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白兎令嬢の取捨選択  作者: 菜っぱ
第二章 王都の尋ね者(騎士学校一年生編)
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94ユリアーンお兄様がきました


「そうだリジェット・オルブライト今日の授業終わりに、資料室に来るように」

「? はい? かしこまりました」


 新学期が始まった一日目の授業終わりに、わたくしは教官であるエドモンド様に呼び止められて、首を傾げます。


 何かわたくし、呼ばれるようなことをしましたっけ? と思い、今までのことを思い出しますが、やったことが多すぎて何が該当するのかがわかりません。


「わたくし……。なんで呼ばれたのでしょうか……」

「リジェット、色々やらかしているからな……。お叱りじゃない?」

「ひどいです……メラニア。でもわたくしもそうだと思います」


 わたくしはその後のことを想像し、がっくりと項垂れます。


「で、でも。エドモンド先生ですから、もしかしたらお褒めの言葉かもしれませんよ?」


 小首を傾げて可憐な様子見せた、エナハーンが優しく慰めてくれます。なんて優しい子なんでしょう! エナハーンは! なんだかメラニアが白々しい、と言わんばかりの薄目でわたくしたちを見ている気がしますが気にしてはいけません。


「じゃあ。ちょっと行ってきますね!」


 わたくしは学校に張り巡らされた転移陣を用いて、エドモンド様が待っている、準備室へと急ぎました。






 授業準備室の扉を開けると、騎士団の制服を着たがっしりとした体つきの男性がソファに座っている後ろ姿が見えました。

 二の腕についた勲章の数から、高位の団員だということがわかります。

 几帳面にきつく結ばれ、腰まで長い三つ編み。髪の色は黒で、潤沢な魔力を有しているのが見て取れます。


 普通はそんな騎士団員を見たら、恐れを抱いてしまうのに、この方には妙に親近感を抱いてしまいます。というか、見覚えしか感じないのですが……。

 わたくしは団員の顔を覗き込みます。あれっ! やっぱり……


「ユリアーンお兄様⁉︎」


 そこにはオルブライト家の長男、ユリアーンお兄様がいらっしゃったのです。


「リジェット……。久しぶり」


 ふんわりと優しく笑うお姿は昔と変わっていません。

 でもユリアーンお兄様を見るのはかれこれ、三年ぶりくらいではないでしょうか。

 寡黙で冷たいと評されることが多いユリアーンお兄様ですが、家族想いで優しい大好きなお兄様です。

 我が強いへデリーお兄様は、ユリアーンお兄様のことをやさしいだけのろくでなし、だなんて言っていますが……。

 ユリアーンお兄様自身はツンケンした態度をとる、へデリーお兄様にも他の家族と同じように慈愛をもって接していますし、懐が深い方なのです。


「どうしてここに?」

「久しぶりに休みが取れたので、一度リジェットに会おうと思って。騎士学校に入学したと聞かされた時にはびっくりしたが、元気そうだ」

「はい! わたくしは元気ですよ! ユリアーンお兄様も元気そうで何よりです」


 久しぶりに会えたユリアーンお兄様の姿に令嬢らしくなく、子供のようにぴょんぴょん飛び跳ねていると後ろから声が聞こえます。


「ここは君たち兄弟の面会場所ではないのだが……」


 この部屋の主である、エドモンド様は眉を下げて困った顔をしています。


「ということは、ヘデリーも君を頼ったのか。申し訳ない……。君には毎回、迷惑をかける」

「いや。あなたにはこちらも迷惑をかけたことがありますから、貸しにはしませんが……。というかなぜ、後から出て行ったはずのリジェット・オルブライトが先にここにいるんだ?」


 あ、失敗しました。騎士学校内に無断で魔法陣を取り付けたことがバレてしまったら、エドモンド様でも流石に怒るでしょう。わたくしは慌てて誤魔化すように話の流れを変えます。

