102始まりは終わりで終わりは始まりです
夏の終わりはどうしてこんなに寂しいのでしょう。
第一王子による、誘拐事件からしばらくたった約半年が経った、夏の終わり。一学年の授業を無事終了したわたくしは、久しぶりにオルブライト領に向かうために馬車に揺られていました。
馬車の窓を開けると、夏とは気配が異なる、爽やかな秋の風が吹きこんできます。夏でも茹だるほどは暑くならないハルツエクデンでは、夏が終わるとすぐに季節が変化していきます。
同じく騎士学校の二学年を終了した、ヨーナスお兄様も騎士団への正式配属までは休暇がありますが、今回は王都での準備があるらしく、わたくしとは別日で帰領するそうです。
森を抜け、街を三つ抜けると、生まれ育ったオルブライトの屋敷が見えてきます。玄関の前に乗り付けられた、馬車を降り一歩足を踏み出すと、屋敷の前並ぶようにして街構えていた使用人達が。わあ! と嬉しそうに声を次々に上げてわたくしの帰りを迎え入れてくれます。
「リジェットお嬢様! よくぞご無事で!」
「お怪我などはされていませんか?」
使用人の中には目元が潤んでいる者もいました。長年、この家に仕えてくれている方々が多いようですが、どうやら彼らにも心配をかけてしまったようですね。
それもそうでしょう。年頃になったら、他領に嫁ぐと思っていた箱入りの末娘が、いきなり兄たちと同じく、騎士団に入りたいと言い出して、それを実行してしまったのですから。
彼、彼女たちはわたくしが生まれて間もない頃から、成長を見守ってくれていた方々ですから。わたくしの突拍子もなく見える決断に驚き、心を砕いて心配してくださったに違いありません。
感慨深い気持ちになりながらゆるりと微笑んでいると、使用人の一人が手をビシッと上げて、宣言するように声を上げます。
「リジェットお嬢様! ……もしお時間ありましたら、厨房の火力調整の魔法陣を見ていただいてもいいでしょうか? 長年使用していたからか、最近馬鹿になってしまいまして……」
「あ! 調理長! 抜け駆けは許しませんよ! リジェットお嬢様、先に床掃除の魔法陣の様子を見てくださいな。最近調子が悪いんですよ〜」
「それよりも、染み抜きの魔法陣の改良版を考えていただかないと困ります! 私がどれだけお嬢様のご帰還を楽しみにしていたことか……。あなた達も知っているでしょう⁉︎」
次々と楽しげに上がる声に、おや?とわたくしは首を傾げます。
あれ? わたくし。魔法陣制作便利アイテムとして、心配されていた……というわけではありませんよね?
図太いわたくしを育んだオルブライト家は、使用人もまた同じように図太いようです。
自室に荷物を置いて、ラマが用意してくださったハーブティーを飲みながら一息ついていると、お母様付きの侍女がやってきました。
「リジェット様。お疲れのところ申し訳ありませんが、奥様が少しお休みになったら、応接間に来てくださいとの言付けがございました」
「あら。お母様。何かご用事でもあったのかしら?」
実はお母様とは騎士学校にいる間、全く連絡を取っていないわけではなく、カフェの事業関係で提携していましたので、お手紙の魔法陣を利用して密に連絡をとっていました。今更お会いして話すようなこともない気がするのですが……。
わたくしは少し不思議に思いましたが、家に帰ってきたのだから話したいこともあるのだろうと自分を納得させて、指定された部屋に向かいます。
部屋に入ると、お母様はいらっしゃいましたが、ソファには座っておらず、扉の前に立っていました。
わたくしの姿に気がつくと、軽く会釈をして部屋を出てしまいます。
あれ? わたくしを呼んだのはお母様なのに退出してしまいましたよ?
首を傾げながら、入室すると中にはなんとへデリーお兄様がいらっしゃいました。
「ヘデリーお兄様も帰領されていたのですね!」
わたくしが駆け寄るとへデリーお兄様は腕を組んで眉間に皺を寄せます。
そのままわたくしの顔を見てふん、と鼻を鳴らしましたが、これは怒っているわけではないのです。
多分……わたくしとの再開に喜んでいる……はずです。
「ああ。私は休暇が終わったら、すぐにシハンクージャ国境警備に戻るからな。この機会を逃すとお前にはなかなか会えなくなるだろう。その前に一度会っておかねばと思ってな」
「まあ、そうだったのですね! で、本当の要件はなんなのですか? 手短に本題に入りましょう!」
そういうと、へデリーお兄様は見るからに不機嫌そうな顔でわたくしの顔を睨みます。
……あ、あれ? わたくし、何か怒らせるようなことを言いましたっけ?
