④ 聞き覚えのある声
「も、もうちょっとだ、必ず来る! 彼女は約束を破るようなことはしない! ドリューはそんな娘ではないからな!」
ますます窮地に追い込まれゆくこの男。
エステラとアンドリュー、そこで双方は目を合わせた。
「確かなことをおっしゃいましたわね」
「ああ、確かに」
「は?」
「来ておりますのよ、ふたりとも」
「ふたり……とも??」
そこでエステラの侍女が預かり物の、紙の束を彼女に手渡した。それをこともあろうかエステラは、大きく腕を振りかざし、高い天井に向かって一気にぶちまけたのだった。
「な……なんだ!?」
ひらひらと舞う白い紙きれが一枚、二枚と、床に、時に観衆の手元に辿りつく。モーガンは胸騒ぎゆえに膝を折り、それをぐしゃりと拾い上げた。
「何ッ…!? これは私がドリューに宛てた恋文! ……こっちも!」
すべて回収せねば、この日のための画策が暴露されてしまう。狼狽え千鳥足になりながらも這いずり回る。
この事態に観衆は騒動のクライマックスを予感し一層ざわめく。
「いったい、どうしてお前が!!」
「まだ、気付かれませんか?」
「っ……」
エステラの凍てつく眼差しにモーガンは絶句した。
「あなたと文を交わしていたのは誰だったのか、お分かりになりました?」
もう分かっただろう。しかし彼は受け入れられず、口を半開きに開けたまま首を振る。
「どっ、どういうことだ……。だって、私は確かにあの美しいドリューと出会い、言葉を交わし、手紙で愛を深めることを約束し……」
エステラは詰め寄っているわけでもないが、どう彼の目に映っているのだろうか、後ずさりしながら答えを求める。
「あれはお前だったのか!? そんなまさかっ! 俺は陽炎に惑わされてたっていうのかっ……」
「そんなわけありませんでしょう? 私はあなたがそのような処へそのような目的を持って出入りしていることなど、信じておりませんでしたわ。……あの日までは」
エステラは彼の言う“運命の出会いの日”の後、“庭園の乙女”から報告を受けた。そしてその乙女から羽ペンを渡されたのだった。
モーガンの耳に、もはやエステラの声は届いているのかどうだか。相当怖気づいたらしい、足腰が震え、その場で尻もちをついてしまった。その様子を人波から垣間見ていた貴婦人らがくすくすと嘲笑する。
「大丈夫ですか?」
見かねたアンドリューがここで彼に寄ってゆき、手を差し伸べた。
「い、いらん! 男の手を取るなどっ!!」
振り払い、苦渋を顔ににじませるモーガンであった。そのような彼にアンドリューはおもむろに顔を寄せてゆき、耳元でこうささやく。
「遠慮なさらずとも。モーガン様。私、あなたに拒まれて口惜しく思いますわ」
その作られた少し高い声音は、かすれてはいたが、聞き覚えのある声質のものだった。
「…………!!?」
モーガンは呆けた。一瞬、異世界に飛んでしまったようだ。
「……はっ。その煌やかな緑の瞳っ! まさか……ドリューなのか!?」
周囲の人間には、今のアンドリューのささやきが聞こえていたわけではない。彼らの間に何らかの密談があった、と察したくらいである。
しかしながらふたりの間から立ち込める、追い詰める者・られる者といったオーラをしかと感じ取っていた。
「……そう」
答え合わせのためエステラはここぞと前に踏み出す。
「文のやり取りしていたのは私ですが、あなたの行動を疑い、あなたの不品行を炙り出したのは私ではない」
そして彼を見下せる位置に立ちはだかり、
「あなたの相手は私だけではなかったの」
こう、言い捨てたのだった。
もはや勝負になりはしないのだし、アンドリューはいち早くエステラの視界からモーガンを消したかった。そして是が非でも、金輪際彼女に近づくな、と釘を刺しておきたい。しかしこの場でモーガンと同じ土俵に立つのも憚られる。どうしたものかと考えあぐねていたら。
この刹那に、静まり返った卒業パーティーの奥深く。
「あはははは! 変わった余興だったな!」
鷹揚な笑い声が上がった。それはにわかに人々の注目を集める。たかが笑い声、なのだがその御仁の高らかな声は会場のすべてを突き抜けるがごとく響き渡り、まさしく稀有な威厳を放っている。観衆は見えざる力に押しのけられたようにまた、その豪然たる人物に道を譲った。
渦中の3人も凄みあるその人を、ついに意識せざるを得なかった。
「ランドルフ王太子!」
最初に声を上げたのはアンドリューだった。
エステラはさっとドレススカートの裾をつまみ、優雅にカーテシーを行う。一足遅れながらモーガンも深く敬礼した。しかしそれを目にしたかどうだか、現れた王太子はアンドリューのことでいっぱいのようだ。
「久しいな、アンドリュー。そなたに会うためにやってきたぞ」
「まことにありがたく思います。ランドルフ様」
アンドリューは王太子の前で弟のような顔をする。王太子もこの顔にめっぽう弱いのだった。
「本日はそなたの敬愛する者がこの学び舎を卒業するとのことだったな」
「ええ、そうなんです。だからランドルフ様にぜひ紹介させていただきたく、ご足労願いました」
エステラを振り向き、照れたように目くばせするアンドリュー。ここはエステラにとっても、淑女としての評を落とすわけにもいかぬ、日頃の練磨の見せどころだ。
「ご機嫌麗しゅう、王太子殿下。ウィンゲート家長女エステラと申します。我々の卒業式にご出席いただき、光栄の至りに存じます」
彼女の声も透き通るように清涼で、その場は軽やかな空気に包まれた。
「噂には聞いていたぞ、エステラ。ああ良い、堅苦しいのは。本日の主役はそなたらであろう。……しかし堅苦しいのは不要だが、見苦しいのは更に御免だな」
王太子はモーガンを蔑んだ流し目で見た。権力者の威光に絡まれ顔を上げられずモーガンは、ただ脂汗を床に滴りこぼすだけであった。