「世の中って不思議なことがいっぱいありますよね! それはそうと、ユリアーンお兄様、今日はどうされたのですか?」


 ユリアーンお兄様がわたくしたち家族に合わないようにしていたのは、忙しいだけが理由ではありません。第一王子の近衛騎士、と言う立場のユリアーンお兄様が家族との面会を増やすと、家族が第一王子派だと思われてしまう危険があるからです。


 騎士学校は基本的に休暇以外は、家族との面会が禁じられています。だからこそ、懇意にしている教官の協力を得て、面会を行うことができれば、オフレコにできるのです。


 しかし、ヘデリーお兄様と違って思慮深いユリアーンお兄さまがただ顔を見たいという理由だけでここを訪れるわけがありません。何か理由があるのでしょう。


 チラリと顔を覗くと、ユリアーンお兄様は、難しい顔をしながら口を開きました。


「シハンクージャのことは聞いたか?」

「はい」

「そうか……」


 その一言で、第一王子派の人間が、シハンクージャとの開戦に向けて動き出したことを悟ります。


「私は第一王子の近侍騎士だ。だから……多くのことは語ることができないが、この国で何か動きがあった時には、第一王子の手足となって働かねばならない。殿下は王位継承に当たって、何かと足場が不安定な立場にいる。だからこそ何かが起こった時は私自身が第一線に立たねばならない。それはわかるだろう?」

「何かが起こった時……」


 それは暗に、戦争が起こった時、と言う意味と同意でしょう。


「第一王子……。ジルフクオーツ様は、シハンクージャとの戦いで、功績をあげようとお考えなのですね?」


 そういうと、ユリアーンお兄様は困ったように微笑みました。立場上、詳しいことは言えないでしょうが、これは肯定という意味でしょう。


「そうなった時、私は君を巻き込むような真似はしたくはないんだ」


 ユリアーンお兄様の言葉は切実な響きを持っていました。


「でも、わたくしは騎士になると宣言し、もう王都まできてしまったのです。あと一年と少しの期間の授業を修了することができれば、この国の騎士団に入れるのですよ? 逃げ帰るような真似はしたくはありません」

「それでも、私は君に帰って欲しいと思うよ。これ以上王都に停まれば、君は王位継承争いの材料になる」


 沈んだ声に胸が痛くなります。ユリアーンお兄様はわたくしの身を案じているのだわ。


「ごめんなさい。それでもわたくしは帰りたくないのです。まだわたくしにはやるべきことが残っていますから。

 ……でも皆さんの気持ちもわかるのです。ユリアーンお兄様だけでなく、ヘデリーお兄様も、ヨーナスお兄様もみんなわたくしのことを心配してくださいますからね。それに戦いに出るということだけが重要ではないということも最近は理解できるようになりましたし……」

「後方支援に勝機でも見出したか?」

「はい。純粋な武力では、白纏の子であり女であるわたくしが勝てる要素はありません。でも、だからこそのわたくしの戦い方があります」

「リジェット……」


 きっとユリアーンお兄様は第一王子の近侍としてずっと王都にいましたから、わたくしがやらかしたことの目立つところだけをかいつまんで聞かされているはずです。そんなユリアーンお兄様の視点で見ると、わたくしはとっても無鉄砲で危うい子供に見えるのでしょう。


 でも、わたくしはそこから少しだけですけど成長したと思うのです。


 以前のわたくしは、後悔しない人生を送ることだけに、注力しすぎて、そのためだったら自分の命を散らすのも美しいのではないか、と思っていたところがあります。

 今はわたくしが消えるのを怖がっている人がいるって言うのも身をもって知っていますから。


 楽しいことが好きで、寂しがりやなくせに、滅多に心を開かないような、面倒な人がわたくしの師匠なんですもの。


「心配しないでください。昔みたいに命を蔑ろにするような戦い方は致しません。第一王子の情報をお兄様が言えないように、わたくしにも言えないことはありますが、今のわたくしはそこまで無鉄砲なことはしていませんよ。地に足がついた現実的なことをしようと思っています」

