その8
松明の炎が揺らめき、置かれた水晶に光が反射するフロアでは、誰しも他人になど興味を向けずに自分達の楽しさばかりを謳歌しようとにぎわっていた。
どちらかといえばその場は雑多な雰囲気とざわめき。本来の社交の場とはまた一風違う雰囲気が小さな世界を構築し――コリン・クローバイエに意識を向けるものなど一握りもいないかのように見えていた。
そんな中、道化師の扮装の男とコリンとの間に立つ白衣のフレリックの姿は更に滑稽さを誘った。
ひょろりと高い背と、たよりない面立ち。
勿論、仮面舞踏会であるのだから、フレリック自身も申し訳程度の仮面を付けてはいるものの、それは決して「誰とも知れぬ者」と示すものではなく、フレリックという青年を知るものであれば一発で見抜ける程度のお粗末な変装でしかない。
――何より、彼を一番判りやすく示す白衣姿がそのままなのだから。
コリンは何故こんな場にフレリックがいるのであろうかと疑問を抱いたが、フレリックがおどおどとしながらも自分を救う為に来たのだと思い当たれば――更に奇怪なイキモノが世の中にはいるものだと驚愕した。
そもそも、この青年とは何の接点もなく縁すらない。
では、何故自分に関わるのか――その始点に気づいたコリンは、こういった場で決して女性がしてはいけない行動に転じた。
するりと白手に包まれた手を軽く持ち上げ、フレリックへと示したのだ。
「踊っていただけますか?」
貴族の決まりごとなどコリンには関係が無い。
女性から男性を誘うことが不調法と言われたところで何の意味も無い。
コリンの静かな問いかけに、道化師姿の青年は見るからに不愉快さをみせたものの、自らの敗北を宣言するようにフレリックの肩を気安く叩いた。
「残念。姫君の笑顔を引き出すのはこの道化には無理らしい」
大仰に片手を振って一礼すると、優雅に身を引いた。
「あ、あの。すみません……ぼく、踊れないんです」
残されてしまったフレリックは、更におどおどと挙動不審に身を震わせ、泣きそうな口調でそんな風に言うが、コリンこそこの言葉には安堵した。
――場の雰囲気で言ってしまったものの、そもそもコリンが踊ることは苦手だ。
「それは良かったです」
コリンは淡々と返し、フレリックはその意味が理解できずに「は、い?」と首をかしげた。
「先日は聞きそびれましたが、何故わたくしの名をご存知でしたのでしょうか」
コリンは相手に構わず話しかけ、フレリックは意表をついた質問に慌てた。
「あの、それはっ。
ごめんなさい。雑貨屋のおじさんに聞いたんです」
何かを求めるように慌てて言葉にする相手をじっと見つめ、コリンはやはり淡々と返した。
「あなたは嘘が壊滅的にヘタですわね」
「あ、うっ……」
「あなたは私が誰であるのかご存知なのですか?」
その質問の、誰という単語をぼかしたのには理由がある。
――ヴィスヴァイヤの総領の娘であるという意味か。
それとも、カロウス・セアンの姪であるという意味か。
はたまた――ただの街娘であるという意味合いであるのか。
「あの……誰って、コリンさんは、コリンさんですよね?」
――馬鹿だった。
コリンは一旦思考を停止させ、ついで溜息を吐き出した。
「錬金術師の弟子とお聞きしておりますが」
相当役立たずな弟子であるのか、それともその錬金術師とやらが更に輪を掛けて駄目な部類であるのか。
「あ、はい! ぼくは錬金術師の弟子です。弟子と言ってもただの使いっぱしりのようなものなんですけど。でも、師匠はとても凄い人なんですよ」
それまでのおどおどとした態度は消え去り、自分の領域の話しへと変わったことでフレリックはやけに生き生きと瞳を輝かせ、楽しそうに口を開いた。
「錬金術というのは、金を作り出すということでよろしいのでしょうか?」
まったく別の物質から金を作り出す。
そういう研究をする者がいるのは知っているが、胡散臭いどころか眉唾すぎてオハナシにならない。
「金、というか――師匠がしているのは、色々な事柄でお金を作り出すという研究です」
「お金?」
それはすでに錬金術という名称とは違うのではないか。
コリンは眉間に皺を寄せた。
「単純に金という物質は何だかコリンさんはご存知ですか?」
「金は……貴金属、金属?」
「はい、ではこれが作られるのはどういった過程なのか。これを人工的に作り出すのが一般的に言われる錬金術ですけど、ぼくの師匠が考えているのは、色々な物質をあわせることによって価値のあるものを作り出そうという総称であって、金を作るという一つの目的ではないんです。
まあ、簡単に言えばお金になる研究が錬金術だというのが師匠の持論でして。
たとえば自然界にある物質――そうですね、仮にAという物質があるとします。これに同じく仮にBという物質とを融合させることによって発生するCという物質――」
「……」
うーんとフレリックは腕を組み、とんとんっと指先を動かして眉を潜めた。
ぶつぶつと口の中で言葉を転がし、AだとかBだとかじゃ判らない。判りづらいかなーと真剣に悩み始めてしまった。
「違う、違うなー。ぼくって説明がヘタなんですよね。これじゃ判らないですよね。