「……私が用もなく妹の顔を見てはいけないのか?」
どうやら、へデリーお兄様は特段用事があったわけではなく、純粋にわたくしの顔を見に来てくれただけだったようです。
「あらあ。お母様を伝令係に使ってまでわたくしを呼び寄せていましたから。てっきり何か密談でもあるのかしら? と勝手に勘違いしてしまいました」
「私は派閥がユリアーンともヨーナスとも異なるからな。……私と会ったということは旧王族派と接触したということになってしまうだろう? 母上は中立を貫いているお前と私が会ったという事実を屋敷内でも残したくないのだろう。今だって表向きにはお前は母上と歓談していることになっている」
「まあ……。そうだったのですか……」
兄弟であっても派閥が違うと、気軽に会うことも許されない……。貴族というものは本当に、厄介な生き方を余儀なくされますね。
それはそうと、へデリーお兄様の先程の言葉がふとひっかかってしまいます。
「ヨーナスお兄様は今の時点ではわたくしと同じく、中立の立場ですよね?」
「いや。第二王子から直々に謁見の申し出があったそうだ。父上にも連絡が入ったので、領主の承認を得た正式な申し出だ。ちょうど今ごろ、王城に招かれているはずだ。
場を完全に整えられてしまった状況で、煙に巻くのはヨーナスには難しいだろう」
「そんな……」
わたくしは思っていたよりも幾分早い展開に、瞠目します。わたくしが騎士学校一年生を終了するまで、第二王子__アルフレッド様も第一王子も接触してくるようなことはありませんでした。しかし、王子たちはわたくしではなく、ヨーナスお兄様に標的を写したのでしょう。
「はあ……。家の存続のためには仕方がないことですが、兄弟間で、派閥が分かれるって本当に心苦しいことですね」
「まあ、誰もが家を存続させるために派閥を分けているわけではないと思うが」
「え?」
「……だからこそ、お前には中立を貫いてもらわねばならない。万が一王位継承争いの中で、全ての派閥が共倒れした場合、家が残らない可能性があるからな」
へデリーお兄様の意外な言葉にわたくしは驚いてしまいます。へデリーお兄様は一番見込みがないと思われている旧王族派に属していますので、なんとしても手札を増やしたいと考えているのではないかと思っていたのです。
このお茶会もそのための勧誘だろうと思っていたのに、そうではなさそうな様子に面食らってしまいます。
「ヘデリーお兄様までわたくしを婚姻で自陣へと向かい入れようとしたらどうしようかと思っていました」
「他の派閥はそんなことをしているのか……」
「ええ、第一王子も第二王子も、婚約の魔法陣を無理やり用いて、わたくしを自閥の者としようとしていました。アンドレイ様もそう考えているかと……」
「やらんぞ。あいつは俺のだからな」
「え?」
……どういう意味でしょうか。へデリーお兄様にとってアンドレイ様が最高の主人であるから、余分は許さないという意味でしょうか? それとも……。
思ってもいない言葉の真相が掴めず、目を瞬かせることしかできませんが、あまり深く考えない方がいいのかもしれません。なんてったって相手はヘデリーお兄様ですし。
言葉を詰まらせたわたくしに対して、憮然とした表情でヘデリーお兄様は続けて話します。
「それに旧王族派は、国の中では弱い勢力だ。きっと何かが起こらない限りは王位につくことはできないだろう。そんな危うい派閥に、大事な妹を引き込もうなんて思わない」
「……わたくしはいつも不思議だったのです。へデリーお兄様はそれがわかっているのに、どうして旧王族派に属そうなんて思ったのですか? ……へデリーお兄様は実は頭がいい方ですし、状況判断だって得意なのですから、のしあがろうと思えば、王族の人間にだって近づけたでしょう?」
へデリーお兄様は、眉間に渓谷のような皺をよせ、苦い表情を作りました。不機嫌そうなその顔は。お父様によく似た、恐ろしいとも言える表情ですが、へデリーお兄様を象徴するような顔です。
「……自分が忠義を尽くせない人間に仕えるくらいだったら、忠義を尽くせる人間に仕えて死ぬほうがマシだと思ったんだよ」
「それって……。あまりにも極端すぎません? 命を危険に晒すような真似をなんで……」
「心から嫌悪する人間に仕えるのは、生きながら死んでいるのと同じだろう?」
そう言ってへデリーお兄様は小馬鹿にするような表情でわたくしを見ます。
「お前だってギシュタールに嫁ぐのは嫌だったんだろう? それとなんら変わらない」
「……それはそうですけど」
どうしてなのかわかりませんが、わたくしはへデリーお兄様は、騎士団という組織の中で力をふるい、のし上がっていく人だと、そう思い込んでいる節がありました。
権力を実力でねじ伏せ、隙を見せずに、将来はお父様のように騎士団長になる人だと思っていたのです。
なのに、自分が主人だと認めた人のために身投げとも言っていいほどの選択をするなんて……。
わたくしが思っていたよりもへデリーお兄様は複雑な人だったのかもしれません。
へデリーお兄様とのお茶会があった後、わたくしは三日ほど、オルブライトの屋敷に滞在しました。長期休暇は二週間あるので、当初の予定ではその全てを屋敷で過ごす予定でしたが、屋敷の方にも革新派、保守派、両派閥に属する貴族達が押し寄せ、わたくしに謁見を求める事態が発生したため、予定を変更して、早めに王都へともどることになりました。
わたくしが自室で自分の荷物を詰めていると、いきなりバタン! と、自室のドアが大きな音を立ててノックもなく開きました。
何事かと思いそちらを見ると、そこにいたのはラマでした。
ラマは相当急いでいたのか、息をぜいぜい上げて、手で両膝を押さえるような格好をしています。
「お嬢様! 大変です」
ラマが息が上がるほど急いで駆けつけてくるなんて何があったのでしょう……。
「どうしたの、ラマ。そんなに慌てて……」
「ハルツエクデン王が亡くなりました!」
「え……」
夏の終わりに、現ハルツエクデン王が亡くなる。
それはオフィーリア姫が予言した通りの未来でした。
これで一年生編は終了です。
間話を三個(それぞれ前後編に分かれているので計六話)ほど挟んで二年生編に向かいます……が、二年生編はやっと書く部分の流れをまとめたところで、まだ三万文字ほどしか書いていないので、そこからの更新は未定です。三月は最低週一で更新して、二年生編が書き終わったら一気に放出する形になるかもしれません。
2021年内には書き終わりたいなあ、なんて思っていたのですが、果たして終わるのか。乞うご期待です。