「……それなら、いい」

「それよりも、ユリアーンお兄様? せっかくエドモンド様が入れてくださったお茶が冷めてしまいますよ?」

「ああ、そうだな。いただこう」


 カップに口をつけた、ユリアーンお兄様は喉が渇いていたのか、お茶を一気に飲み干します。

 

 その後は派閥争いなどに関係のない、たわいもない家族の話や、王都の美味しいお菓子屋さんの話なんかを楽しみます。

 その話の中で、何か気になることがあったのか、ユリアーンお兄様はわたくしに尋ねます。


「君は……誰を連れて王都へ?」


 いきなり話が変わったので少し動揺しましたが、別に隠すような内容ではないのでわたくしは素直に質問に答えます。


「侍女ですか? 侍女はラマを連れて」

「ラマ……。彼女が……?」


 ラマの名を聞いた途端ユリアーンお兄様の顔が一瞬強ばったように見えたのは気のせいでしょうか。


 隣にいたエドモンド様はその変化に気がつかなかったようですが、何年かあっていなくとも妹であるわたくしにはその変化が読み取れました。


 もしかしたらわたくしが知らないだけでユリアーンお兄様とラマは親交があったのかもしれません。


「わたくしが学校に行っている間であれば、ラマは自由な時間が多いので、ユリアーンお兄様も会いたければあったらいいのではないですか? わたくしだって従者にそのくらいの自由は許しますよ」


 そういうとユリアーンお兄様は何故か苦しそうな顔を

します。


「……いや。彼女に会いたいわけではないんだ。元気にやっているならば、それでいい」

「……そうなのですか?」


 何か喧嘩別れでもしてしまったのでしょうか。わたくしが大人の二人の関係に口を出すのはあまりにも無粋ですから、口を閉ざします。


 その後も談笑が続きましたが、一向にユリアーンお兄様は帰ろうといたしません。

 ユリアーンお兄様の表情を観察すると、時間が経つにつれ、表情が曇っていきます。何か伝えに来たのに、それを言えないまま、時間が過ぎていく感を感じ取ったわたくしは、単刀直入に尋ねます。


「ユリアーンお兄様は、今日は本当にわたくしの様子を伺いにきただけなのですか?」


 そう問うと、ユリアーンお兄様は途端に顔を曇らせました。

 

「リジェット、君は第一王子のもとに嫁ぐ気はないか?」


 絞り出すように、苦しそうに、ユリアーンお兄様はそれを口にしましたが、わたくしは、まあ、そんなところだろうと、予想していた質問だったので特に驚きもなく質問に答えます。


「やっぱりその話題でしたか……。わたくしはオルブライト家領主の意思に従い、その提案を拒否します。

 というか、黒髪ではない第一王子が妃として迎え入れるのであれば、黒髪の女性でないと意味がありませんよね? ……第一王子は誰かを正妃として招いた後、わたくしを側室にでもしたいのかしら?」

「……さあ、どうお考えなのかはわからない。それでも第一王子は君を手元に置いておきたいらしい」


 首を静かに振ったユリアーンお兄様の顔は憔悴しているように見えます。

 恐る恐る要求を口にした様子を見ると、ユリアーンお兄様自身、あまり第一王子を慕っていないのかしら。


「というか、ユリアーンお兄様がその類のことをご自分の意思で口にするなんて、信じられません。今日それをわたくしに伝えなければ、自身の命を削るような制約の魔法陣でもかけられましたか?」


 まさかそんな非道なことを第一王子がするなんて考えてくもありませんが、王位がかかれば、人はなんだってやるでしょう。

 現にユリアーンお兄様はわたくしの言葉を一切否定せず、苦い顔をして笑っています。


「やっぱりわかってしまうか……」

「それはそうでしょう。隣の国で革命によって新しい王が誕生し、国が動いているというタイミングで、ユリアーンお兄様がわたくしに会いに来るならば、自派閥の強化を目論んだ勧誘が目的でしょう。ただ会いに来るなんて第一王子が許すはずもありません。

