⑤ 永遠に+3の君が愛しい
どうしてだどうしてだどうしてこうなったあああ!! モーガンは心の中で絶叫した。
先ほどから彼の耳には王太子の声が歪んで聞こえている。
彼はここにいるすべての者の中で自身が最高位だと確信していたからこそ、この「今となっては茶番劇」を開幕したのだ。
誰もが羨む才色兼備の令嬢を隣に置き、確固たる風格を見せつけ羨望の眼差しを存分に浴びる予定であったのに。
「ネヴィル侯爵家嫡男、モーガンか。ネヴィル家とは好くやっていきたかったが……さすがにこんな不良債権を抱えているような家はな」
その声には底のない失望が交じる。
「おっ、お待ちくださいっ! 私に落ち度は……なっ、何も……」
「…………」
さらなる冷たい視線で刺され、モーガンの申し開きもぴたりと止まった。なによりこの衆人環視の中、カケラも言い訳できる材料がない。
実のところ「そもそも一貫して生意気なエステラが悪い」と彼はまだ思っているのだが、それを口にするのは留まるだけの、カケラの理性は残っていた。
「この一部始終を私はハナから見ていたが」
続きを申してみせよ、といった含みがある。
「そ、それは、その……すべて幻では?」
しどろもどろのモーガンによる、トドメの一言だ。王太子はつまらなそうに鼻から息を抜いた。
「明日にもネヴィル侯と話さねばな。まぁよくぞ話題を提供してくれた、ある意味においては礼を言おう」
「そんな……」
ここ一等の真っ青な面立ちでモーガンは項垂れる。厳重注意で済むことのないのは、彼も重々理解している。
そんな彼に寄っていき、添おうとするのはエステラ。モーガンが救いの手を期待し顔を上げた瞬間、片膝ついた彼女は、氷の声音で耳打ちした。
「あなたのそのようなお顔を拝見できて、もう私は満足です。さようなら」
彼と“文通”をしていたこの三月で、エステラの感情もすっかり萎えこんでしまった。悲哀を声色に混ぜ、そして軽蔑をこめた吐息で彼に引導を渡したら、すっくと立ち上がる。
すぐさま手を差し伸べたアンドリューに笑顔で応え、また優雅なエスコートに身をゆだね、そこを後にした。
邸宅への馬車に揺られエステラは、窓の外をぼんやり眺めたふうにして、目を張ったままにいた。それを、複雑な思いがあるのだろう、と声をかけずそっとしておくアンドリューであった。
ほどなくして自室に戻ったエステラ。まっすぐ歩んだ先のバルコニーへの扉を両手で開き、白亜のフェンスにすり寄る。
庭先では噴水のしぶきが沈みゆく陽に照らされキラキラと輝く。いつもと変わらない夕景。
「…………急に、なにを」
物音も立てず、すぐそこにきて。後ろからそっと彼女を抱きしめたアンドリューは。
「僕がずっと大事にするよ。君だけを、ずっと」
「それは、どういう……」
耳元でささやかれ、徐々に胸の鼓動の高鳴るエステラだ。しかし悟られまいと平然を装った。重ねられた手から伝わってしまうことは、言うまでもないが。
「僕のところにきてよ。僕は選びたい。僕が選んだ人と対等に、尊重し合って生きていきたいんだ」
ここでやっとエステラは、アンドリューの恋のうわさなど一度も聞いたことがない事実をかえりみた。
「あなたは私のことを、以前から……?」
「特別に想ってなければ、女装してまで婚約者の男を排除しようと躍起になったりしないよ」
「子どもの頃から慣れ親しんだ友人だから、そんな手助けしてくれたのだとばかり……」
アンドリューはかすかな笑い声をあげる。
「残念だが、僕はそこまでボランティア精神旺盛な人間じゃないんだ。エステラに幸せでいて欲しい一念で、あんな気持ち悪い男の隣に座って猫なで声を出して……」
「猫なで声って。聞いてみたいわ」
「勘弁してくれ」
この真剣な場面で調子を狂わされてしまい、彼は軽くこめかみを押さえる。
そこでエステラが、……ということは、と不意に気付く。
「私、ずっとあなたに無神経な態度を……」
「…………」
7月の爽やかなそよ風が吹く。
いつの間にかエステラよりよほど背が伸びていたアンドリューは、愛おしそうに彼女の艶髪を撫でた。
「今までは、君が幸せになれるのなら、他の男のところへ嫁いでいくのも祝福できると思っていたんだ」
「…………」
「でもダメみたいだ。僕は今、きっと大人の男になっている。もう、どうしようもなく男なんだ。好きな女性を自分のものにしたくてどうしようもない衝動があるんだ!」
エステラは、少しかすれて慟哭のような彼の告白に、かつては見せたことのない表情に、ぱっと顔を赤らめた。しかしすぐにためらいの様相を見せる。
「あなたは15で、私は18……。あなたにはこれから、もっとあなたと釣り合う良家のご令嬢が」
「僕ら3つしか違わないのに何を言うんだ! ……ああ、僕みたいな子どもは相手にしないって?」
「そんなつもりはないわ!」
誤解されてはとんでもない、とエステラにしては焦りを隠さなかった。
「僕だってすぐに18になる。そのとき君は21。最高だ!」
「ええ…?」
「そして僕が28の時、君は31。最高だ!!」
何歳の君も僕にとっては最高に魅力的なんだ。と彼は言いたいらしいが、気分が高揚して、うまく頭が回っていない様子。
エステラはエステラでまた少し頬を染め、この夢見心地を見透かされないためにか、大きなため息をついた。
「分かったわ」
説得は無理だと分かったらしい。
「じゃあ、いますぐ父君に話して……!」
しかし彼の赤い唇にしなやかな指先を当て、言葉を遮った。
「あなたが声変わりしてからね」
「……待ちきれない」
「すぐじゃない。15の、いい歳の男が駄々をこねないの」
「こんな声じゃ男として見られないってことか……」
拗ねるアンドリューを前に、今度のエステラは落ち着かないそぶりを見せる。
「だって……なんだか、天使を堕天させてしまうような気まずさがあるわ」
より頬を染めて目線を斜め下にやる。アンドリューはもう煽られているようにしか思えない。
「今すぐ堕天したい」
「もう!」
若干の悪魔顔でエステラの顔を覗き込んだアンドリューは、頬をぐいっと押しのけられた。
そうはいっても彼の願いは遠くない日に叶い、あの卒業パーティーから三月ほどたった頃、彼らの婚約は成立したのだった。
今日もふたりは庭の小川のほとりで、アフタヌーンティータイムを謳歌する。彼らを取り巻く空気感はもう今までの、姉弟のそれではなく。想い合う恋人の間に流れるロマンティックなひと時の中、甘い語らいをして過ごすのであった。
~ FIN ~
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