その2
「お断りいたします」
きっぱりと言い切ったリアンを、グリフォリーノ・バロッサは信じられないものを見るような眼差しで無遠慮に見た。
どんな風に言われようと、ここはコリン・クローバイエの自宅だ。例えやってきた相手が大貴族であろうとも、主が望まぬ者を客人として受け入れる訳がない。
冷たい眼差しで相手に帰宅を促すリアンであったが、グリフォリーノが驚愕したのは追い返される冷たい台詞のせいではなかった。
「男かっ」
「……」
咄嗟のことで声を作るのを忘れてしまったのはリアンの失敗であった。現状、コリンの屋敷に居るのだから、リアンの恰好といえば家庭教師もかくやの控えめな暗色のドレスだ。首筋をきっちりと隠すレースに縁どられたドレスは男らしい咽喉までしっかりと隠してくれる。だが、男らしい声音だけはわざわざ隠さなければ女と思わせることは難しい。
「うわっ、これは騙される。そうか、君は以前コリン・クローバイエの背後に控えていた従僕だな。まさかこんな綺麗な女装で再会するとは思わなかった」
「――おっしゃりたいことはそれですべてですか? 主はお会いになりません。どうぞおひきとり下さい」
「ちょっ、ちょっとまちなさいよ。
彼女は居るのだろう? どうして君は彼女の返答を待たずして来客を追い返すような真似をするのかな? 少なくとも、一度は確認するべきだろう」
「確認するべくもありません。当家の主人は貴方様と面会を望まれておりません。ですので、即刻、お引き取り下さい」
リアンの顔立ちがそれまでは確かに女性的であったというのに、今は自分が男であるというのを隠していない為にか鋭さを増していく。冷たく、殺意にすら転じそうな雰囲気に、グリフォリーノは肩をすくめた。
「解った。今日のところは帰ろう――そのかわり、次の約束をとりつけてくれないことには帰れない。別に王宮に来いと言っている訳ではない。私と、彼女との二人で面会してほしいと言っているんだ。楽しくお茶をいたしましょう、とね。難なら私の屋敷に来てもらっても構わない。けれどそれでは彼女がイヤがるのではないかという配慮でもって私が足を運んでいるのだ」
これでも譲歩していると示す男を冷ややかに見つめたまま、リアンは唇をいったん引き結んだ。
「生憎と――」
「私はグリフォリーノ・バロッサだ。
私の力がどこまで通用するのか、そんなに知りたいかい?」
力強く自らの名前を口にし、確かめるように問いかける。
リアンはギリっと奥歯を噛みしめた。
「確認させて頂きます」
「ああ、そうしてくれ。こちらの都合を考慮しなくていい――彼女のいいように日付も時間も設定してくれればいい。それこそ、深夜にだろうと馳せ惨じるつもりだよ」
片目をつむってみせる男にくるりと背を向けて、リアンは苛々とする気持を隠さずに階段をのぼった。
「あがってくるなよ」という言葉は飲み込んだ。
紳士であれば、二階に無理やりあがるような真似はしないだろう。怒鳴るように確認をとりたい気持ちをなだめて、最終的には二段飛ばしで階段を駆けていた。
廊下を走るなど決してあってはならないというのに、どうしても気持が焦るのか速足になってしまう。
主の応えさえまたずに居間へと駆けこむと、コリンは相変わらず壺の表面の滑らかさを楽しみつつ、小首をかしげた。
「リアン?」
「――申し訳ありません」
がばりと下げた頭は、腰近くまで下げられた。
自分の失態であるかどうか関係がない。ただ、こんな状態になってしまったことが悔やまれた。
「階下にグリフォリーノ・バロッサ卿がお見えです」
「――」
「コリン様と面会をご希望されていますが、お断り致しました。ですが、次のお約束を取り付けなければ帰らないと」
苦痛を覚えるように言えば、コリンはそっと吐息を落とした。
「解りました。リアン、先ほどお断りした時間と日付――その日取りで面会の了承を」
半眼に伏せた眼差しがついっとあがり、冷ややかに命じつける。
一度断った日付で受けるのは、明らかに挑発であった。
リアンはすっと背筋を伸ばし、一礼する。
「承りました」
「ただし。場所はクローバイエの本邸に。この家に招かざる客を迎えるつもりはありません」
