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白兎令嬢の取捨選択  作者: 菜っぱ
第二章 王都の尋ね者(騎士学校一年生編)
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間話 守りたい余白2


 夢を見た。やけにリアルな夢だ。

 僕は何故か王城を歩いていた。

 なぜだとしばらく思考をめぐらせているうちに、先ほどまでの僕はラタンに似た蔦編みのロッキングチェアに座っていたはずだということを思い出す。そこで夢だと気がついた。

 この夢の中は色彩が現実世界よりも淡く眩しいが、自由に歩き回ったり、物を触ることができる。どうやらこの夢は明晰夢らしい。


 王城特有の、白い大理石のような石造りの廊下を進むと、なぜかリジェットの姿を見つける。彼女は下を向いて疼く待っていた。

 石の廊下でうずくまるなんて、床はきっと冷たいだろうに。

 どうして王城にリジェットが? 僕は不思議に思ったが、彼女の手元を見て、言葉を失う。


 リジェットの手は赤く染まっていた。それはまごうことなく、誰かの血だった。


 こちらに気がついたリジェットはハッとした表情を見せた後、顔を歪めた。まるで、見られたくないものを見られてしまったかのように。今にも泣き出しそうな表情をしていた。


「先生……」

「リジェット? それは誰の血だい? 君は怪我をしているの?」


 心中は動揺していたが、それをリジェットに悟られぬよう、ゆっくりと丁寧に言葉を紡ぐ。

 リジェットは僕に隠せぬことを悟ったのか、諦めたように悲痛な表情をにじませた。 


「……先生。わたくしは今日、人を殺めてきてしまったのです」

「……誰を殺したの?」

「言えません。けれども、わたくしは憤りに任せて、人を殺めてしまいました」


 僕はできるだけ冷静に、彼女を見ようと努力した。だが、リジェットは、瞳を揺らしてしまうそうなほど、虚の目をしていた。

 こんな姿の彼女を見るのは初めてだった。消えてしまう。このままではこの子が消えてしまう。そんな確信を持つ揺れた瞳を僕はこれ以上見ていられなかった。


「彼はわたくしにとって許せない人でしたが、殺してしまわなくともよかったのに……」

「リジェット……」


 夢の中とはいえ、彼女を冷たい床に座らせておくこともできない。考えたあげく僕は転移陣を用いて、自分の部屋に連れ込んだ。夢でなら、王城でも転移陣が自由に使えるらしい。


 転移した家は、住み慣れた場所のはずなのに、夢だからなのかとてつもない違和感があった。まるでこの部屋が僕たちを歓迎していないかの如く、排他的な雰囲気を醸し出していた。

 静かに涙を流すリジェットの背中をさすりながら押し黙っていると、リジェットは震えながら口を開く。


「先生、人を殺めることは罪深いことですね。わたくしそのことを、本当の理解できていなかったのかも知れません」


 その言葉で僕は不意に、自分が今までに殺してきた人間の顔を思い浮かべてしまう。

 この世界で僕が精神を殺さずに生きるために、殺した人間の数は一人や二人ではない。必要に応じて、処理をしていたので、全員の顔を覚えてはいなかったがその中には強く印象に残っている者もいる。


 そうだ。あの女も僕が殺した。王城に勤めていた色盗みの女。


 二十台半ばの優しい女だった。

 大聖堂での貢献度が低く、名を与えられていない色盗みの女。彼女に出会ったのは五年ほど前のことだった。白纏の量が潤沢であったそのころは、色盗みの女の扱いが今よりも乱雑だったのだ。

 身分は低く、王の隷属であった彼女は、王城の中でも酷い扱いを受けていた。人ではなく、正真正銘物として扱われていた。


 呪いを取るために消費され、かつてはリジェットのように真っ白だった彼女の髪は、王の呪いを身に移すたびに黒く濁り、内臓を損傷していた。僕が出会った頃にはもはや、死を待つのみの状態になっていた。


 その状態まで来ると、人間は自分のことだけで精一杯になって、周りに冷たく当たるようになるのが常だろう。

 しかし彼女は、僕のような特殊な経歴の持ち主で、関係するのが億劫になる条件を持ち合わせた人間に対しても、朗らかに接してくれるような稀有な女性だった。


 そのころの僕は人との繋がりに飢えていた。


 王城に呼び落とされた当初、王城の人間は僕に対してあれこれ手を尽くそうとした。しかし、数年がたつと僕のことを特別室という名の贅を尽くした牢に押し込んで放置するようになっていった。