 わたくしに遠慮しそれを言い出せずにいるなんて、ユリアーンお兄様は優しすぎるんですよ」

「私は優しくなんてないよ。ただ優柔不断で、人に流されているだけの不甲斐ない男なだけだ」


 重たい告白には明確な後悔が滲んでいました。


「ユリアーンお兄様は第一王子付きになったことを後悔しているのですか?」

「後悔か……。難しいことを言うな」


 ユリアーンお兄様は息を深く吐きながら俯きます。


「もし万が一、私が逃げ出したとしても、他の兄弟の誰かが第一王子付きの騎士としてあてがわれただろう。……ヘデリーはどんな手を使ってでも拒否しただろうから、その場合ヨーナスがあてがわれるか。どちらにせよ、誰かが犠牲になるのであれば、割りを食うのは自分でいいと思ったんだ」

「そんな……」


 家族のために自分を犠牲にするなんて。ユリアーンお兄様は他人に優しくしすぎだと思います。


「今から、第一王子の元を離れることはできないのですか?」

「いや、もう難しいだろう。離れるには不都合なことを私は知りすぎてしまった」


 何を? そう聞き返したくなってしまいましたが、聞けるはずもありません。第一王子の幼馴染であった、ステファニア先輩も「あいつは狂っている」言っていました。第一王子はどうやら、わたくしが想像もできないような特殊な性癖を患っているらしいですから。


 ……どんな風に狂っているのか。想像したくありません。

 そんな人が王になる可能性があるハルツエクデン国の未来のことを考えても暗雲が立ち込めてしまいます。


 ユリアーンお兄様は、わたくしが暗い表情をしたのを見て、自身に対して嘲笑うような表情を見せます。わたくしはそんなユリアーンお兄様に、気の利いた言葉をかけることもできず、ただただ黙り込みます。


「後悔ばかりの自分がいうのもなんだが……。リジェット。一番大切な人間の手は離してはいけないよ?」

「ユリアーンお兄様は離して後悔したのですか?」


 ユリアーンお兄様は静かに頷きます。そしてゆっくり言葉をこぼします。


「離したことで、彼女を守ったつもりでいたんだ。ただそれは、まやかしだった」

「守りたい人がいたのですね?」

「守ったどころか、もっと酷いところに連れてきてしまった気がする」

「酷いところ?」

「国の政の最前線だよ」


 そう言ったユリアーンお兄様は、今日の中で一番悲しい顔をしていました。






 ユリアーンお兄様が帰った後、わたくしは一人物思いに耽ります。

 オルブライト家の長男として、ユリアーンお兄様が第一王子の近侍騎士になったことは、誰がどう見ても正しいルートとされるルートです。


 しかし、その選択をしたことで、ユリアーンお兄様は大切な人を、危険に晒してしまったと後悔していました。

 けれども……どんな選択をしても、後悔自体を無くすことは難しかったように思うのです。

 例えばユリアーンお兄様が大切な人の手を手放さず、家を捨てたとします。そうするとわたくしたち兄妹の誰かが、代わりにポジションを埋めるためあてがわれます。

 すると、誰かは必ず犠牲になるのです。

 優しい、ユリアーンお兄様はそれを知ったら、酷く心を痛めるでしょう。その悲しみは逃げたことで手に入れた大切な人と新しい生活にも影を落としてしまうと思うのです。ユリアーンお兄様は自分の幸せのために、他人を犠牲にできない人間ですし。


 そうなると、この展開は彼にとって避けられぬ、必然だったと思うしかないのです。


 仕方ないことなのだ、そう割り切らなければ、甘さを排除しなければ、と思うたびにわたくしの心は錆びた鉄が擦れるように軋みます。


 __一番大切な人間の手を離してはいけない。


 ユリアーンお兄様が発したその言葉が、とてもとてもこの上なく大切なことに思えて、わたくしの脳内に焼き付いて離れませんでした。



情緒があれば気がついたかもしれませんが、気がつかないのがリジェット品質です。

次は土曜日に〜!

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