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遊戯  作者: たまさ。
アイリッサ・ハディント
58/72

その4

かたりと音をさせて扉を閉めたリアンは、困惑の眼差しで先を行くアイリッサの背を見つめた。

弟として会談に出席なさいといわれればその通りにするが、できればこのようなことは自分の本意ではない。何より、主であるコリンを差し置いての会談であれば尚の事。

 セヴァランの執務室を退出する時に呼び止められてしまったウイセラはさっさと放置して歩くアイリッサは、リアンの眼差しに気付いた様子でぴたりと足を止めて眼鏡の奥の瞳を細め、ほんわりとした微笑を返した。

「どうしたの?」

「……あまりこういうことは言いたくはありませんが、こんな風に弟という扱いをされるのは好みません」

「あまりこういうことは言いたくないのだけれど、貴方もそろそろ一族の人間であると自覚を持つべきね」

 アイリッサはリアンの口調を真似てあっさりと返した。

「そうおっしゃられましても、私は――ただの養子で」

「ただの養子に名を名乗らせる程、私も父も甘くはないのよ? それとも、あなたは私がただコリンに――友人に頼まれたから義弟にしたとでも思っているの?」

 不思議そうに問われ、リアンは戸惑いを浮かべた。

「……そのように思っておりました」

そこに何等かの作為があると示されるのは胸が痛んだ。

もちろん、アイリッサはともかく義父がそう甘い男だと思っていた訳ではなかったが。自分を引き取ることに下心があるというのは、胸がわだかまる。

 自然と視線が落ちたリアンに向けて「まぁ、あなたときたら結構おめでたいこと」アイリッサはくすくすと笑って眦を下げた。

「実はその通りよ。はじめはコリンに頼まれたことだけが理由だったけれど、すぐに可愛い弟ができたことは嬉しかったのよ」

「……アイリッサ――義姉さん」

「でも、うちの父はきっとこう思っている筈」

 アイリッサは自らの唇に人差し指の腹を押し当て、まるでナイショ話でもするかのように声音を潜めた。


「自分の義息をコリン・クローバイエの婿に」

「――ありえません」

「もしくは、嫁にってところね。

うちの父は小物よ。けれど野心が無い訳ではない。今くらいが丁度いいのに、それ以上のものがある日突然ころりと手元に転がってこないかと思う――まあ、どこにでもいる小心者よ。

 率先してあなたをどうこうしようなどとは思っていなくとも、使えるなら使いたいとうずうずしている。あなたは父の手駒ではなくて、コリンの手駒であろうとしていることなど関係が無い。

そのつもりが無いのであれば抵抗なさい。私としてはどちらでも良いのよ。誰しも自分の人生があるのですもの。一番誰より自由に生きている私に他人にどうせよこうせよなんて言う資格なんてないわ」

