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遊戯  作者: たまさ。
アルファレス・セイフェリング
60/72

その1

――商談はすみやかかつ簡潔に。

 コリンは普段使いの衣装から簡素なドレスに着替え、本低の居間の前でゆっくりと薄い唇から呼気を落とした。

 相手はアルファレス・セイフェリング。

公爵家嫡男にして、麗しのエイシェ嬢の兄。何だか判らない横柄で態度の悪い男だが、商談の前ではそんなものは瑣末ごとにしかならない。

 コリンの知る商人の半分は狸であり狐だ。それに比べればアルファレスなどどうということもない。

 たとえ蛇蝎の如き嫌悪すら、心の深い場所に飲み干すべし。

「お待たせしてしまいまして申し訳ありません」

 儀礼の言葉を口にのせ、伏せた睫を持ち上げたコリンはその場に誰もいないことに小首をかしげた。

「……来客があると聞いて来たのですが」

 丁度冷めたらしいカップに手をかけて下げようとしていた女中が困った様子で苦笑する。

「申し訳ありません。ただいま席を離れておいでです――お茶のご用意を致しますので、お座りになってお待ち下さいませ」

 戦闘態勢を整えたコリンは拍子抜けしてしまったが、言われたように空いているカウチに腰をおろし、そっと部屋の中を見回した。


 本低の客間は幾つかあるが、ここは一階にある親しく無い相手をもてなす為の部屋だ。

おかれている調度品の多くは決して魔が差さない程度に高価で、尚且つ珍しさをもたせるように異国風。チェストに置かれた壷は――コリン所蔵のコレクションを安価で貸し出しているものだ。

 じっと壷を見つめるコリンの様子に、女中はだんだんと冷や汗を浮かべ、あわてた様子で「ま、まぁっ、花と壷が合いませんねっ。ただいま交換して参りますからっ」と引っさらう勢いで逃げていった。


――ただ撫でまわしたかっただけなのだが、コリンの逆鱗に触れたとでも思ったようだ。

確かに東洋の壷に西洋の花という取り合わせは気にかかるところだが、貸し出した先でどう扱われようとさすがのコリンも苦情を言う気はない。扱いがひどすぎる場合は、貸し出し料を上乗せするだけだ。

 コリンは一人ぽつねんと残され、仕方なくそっと吐息を落として瞠目した。


先程のリアンはいったいどうしたというのであろうか。

もちろん、コリンの為にならないと判断した場合リアンは今までもさまざまなものを排除してきた。それは別に構わない。だが、今回はリアンも判っている筈なのだ。先だって空いてしまった心の傷――赤字という激しく辛い心の傷――を埋める為に、是非とも社交界にコネのあるかわいらしいエイシェという手駒が欲しい。いくらか初期投資が必要であろうとも、向こう十年でもって十倍、否、三十倍にはしてみせる。

 あのエイシェがアイリッサの持つブランドの衣装やら宝石やらを身に着けて華麗に社交界を飛び回れば、その美しさに数多の顧客が押し寄せることだろう。エイシェが他の商品を決して使わないと確約できれば、更に値打ちは跳ね上がる。

