凋落のエメラルダ(1)
義男が神民病院を後にしたころ、 第六の門内の駐屯地では、内地からの援軍とともに物資が運び込まれ、傷ついた兵士たちの救護が行われていた。
緑女のカリアもまた、人目につかない駐屯地の端に張られた、ぼろいテントの中で応急処置を受けていた。
奴隷兵は本来、人魔症の治療など許される身分ではない。
それでもエメラルダの一声により、例外的にすべての者に治療が施されていた。
だが、戦いの爪痕はあまりにも深かった。
十数名いた緑女たちは、カリアを含めて、わずか三名しか生き残っていなかった。
「おう、お前たち……生き残ったのか」
テントの幕が乱暴に開かれ、奴隷兵の男たちが入り込んでくる。
救護をしていた奴隷女たちは、示し合わせたかのように慌ただしく外へ出ていき、入口を固く閉ざした。
カリアは顔を上げ、男たちを鋭くにらみつける。
「何しに来た。用がないなら出ていけ」
「ずいぶん元気じゃねえか」
男の一人が嘲るように笑い、カリアのそばに踏み込む。
次の瞬間、乱暴に身体を押さえつけられ、身動きが取れなくなった。
「アタイたちに近づけば、人魔症がうつるんじゃなかったのか」
「今なら治療してもらえるんだとよ。問題ない」
「ほかにも奴隷女はいるだろう!」
「お前たちが壊れた後なら、相手してやるって話だ」
耳に届く言葉の一つひとつが、胸の奥に突き刺さる。
理解しようとした瞬間、思考が押し潰され、重たい圧だけが覆いかぶさってきた。呼吸をしようとすると、喉がひくりと鳴り、空気が途中で止まる。
――なんでだよ! アタイらばっかりなんでだよ……
視界が揺れ、天幕の内側が遠のく。自分の身体が、もう自分のものではなくなっていく感覚だけが、はっきりと残った。
耳に残る男たちの声や笑い、外で響く足音の一つ一つが、身体の奥深くまで侵入してくる。逃げ場はどこにもない。
白いシーツに、赤いしずくが落ちていく。
その瞬間、胸の奥に重い確信が落ちた――逃れられない現実だということだけは、はっきりとわかる。
奥歯を噛みしめ、声を出せばすべてが決まってしまうという直感に、悲鳴を喉の奥へ押し戻す。
指先が震え、必死で逃げ場を探すが、天幕の中に隙間はない。
――耐えろ。終わるまで、壊れるな。
小さな声で自分に言い聞かせる。
息が浅くなり、胸の奥がひりひりと痛む。目に映る光景のすべてが、身体の奥にまで突き刺さる。
「逃げたい」と「壊れたら終わる」という恐怖がぶつかり合い、思考は断片化していた。
涙で滲んだ視界の向こうでは、ほかの緑女たちもまた、声もなく苦しみに耐えていた。
その姿を目にするたび、胸の奥を締め付けられるような痛みと、どうしようもない孤独感が押し寄せる。
外は晴れているのに、テントの中は妙にむっとしている。
天幕に映し出される奴隷女たちの影は楽しげにおしゃべりをしているようで、カリアにはそれがひどく無情に映った。
誰も助けてはくれない。ただ、今はこの時間が終わるのを、ひたすら耐えるしかなかった。
(挿絵はアダルトすぎてのせられないためXを参照)
視界の隅で、白いシーツに飛び散った赤い花びらを見ながら、カリアは自分の身体の奥底が『子種の白玉』で汚染されたのを感じた。
だが、それで終わりではない。すぐに別の重みがのしかかり、現実が続いていく。
逃げられない圧力、奪われる感覚、屈辱――すべてが混ざった現実。
息を止め、その場に耐え、壊れないように自分を抱きしめた。
***********
テントの外では、別の時間が静かに流れていた。
城壁の上では、カルロスが傷ついた城壁の修復の指揮をとっている。
というのも、超大型級のガンタルトによって激しく突き崩された城壁の修復は、困難を極めていた。
猛毒『宿禰の白玉』に汚染されたガンタルトを城壁から取り除く必要があったのだが、その大きさゆえ、簡単に動かすこともできなかったのである。
下手に動かせば、『宿禰の白玉』の汚染が駐屯地内に広がる危険があるのだ。
それでも――今ここにいる者たちだけで、やるしかなかった。
カルロスは、ガンタルトを前に腕を組み、途方に暮れていた。
――やはり、この駐屯地は放棄するのが一番か……だが、その後はどうする……
判断がまとまりきらない、その瞬間だった。
息を切らした一人の一般兵が、城壁の上へと駆け上がってくる。
「内地よりの伝令! エメラルダ様が拘束され、軍事裁判にかけられるとのことです」
「なんだと!」
思わず兵をにらみつける。
驚きと焦りが絡まり、言葉が喉につかえた。
――エメラルダ様が、拘束……?
ようやく、声を絞り出す。
「どういうことだ……」
「はっ! 国家反逆罪によりアルダインの手の者に拘束されしとのことです」
「反逆罪だと! エメラルダ様がか!」
――意味が分からん!
取り乱したカルロスは、兵の胸倉をつかみ上げた。
だが兵の表情には、困惑しか浮かんでいない。自分自身も、この報告の意味を理解しきれていない様子だった。
「詳細は分かりかねますが、内地からの急ぎの知らせによりますと、そのような内容であります」
カルロスは歯を食いしばり、兵を押し戻す。
深く息をつき、強引に思考を立て直した。
そして、周囲を見渡し、神民兵たちを呼び寄せる。
「エメラルダ様の事情を確認するため、ワシは今から急ぎ内地に戻る。お前たちは、引き続き修復作業に当たれ!」
「御意」
兵たちは膝まづき、静かに承諾する。
カルロスは黄金弓を皮袋に慎重に納め、肩に担ぐ。
そして、駐屯地の端に待たせていた馬へと駆け寄った。
手綱を握り、一息で鞍にまたがる。
蹄が地面を蹴り、衝撃とともに風が体を打った。
――少しでも早く、ちょっとでも早く……
胸騒ぎが、はっきりとした焦りへと変わっていく。
馬を駆り、駐屯地の門をくぐる。
背後で鉄の扉が重く閉じ、守られた場所が遠ざかっていく感覚が胸を締めつけた。
門外の広いフィールドに踏み出すと、風はさらに強くなった。
ムッとするような生暖かな空気が頬を打つ。
――いやな感じだ。
胸の奥で、不安と焦燥が絡み合う。
鞭を握る手に、自然と力がこもった。
カルロスは前方の道だけを見据え、馬を全速で走らせる。
内地へと続く道のりが、これほど長く、重く感じられたことは、今まで一度もなかった。