 アイリッサはころころと笑い、肩をすくめた。

「私は結婚することで自由を得たけれど、貴方はどうかしら。

私はただ貴方を甘やかすだけの義姉よ。頼みごとがあるなら何でも、いつでもこの手を差し出してあげる。だから、貴方も自分の人生を楽しみなさいな」

 アイリッサの首筋でふわふわとした髪が揺れる。

それに合わせてふわりと香るのは、アイリッサの好きなすずらん。

眼鏡の奥の眼差しは優しくリアンを見つめ返し、それは――実の姉さえも向けてくれたことなど無いくらいに愛を感じさせてくれる。

 その眼差しの前で、リアンは何よりも無力な丸裸にでもされてしまった子供のような気持ちになった。


「誰か好きな人がいるのなら、姉としてはこっそりと教えて欲しいわ。

応援するのも姉の醍醐味よね」


――牢屋に幾日も入れられ、薄汚れた浮浪者のような子供の頬を撫でて、自分の弟になりなさいと言った優しいアイリッサ。

 今のように時々辛らつとも思える言葉を口にしつつも、その眼差しは愛情溢れる姉であろうとする。それはそういう児戯なのではないかと思うのだ。

彼女は心に定めた定義をもって弟であるリアンを――もしくはアンリを愛そうとしてくれている。

 弟を愛するという遊戯。

優しい姉を演じるという遊戯。


でもそれは……決して、一人の人間として愛さない遊戯のようにも見える。


***


 リアンがコリンの居間へと立ち戻ると、女中の二人が丸テーブルの上の茶器を片付けている最中であった。

「コリン様は?」

「テラスに――籐椅子でお休みになられていますから」

 カチャリと音をさせて白磁のカップを盆に置きながら、二人の女中は視線を絡み合わせてやけににこにこと――にまにまと?――意味ありげにリアンへと視線を向けた。

「リアンさんがいらっしゃらない間に何があったと思います?」

「とぉっても想像できないと思いますよ」

 意味深な言葉にリアンは不快そうに眉を潜める。

ただ、茶器が二客分あることには瞬時に気付いていた。

「……誰か、いたのですか?」

 コリンは使用人であるリアンと茶を供することはあれど、女中やら執事やらと共にすることはない。

「まぁ、さすがリアンさん」

「すぐにお解かりになるんですね。つまらないっ」

 きゃあっと歓声をあげ、居間から続くテラスに声が届くとでも思ったのか、慌てて声を潜めた。

 テラスで休んでいる、というコリンはおそらく眠っているのだろう。

ゆらゆらと軽く揺れる籐の安楽椅子で眠りこけるコリンというのも珍しい――何より、この部屋に客?

 いつもであればウイセラや――現在は居ないがウィニシュという選択肢があるが、ウイセラは今もセヴァランの執務室にいるのであろうし、ウィニシュは外商に出ていてこの数ヶ月不在にしている。アイリッサのように突然戻ったのであれば、コリンより先に父親であるセヴァランに面会を申し出ることだろう。

 では誰がこの部屋に……

コリンの趣味丸出しの、物騒この上無い銃のコレクションが飾られたこの部屋に?

「コリン様がお散歩に行かれた後、お客様を伴ってお帰りになられたんですよ」

「ここでお二人でお茶をなさって!」

「仲むつましく!」

 どんどんと声の調子をあげた二人は、完全に――遊んでいた。

「コリン様に恋人ができるなんて」

「どうしましょうっ」

 きゃーっと奇声をあげた二人を無視し、リアンは自分が軽く動揺していることに気付いた。

 コリンに恋人――もちろん、それは飛躍しすぎであろうが。

少なくとも今までこの部屋に誰かを伴ったことは無い。もしコリンに来客があったとしても、それは全てクローバイエの邸宅でもてなしていた。

「地下を通って連れて来たのですか?」

 驚愕のままに問えば、少しばかり遊びすぎたと気付いたのか女中の一人が声を抑えて応える。

「いいえ、正面玄関から」

「だから私達も驚いているんですよ」

と追従の声がある。


 正面から――ではその相手は、まさにコリン・クローバイエの客として自宅に招かれたのだ。

 あのコリンが自らの自宅を他人に教えたということだ。

自分の身辺に対して頓着しないように見えて、その実周到なコリンが。

「それは……」

 ぱっと脳裏に浮かんだ男の姿に喉が渇き、それでも回答を得るためにリアンはゆっくりと二人を見つめ返して問いかけた。

「アルファレス・セイフェリングですか?

薄い猫毛の金髪の……すかした顔の、嫌みったらしい」

 どのように表現すればあの男に当てはまるだろうか。もっと色々とあるような気がするのだが、咄嗟に浮かんだのはその程度であった。

 薄い柔らかそうな猫毛に、エセ紳士という言葉が似合いそうな薄い笑みを貼り付けて、自信たっぷりにコリンに対する男。

 その実、サロンではどの遊びにも適当で本気で勝とうという気持ちが見えない。ただ遊びにきているという表現がぴったりとした男。

おそらく――コリンにとって今一番興味が魅かれるであろう男。

 しかし面前の二人の女中ときたら不思議そうに首をかしげた。


「違うと思いますよ?」

「もっと平凡なお名前の方で、髪は鳶色でしたし」

「白衣を着用してましたし」

「なんだかよれよれとした感じで」

「どちらかというと、見ているだけで気の毒に感じてしまいそうな――とっても気の弱そうな方でした」


――なんだか見たことがありそうだが、あまり記憶に無い。

視界の端をちらちらとしていたようないないような。

どこかで出会ったことがあるようなないような。

 眉間に皺を寄せたリアンの前で、女中は「でも」と付け足した。


「コリン様、とても楽しそうでした」


――あの無感動を前面に押し出しているコリンが楽しそう。


 リアンはその言葉に驚愕し、すっと足の向きをかえてテラスへと歩んでいた。

敷き詰められた起毛の絨毯がふわふわと足取りをおぼつかなくさせる。テラスとの敷居をまたげば足元には石畳。

 普段から日あたりの良い場所に置かれている籐椅子は軽く沈み、繭のようなそれの中、いくつものクッションに埋もれるにしてくーくーと眠りに落ちているコリンは、本当に珍しい程に無防備だ。


 普段であればあまりの微笑ましさに自らも椅子の一つでも引き寄せて見守ることだろう。だが、その時のリアンは籐椅子の前に膝をつき、何も考えずに「コリン様」と声をかけていた。

「コリン様、風邪を召します」

 そっと手首を叩けば、コリンの睫が震える。

「リアン……?」

「はい、戻りました。御前を離れまして申し訳ありません。退屈なさったのですか?」


――退屈なんてしていませんよね?


