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遊戯  作者: たまさ。
アルファレス・セイフェリング
63/72

その4

悠然とした微笑を称える男を胡乱な眼差しで睨み返しながら、アルファレスは「酒屋?」とちいさく口にした。

 サロンなどで酒に興じることはあっても、酒屋という単語には覚えが無い。文字通り、酒を商う場であるというのは理解できるが、アルファレス自身が自ら酒を買う、もしくは買う店という場に共通点は無いのだ。

 それは家人の仕事であって、主であるアルファレスにとって無縁のもの。

酒とはすなわち、飲める段階でアルファレスの面前にあるもののことを言う。


「酒屋というのはね、酒を売り買いする店のことだよ」

 にっこりと相手が説明をすれば、アルファレスはむっとしたように「それくらいは知っています」と割って入る。まるで子供にでも諭すかのような口調は、明らかに挑発だ。

「まぁ、その様子では知らないようだね」

 つまらなそうに肩をすくめつつ、手の中にあるアルファレスの名刺をもてあそぶ。それの意図するところが判らずに眉間に皴を深めると、グリフォリーノ・バロッサはまるで手品のように手の中で名刺をもてあそび、やがてそれを二つ折りにすると、ふっとその手の中からソレが消失した。

 

 その素早い動きに思わず驚嘆してしまったアルファレスだが、それを顔には出さないようにひたりと相手を見返す。

「何を言いたいのですか」

「察しの悪い男だね、と言いたいところだけれど。まぁ、それが普通だ――気にすることは無い。安心しているよ、君がそういう男で」

 相変わらず侮るかとにらみつけると、相手は苦笑する。

「いやいや、すまない。

多少遊んでしまったみたいだ――友達が少なくてね? 私ときたらはしゃいでしまっているのかな」

 くつくつと肩を揺らし、ふと思い出すようにグリフォリーノは小首をかしげて見せた。

「その酒屋で、この名刺を出した女性がいる」

「酒を買うのにツケる為に?」

「ふふ、違うよ。それに我々の文化がツケだとしても、名刺一枚で信用を勝ち取ることはできない。いくら何でもね。それくらいは判るだろう? 名刺なんぞで人は計れない」

「ですから」

 いったい何が言いたいのかとアルファレスが憤りを向ければ、グリフォリーノはくつくつと肩を揺らした。


「確か、君には姉がいたね」

「話が飛びすぎだ」

「ふむ――私としては順当に話しているつもりだけれど。まぁ、いい。そちらはこちらの領分だ。手駒ならいるからね。君に聞いてもわかりそうにないし」

 ぶつぶつと言う相手に腹立たしさがまさり、席を立とうとしたところで相手が謝罪を口にした。

「いや、すまない。

怒らせるつもりは無かったんだ。ああ、ところで君ときたらあの娘とは未だかかわりがあるのかい?」

 突然だされた娘という単語に、思いつくのは麗しい(かんばせ)。グリフォリーノと自分との間で言われる女性といえば、どう考えてもコリン・クローバイエしかいない。

 先ほどまで悶々と恋と呼ばれる感情の定義について考えていたアルファレスは、不愉快を更につのらせて平坦な眼差しを相手に向けてしまった。


「何か?」

「そう怖い顔をしないでほしいな。ただね、あまり君にかき回してほしくないなと思っただけだよ」

「彼女があなたと何の関わりが?」

 脳裏に浮かぶのは、グリフォリーノ・バロッサが仮面舞踏会のおりにコリンをその腕に抱いた姿だ。

 本当に、本当に、本当に不愉快になる程似合いの一対。

暗褐色の色彩のグリフォリーノに、豊かな蜂蜜色を持つコリン。絵姿にでもなっているのであれば、つま先でぐりぐりと踏みにじりたい衝動にかられることだろう。もちろん、グリフォリーノ部分のみ。


「こちらこそ、訪ねたい。

君にとってもう彼女は関係が無い筈だろう? まさかまだちょっかいをかけているのかな」

「――あなたは何をご存じなのですか」

 まるで、以前は関係があったことを熟知しているかのような物言いだ。

もちろん、それはアリーナ・フェイバルを起因とした事柄。コリンとの出会うきっかけとなった事柄だ。

確かにあの件をいうならば原因は消失した。

アルファレスがコリンと関わる理由は無い。自分でも重々承知している。

何より、言われるまでもなく……もう会うつもりは無い。

 奥歯をぐっと噛み締めるのと同時、眼差しは自然と厳しくなった。


 もう会うつもりはない。

もう二度と。

「私は割といろいろなことを知っていないといけない立場だから。当然いろいろと知っているよ? それを根掘り葉掘り吐き出すつもりは無いけれど、君があの娘に嫌がらせをしていたことも、その理由も……まぁ、それなりに知っている」

