プロローグ(4)
3週目に入ったとたん、猛然とトップをひた走っているダンクロールのスピードが目に見えて落ちてきた。
その走る右足から赤い糸を引いている。
先ほど、グレストールを避けた時に、その右足を傷つけてしまったようである。
どうやら、あの血しぶきは、ダンクロールの右足が裂けによるもののようだ。
それでも、ダンクロールは走り続けた。
少々知性を持ったこのダンクロールにとって、このレースはどうしても勝ちたかった。
勝てば、褒美として大量の人間を食らうことができる。
さすれば、今度こそ、魔人へと進化することができるかもしれない。
魔人となれば、神民魔人へと昇り詰めることも可能である。
名を知られていない一介の魔物たちにとって、魔物バトルは神民魔人への近道であった。
しかし、もう、右足が動かない……
歩くように進むダンクロール。
痛みを堪えるかのよう低く唸った。
だが、そのうなり声が宙を舞う。
ダンクロールの首が、一瞬で宙を舞ったのだった。
残された体から赤い血しぶきが舞い上がる。
宙を舞うダンクロールの緑の目も、自分の身に何が起こったのか分からなかった。
くるくると回っていくダンクロールの世界。
自分の首から噴き出す赤き血が、円を描いている。
ダンクロールは、血しぶきを上げて倒れゆく自らの体を見つけた時、やっと、何が起こったのかを理解した。
ライオガルが血しぶきの中で、その牙を光らせていたのだ。
落ちてくるダンクロールの意識。
バキ!
ライオガルが口を閉じるのと共に、その意識は消え去った。
口から大量の血を滴らせながら、ゆっくりとトラックを歩くライオガル。
前回チャンピオンのライオガルは、スタート地点をにらみながら、うなり声をあげている。
もうこのトラックに残っているのは、ライオガルとグレストールのみであった。
ライオガルが、グレストールをかわせば、今回も優勝である。
グレストールがライオガルを食らえば、残るはグレストールただ1匹。すなわち、グレストールの優勝である。
グレストールは、ライオガルが戻ってくるのを今か今かと待ち受けている。
最終コーナーを回るライオガルの足が早まった。
一気に加速していくライオガル。
そのスピードは今までの中で最も早い。
さらに、そこから加速した。
まだ、スピードが上がるというのか。
ライオガルの体が、風に溶け込んだ。
地を掻く爪の音が遅れてついていく。
最終コーナーを一本の黄色い矢が曲がっていく。
その矢は、さらに伸びていく。
ついに、黄色い閃光へと加速する。
ライオガルの視界にグレストールが迫りくる。
その超速からの分身。
黄色い閃光は三つに分かれた。
三つの閃光がグレストールに向かって突き刺さる。
いや、グレストールを突き刺さすのではない、その体にできた、いくばくかの隙間に糸を通すかの如く、突っ込んだのである。
ライオガルがグレストールの体を通りすぎようかと思った瞬間。
グレストールのしっぽが、ライオガルの眼前に横たわった。
この速度で衝突すれば、ライオガルの体は砕け散る。
とっさに、上空に逃げる三つの閃光。
しかし、待ってましたと言わんばかりに、グレストールのしっぽの影から、三つの首が上空へと突き出された。
黄色い光は、かき消えた。
そのグレストール一つの首から、赤い血が滝のようにこぼれ落ちていたのだ。
「よっしゃぁ! とったぞぉぉぉお!」
馬券を握りしめ歓喜の咆哮をあげる一人の女魔人。
その女魔人の背後から、先程のメイドの女が急に抱き着いた。
「やっと見つけました。ミーアさま」
女魔人は慌てて振り返る。
「驚いた! リンじゃないか」
「ミーキアンさまが、お探しですよ」
「そうか……その前に、これを換金してからな」
嬉しそうにミーアが換金所に走っていった。
「ミーキアンさまに、ばれても知りませんよ……」
あきれた顔をしながらついていくリン。
所変わって、城の中。
ここは、第六の騎士、ガメルの居城である。
静かな暗い廊下に、冷たいヒールの音が響き渡っていた。
すらっとした褐色の体が、左足にスリットの入った黒いタイトなドレスに包まれている。両の肩にはそのドレスとは対照的な淡く白い羽衣がまとわれていた。切れ上がった目尻からのぞく美しい緑の目が、何かを急ぐかのように前を見つめていた。
ドアを開ける。
そこには、一人の魔人が椅子に腰かけていた。
その前で膝まづく女。
「まずは、ガメル殿。第六の門のキーストンの奪取、おめでとうございます」
「ミーキアン。そんな仰々しいことはやめてくれ。俺とお前の仲だ」
ミーキアンは膝まづいたまま動かない。
「はぁ、その様子だと、何か俺に頼み事か……」
「そうだ……一つ頼まれてくれないだろうか……」
「お前は、あいつにとって大切な女だからな……そのお前の頼みとあれば、聞かぬわけにはいくまい……」
「すまぬ……かなり危険なことを頼むことになる……」
ミーキアンは神妙な面持ちで顔をあげた。




