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白兎令嬢の取捨選択  作者: 菜っぱ
第二章 王都の尋ね者(騎士学校一年生編)
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間話 守りたい余白1

クゥール回です。

 夏は嫌いだ。体に溜まった熱は上手く排出されず、呪いのように残り、疲労感がいつも抜けない。

 そんな煩わしい夏が終わった頃、僕はリジェットの父であるセラージュに会っていた。

 オルブライト家の専属魔術師として、王位継承争いの様子を知っておく……という建前もあるが、リジェットの今後をセラージュ自身がどう考えているかを知っておく必要があると考えていた。


 オルブライト家の現当主であるセラージュは、騎士団の団長としての役目を終え、騎士団としての派閥争いとは一線を画した立場であるが、決してその地位は王城の人間に軽んじられる立場ではない。オルブライト家という大領地の領主として、さらに重い判断をしなくてはならない立場であるからだ。


 自領を守るためであれば、己の息子さえ家から切り離さねばならない。


 そんな彼が、どんな選択をするのか、注視しておかねばならない。__選択によっては、彼を殺さねばならなくなる。


 僕は今、リジェットとの婚約の魔法陣を破棄していないため、事実上の婚約者になってしまっている。もちろん、これは仮のもので、状況が落ち着いて、王子たちが武力行使を用いることがなく、彼女の意思で婚約者を決められるようになったら、破棄しようと考えている。

 僕との契約があることは彼女の保身に役立つ盾となる。契約ができるだけの隙間があれば、彼女はすぐに付け入れられて契約を結ばされてしまうだろう。

 それだけはあの子を弟子として、自分の身の近くに置くためにも防がなければならない。


 もちろんそんなことになっていることは、セラージュに伝えていない。……伝えても、面倒なことになるだけだ。


 オルブライト家を尋ねると、すぐにセラージュの執務室の応接間に通された。

 執務室へと僕を案内したのはセラージュの専属従者である、ベルグラードだった。年齢を重ねて、頬や目尻に皺が刻まれた彼は、穏やかな笑みを浮かべているが、瞳の奥はこちらの背筋がヒヤリとするほどに冴えばえとしている。


 そういえば彼はアーノルド家に所縁のある人間だったはずだ。アーノルド家はオルブライト家の土地を分けたために領地持ちとなった家であるため、オルブライト家の分領のような家であるが、王位継承争いでもオルブライト家の決定に従うのだろうか。

 彼とはそれほど親しくないので、別ルートで、アーノルド家の様子を探っておこうと思案する。


 部屋に入り、僕の姿を見たセラージュは少しだけ表情を緩めた。


「今日はよくいらっしゃいました。急にお呼びたてしてしまって申し訳ありません」


 出会った頃の、領主になりたての表情とは一線を記す、落ち着きのある表情だった。僕は領主の執務室に並ぶ、歴代の領主自画像に目をやる。今のセラージュはその一覧に加わっても不自然ではない面持ちだ。


「うん。僕も聞きたいことが幾つかあったから、構わないよ」

 

 薄い微笑みを交わし合う。

 いきなり核心に触れるのは野暮だ。僕たちは屋敷に付く専属の魔術師と領主として、幾つか当たり障りのない、屋敷のに敷かれた魔法陣の話をした後、本題に入る。


「それで……。我が家の子供達の王位継承争いにおける、所属派閥なのですが……」


 セラージュは言いにくそうに顔を歪めた。


「ああ、そのことなら大体知っているよ。ユリアーンは第一王子率いる保守派、ヨーナスは第二王子率いる革新派。それと……意外にもへデリーは旧王族派に属したみたいだね」


 そういうと、セラージュは苦しげに顔を顰めた。


「ああ……。そうなのです。ご存知でしたか……。いやはや、私はへデリーのことだけは最後まで理解できませんでした。狡猾な子だと思っていたのに、一番愚かな派閥に属することになった……。あれは何を思って旧王族派についたのだろうか……」


