プロローグ
「普通、神民病院からわざわざウチみたいなとこに転院してくるか?」
薄暗い待合室に、鰐川ルリ子の声が響いた。
その手には一枚の書類。
どうやらそれは、神民病院からの患者転院の受け入れ願いらしい。
ルリ子はそれを見ながら、めんどくさそうな顔でチューインガムをくちゃくちゃ噛んでいる。
ナースにしては、なんかガラが悪いwww
「おい、ウンコ野郎。代わりにこれを神民病院まで届けてこい」
ルリ子は封筒を一つ、タカトに突き出した。
どうやらそれは、受け入れ願いに対する承諾の返送らしい。
「というか、お前が自分で行けよ……」
床でウンコず割をしながらふてくされているタカトは、目の前の封筒をにらみつけた。
当然、行く気などさらさらない。
「私は金づるどもの看護で忙しいんだよ!」
――その態度、どう見ても暇そうなんですけど。
だが、ここでタカトが「イヤだ」と言おうものなら、肩に担がれた金属バットで顔面を粉砕されるのは確実。
すなわち、この時点でタカトに拒否権など存在しないのだ!
そもそも……なんでタカトがツョッカー病院の待合室にいるんだよ?
――実は、これには深いわけがありまして……。
オオボラを探して数か月。
飽きもせず、毎日毎日、万命寺に通い詰めるタカト。
朝、昼、晩――そして三時のおやつの時間まで。
一日四回、欠かさず門をくぐった。
それほどまでにオオボラをどつきたかったのだろうか?
まぁ、確かにどつきたかったのは間違いない。
だが、それ以上に確かめたかったのだ。
――なんで、俺たちを置いていったんだよ……。
小門の大空洞で、タカトたちを置き去りにしたオオボラ。
その理由を直接聞かなければ、胸につかえた何かが取れない気がしていた。
だが、オオボラはその後、万命寺にも顔を見せていない。
どこで何をしているのか、まったく分からないのだ。
――せめて、元気な顔でも見れれば安心できるのだが……。
そんなタカトの不安そうな顔に気づいたのか、ガンエンが声をかける。
「タカトやwww暇そうじゃのwwww」
ギクリと体を震わせるタカト。
だが時すでに遅し。
ガンエンに首根っこをつかまれ、境内の広場へと引きずられていく。
「さあ! 今日も元気に修行じゃwwww修行じゃwwww」
ガンエンは、タカトが万命寺に来るたびに目ざとく見つけた。
まるで、どこかに監視カメラでも仕掛けているかのような速さだったwww
それほど万命寺の住職というのは暇なのだろうか。
いや、そうではない。
ガンエンもまた、口には出さないがオオボラのことを心配していた。
そして、オオボラを気遣うタカトのことも気にかけていたのだ。
というのも、タカトの奴、連日オオボラを探して大騒ぎ――いや、正確には「から騒ぎ」。
見ている方が痛いぐらいだった。
だが、いないものはいない。
いくら万命寺の中を探しても、オオボラは姿を見せない。
そのたびに落ち込むタカト。
それを見るガンエンは思うのだ。
――このままでは、あやつの心のほうが先にすり減ってしまうのう……。
ならば、いらぬことを考えられぬほどに体を動かすまで。
人間というものは、動いていれば嫌なことを忘れる。
ふさぎこんだ気持ちも、大声を出せば晴れるというものだ。
境内の広場の中央で、タカトが拳を繰り出すたびに声を上げ続けていた。
「ハイ! ハイ! ハイ!」
「声が小さい! 腹の底から声を出せ!」
「やかましい! これでも俺は頑張ってるんだよ!」
「そんなんじゃ巨乳美女を紹介してやれんなwwww」
「マジか! マジで巨乳美女を紹介してくれるのか!」
「もちろん! だって! 坊主! 嘘つかな~い!」
「よっしゃぁぁぁぁぁ! ハイ! ハイ! ハイ!」
単純なタカト君。
毎日毎日、ガンエンの甘言にまんまとハマり、万命拳の修行をせっせと続けておりましたとさ。
気づけば、タカトの頭の中からオオボラの存在なんてきれいさっぱり消え失せ、
ご褒美の巨乳美女のイメージでいっぱいになっていたwww
で……もしかして、そのご褒美が鰐川ルリ子?
ザッツ‼ライト!
確かに、ルリ子さんは巨乳だ。
顔は黒いがかなり美人でもある。
ということで、ガンエンは「巨乳美女を紹介してやる」と言って、
万命寺が作った「肩こりに効くお札」――万札を、タカトにツョッカー病院まで届けさせたのである。
ちなみにこの万札はお札なので自由診療! 社会保険は当然適用外!
すなわち患者負担10割! 治療費も言い値で決まるのだ!
湿布を出すよりも儲かって儲かって仕方ないw
ブラックなツョッカー病院における、貴重な収入源の一つになっておりましたw
(ちなみにタカトたちは貧乏なので無保険でございます)
そんなわけで、ルリ子は定期的に万命寺から万札を仕入れていた。
そして、今日がそのお札を受け取る日だったのである。
そう考えれば、ガンエンは嘘はついていない……ついていないのだが……。
……それでも、なんか釈然としないタカトである。
だが、ルリ子もまた海千山千のナース。
金づる――もとい患者の気持ちなど、表情を見ればお見通しなのだ。
そんなわけで、タカトが不満を抱いていることなど一瞬で察した。
「今度うちに来る患者、かなり美人らしいぞwww」
タカトのウィークポイントに、ドストライクで言葉をぶち込む。
「えっ! 美人?」
「ああwwwしかも神民で、育ちもいいときたもんだwww」
「お嬢様系の美女?」
「さあ? そこまでは書類には書いてなかったからな。なんなら、自分の眼で確かめてみるか?」
「ウン! ウン!」
もう、アザラシの曲芸みたいにブンブンと顔を振るタカト。
――完落ちじゃないwww
その様子を横で見ていたビン子は、白い目であきれていた。