 誰も来ない部屋で、一人時間を潰す日々は退屈で、寂しくて仕方がなかった。

 人として、誰かと繋がって大切にされていたかった。

 どんなに化け物扱いされても、人間というものは他者とのつながりを求めてしまう。


 そんな心理状態の時期に出会ってしまった、彼女は甘い蜜のような存在だった。


「クゥール様。本をお持ちしました。一緒に読みませんか?」


 何度も心配そうに部屋を覗きに来てくれる、お姉さん的な存在で、次第に僕も心を預けるようになっていた。


 そんな彼女の優しさに心を緩められた僕は、彼女が廃棄される最後の夜を共に過ごしてしまったのだ。


 思い出が欲しいと、彼女はいった。人に利用され、自分の人生を奪われた自分がこの世界を去るのだ。餞別があってもいいじゃないか、と。


 僕も年頃であったし、甘い恋心と、欲を持ち合わせていた。


 情をかわし、翌朝目覚めたとき、寝台に横たわる女の神に見慣れた色を見つけた時の衝撃は今でも忘れられない。


 それは僕の髪の色__神力の色そのものだった。


「色が……」


 その時、僕は初めて、白纏の子は他の人間の色に染まりやすいことを知った。一度の行為で、残った余白分が全てすっかり染まってしまうのだ。

 動揺して言葉も出ない僕に、女は優しく声をかけた。


「大丈夫。私は今日処分されるべき人間だもの。このくらい色が混ざっても、あなたにとってはなんの問題もないでしょう?」

「でも……」

「大丈夫。私が死んだ後は、そのまま呪い避けのケープが巻かれて、外から見えないように運ばれるでしょう? だから、私に力が移ってしまったことは知られないわ」

「……あなたに力が移ったことを知れば、あなたは処分対象から外れるじゃないか?」

「それはそうかもしれない……。だけど、私はそれを望まない。きっとその力は私の身には余ってしまうもの」


 女は力なく、ふんわりと笑った。

 彼女の表情がどうしてこんなに穏やかなのか、わからなかった。この世の憂いを全て知り尽くした、老女がまだ穢れを知らぬ幼児を見るような、慈愛に満ちた表情だった。

 僕は懐の深い人間が見せる、不可解なほどの赦しが恐ろしい。


「僕のせいだ……ごめんなさい……」


 罵ってほしかった。責められた方が、楽だった。

 赦される方が、痛い。


「あなたはこれから白纏の子に食指を動かさないほうがいいかも」


 女は冗談を言うように笑った。今日、処分される人間らしからぬ、すっきりとした笑顔だった。


「最後に一つだけお願いがあるの」

「何?」

「あなたは私にとって、神様なの。どうせ処分されるのであれば、せめてあなたの手で殺されたい」


 彼女のおだやかな決意を、他の人間の手に委ねてしまう行為は、いくらなんでも責任感に欠ける。


「そう……。いいよ」


 僕は彼女の願いを聞き入れて、命を奪うための魔法陣を引いたのだ。


 眠るように命を終わらせる、繊細な魔法陣を。


 この世界に落とされた時点では僕は被害者だったかも知れない。

 僕に危害を加えようと、襲ってきた人間を嬲り返すのは間違いなく正当防衛の範囲内だった。

 しかし、僕の過失を隠すために、誰かに手をかけた時点で、僕は加害者になった。


 その時の衝撃と嘆きは忘れられない。しかし、その苦しみは、人数を重ねると薄れてきてしまった。






 人を殺めることに罪悪感を持った経験は、後にも先にもあの一度だけだ。

 僕はもうあちら側に手を染めてしまった。自分が憎んでいたはずの、対岸。何かを奪うもの。


 人間、一度吹っ切れてしまえばいくらだって酷薄になれる。


 しかし、この夢の中にいるリジェットはその域には達していない。

 彼女はその純粋さゆえに、苦しんでいるように見えた。


「己の魂の汚れはもう清められることはないのだと思うと、こちらへ足を運ぶことはできません。……さようなら」


 夢の世界は曖昧だ。すぐに場面転換をしてしまう。自宅にいたはずなのに、ハッとした時にはまた王城へと戻って来てしまっていた。

 急に立ち上がり、踵を返したリジェットはなぜか、第二王子であるアルフレッドのいるところへと歩いていく。


 なんで、アルフレッド?


 僕は目を見開く。それは悪夢そのものだ。大事だと思っていたものを、及ばないと思っていたものに持っていかられる。そんなのは許せない。


 __リジェット?  どうしてそちらにいくんだ? リジェット⁉︎


 何度叫んでも、リジェットは振り向かなかった。






 がばりと布団を剥いだところで、僕はそれが夢だということをやっと思い出し、深い深い安堵のため息をついた。


「はっ! はっは……夢か……。そうだ、夢だよ……。ははは……びっくりするくらい嫌な夢だな……」


 リジェットが浴びた血の、鉄のような匂いを確かに感じてしまうくらい精巧な映像を持つ気味の悪い夢だった。


 あまりの緊張感に、喉が渇き切っていることに気がつく。ロッキングチェアから立ち上がりキッチンへ向かい、水を飲んで落ち着こうとする。


 今回は夢だ。

 しかし、あの子は騎士になるのだ。そう遠くない未来にあの子は人を殺めるだろう。


 その時、彼女の柔らかい心は耐えられるだろうか。逃げることだってできる。リジェットは今まで自身の粛の要素を使って、無意識に辛さから目を背けて逃げて生きてきたのだ。


 しかし、今のリジェットはそれを選びたくはないという。傷つくたびに粛の要素で記憶を消して、曖昧な世界を作り生き続けることはしたくないと。

 痛みを受け入れて、より強く生きたいと願ったのだ。


 なんて痛くて苦しい道なのだろう。わざわざ荊の道を選ぶことはないのに。でも、僕が止めようとしたって、きっと彼女は選んでしまう。それが彼女の人生だからだ。


 幸い、まだそれは起こっていないことだ。遠くに確約された未来は、今はまだ気配しか感じない。


 どうか傷つかないで。無垢で、純粋で。優しく、甘く、隙だらけのリジェット。

 僕は君のそういうところが、君の美しいところだと思う。


 __まだ誰にも塗られぬ、白一色の余白。


 それを誰にも汚されたくない。アルフレッドにも、他の誰にも。


 己に決して消せない汚れを持つ、僕自身にも。


 赤子のようにまっさらな余白を、守り抜きたいと僕は思った。





クゥールはろくな過去がありませんね!

とりあえず、このお話で白纏の子は染まりやすいってことだけ分かればあとは忘れてください……。 

次はアルフレッド第二王子の間話です。

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