 最後は独り言のように尻づもりになっていった。


「それと、あなたのこともよくわからない。クゥール様。どうしてあなたはリジェットの味方をするのですか?」

「一番先が見えなくて面白いからだよ」


 感情の籠らない薄ら笑いを浮かべると、セラージュは一瞬眉を顰めた。


「あなたにとってはこの王位継承争いはゲームの一部なのですね」

「そうだよ。悪い?」


 悪びれずにいうと、セラージュはわかりやすく表情を曇らせた。

 思案するよう顔をした後、聞こえないほどの小さなため息ついた後、言いにくそうに口を開く。


「初めて会った時、あなたは彫刻のように美しくて、人間離れしていて、神々しくて……。無機質に見えたのを強く覚えています。」

「君は僕のことを、必要以上に恐れていたからね」


 セラージュは酷く申し訳なさそうな表情を見せた。こういう気質は、親子とはいえ、リジェットとは異なる。


「私はあなたの情報について、ほんの少ししか知らされていませんでしたからね。王族から齎されたのは、あなたに関する歪んだ情報だけでした。

 王の近侍を殺した、色盗みの女を殺した……それと、王子に害を成したと」

「全部間違っていないよ。全部、僕がしてきたことじゃないか」

「ただ、私達には狂った聖女が気に入らぬ、人間に害を成している、というふうに聞かされていました。……が、事実は異なるでしょう? あなたは、理由もなく人に害をなすような方ではない」

「本当にそうだとでも思っているの?」

「そうなのでしょう。確信を持ったのは……リジェットがあなたのところに行くようになってからでしょうか。あなたは本当に……表情豊になられましたね」

「それは、そうかもしれないね。あの子といると、自分に感情があったことを思い出すし、上手くいかないことばかりで毎日忙しいよ。あの子のおかげというべきか、あの子のせいというべきか、わからないけれど」


 セラージュは少しだけ嬉しそうに顔を綻ばせた。


「ちなみに、参考までにお聞きしたいのですが、クゥール様はこれからもこの国にとどまりますか?」

「おや、その問いは予想外だったね。どうしてそんなことを?」

「この国に尽くすためだけにこちらに召喚されたあなたにとって、この国の行く末なんて本当は至極興味のないことなのではありませんか?」


 意外な質問に僕は目を見開く。

 

「自分の意思とは関係なくこの国に呼び落とされたあなたは、この国の行く末というゲームを動かせと命じられたわけでもなく、押し付けられただけなのです。そんなあなたにはそれを放り投げるだけの権利がある」

「意外だね……。僕は君がそういう物事の見方ができる人間だとは思っていなかったよ」

「あなたと出会ってから、数年は経っていますからね……。最初の頃、あなたは神様に近しい存在で、何を考えているかわからない恐ろしい人でしかありませんでしたが、今は何を大切にしているか、明確にわかります」


 セラージュは変わった。僕を見て恐れないようになったのももちろんだが、リジェットを取り巻く、僕の動きを監視するようになった。リジェットを壊されないように。

 親として、リジェットを守る覚悟を決めたのだろう。

 リジェットを危険因子として、切り離すことだってできただろうに。僕は内心、セラージュの親心に感心していた。


「僕は動ける範囲が決まっているんだよ。ラザンダルク、ハルツエクデン、シハンクージャの三国のみだ」

「ほう……。そうですか。私たちも湖の女神がある三国のみの移動しかできませんが、あなたも例外ではないのですね」


 その言葉に静かに頷く。


「……不思議だよね。その外にも国はあるんだけど、そっちには足を踏み入れられないなんて」

「ええ、本当に。たまに運命から弾かれたものが、三国以外からやってくることがありますが、本当に稀ですからね。しかも文化圏が全く違うことが多いですし……」


 ラザンダルク、シハンクージャ、そしてハルツエクデンに生まれたものは、決してその三国から外へ出ることができない。しかしこの世界はその三国しか存在しない訳では決してないのだ。

