タカトのファーストKISS♡
ミズイの体は小刻みに震えていた。
「くっ……」
唇を硬くかみしめる。
目の前の得体のしれない魔物への恐怖――それだけではない。
ミズイはすでに体内の生気を使い果たしていたのだ。
全身を激痛が襲う。まるで体中にひびが走り、崩れ落ちていくような感覚。
少しでも気を緩めれば、すぐに意識を手放してしまいそうだった。
そして、自分が自分でなくなった瞬間、荒神爆発が訪れるのだろう。
その目はすでに赤黒く染まりきっていた。
本来、神の瞳は金色に輝く。
だが生気が枯渇すれば、その輝きは濁り、赤へと変わる。
その果てにあるのは、周囲を巻き込む大爆発――荒神爆発である。
かつてのミズイは、爆発を避けるため、生気を失うたび肉体を老化させてきた。
だが今は、目の前の敵を滅ぼすためにあまりにも急速に生気を消費し、老化でカバーする余裕すらなかった。
――ここまでか……。
この大空洞は、かつてミズイと共に暮らした神アリューシャが、荒神爆発を起こした場所。
その同じ場所で、ミズイもまた爆発の縁に立たされていた。
ふらつくミズイは、背後のタカトに必死に呼びかけた。
「おい……そのスライムを連れて、早くここを離れろ……」
だがタカトは耳が追いつかないらしい。
「離れろって、じゃあお前はどうするんだよ?」
ミズイは得体の知れない魔物を睨みつけ、鼻で笑った。
「知れておるわ……あの魔物を、徹底的に滅するだけよ!」
「いやいや、一緒に逃げればいいだろ!」
「この魔物が、そう簡単に我らを見逃すと思うているのか……」
大空洞の出口は、クロダイショウの死骸で作られた壁と化していた。
どうやら魔物は、この大空洞にタカトとミズイを閉じ込めるつもりらしい。
「私の残る力で、あの壁を打ち破る。その隙に、お前はそのスライムを連れて走れ──」
「だから言ってるだろ! その後お前はどうするんだよ!」
「だから言うておるだろうが! あの魔物を完全に滅する、と!」
「違うだろうが! その目! ミズイ、お前……荒神爆発を起こすつもりだろうが!」
「ぐっ!」
その言葉に、ミズイの顔が一瞬揺れた。
真意を見抜かれたのだ。もはや、この生気が枯渇した肉体は長くは保てない──そう彼女もわかっていた。
ならば、せめて道連れにしてやろう。そう思っていたのだ。
だが、胸の奥に引っかかるものがあった──アリューシャ、あのスライムのことだ。
離れ離れになって以来、力不足の自分を責め続けてきた。
もっと早く気づいていれば。もっと賢ければ。あのふたりは失われなかったかもしれない。
そして、アリューシャがスライムになることも、避けられたかもしれなかったのだ。
それでも──今、目の前にいるこの小さな存在が、仮にアリューシャの成れの果てだとしても、そこに在るという事実。
――やっと見つけた。アリューシャ……。
ミズイにとって、それは言葉に尽くせぬ喜びだった。
死を前にした今、彼女の願いはただ一つ。
――せめて、アリューシャだけは、生き延びてほしい。
魔物の攻撃は苛烈を極めていた。
「お前はあの時、鶏蜘蛛を連れて行った神かぁぁぁあ! クソ! 死ねシコォォオオオ!」
黒焦げの口から滴る粘液が、焼けただれた岩盤をじゅうじゅうと溶かす。
直後、蜘蛛の足が叩きつけられ、洞窟が地鳴りのごとく震えた。
その混乱に乗じて、糸に操られたクロダイショウの骸が押し寄せる。――まるで死者の軍勢だ。
魔物は苛立っていた。
人間の生気を食らおうと戻ってきてみれば、待ち受けていたのは神。
しかも、よりにもよって――忌々しいあの神シコぉ!