毅然とした口調の主の様子にゆっくりとリアンの内にあったもやもやとしたものが霧散する。
そうして余裕を取り戻した。
「どうしました?」
「いいえ。自分の未熟を痛感しただけです」
いつもとは違う事柄に、公爵家の人間に心が激しく動揺してしまった。そんなものは関係が無いというのに。自分の主人はコリン・クローバイエ――自分はただひたすらに彼女を守れば良いだけだというのに。
くるりと身をひるがえし、そのまま下がろうとするリアンにコリンは待ったをかけた。
「口頭ではなく、手紙を」
「――当人がいますが?」
「手紙で日付を指定なさい」
コリンがきっぱりという言葉に、リアンはもう一度手紙をしたためた。
一度目の手紙と同じように、時節の挨拶。そして今度は面会の了承、そして当然のように相手の健康を願う文面を添えて。
蝋を溶かして封印を施す。
印章は当然貴族のようなものではなく、ただヴィスヴァイヤが割符などに使用している紋章だ。
今度は余裕をたっぷりと見せつけるように――リアンとして微笑を称えて相手へと差し向けた。
「……」
グリフォリーノは最初と同じようにその場で封印を解き、中身を引き出す。
確認して、口元に皮肉な笑みを浮かべた。
「確か、都合が悪いと言っていたような」
「何か問題が?」
「――我儘なお嬢様だ。まぁ、それでこそ楽しめる」
ふんっと鼻で笑う様子に眉宇が寄ったが、相手かそのまま帰る素振りをみせたのでリアンはそれで良しとした。
さっさといなくなれ。
そんな思いをたっぷりと込めて見送ったのだった。
***
「本気ですか?」
グリフォリーノが鼻歌交じりに「結婚しようと思う」と口にすると、彼の副官は栗色の目を見開いて、手に持っていた書類をばさばさと落とした。
「嘘を言ってどうする?」
「どこのどなたです? その不幸なお嬢さんはっ」
「……なぜ、私と結婚することが不幸なんだ?」
「失礼。失言でした。で、どこのどなたなのですか、そのお幸せなご令嬢は」
言い直した言葉に納得がいかないものの、グリフォリーノはぐしゃぐしゃと前髪をかき回して皮肉に口元を歪めた。
「コリン・クローバイエだ」
「正気ですか?」
目を見開いていた副官は、絶望的な声で呻いた。
「随分じゃないか」
「あの方に関わるなと厳命されているではありませんかっ。もしそんなことをしたら、本気で飛ばされますよっ」
「恋愛結婚にまで口出しはなさるまい。私とコリン・クローバイエが結婚すれば、きっとあの方は祝って下さる」
――そして、毎日のようにコリンを奥宮に引き立ててやる。
奥宮の主はきっと当初は怒るだろう。だが、やがては喜ぶに違いない。二人の拗れた関係もこれで直る。
どんなに意地を張ったところで、主がコリン・クローバイエに執心であるのは事実だ。まるで初恋かとからかいたい程、その心の片隅にしっかりと住み着いている。
だがそんなのは幻想だ。
顔を合わせずにいるからこそ求めるもので、毎日のように接触があれば気づくことだろう。コリン・クローバイエもただの人間であり、極普通の女であり――それはつまり、心を砕く必要など無いのだということが。
あの娘の為に泣くことを封印などしなくてよいのだということを。
鼻歌を歌うグリフォリーノを呆れた眼差しで眺め、ロットはゆるゆると首を振った。
「まさかご自分の婚姻をそのように使うとは思いませんでした」
「有意義だろう?」
「――卿の殿下への忠誠心が強いのは存じ上げておりましたが……そこまでとは」
「失礼な。誰はばかることなく私は皇女殿下に魂をささげている」
だから許せないのだ。
コリン・クローバイエが。
唯一、あの方の泣かない涙を独占するあの女が。
だというのに、少しもそれに対して頓着していないあの女が。
首元のタイを緩めて、ふとグリフォリーノは眉をひそめた。
――むしろ、あの方の恩人と思っていた筈であったのに……いったい意識はどこで切り替わったのだろうか。
ぐぐっと眉間に皺が寄り、自分は確かに今現在正気ではないのではという思いにふるりと首をふる。
「そんなことより、あちらの動向はどうなっている?」




