分が住む第二王子宮へ転移した。


 手足をバラバラに動かしながら、無我夢中に走って自室がある東の館へと向かう。自室に入り、息が整う頃にはじっとりとした汗が身体中を流れていた。


 ……あれはなんだ? 

 見たことのない表情に惑うことしかできなかった。

 優しさのかけらもない、粘度のある憎しみだけがこもった瞳。

 

「アルフレッド。この国は力を持ちすぎた。現王の隣国を嬲る統治ではいつか歪みが生まれてしまうだろう。私たちの代では、その歪みを正していかなければ、ならない。……君は私に力をかしてくれるだろうか」

「はい! 兄上。私はあなたの剣となりましょう。兄上の行く先に蔓延る荊は、私が一掃して見せましょう」

「ははは。我が弟は頼もしいな」


 違う、違う、違う。あの日笑った、兄上はどこに行ったんだ。


 返せよ。

 誰が、あの人を変えてしまったんだ。


 調査が行われた。城内でも、兄上の変貌について、疑問を持つものも多く、第一王子と敵対する貴族の魔術、呪術的関与が疑われたのだ。調べが行われた貴族の中でも特に私と、私の母に関する取り調べは厳しく行われた。私自身も。初めは兄上のことを忌み嫌う母による、何らかの関与を疑った。しかし、予想は外れ。現時点で解析できる魔術的関与はないとのことだった。


 ということは、兄上は変わってしまったのではなく、もともとああいった気質を持ち合わせていたのだろうか。


 混乱に包まれる城内。そのさざめきの中で、私は度々命を狙われるようになる。

 一度、強い神経毒を食事に盛られ、死の淵に立ったこともあった。


 その際副産物として、魔法陣を描く能力を得たわけだが、手放しに喜べるほど、私は幼くなかった。


 もちろん、私を狙ったのは兄上だった。あれほど語り合った、兄上が私の__弟の命を狙う? 私は毒に蝕まれた苦しみの中で兄上のことを思った。何度考えようと以前は優しかった兄上の所業だとは思えなかった。

 確かに、私たちを産んだ母親は違う人間で、次期王位を狙う母の生家同士は敵対をしていたかもしれない。


 しかし私たちは同じ目標を持っていた。

 この国を正しい方向へと、より良い方向へと共に導こうと思い合っていた。


 髪色が異なっていたとしても、兄上は王の資質を持ち合わせていたし、私は間違いなく、彼を尊敬していた。

 毒で一度は不自由になった体が癒えた頃、未だ兄上の変貌が信じられない私は縋るような思いで、もう一度、調査の遣いを出した。


 しかし、思いも虚しく私に告げられたのは非情な結果だった。


「あの方はもうあなた様の兄ではございません。あれは狂った人間の成れの果て。決してその暗闇に足を取られてはなりません」


 老年の近侍は質量を持った声でつぶやいた。私はその言葉を聞いて、静かに涙を流した。

 その日から、兄上は変わった民を尊んだ、心根の優しさは消え失せ、厳しく残酷とも言える統治を敷くようになった。


 不思議なことに、兄上の変わりきってしまった姿を見て、王は兄上に興味を示すようになった。もともと、王は過激な統治を好む気質を持っていた。その気質が幸いし、隣国ラザンダルクへの侵略を成し遂げ、ハルツエクデンは和平という名の眷国を手に入れた。


 そうして、父はラザンダルクの黒髪の姫を手に入れ、王城へと紐づけられるよう、自分と婚約を結んだのだ。


 それは兄上の提案だった。自分との婚約で運命が歪むなら、形だけ父と婚姻を結べば良い、と。

 王の妻であっても、王子の子供をうめば、それは次代の王となりえるだろう、というとんでもない理論を持ち出した。

 

 普通の人間であれば、首を傾げてしまいそうな提案に王は賛同を示した。

 王にとって、兄上が新しく持った手段を選ばない残虐な気質は好ましく映ったのだろう。


 ある日境に変わってしまった兄上に対すると惑いを抱えながら、私はなんとか日々を生き抜いていた。

 そんな日々が続くある日、廊下でばったり出くわしてしまった兄上の姿を見て言葉を失う。


「兄上⁉︎」


 兄上の左肩は火で炙られたように焼け、ひどい火傷が広がっていた。

 素直に驚いたのも束の間、私の近侍たちは兄上と私とを接触させぬよう、割り入り距離を取ろうとした。


「そんなに怯えなくてもいいじゃないか。……もう私はお前を標本にしようなんて思わないよ。私はね。君よりも美しいものを見つけたんだ。あんなものが王城に住んでいるなんてね……。父上は私に教えてくださらなかった」


 兄上は光悦したようなニタリと笑った。この王城に住む美しい男。私の頭には一人の男の姿が浮かぶ。


「クゥールに会ったのですか?」

「……お前はあれの存在を知っていたんだね。やはり、王は私には情報をくださらない」


 第一王子の瞳がかすかに暗く影った。その数秒だけ、昔の第一王子に戻った気がした。


 私がクゥールの存在を知ったのは偶然のことだった。魔法陣を書くことができるようになった私は魔術省に出入りするようになっていた。その時に、クゥールに出会ったのだ。

 そもそも王はクゥールの存在を公にはしていない。

 百年に一回おこなわれる聖女降臨の儀は今代では失敗に終わったという発表はされていない。国内ではその情報がうっすらと拡散されているだけだった。


 しかし私の耳には、降臨した聖女が男だったと言う情報だけが伝えられていた。


 その男は魔術省の主席を務めている、ビャルネと歓談していた。長身で、床につきそうなくらい長く複雑な色の金髪。優しげな垂れ目から放たれる射抜くような、鋭い視線。

 一目でこの男が“聖女”の地位を持つものだと察しがついた。

 あれはどう見ても、強者だった。


 私たち人間が、命を賭けても卸すことのできない、魔物。


「あれはいいなあ。アルフレッド。この国で一番美しいのは、あの男だろう」

「何を……」


 薄く笑った。


「どうしてあの男は私と同じ金を持ち合わせているのに、美しいんだろうね。あの男は……それだけ特別なのだろう。……俄然所有欲が湧いてきたね」

「アルフレッド様、言葉を交わさないでください! なんらかの言葉が起点となる誓約の魔法陣を使用している可能性があります!」


 近侍に遮られ、引きずられるように自室へと戻った。


「はははは……」


 自室で一人きりになると、渇いた、悲しい笑いが込み上げてくる。


 以前の優しい瞳が現れない日々が続く。一年、二年経っても、それは変わることはない。


 __もう、だめなんだ。


 私はその時、兄上が狂ってしまったのだということを悟った。






まだ続きます。次は水曜日!

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