 ラザンダルク、シハンクージャの両隣にはまだ見ぬ大地が広がっているが、その境界には決して通ることのできない、湖の女神が敷いた、魔術の壁があるため三国に生まれた民はその向こうへと渡ることができない。


 そのことを不思議に思った僕は詳しく調べてみたことがあるのだが、どうやら神様たちにも決められた領地分配があるらしい。


 国の配分はまるであらかじめ決められたコース料理のように、手をつけられる範囲が決まっている。神様といえど、他の神に分配された土地には手を出せない仕組みになっているのだそうだ。


 ただ、湖の女神が統括している土地が、三国だけか、と言われると厳密にはそうではない。彼女は僕が以前住んでいた世界__神様たちの間では第一層と呼ばれる地域の統括もしていた。湖の女神が統括している第一層の中には、僕が住んでいた地球や、妖精の国、人魚の世界などが含まれる。


 この世界はそこからもう一段階層が上がった、世界__第二層と呼ばれている世界なのだ。


 基本的に生きている生き物は、層を跨いで、移動することはない。しかし、女神自身は気に入った人間をピックアップし、その層を越えさせることができる。


 気に入った生き物を選び、他の世界に放り込む。それはまるで、武器を持たないひ弱な人間を、大量のサメがひしめく、水槽に投げ込むような残忍な行為だ。


 しかしその残忍な行為は、新たな生態系を生む。

 水槽のサメ達は女神の落とした、新たな餌に群がり、今までの生態系ではなし得なかった、流れを作り出す。

 湖の女神はそれをたまの娯楽として楽しんでいる。


 __そう、僕はそのために選ばれた餌なのだ。


 餌として選ばれた生贄は、自分の身が食い散らかされるのを避けるために、見たことのない未知の世界でうまく立ち回ることが求められる。

 

 正気で居続けるためにはサメたちに、僕の中身を食い散らかして、精神を壊し、傀儡にするよりも、生かしていた方が有用であることをアピールし続けねばならない。

 そのためにもこの世界という生簀の中で、より強い個体を見つけ、そのものに擦り寄ることが必要だったのだ。


 僕が、この世界で見つけた一番の強者は、ラザンダルク王女である、オフィーリア姫だった。


 女神のカードを使った姫様は、覇者のカードを引いていた。


 覇者のカードは積み重なる屍の山の上に豪華な椅子を携えて、ゆったりと座り、頬杖をつく女性のカードだ。

 趣味の悪いカードだと人はいう。だが僕はあのカードよりも姫様にふさわしいカードを思い浮かべることができない。


 全てを打ち負かし、征服するもの。彼女はきっと、多くの国土を焼き払い、国をかき乱すだろう。


 しかし、彼女もまた、抗うことのできぬ強い運命に縛られて生きている人だ。

 精度の高い先読みという技術を持ち、先の未来が見えるにもかかわらず狂わずにいる、姫様は間違いなく強い。そして、その見える未来の中でも、できるだけ人々にとってよりまともな未来へと導こうと苦心している彼女は間違いなく、甘さはなくとも優しい人だ。


 だからこそリジェットにはその辺の守り方もわからないような馬鹿王子よりも姫様の手をとって欲しいと僕は思う。

 他の誰よりも強靭な運命を持ったオフィーリア姫を支持すれば、リジェットは戦乱の中で命を落とすようなことにはならないだろう。


「リジェットがどの道を選択しても僕は彼女を見守るつもりだよ、セラージュ」

「そうは言っても、あの子は……へデリーに似ていますから。心配なんですよ。よりによってそれか、と頭を抱えてしまいそうな無茶な選択肢を選ばないか」


 その発言に僕は少しだけ驚く。意外とセラージュは先が読めているな……。先読みの気質が彼にも少しだけあるのかも知れない。


「このゲームが、僕にとっても、君にとっても、いい結果をもたらすものだったらいいね」


 そう言い残して、僕はオルブライト家を後にした。






 転移陣を用いてあわいに建つ、自分の家に着くと、地面が揺れるようなめまいを感じた。どうやら疲れが残っているにもかかわらず、オルブライト家に足を運んでしまったことは思っていたよりも僕の体に負担だったらしい。