無理に起こしはしたものの、どう問いかけるべきなのか。

退屈などしていなかったのでしょう? こんな風に問いかけて酷く嫌味っぽいような気がする。

無用心に他人を招いたことを叱るべきだろうか。今まで只の一人としてコリンが誰かを招いたことは無い。コリンだとて考え足らずに招いた訳ではないだろう。きっと彼女にとって安全だの危険だのと考えなくて良い相手なのだ。

 そういう相手と関われるというのは喜ばしいことで――


「いいえ、退屈などしておりません。

楽しい時を過ごしました」

 指先で口元を隠すようにして小さな欠伸を落とすコリンは、いつもと変わらず淡々と事実だけを話す。

 伏せた睫が小さく振るえ、眠気をやりすごすその所作さえもいつもの彼女では無い様に感じる。

その様を見つめながら、今現在の自分の心を計りかねていた。


――楽しかったのであれば良かった。

コリンが楽しいと言うのは珍しいことだ。

そういう感情をもてることは良いことで、相手はきっと信頼に値する男で、だから……喜ばしいことの筈であるのに。


「どなたかいらっしゃっていたようですが」

 何故自分の口は刺々しい口調で言うのか。

そう、勝手に――一人で外出するのは危険だ。外から誰かを連れてくるなど危ない。自分はコリンを叱らなければいけない。

 叱り……

「友人を招きました。何か問題ですか?」


 コリンの気だるげな眼差しが自分を見つめ返し、リアンは口煩いことを自覚している自分とは到底思えない程弱々しく「いいえ」言葉を落とした。


――友人。

いつの間に、彼女には友人ができたのであろうか。

「よければ、今度は私にも紹介して下さい」


自分の存在意義は、彼女を護る為にある。

――お嬢様を護ってね。

――コリンを護ってね。


二人の姉の言葉が胸の奥で木霊して、ぶつかり合って滲んで溶けて消えていく。

ただ護ればいい。ただそれだけでいい。

それが、彼女達の望みだから。

そこに何かを考える余地などなく、そこに自分の意思は必要としない。

いいや、違う。

これは自分の意志だ。二人の姉の言葉は引き金に過ぎず――コリンを護り続けることは自分の意志。

痛みからも、悲しみからも、恐怖からも。

彼女の肌に触れる風でさえ。

 不思議そうに見上げてくる眼差しに、何故か引きつった笑いしか返せずに、リアンは喉仏を上下させてかすれる声で囁いた。


「コリン様、ここでは風邪を召します。

お昼寝なさるのでしたら、どうぞ部屋に入りましょう」


***


――八日というのがまずかっただろうか。

いや、八日では未だ早かったのだろう。早いよりも遅いほうが印象にもきっと残る。それに、もともと彼女の行動を把握していた訳ではない。

 他人が聞けば意味不明な独り言を呟き、アルファレス・セイフェリングは最近馴染みの雑貨屋を後にして帰宅した。

 帰宅すれば正面玄関で執事が上着を受け取りながらその日に届いた手紙について説明する。いくつかの招待状に対しては面倒でも出席しなければならないだろうとうんざりしつつ返信を頼み、遠方にある領地からの報告についても適当に相槌を打った。

 領地の管理については家令のすることであって、アルファレスにはさして興味をそそるものではなかった。

 家が維持できて遊ぶには十分なものがあればそれでいいのだ。

「そうだな、今度お茶の席でも設けよいか」

ふと思い立ち言えば、執事は慇懃な調子で「どのような規模でございましょうか」と返した。

 規模――それこそ、大きかろうが小さかろうが構わない。

「姉君様のお相手をお探しになられるのですか?」

「姉って、リーファ? 違うよ。今回のメインはエイシーだよ」

 執事の言葉にアルファレスは瞳を瞬いた。

リファリアの為のお茶会? そんなものを開催したところで、そもそもリファリアが出席したがるとは思わない。

 その点エイシェルは新しいドレスでも作ってやれば、嬉々としてお茶会の主催を演じてくれることだろう。

――いや……これではあからさますぎるか。

 アルファレスは片眉を跳ね上げて唇を引き結んだ。


エイシェルの名を使って招待状を出せば、腹立たしいことにきっとコリン・クローバイエは招待に応じることだろう。だが、どうにもそれはシャクに触る。

――では、こういう茶会があるという噂を流し、どうにか彼女の手元に招待状が届くように仕向ける? むしろエイシェルの存在をにおわせるだけ匂わせて肩透かしを食らわせればどうであろうか。彼女は騙されたと憤慨するだろうか。

