謁見の間
謁見の間には、冷たい静寂が満ちていた。
玉座に腰を沈めたアルダインは、肘をついたまま動かぬ瞳で来訪者を見下ろしている。
その傍らには、黒のスーツに身を包んだ女秘書――ネル。
硬く結ばれた唇と、スリットからのぞく白い脚。
まるで氷像のような静けさの中に、張り詰めた気配が漂っていた。
オオボラは床に膝をつき、頭を垂れている。
その表情は見えない。だが、わずかに動く指先から、極度の緊張と冷静な計算が読み取れた。
「手紙を持参した者をお連れいたしました」
守衛の報告に、ネルが短く命じる。
「下がれ」
「はっ」
守衛が退室し、扉が重く閉まる。
その瞬間、空気がさらに重く沈んだ。
アルダインは封筒を指先で転がしながら、低く問う。
「……お前、この手紙の中身を見たか」
「いえ。封は閉じたままでございました」
その声に迷いはない。
だが、アルダインは信じない。
──この封蝋は第六の門の印。なぜ、この男がそれを……?
目を細め、冷たく見据える。
――いずれかの騎士の手の者か?
だが、自分が王を監禁していることを知る者がいるはずはない。
しかし、王が姿を見せなくなって久しい今、疑う者が現れてもおかしくはなかった。
――もし、こやつが……それを探りに来た者であれば。
「では、中身を知っていたのか?」
「存じません」
オオボラは呼吸ひとつ乱さぬまま答えた。
──アルダインの奴、探っていやがる。俺がどこまで信用に足るかを……。
彼もまた悟っていた。目の前の男が、一国を動かす怪物であることを。
だが、怯めば即座に“消される”。
「なぜ、第六の宿舎に届けず、ここへ持ってきた」
鋭い問いが放たれる。
オオボラは静かに顔を上げた。
「ここならば、私の願いを、必ずや聞き届けていただけると思ったからです」
「ほう。内容も知らずに、か?」
「はい」
そのやり取りを、ネルは一歩下がった位置からじっと観察していた。
──この少年、アルダインを恐れていない……。それに、目が……アルテラと同じ色をしている。
アルダインの気配がわずかに揺れた瞬間、ネルは無意識に踵をずらし、即座に動ける体勢をとっていた。
彼女にとって、アルダインは“盾”。
自分の娘アルテラを守るための、汚れた唯一の盾なのだ。
――この男を害する者は、どんな理由であれ、生かしてはおけない。
しかし――オオボラの目には怯えも焦りもなく、ただ静かな確信が宿っていた。
ネルは一瞬、判断をためらう。
――この少年、本当に敵なのか?
「……して、その“願い”とは?」
アルダインが低く問う。
オオボラは、ゆっくりと息を吸い込んだ。
「私を、アルダイン様の神民にお加えください」
一拍の沈黙。
それを破るように、アルダインの笑い声が響いた。
「ははははは! 貴様を? わしの神民に? 命が惜しくないようだな」
「命は惜しいですが、それ以上に価値のある提案かと」
その一言に、空気がわずかに震えた。
──ふん……近くに置いておく方が、監視はしやすいというもの。
アルダインは口元に笑みを浮かべながら、心の内で測っていた。
この少年がただの愚か者なら殺してしまえばいい。
だが、もし彼の背後に“別の騎士”がいるならば――。
重い沈黙ののち、アルダインは手紙をネルに放る。
「よかろう。……お前を、わしの神民に加えてやる」
ネルが一瞬だけ息を呑む。
──まさか……この男を信用するおつもりなのか?
「ありがたき幸せ」
オオボラは深々と頭を下げた。
その陰から覗いた口元には、わずかな笑み。
──これでいい。権力の牙城は、内側から崩すのが一番だからな。
アルダインは、その笑みを見逃さなかった。
だが何も言わず、ただ鋭い目を細める。
静かな火花が散る。
三人の思惑が交錯する中、謁見の間には、再び深い沈黙が落ちた。