 リジェットには伝えていないが、僕の体にはまだ呪いが残っている。

 王が僕にかけた呪いとは異なる、前世界から続く、古の呪い。


 僕をこの世に産み落とした母親という生き物は、僕に永遠に解けない呪いをかけた。


「お前なんか生まれてこなかったら、私はまだ、あの人に愛されていたかもしれないのに」


 それは、母親の口癖だった。

 じっとりと耳の奥に残る、憎しみのこもった言葉の呪い。何度も、何度も、僕の体によく染み込むように、母は繰り返し言った。それはまるで子守唄のようだった。


 どうして母が僕を呪ったかというと、僕を生み出したことが彼女の人生の誤算だったからだ。

 爵位を持った父の愛妾であった母親は僕を孕ったことで、父の持つ古いカントリーハウスに隔離されたのだ。

 父の本妻は男児を産んでいなかった。母は僕を生むことで、自分が特別な役割を果たしたつもりでいたのだろう。しかし、本家の次男である父に後継としての男児は必ずしも必要な存在ではなかった。それどころか、余分な血を残すことは高貴な身分を保ちたい自分の身を危うくするだけだ。


 母はなぜだか盲目的に自分が生む男児を必要としているのだと信じていた。なぜだかはわからない。もしかしたら、彼女の周りにいた人間が唆したのかもしれない。しかし、実際は父にひと時の快楽を求められていただけだった。


 愛なんて、最初からどこにも存在しなかったのだ。


 僕が生まれたのは父にとって想定外だったのだろう。爵位を持つご立派な父にとって、僕の存在は汚点になった。代々続く、高貴な血に庶民の汚い血が混ざってしまったという事実はもう覆せない。僕の存在は誰とも繋がりのないような田舎に、隠すしかなかったのだ。


 母は美しい人だった。爵位は持ち合わせてはいない平民の生まれではあったが、街の中ですれ違ってもつい振り返ってしまうような、きらりと光る不思議な魅力がある人だった。

 自分が生まれた街の中で、自分に見合った相手を見つけて__例えば街の商人の息子であったり__その幸せをきちんと享受できていたならば、きっと誰よりも幸せになれただろう。


 けれど、彼女はそれを選ばなかった。

 自分の身分にはそぐわない人間を愛し、その果てに僕を産み、自身の運命を狂わせた。


 僕は盲目的に誰かを愛することは愚かなことだと言うことを知ってしまった。


 母親はそれでも、父を待っていた。片田舎の小さな家で、父がくる日を。

 そして、僕のことは嫌った。父の汚点は母親にとっても汚点だったのだろう。

 母親に罵られるたびに、内臓をぐちゃぐちゃに混ぜられるような、不快感を覚えた。

 不快感は日に日に増し、どうしてかわからないが、僕の体は不調を訴えるようになった。

 この世界にきて、呪いというものを知ったことで、母から受けた“アレ”は呪いだったことを理解したのだ。



 層を越える前、自分の母親から受けたその呪いは、いまだに僕の体の自由を奪う。


 今にも倒れ込みそうな、急激な眠気が襲ってくる。僕はそれに抗わず、ロッキングチェアに深く腰掛け、微睡みの中に意識を沈めた。





クゥール一人称にするとびっくりするほど暗くなりますね! この話は基本シリアスですし。リジェットは特別浮上が早い子だからなあ。

次は守りたい余白2です。 水曜日更新予定。


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