そうだなー、判りやすい説明をすると、エタノールという薬品はお判りになりますか? エタノールは――」
コリンはフレリックの言葉をさえぎった。
「もう結構です」
――とりあえず、その錬金術が眉唾で胡散臭くて激しく怪しいということは理解できた。
「ごめんなさい。ぼく凄く説明が下手で。ぼくの師匠はこういうのの説明が凄い上手で、本当に何をしても素晴らしいんですけど」
――とりあえず、貴方は騙されているのではないでしょうか。
コリンは心からこの面前の青年の心配をしてしまった。
主に頭の辺りの。
「ぼくの説明では理解してもらえないかもしれないですけど、とにかくぼくの師匠は素晴らしい人なんですよ」
「――尊敬していらっしゃるのですね」
コリンは白髭をたっぷりとたくわえた偏屈そうな老人を思い浮かべたが、面前のフレリックはふにゃりと口元を緩めた。
「大好きなんです」
「……」
どうやら触れてはいけない世界らしい。
――本当に、何故、この青年はわたくしの前にいるのだろうか。
何故、付き合いたいなどと言い出したのか。
まったく理解できない。
***
ゆっくりとアルファレスはその奇妙な二人組みを眺め回した。
広いフロアの片隅で、身を寄せ合うでも駆け引きを楽しむでもなく――まるで普通の舞踏会や何かのように歓談に励んでいる二人組み。
仮面の一つも剥ぎ取って、その顔を晒した上で口付けの一つでもして見せればお手軽な醜聞のできあがりだ。
いくら仮面舞踏会といえど、仮面を取ってしまえばそれはすぐに他人の視線に晒される。これだけの人の目がある中で、人々はこそこそと言うだろう。
どこの娘かと。
今まで隠れ続けた娘なら、更に人の食いつきは良いだろうに。他人の醜聞に飢えている上流階級で、それはあっと言う間に女の命を削る。
――だが、いくら眺めていてもそのような事態にはなりそうも無い。
フレリックは楽しそうに喋り続けているし、聞いている娘と言えば口元に笑みを浮かべて応えている。
実に――楽しそうに。
先ほどまで婚約者と共にいた時の、どこか冷たい笑みではなく自然とほころぶ口元。仮面に隠れてはいても、あの娘が今を楽しんでいるのは明らかだ。
婚約者と共にいることで緊張するのだろうか。
だから、フレリックといることで緊張が解かれるのか。
今まで何度か隠れてコリン・クローバイエを観察していたアルファレスだが、幾度か見かけていた笑みがどこかぎこちない――貼り付けたようなものであるのは気づいていた。
それは確かに綺麗な笑みだ。
ただ、その瞳が――心が、笑っていないかのような。
フレリックへと向ける笑みに眉を潜め、ふと思い出して件の婚約者を探せば――男のほうはまったくコリン・クローバイエに意識を向けず、他の招待客と共に歓談を交わしていた。
いや、口論――か。
相手の男はクライス・リフ・フレイマの肩口を強く指で突いて、威嚇するかのように低く言葉を投げつけるとくるりと身を翻した。
身なりは元老院の扮装とでも言うべきか。やけに時代がかった分厚いコートに身を包み込み、マスクは鳥を思わせる。外見ではこれと言って判別がつきはしないが、フレイマを小突いた手にある特徴的な傷が目に入り込んだ。
何かでこすったかのように残る傷跡は引き攣れていて、あまり美しいものとは言えない。
ふと、知り合いの誰かでは無かったであろうかと直感が働き思考をめぐらせれば――それが知り合いというには遠い相手であることを思い出した。
幾度か拳闘の試合を見に行ったおりにすれ違った相手。賭けの台帳で名前を見た程度の。
名前こそ浮かびはしなかったが、どこかの伯爵家の嫡男であり、現在は伯爵家の持つ爵位の一つである子爵を名乗っている筈だと思い浮かんだ。
フレイマが苦いものでも嚙むように唇を歪め、ふいっと逆方向へと歩いていくのを眺めていたアルファレスだったが、すぐに自分の目的を思い出した。
じりじりと局面が勝手に動くことを待つのはつまらない。
何より、フレリックときたら少しも役に立つ様子がない。
仕方が無いと舌打ちし、アルファレスはゆっくりとした速度でフレリックと――そしてコリンの許へと足を向けた。
こつりこつりと一歩づつ進みながら、アルファレスはじっとコリン・クローバイエを見つめた。
柔らかく緩んだ口元、仮面に隠れないほっそりとした頬に笑窪が浮かぶのかと……意味も無いことを思いながら。
「やぁ、楽しそうだね」
かつりとしっかりと足音をさせて彼等の前で止まった瞬間、身内である筈のフレリックはあからさまにギクリと身構えて顔色を悪くした。
「フレリック、紹介してくれないか?」
「いえ、あの……」
おどおどとフレリックがアルファレスとコリンとを交互に眺めやり、どうしたものかと逡巡している間にアルファレスはコリンの手を取る為に自らの手を伸ばした。
「ああ、名前付きの紹介は要らないよ。
ぼくが聞きたいのはひとつだ」
白手に包まれた手先を捕らえ、淑女に対する礼儀のようにその指先に口付け。
アルファレスは蔑むように囁いた。
「一晩幾らだい?」
甘く囁いて恋を仕掛けてやろうと思ったものが、コリン・クローバイエの感情の見えない硝子玉のような眼差しを面前にした途端、アルファレスの意識は何故か闘争心に火をつけていた。