蜘蛛の体に猿の上半身を持つ魔物、その名は猿蜘蛛(制圧指標50)。
かつて“6つ子忍者戦隊ガッチャマンボゥ”の一体、シコマッチョ5の成れの果てである。
あの時――アダムが東京に姿を現す直前。
シコマッチョ5は最後の術を放った。
『6つ子忍法! リゼロノスバル!』
だが、その直後に降り注いだ高斗のレールガンにより、“ガッチャマンボゥ”は全滅。……したはずだった。
けれどシコマッチョ5は死に戻った。受精卵の状態で。
卵はアダムが解放した大門を漂い、魔人世界へと還る。
そして長い年月をかけ、猿蜘蛛へと進化した。
だが、唯一の雌“ジュウシマッチョ4”はすでに死んでいた。
代わりを求め、見つけたのが鶏蜘蛛だった。
もし進化を遂げれば――「ニワトリマッチョ7」となり、夜な夜なあんな交尾やこんな交尾ができたはず。
もう自分でシコシコマッチョする必要もなくなる。そう夢見ていた。
それを奪ったのが、今目の前にいる女神ミズイ。
鶏蜘蛛を聖人世界へ連れ出した張本人だった。
――絶対に許さないシコぉ!
欲求不満にも似た渇望と怒りが、ミズイへと突き立てられる。
「死ねぇぇぇ! シコぉおおおおお!」
咆哮とともに振り下ろされる牙と爪。
その殺意をまともに受け止めるのは、他ならぬ女神ミズイだった。
牙の雨、爪の嵐。
一撃ごとに、金色の神の盾がかろうじて防ぎ続ける。
だが、その輝きはすでに揺らぎ、乱れた映像のように輪郭を失っていく。
ついにミズイの皮膚も切り裂かれ、血がにじみ始めていた。
「ぐっ……まだだ……!」
全身を蝕む痛みに耐え、ミズイは最後の力を振り絞って詠唱する。
「未来鑑定! オープン!」
瞬間、出口を覆っていた死骸の壁が閃光に弾け飛ぶ。
わずかに、逃げ道となる隙間が開いた。
「行けっ! 今のうちに!」
振り絞った声は、もはや掠れていた。
生気は枯渇し、瞳は深紅に濁りきっている。
荒神爆発はもう目前――ミズイはそれを覚悟していた。
だが、背後から返ってきたのは予想もしない声だった。
「ふざけんな……俺は逃げない!」
次の瞬間、タカトは血煙の中で彼女の肩を力強く抱き寄せた。
「な、何を――」
言葉を継ぐ間もなく、唇を重ねられる。
衝撃。
荒ぶる生気が、一気に彼の身体から流れ込んできた。
熱い。甘い。苦しいほどに真っ直ぐで……優しい。
「……っ!」
ミズイの心臓が暴れる。
止まるはずだった鼓動が、狂おしいまでに高鳴る。
胸の奥から溢れる感情は、もう抑えきれなかった。
――な、なにをしておるのだ……! 馬鹿者が……! こんな……こんなことをされてしまったら……!
荒神爆発に向かっていた力が、タカトの生気によって静められていく。
しかし同時に、彼の体は急速に冷えていった。
生気を根こそぎ奪われ、タカトの瞳から光が失われていく。
「やめよ! これ以上は……! 早く万気吸収で命の石から生気を吸収しろ! さもないと、本当に死んでしまうぞ!」
必死に口を離そうとするが、タカトの腕は強く彼女を抱きしめたまま離さない。
少しでも多く。少しでも早く。
目の前の彼女に、自分の生気をすべて注ぎ込もうとしているのだ。
その姿に、ミズイの胸は引き裂かれるように痛んだ。
――なぜだ……なぜお前はそこまで……!
生涯で初めて、己の存在すべてを揺さぶるものに出会ってしまった。
それが、ミズイにとってのタカトだった。