 あっさりと言い、けれどにっこりと微笑を浮かべて肩をすくめる。

「だから、君にとってもう彼女は無関係であると判断する訳だ。つまり、君にはさっさと退場してもらいたい」

 白手に包まれた手を軽く振るその所作は、アルファレスを更に不愉快にしてくれる。

もう会うつもりは無いと決めているのに、わざわざ言われるのは業腹だ。

「あなたに言われる覚えはありません」

「確かにね。でも、そうだな……例えば、私があの娘を妻にするつもりだと言えば?」


 グリフォリーノはふいに少しばかり考えるように顎先を撫でて、ゆっくりとそんな風に口にした。口にしてから、口元が皮肉に歪む。

 まるで当人すら、今そう考えたというように。


二人の間に沈黙が落ちた。

たっぷりと二拍と三分の一。ゆっくりとアルファレスの瞳孔が広がり、グリフォリーノは苦笑した。

「ふむ、悪くない。

いや、これは結構いい考えだな。そうだ、結婚してしまえばいい。幸いあの娘も私も独身だ」

「いったい、どうしたらそうなる?」

 思わず普段通りの口調がアルファレスの口から洩れた。

相手が自分より目上のものであるとかは吹っ飛んだ。

思わず手を伸ばしかけたが、それはかろうじて留めた。二人の間に小さな丸テーブルがあったのも幸いしたことだろう。


「あなたは自分がどういう立場だか判っているのか?」

「私のことは私が一番良く判っているよ? 君に言われるべくもない。

グリフォリーノ・バロッサ。公爵家嫡男にして幾つかの爵位を拝命しているシルフォニア皇女の筆頭近衛長。奥宮の、穴倉の番人さ」

 皇女の離宮を穴倉と揶揄する男は、さらりと自らをそう説明した。

「そのあなたが、たかが商家の娘と結婚できるとでも?」

「何でできないんだ?

つまるところ、君にとってはたかが商家の娘でしかなくとも、私にとってはきちんと意味がある」

「つまり、恋とか愛というものか?」

 自分で口にしながら、吐き気のようなものが喉をせり上がる。

眼差しが食い入るようにグリフォリーノをとらえ、アルファレスはぐっと自らの拳を握りこんだ。


 そんなアルファレスの様子をじっと見つめ、ふいにグリフォリーノは噴き出した挙句にばしばしと自らの膝を叩いた。

 片方の手のひらで顔の半分を覆い隠し、肩をくつくつと揺らす。

その様にアルファレスは唖然とした。

「君っ、君ときたら実は結構なロマンティストだね。

いやぁ、お兄さん驚いた。なんて可愛らしいんだ」

「卿っ」

「いやいや失敬。

もちろん――純然たる政略結婚。もとい、戦略的結婚だよ。そうすることが一番都合がよいのであれば、私としては躊躇する理由は無い。それだけだ。もちろん、彼女は美しい。それを否定する気はないけれど、顔の美醜など暗闇で何の意味もない。あいにくと、愛だの恋だので結婚する気は微塵もない」

 ひーひーと楽し気に笑い、涙まで流しそうな眼差しをちらりとアルファレスに向けたグリフォリーノは喉の奥を鳴らした。


「二人目以降であれば、君の子を実子として育ててあげてもいいけれど。さすがに嫡男は自分の血を引いていてほしいから、しばらくは彼女に――」

「貴様は、私に手袋を投げさせたいのか?」

 憤りに言葉を低くして言えば、言われた当人は心底驚いた様子で目をまたたき、やがて口元を歪めた。

「やめた方がいい。これでも近衛の長を名乗っているのは血筋だけが理由ではないよ。それに私闘は現状では禁止事項だ。何よりそんなくだらないことで賭けるような安い命を私は持ち合わせてはいない」

「そちらの都合など知ったことか」


 低く威嚇するアルファレスに、グリフォリーノは笑み崩れた。


「おやおや、君ときたら本当にコリン・クローバイエに惚れているのだね」


 まさかこの男に止めを刺されるとは思ってもいなかった。

どんなに否定しても、否定しても。


 恋は突然突き付けられる。

惚れている?

ああ、ああ、きっとそうなのだろうよ。

アルファレスは半ばやけくそで白旗を掲げた。


 あのお綺麗な顔に笑みを浮かばせ、名を呼ばれたい。

その為だけに、すべてをかけてしまいそうな程……もうきっと、抜き差しならないところまで、彼女が好きだ。

 考えるべくもなく、自分にはその資格など無いのだけれど。


*** 


 ふぅっと息をついた。

久しぶりに息をついたような気さえする。

この数日悶々と悩んでしまった。


――君が好きなのに。


 まるで小骨のように突き刺さっていた言葉を、やっと消化できた気がする。

コリン・クローバイエは晴れやかな気持で息をついた。


 今まで人に好かれたことがない。

自分を好きだという人間は、何かしら裏をもって近づいていたし、何かしらの利害があるからそうするのだと判っていた。

 だから、驚いたのだ。

あの時、アルファレス・セイフェリングが口にした言葉が「純粋に」何の悪意も意図もなく、ただ極自然のことのように吐き出されたから、理解できなかった。

 まったく嘘偽りの無い好き。

裏表もなく。ただ好き。

 

 その言葉に衝撃を受けて、相手の意図するところを図ろうと考えて考えて。やっとたどり着いた答え。


――まったく意味が無い。


 好きという言葉に意味は無い。

そこに悪意もなければ、どうでもいい。

害がないのだから忘れて、よし。

子供同士の児戯にも等しい。

コリンの壺好きと変わらない。むしろコリンの壺好きのほうが邪だ。

だが、どちらも実害はない。


「リアン、リアン」

 コリンはテーブルの上の鈴を鳴らした。


「お茶をいれて下さい」


 いつも通りの平坦な口調でいつも通りに告げた主に、リアンは一瞬戸惑いを浮かべたものの、すぐに主が元に戻ったことを感じて微笑した。

「お茶もいいですが。テサさんの店に行かれては?

頼んでいた道具がもうそろそろできているのではないでしょうか」

「それもそうですね。螺子も注文したいですし。行きます」

「店の前までお供致します」


 いつもと同じ空気を取り戻した主に安堵したリアンだが、テサの店に荷物を取りに行ったその先で「セイフェリング様が届けると持っていっちまったんだが」と困惑し謝罪するテサの言葉に、無表情に暗雲を乗せてしまった主に深々とため息をついた。

 


その荷物はアルファレスの手によって貸し馬車に放置されました…

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