 あの麗しい眼差しに意思をのせて。

「ふむ」

 考え事にふけり始めたアルファレスの耳に、重厚な扉の正面に取り付けられたドアノッカー小さな音をさせ、控え目に外側から開いた。

 本来であればドアを叩いた後は内側から開けられることを待つものだが、この家の出入りに馴れているフレリック・サフィアはそぉっと扉を押し開き、玄関口に立っていた執事とアルファレスの姿にぎょっとした様子で瞳を見開いた。


「やぁ、お帰り」

「た、ただいま戻りました」

 フレリックは言いながらつっと視線を逸らしてしまう。

何か後ろ暗いところがあるのだろう。

 アルファレスは首のネクタイを軽くゆるめながらにっこりと微笑んだ。

「どこに行っていたんだい? リーファのお使い?」

「あ、はい……」

「お茶でも飲むかい? 丁度ぼくも帰ってきたところなんだ」

 言いながら、言葉の流れで先ほどのお茶会のことを口にしようかと思ったところで、フレリックはふるふると首を振った。

「今、お茶飲んで来たところですから、いいですっ」

「へぇ、君も外のカフェを使ったりするのかい? どこかいい店だったらぼくにも紹介してくれないかな。女の子達がいるような華やかな店もいいけれど、たまにはゆっくりとできそうなゆったりとしたカフェもいい」

 フレリックの行くような店であれば確実に女の子がきゃーきゃーと騒いでいるような店ではないだろうと尋ねると、フレリックは何故か頬を赤らめて視線をさまよわせた。


「いえ、お店じゃなくて」

「おやおや、もしかして浮気とか? 仕方ないな。リーファには黙っていてあげようか?」

 どうりでどうにも言いづらそうだ。

思わずクスリと笑ったアルファレスに、浮気と言われたフレリックは慌ててぶんぶんっと首を振った。


「違いますよっ。浮気なんて滅相も無い。

コリンさんのお宅ですっ。

コリンさんがお茶をどうぞって誘ってくれたからっ。

浮気とかとんでもないですからっ。ぼくは師匠一筋ですっ」


リファリアにあらぬことを言われるのでは無いかと焦ったフレリックが慌てて声をあげたが、アルファレスは相手の告白に「あ゛?」という気持ちに陥った。「は?」でも「え?」でもなく、なんとも発音のしづらい「あ゛?」という音だ。

腹の内にどすりと鉛球を落とされたような不快感が競りあがる。

 

 満を持して八日、まんじりと時間をあけてやっとコリン・クローバイエと接触しようとしたことも失敗し、新たに作戦を練っていたところで――なんということであろうか。

 その辺りをうろついていたフレリック如きが遭遇し、あまつさえ一緒に茶を召しているなどと。

「へぇー、コリンとお茶していたの?」とそれでも自分の気持ちは抑えて淡々とした口調で問いかけたると、フレリックは焦ったままこくこくとうなずいた。

「だから浮気なんかじゃぜんぜんっ」


「女の子と二人でお茶は浮気だよね」

リーファ、とわざとらしく背を向けてリファリアの研究室のある方へと歩いていくアルファレスにすがりつき、フレリックは半泣きで「違いますったらっ」と訴えた。

「街中で偶然あっただけですっ。よければ自宅が近いからお茶は如何ですかって言われたら、普通断れないじゃないですかぁぁぁっ」

「どんなお茶?」

「どんなって、普通の珈琲ですよぉっ。メイドさんが煎れてくれた普通に美味しいお茶です」


 えぐえぐ言い出したフレリックに、アルファレスはもやもやとした気持ちを抱えながらも溜飲を下げることにした。

なんといっても――自分は彼女の大好きなお茶を手づから馳走になったのだ。


普通の、しかもメイドが煎れた、たかが珈琲のフレリックとは扱いが違う。




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