② 不貞に関する証言??
「ははっ」
対するモーガンは、やっとエステラを出し抜いてやった、というような、可笑しな高揚感に包まれほくそ笑む。
ここまで婚約者エステラは上位の成績を保ち、学院への功績もあまねく知れ渡っていた。その知性と美貌、人柄で同輩後輩を問わず人望豊か。そんな非の打ちどころのない彼女に、彼は鬱屈した思いを絶えず寄せていた現実がある。
しかし厄介なのは、それはこの俺の婚約者だ!という他者への優越感も雑じり、彼女を切り離せずにいたこと。挙句、心に巣くった悪魔はしばしば、薄弱な彼を他の女へと走らせていた。
とはいえ以前まではエステラに到底及ばぬ、凡庸な娘を見繕うだけであったようだが──。
「お待ちください、モーガン様。あなたはたった今、私の不実を責めたばかりでは。しかし不義を働いたのはあなたの方でしたのね?」
「いや違う。私はふしだらな行為に及んだお前とはまったく違う。なにより、お前の方が先だ。私はお前の不義の密告を受け、消沈し心を病んだ。その折りに、この傷心を慰め優しく包みこんでくれた美少女と心通わせたのだ。そうして彼女に救われた。彼女のおかげで壮健を取り戻した私は、今こそお前を糾弾する!」
委縮するエステラの様子を確認し、嬉々として彼は続ける。
「そして本日この場で、私の新しい婚約者をみなに紹介しよう。社交界を遠く牽引していくだろう、実に美麗で聡明な令嬢だ」
「どこのどなたですのそれは……」
「まだ明かせぬ」
「おかしな話ではありませんか。婚約を破棄しておいてまで」
「まだ、と言っているだろう? すぐにも彼女はここへ到着する。私の卒業を祝うために。その時ふたりで挨拶を行うと、我々は約束したのだ」
実のところ彼も、その令嬢から出自を明かされていない。令嬢とは一度会ったきりで、以降は文のやりとりで恋心を募らせていった。その中で、この日にすべて打ち明けますから、と焦らされている。それゆえに彼は楽しみで楽しみで仕方なく、相当な熱に浮かされている有り様だった。
「そうだ、お前の下卑た所業を清らかな彼女の耳に入れるなどもってのほか。彼女の訪れの前に、今ここで裁断を下そう」
「そうまでおっしゃるなら教えてください。いつどこで私が不貞を犯したと?」
「ふん。大勢の見守る中、己の愚行を晒されて平然としていられるかな」
モーガンは連れの使用人に合図を出した。ここに召しだされたのは3人の在校生。男子生徒ふたり、女子生徒ひとり、いずれも緊張した面持ちである。
まずは左端の男子に威圧的な声で尋ねた。
「その者、エステラの不審な行動を発見し、後を追ったそうだな」
指名された彼はしゃきっと背筋を伸ばす。
「え、えっと、ある夕暮れ時、学院内の庭でエステラ様を見かけましたところ、浮かれた足取りで温室へと入っていかれたのです……」
「ほう」
「たしか温室は私どもの担任、テレンス先生の憩いの場でした。彼はご存じの通りお若いながらもその卓越した指導力と親身なお心で多くの生徒、とりわけ女生徒に人気の方でありますゆえ……私も多少の興味で後を追ったのです」
「そこで見たものは? ずっと監視していたのだよな?」
もちろんこれは仕込まれた狂言だ。台詞は劇作家に清書させ、演出家の入念な指導のもと成り立っている。
実はここから始まる芝居は、彼の“恋しい乙女”と手紙を交わしていた時に計画が進んだ。彼女にもこのでっち上げを真実のように語ったら、対応には彼女が助言をくれた面もあり、だからこそモーガンは彼女がそれほどに自身を欲しているのかと空想し、やたら気が乗っているのだった。
「ええ、ずっと見ておりました。そこではテレンス先生ではなく先年退職されたマーガレット先生が、余生の楽しみとして園芸を嗜まれていました」
「……ん?」
モーガンは訝しげな顔になる。
「エステラ様は彼女のお手伝いで時々訪れていると、会話からうかがわれました」
「は? どういうことだっ……」
「植物の知識が豊富で、そのお手際も先生が褒めておられました。さすがエステラ様、ご自身もお忙しい時節でありましたでしょうが、細やかなお心配りで……」
「はっ、話が違うではないか!」
観衆は、いい話を聞けた、在校生は自分も手伝いに行こうかとさざめき合い、モーガンひとりが焦っている。しかしこれ以上この証人を責めるわけにも。不測の事態にボロが出そうだ。
「次、お前っ」
もうひとりの男子生徒を指名した。
「えー……私、ある放課後、誰もいない図書館で数学に励んでおりましたところ、エステラ様に声をかけられまして……」
「うむ、何が起こったのだ?」
これには艶めいた話を期待した女子生徒もいる模様。
「難解な証明の組み立て方を説明していただきました」
「……は??」
「そこで私はこれチャンスとばかりに、関数や微積分の解法まで図々しくも助言を求めてしまったのです。しかしエステラ様はけして嫌な顔をせず、鐘が鳴るまで根気よく私の質問にお答えくださいました! かっ、感謝しております!!」
観衆から賞賛の声と共に拍手が起こった。
「な、何が起こっているのだこれは!」
狼狽するモーガンの声は拍手に紛れ誰の耳にも届かない。
「ええい、最後のそこの女! お前がされたことを話してみろ!」
「えっ……は、はい! 私には婚約者がいたのですが……。彼は元々エステラ様に憧れを抱いていまして」
「奪われたのか? 可哀そうにな」
「いえ、彼はクラスの女子と浮気をしていたのです。それを、法学専門の彼が憧れていたエステラ様に相談したところ、親身に話を聞いてくださり、最後には調停していただきました!」
「………………」
ことごとく仕込みの在校生が台本通りに喋らない。モーガンは黙るよりほかなかった。
「今は婚約者と和解し、いい方へ向かっていると思います。エステラ様のおかげでございます!」
「ええいっ! お前ら、もう下がれ!!」
「きゃっ……」
怒鳴られ女子生徒は逃げ出した。男子たちもおずおずと下がる。
出鼻をくじかれたモーガンは頭の中で必死に考えを巡らせていた。そこに久しく口を閉ざしていたエステラが問いかける。
「私はあなたに誤解を受けていたのですね……」
その表情はせつない憂い顔だった。これが多分に観衆の同情を誘う。
「たっ、たまたまここに来た奴らは主張の行き違いがあっただけで、お前の不貞行為がなかったという根拠にはならない!」
数学の証明じみた物言いになるモーガンだ。いったんこの話題を逸らさねば形勢は不利に。
「……あなたのパートナーとなる女性は、いついらっしゃるのです?」
扇子で虚ろな顔を隠しながらエステラは尋ねた。
「ああ! 私の現在の恋人、“庭園の乙女”からカードが届いてな」
よくぞ聞いてくれた、とモーガンはいつもより饒舌になる。
彼曰く、到着が少々遅れるとの連絡を先ほどバトラーから受け取ったようだ。手に持つ白いメッセージカードにさりげなくキスをする。
「素敵なお方なのでしょうね」
「もちろん。それはそれはこの世のものとは思えぬほどの、優美で可憐な乙女だ。彼女の草木と露を集めたような麗しい緑の瞳。この視界に飛び込んだら、私の心は瞬時に捕えられてしまった」
「……そうですか」
エステラの心は底なし沼に沈んでいくような、寒々しい感覚をおぼえていた。