 うっとりと狸の皮算用をしそうになったが、コリンは当初の事柄を思い出してわずかに唇を引き結んだ。


――アルファレス・セイフェリングはそういう意味で決して疎かにしていい相手では無い。本命を落とす為には絶対に忘れてはいけない布石だ。

リアンもそれを理解していた筈だというのに。こともあろうに相手がわざわざやってきてくれたこと自体を握りつぶそうとするなどと。

「叔母様が……いらしているからかしら」

 ポツリと唇からもれた音は、自分でも意識していない言葉だった為に、コリンは瞳を見開いてハっと息をつめた。


――アイリッサの滞在はコリンにとっても喜ばしいが、おそらく誰より喜んでいるのは彼女の夫であるウイセラではなく、彼女の義理の弟であるリアンだ。

 合点のいったコリンはどうにも切ない吐息を落とした。

リアンの気持ちは判る。

決して表に出すそぶりは見せないが、長い付き合いもあってコリンはもうずっと前から承知している。

リアンが誰よりもアイリッサを――愛しているということを。


「これでは、リアンは使えない」

 ウイセラとアイリッサが同じ場にいることは滅多に無い。

二人とも好き勝手に世界中を飛び回っているから。

夫婦といったところで二人の間には甘さよりも政略的なもののほうが大きい。だからリアンも自らの想いに背を向けていられる。

 だが、その二人が今は共にいるのだ。その為の不安定がリアンの仕事に支障をきたすのか。


コリンは乾いた自分の唇にそっと指先で触れて、半眼を伏せた。

恋やら愛などコリンとって未だ判らぬ領域だ。

一度だけ、誰かに対して好ましいと思ったことがあるが、その気持ちは一瞬のうちにくず入れの中に放り込んだ。

――相手は、コリンとって何の利益も与えない者だから。

 一緒にいてほっとすることはあっても、好ましいと思っても。

何の意味も無い。

滅多に飲まない苦いばかりの珈琲を共に飲んだことすら、そう、意味が無いのだ。

 ふるりと首を振ろうとしたコリンは、はたりと気づいて瞼を伏せた。

きっと、そう。

意味の無い行動をとってしまうことが――おそらく恋というものなのだろう。

屑入れに入れるだけでは足らず、火をかけるべきだ。


***


 男としてこれは頂けない。

客間に通され、茶を供された頃合に、さすがにアルファレス・セイフェリングは自分の行動の愚かさに気づいてしまった。

 突然の来訪の無作法さもさることながら、女性に面会を求めているというのに花のひとつ、贈り物のひとつも無いなどと男の風上にも置けない。

 アルファレス・セイフェリング――相変わらず人間の風上にも置けない。


慌てて一旦外に出ることにしたアルファレスは、コリン・クローバイエが喜ぶであろう贈り物とやらを考えた。女性が喜ぶものとしてすぐに浮かぶのは宝石だが、生憎とそういったものは関係を持った相手にしか贈ったことは無い。なぜなら、独身女性に対して高価な贈り物をすることは無作法とされている為だ。何事も及ばざるが如し。やりすぎてはいけない。

ではコリン・クローバイエは何を喜ぶだろうか。

考えたところでアルファレスは口をへの字に曲げた。

相手はそんじょそこいらの娘にはたちうちのできない美貌を持ち、尚且つ下級貴族など蹴散らせる程の資産家の娘だ。

 何より彼女の好きなものなど知る由も――


「おや、姉さん?」

 一旦貸し馬車で自宅に戻ろうと考えたアルファレスは、屋敷の門扉の影でこそこそと内部を伺っている女性に目を眇めた。

 最近すっかりと姿を見なくなった長女のように思えるが、相手は馬車の接近に驚き慌てた様子で走り出し、逃げた。

「……何をしているんだ、あの人は」

 もちろん、何をしていても構わないがあまりにも不審な行動だ。まぁ、もともと長女であるクロレアは酔狂な人間で、その行動はアルファレスにとって感知するところでは無い。

 親切に追いかけてやるなどという行動もとらず、アルファレスは貸し馬車を帰し、入れ違いでアルファレスを迎え入れた執事に自宅の馬車を早々に用意するようにと頼み、自らはコリンの贈り物を手早く用意した。

