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遊戯  作者: たまさ。
クロレア・セイフェリング
32/72

その3

 男と女の関係など、たかが一本の紐のようなもの。

断ち切ることなど容易いもので、簡単なちょっかいひとつでいくらでもその関係を破綻させることができる。

 クロレア・セイフェリングは苛立つように親指の爪に歯をたて、顔をしかめた。


勿論、この場合にちょっかいをかけるのは男だ。

男などどんな高潔な人間でも同じこと。ちょっとばかりイイ女が指先で誘い、意味深に唇を動かし、笑みを浮かべてやればそれだけでふらりと浅ましい想いに身を震わせる。

 クロレアは自分の美貌にも手練手管にも自信があるし、二度の結婚の後――たとえ離婚した今でもその能力が落ちているとは思わない。

 男が求めるものが婚姻でも子でもなければ尚更だ。

ほんのささやかな遊びを断る男などそう居ない。


 ただし、問題は――今回の遊戯のルールのひとつ。

男の側に手を出すなという忌々しいルール。

女側に働きかけて関係を壊すなど、クロレアにとって苦手な分野としかいいようがない。

 二番煎じはつまらないが、末の妹のエイシェルがしたように、自分が男の愛人を装って「あの人と別れて」なんて台詞を口にするのも自分らしくない。

 なんだってアルファレスは今回の遊戯にこんな条件をつけたのだろうか。男の側の名誉を損なうことは許されていない。


勿論……あの女の為だ。

忌々しいアリーナ・フェイバル。

あの女が、たかが幼馴染だとかいう理由だけでアルファレスに泣きついたから、こんな馬鹿なことになっているのよ。

 パキリと小さな音が口元ではじけ、苛々とクロレアは顔をしかめ――ついで、微笑した。

「アリーナの名誉が汚されたって、構わないわよね?

そんなルールは無いし」

 何より、アリーナの名誉などすでに地の底だ。

どこの誰とも知らぬ男の子を身ごもった挙句、流し、親に勘当された惨めな女。これ以上の醜聞にまみれたところでたかが知れている。


何より、男が手元に戻れば満足でしょうよ。

クロレアはドレスの裾をばさりとさばき、悠然と立ち上がった。

「馬車を呼んで」

「あの、馬車でございますか?」

 侍女がおろおろと心細げにクロレアを見返してくる。

彼女にとっての仕事といえば、部屋を整えるハウス・メイドがそれで、お茶の用意に掃除することくらいのもので、決して馬車の手配などに長けている訳ではない。

 何より、今この生活で馬車といえばお抱えの紋章入り馬車ではなく、適当にその辺りを走っている黒一色の辻馬車だ。

 そんなものを止める方法すら侍女にとっては判らぬ事柄。

不安と不満が滲む眼差しを、けれど彼女の主は冷たく見返した。


「早くしなさいよっ。本当にあんたは愚図で使えないわねっ」


***


 しっかりとアイロンをかけられた新聞に視線を落としながら、コリン・クローバイエは吐息を落とした。

 三日に一度届く新聞はコリンの楽しみの一つだが、それを眺めながらコリンの眉間には皺が刻まれた。

 人を頼むまでもなく、先日コリンを庇った男が誰であるのかは克明に新聞の社交欄に記されていた。

――と、いったところで思わせぶりなアルファベットの頭文字が踊るだけだが、それだけでは決して許さないとでも言うように、しっかりとその職種が記されている。

 なんと、宮中の貴公子――誰しもが我が娘の花婿にと望む皇女の側近中の側近、G・B卿がその姿を現したのは、仮面舞踏会の場であった。

 大げさに書かれているG・B卿の話題は、ある女性のマスクが偶然取れてしまったことにより、彼が颯爽と現れその窮地を救ったと大げさに記されている。

「皇女の側近……」

 ぽつりと零し、コリンは新聞をぱたりと畳んだ。

名前までは拾えないが、すぐにコリンの耳にも届くことだろう。


シルフォニア皇女――その記憶は、苦い。

まるで砂糖を入れ忘れたカカオのように。

口の中でいつまでも残り続ける。

コリンよりも二つ程年齢の低い皇女は、コリンよりも尊大で、そして――愛らしい姫君であるとコリンは記憶しているが、その姿はもうずっと目にしていない。


 幾度も召喚を命じられたが、そのたびに具合が悪いと押し通した。

はじめのうちこそ、本当に具合が悪いこともあった。気持ちの問題でもあった。だが二年もたてば、別段コリンは拒絶する意思も弱くなっていたが、父親や叔父はそのまま貫いた。

 心の奥ではほっとしていたから――コリンの気持ちを汲んだのかもしれない。それが良いことであるのか悪いことであるのか、正直コリンにも判らないが。


――ヴィスヴァイヤの為には、王室の機嫌を損ねるのは損失にしかならない。

 それを当然理解していても、心のどこかが強張るのだ。

あの日、あの場で――もし、自分と皇女が共に居なかったのであれば。もし、皇女が彼女のドレスや宝石をコリンに身に着けさせていなければ、もし……


 もし、母が皇女を庇わなければ。

もし、母が――皇女を守る為に娘を切り捨てなければ。


「コリン?」

 突然、覗き込むようにして問いかけられた声に、コリンはすぅっと血の気を引かせ悲鳴をあげそうになった。

 手近に銃があれば無分別に向けていたであろう程に動揺し、けれどその動揺はすぅっと急激に冷めた。

 喉の奥で悲鳴を凍りつかせて。


「どうかしたのかい?」

「いついらしたのですか。叔父様」

「いつって、さっきからいたよ? 無視されていたのはそういう遊び(プレイ)かと思ったけど、もしかして素? 素だったのかい?」

 ちゃんとノックして入ったのに。

不満そうに言いながら、断りもなく空いている席につくウイセラを眺め――コリンは冷ややかな感情のうねりを腹部に感じていた。


――一度目の誘拐は、皇女シルフォニアを狙ったものであった。

コリンは巻き込まれただけだ。

王弟派の人間が、それまで女性の皇族にはなかった相続権についての議会が開かれたことに憤り、行動に移した結果。

 

