百牙蛇蟲
ミズイの体からあふれ出す、生気の奔流。
熱い。焼けつくほどに、甘く熱い。
喉の奥に、まだタカトから押し込まれた力が、唾液に溶けてとどまっている。
――処理しきれない。
体の芯がじわじわと疼き、抑えきれぬ火照りが広がっていく。
細胞の一つひとつが歓喜と悲鳴を同時に上げ、快楽のような震えが全身を駆け抜けた。
頬を紅潮させ、うるんだ瞳で息を荒げるミズイ。
そのピンクの唇は余韻に濡れ、白く細い糸を引きながら、ゆっくりとタカトの口から離れていった。
……次の瞬間。
きらきらと光の粒が舞い、ミズイの体を包み込む。
「えっ、なに……っ!?」
彼女の声が驚きに震えたその刹那――
すとん。
そこにいたのは、ついさっきまで妖艶な美魔女だったはずの姿ではなく……ピンク髪の幼女!
しかも、その瞳はさっきまで赤黒く濁っていたのが嘘のように澄みわたり、金色の光を取り戻していた。
自分の変化に目を見開くミズイ。だが、その驚きはすぐに打ち消された。
胸の中に抱かれたタカトの気配――それがあまりにも弱々しいことに気づいたからだ。
「タカト!」
ミズイの恍惚とした表情が一瞬で凍りつく。
膝の上のタカトの首がぐったりと垂れ落ちる。
干からびた唇から吐き出された白い魂があたかも天に昇っていくかのようであった……ふわり。
咄嗟にミズイは、その白い魂を手で押さえつけた。
「万気吸収で……命の石を……早く吸え!」
肩を揺さぶり、必死に声をかける。
だが……へんじが――ない。
ただのしかばねのようだ……
それに対して、いまだ攻撃を続けていた猿蜘蛛。
そんな二人を、黙って見逃すほど甘くなかった。
――おれのシコシコ相手を奪っておきながら……今度はお前ら同士でシコシコする気かシコォォオオオ!!
嫉妬に狂った叫びとともに、糸に操られたクロダイショウたちを一斉に襲いかからせる。
しかし次の瞬間、金色の光が炸裂した。
神の盾が、以前とは比べものにならぬほどの輝きを放ち、二人を包み込んだのだ。
だが膝の上にタカトを抱え、身動きできないミズイ。
焦る胸。
――タカトの命を、どうにかしなければ……!
その瞬間、猿蜘蛛に操られたゾンビクロダイショウの群れが盾に襲いかかる。
ガシャッ! 光が弾け、鋭い衝撃が腕に走る。
バキッ、ズゴッ! 敵が吹き飛ぶ。しかし手はタカトを抱えたまま。全力は出せない。
このまま攻撃を受け続ければ、じり貧か――。
圧倒的な数を前に、盾もわずかに揺れる。
ミズイは再び力を籠め、生気を全身から吐き出す。
ビリビリビリッ! 身体が生気に焼かれる痛みと熱。
「グッ……くっ!」 焦りが胸を締め付け、熱と生気が煮えたぎる。
――今は、私が何とかするしかない。これがタカトとの約束!
「邪魔だっ!」
ミズイがキッと厳しい目でにらみつけると、片手を思いっきり振り払う。
その動きに呼応するかのように、盾は爆発的に膨張――轟音とともに、クロダイショウの群れを一瞬で薙ぎ払ったのである。
これには猿蜘蛛も息をのんだ。
「な……なにィ! シコォオオオ!」
つい先ほどまで死に体だった女神が、今や桁違いの力を振るっている。
幼女に見える姿。しかし、その力は明らかに幼女のそれではなかった。
魔物の本能が告げる――危険だ、このままでは滅びる、と。
猿蜘蛛は咄嗟に後方へ飛び退き、距離を取った。
同時に操る糸をぎゅうと手繰り寄せ、クロダイショウやオオヒャクテの死体を絡め取り、自らの体に巻きつけていく。
ガシャガシャ、ミシミシ――肉の裂ける音、骨の砕ける音、腐臭が鼻を突く。
死骸は蠢き、無数の眼や牙がぬらりと蠢き、猿蜘蛛の体表を覆っていく。
それはただの鎧ではない――生きているかのようにうごめく、血と死の装甲。
猿蜘蛛は背中を反らし、全身を巻き込むように伸び上がった。
大空洞の天井に触れんばかりの、全長十メートル超の巨躯──
まさに百牙蛇蟲(制圧指標102)の姿である。
闇の中で、鎧となった死体の目が不気味に光り、猿蜘蛛自身の獰猛さと相まって、圧倒的な異形の怪物となっていた。
衝撃が再び盾を叩きつける。
ゴゴゴ……と大地が鳴り、天井まで届く巨躯が揺れるたび、洞窟全体が振動する。
ミズイは膝に抱いたタカトを守ろうと身を屈める。
しかし、盾を振り上げても、押し返される力は凄まじく、押し負けそうになる。
ガキッ、バキッ! 骨の軋む音が響き、死体の鎧が蠢くたびに血と肉の臭気が立ち込める。
ゾンビクロダイショウやオオヒャクテの死骸が、まるで生きているかのように百牙蛇蟲の体を這い回っていた。
膝のタカトに目を落とす。まだ微かな呼吸すら感じられない。
――守らなきゃ、守らなきゃ……!
焦りが全身を締め付ける中、盾から放たれる光が炸裂する。
眩い閃光が洞窟を照らし、触れた死体たちを弾き飛ばす。
しかし、百牙蛇蟲の巨体にはわずかにしか効果がない。
腕に伝わる振動が膝のタカトにまで響き、ミズイの体は痛みに歪む。
それでも、ミズイは盾を展開し続ける。
バチッ、ビリリ――電光のような衝撃が走り、迫り来る死体の群れを押し戻す。
だが、圧倒的な力の差は隠せない。
押し返されるたびに、焦燥が心を侵し、体は火照り、膝のタカトに伝わる生気の感覚がさらに熱く絡みつく。
――どうすれば……どうすれば助けられる……!
ミズイの心は焦りと恐怖で揺れ動く。
しかし、盾に込める力は、ただひとつ。
タカトを守ること。これ以上、後退はできない。