 街中にいる花売り娘から花を買うほうが早いとは思ったものの、そんな花は貧相に過ぎる。ならばと家人に命じつけ、自宅の温室にある今は盛りの花を花束にしてもらった。


 花束と贈り物。

これで完璧である。

アルファレスは自分の頭の中にも立派な花を咲かせつつ、いそいそと馬車に乗り込み腕に引っ掛けたステッキでもってドンっと馬車の床を叩いた。

「急いでくれ。相手の女性を待たせてしまう」

 というか――多少待たせてしまったところで構わない。あのコリンが自分を待っているというのであれば愉快じゃないか。

花束を抱え、贈り物は椅子の上に。

それを眺めて、ふと先ほど屋敷内で遭遇したエイシェルの顔を思い出して顔をしかめた。


「リボン? 別にいいけれど、何してるのよ、アル兄様」

「きっとおそらくお前を連れていけば何より喜ぶんだろうな」

「……何、何それ、何の話?」

「いやいや、お前は要らない」

 猫の子でもおいやるようにしっしっと手を振った。


頭の中で簡単に想像ができてしまう。

あの作り物めいた麗しい面の女は、エイシェルを視認した途端にその場にアルファレスがいることなど忘れるだろう。

 きれいさっぱり。

そんなことは絶対に許されない。


――自分を見ろ。

自分だけを。

勝手に想像した事柄に勝手に憤りを浮かべ、アルファレスはやっとたどり着いたクローバイエの屋敷にたどり着くまでの間不愉快に浸ったが、馬車がとまった途端に気持ちを切り替えた。

 首に巻かれたクラヴァットを軽く整え、口元に笑みを浮かべ、アルファレスは花束と贈り物とを手に颯爽と馬車を降り立ち、先ほど自分を招き入れてくれた老執事に「やぁ、コリンは待っているかな?」と微笑んで見せた。

「お嬢様は先程の部屋でお待ちでございます」

 当初のとげとげしさは幾分緩和され、老執事はアルファレスを招きいれた。


途端に、先程――一番初めにこの屋敷の扉の前に立った時のような緊張が胸を締めた。

ずっと顔を合わせなかった相手にやっと会えるという想いと、そわそわと落ち着かないような奇妙なはやる気持ち。

 おかしなものだ。

アルファレスは口の端をわずかに引きつらせた。


 何故、こんなにもあの娘に合いたいのかといえば――復讐だ。

誰もが羨望の眼差しを向けてくる自分に対し、あまりにも冷め切った眼差しを向けるあの小娘に。

 自分ではなく、エイシェルに興味があるというあの小娘に。

自分という魅力有る獲物をちらつかせ、その手を伸ばさせ――叩き折る。これは、そういう遊戯だ。

 あの娘の気持ちを引き寄せて、最終的に完膚なきまでに叩き落す。

それはさぞ楽しいだろう。

だというのに……


「お客様がお戻りです」

 執事が扉に問いかけ、ゆっくりとアルファレスを招き入れる為に扉を開く。

ふわりと香るのは、アルファレスが持つ花ではなく――おそらく、きっと、コリン・クローバイエの香りだろう。


一瞬つんっと鼻についた気がしたのは、次女であるリファリアの部屋のような香りだった気もするが、それはすぐに爽やかな香に押し流された。

「やぁ」

 席に座っていたコリンがすっと眼差しをあげてアルファレスを見上げてくる。

ドクリと心臓が鼓動し、アルファレスは微笑んだ。


こんな想いは、知らない。

その顔を見ただけで、泣きたくなるようなぎゅっと締め付けられるような痛みが走る。

口角をほんの少しあげて作られた笑みは、あくまでも贋物のように感じる。それが痛くて、素直な笑みを見せて欲しいと懇願したくなる。

「ごきげんよう、セイフェリング様」

「アルファレスと呼んで欲しいな、麗しい人」

 こんな口先だけのやり取りなどしたくない。


ああ――これが恋などと、どうか言わないで欲しい。


ぐっと奥歯をかみ締めて、アルファレスは手にしていた花束を無作法にコリンに手渡し、そして彼女が喜ぶであろうととっておきの贈り物をことりとテーブルに置いた。

 咄嗟のことであったから、わざわざ何かに包むこともなく本来のパッケージである缶にエイシェルから失敬したリボンを巻きつけただけのソレ。


 コリンは一旦目を見張り、その唇をゆっくりと動かした。


「嫌がらせですか?」


 素の問いかけに、アルファレスはやはり素で返した。


「嫌がらせだったんだ?」


――気まずい雰囲気をかもす二人の間で、コリン人生一番のまずい粉茶は燦燦と輝いていた。




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