 二度目の誘拐は、コリン付きの教育係の単独の犯行と言われている。

彼女は祖母の医療費の為にコリンを誘拐した。

けれどその当時、ある噂があったこともコリンは承知している。

――屋敷奥にいたコリン・クローバイエを容易く誘拐できたのには理由がある。

 父親であるセヴァランは、王宮との兼ね合いや後始末――損害賠償などの事柄により忙しくしていて娘に気をかける暇など無かった。その為に娘への警備が手薄になったのだと。

 そして、それまで姪を溺愛していた叔父は――姪を憎んだ。

彼の愛する姉を奪う結果を姪に押し付けて。


――二度目の誘拐は、犯人にとって偶然都合の良い時期だったのだと言う者もいる。

だが、逆に――手引きしたのが、実は身内であったのではないかという者もいる。

ごく身近な、誰よりも近しい身内であったのではないかと。


「婚約者殿とやらとはどうなっているんだい?」

「今度叔父様の銃のコレクションを見せて欲しいと頼まれました」

 コリンは無機質な眼差しで叔父を見つめた。

まるで感情を押し殺すかのように。

「オレの? オレがもっている銃なんて二・三丁だよ? 実用一辺倒。コレクションなんていえる程のものじゃない」

「おそらく、あの方は勘違いなさっているのです。叔父さまが購入なさっている銃のたいはんが、実は私の手元にあるなどと思っていないのでしょう」


 淡々と言うコリンの言葉に、ウイセラは少しばかり考えるように瞳を細め――「へーえ?」と相槌を打って応えた。

「オレが銃を集めているなんて、よく知っている。

これでも反逆罪とか訳の判らないことを言われないように、結構慎重に銃を集めているつもりなんだけどな。購入する時は一丁だけとか――コレクションと認められるように、同じ銃は決して二丁以上買わないとか」

 ぶつぶつといいながら、ウイセラはもう一度「へーえ?」と口にした。


「うさんくさい男だね」

「実は底の知れない方かもしれません」

 コリンの台詞にウイセラが顔をしかめると、コリンは更に続けた。


「底の浅い男など、もとよりお断りです」


 コリンは言いながら、ウイセラの視線から隠すようにテーブルの上の新聞をそ知らぬ顔で女中へと引き渡した。


「ああ、そういえば先日の仮面舞踏会では何か……かわったこととか無かったかい?」

 一瞬だけ新聞紙をちらりと眺め、ウイセラはそ知らぬ顔でそう口にした。

「なにも」

 コリンは静かにつぶやき、まるで念をおすように言葉を重ね合わせた。

「これといって何もありませんでした」


 G・B卿なる人物も、そして……コリンを娼婦まがいに扱った男も、記憶の片隅に葬り去ってしまえばいい。

 そう思った途端、不快感と共にあの口付けを思い出したコリンは途端にむっつりと唇を引き結んだ。

「本当に、何も無かった?」

 その変化を見逃さず再度確認するウイセラを見返し、コリンは冷たく言い放っていた。

「何かあって欲しかったような物言いですが、下世話になるのは年齢が原因ですか?」

「……その言い方ウィニシュそっくり」


***


「あれ、なんだか不機嫌そうだね」

 首のクラヴァットを手直ししながら、アルファレスはちらりと片眉をあげて微笑してみせた。

次女であるリファリアの研究室の掃除をしているフレリックは、はじめのうちこそ硬い表情でアルファレスと会話を交わしていたが、やがてアルファレスが話題を切り替えると、今度は露骨に顔をしかめてみせたのだ。

「いい加減おやめになったらどうです?」

「なんだい、遊戯(ゲーム)はまだ終わってやいないのに。フレリックはもう手を引いたみたいだけどね」

「女性を苛めて楽しむのは紳士のすることじゃないです」

「さぁ、今のところ苛められているとも思ってないんじゃないかな」

 いくつかの嫌がらせを、果たして彼女は認識しているのだろうか?

そのすべてを、あの瞳は無いものとして扱っているような気さえする――そう思うだけで腹立たしい程だ。


 無視され続けるのは我慢ならない。

「フレリック。彼女が来るという雑貨屋さんを教えてくれよ。

直接対決とまではいかなくとも、もうちょっと仲良くしたいんだ」

 肩をすくめて言うと、フレリックは途端に瞳を細めて不満そうにした。

「おやおや、君ときたら完全にあの女にたぶらかされているのかい? ずいぶんと綺麗だしね。うちのリーファから鞍替えかい?」

「誰もそんなこと言ってませんっ。

ただ、コリンさんは……アルファレス様が思うような人じゃないと思うんですよ」

「そう思うなら、それがぼくにも理解できるように親しくならないと――そうだろう?」


 あの瞳を正面から見てみたい。

あの瞳が、じっと自分を見た時に――どんな感情が動くのか探り出してやりたい。

そう思うだけで、背筋がぞくぞくと奇妙にざわめく。


「さあ、フレリック。

意地悪しないで教えておくれよ」

 


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