悪く思うな……タカト
話を少し戻そう。
時は、タカトがビン子をのせた岩にもたれかかり、深い眠りに落ちたころ。
巨大なホールに足を踏み入れたオオボラは、直感した。
――ここは荒神爆発の跡だ。
周囲を埋め尽くす命の石。
その密度と眩い輝きが、事の重大さを雄弁に語っていた。
ここで爆ぜたのは、並の神ではない。
脳裏に浮かぶ名はただ一つ。
原初の神、融合をつかさどる“スザク”。
融合国の王にのみ従うとされる存在だ。
おそらく、ここで命を落とした神も、それに匹敵する格を持っていたのだろう。
――そんな神が、この時代にまだ息づいていたのか。
もし、このクラスの神を従えていたなら。
原初の神すら凌ぐ力を、我がものにできていたなら。
「自分であっても……王となれた」
王の座を掴むには、王に匹敵する神を従えるしかない。
それなくして国全体を覆う『神の恩恵』を展開することはできぬ。
街角に転がるノラガミごときでは、決して届かぬ領域。
――そうすれば、己の理想を国として形にできたのだ。
だが、その神も──小門の中で潰えた。
無念。あまりにも惜しい。
喪った力は、いかに嘆こうと戻らぬ。
悔やんだところで、影一つ残りはしない。
ならば、未練に縋るよりも、眼前に転がるものを奪い取るしかない。
この場に残されたすべてを──己の力とするために。
オオボラの予想が正しければ、この先に大地を抉り、なおも息づく巨大な穴が口を開けているはずだ。
そこには――原初の神に近づくための、何かしらの手掛かりがあるかもしれない。
「……やはりか」
眼前に広がるのは、教室二つ分はあろうかという大穴。
その深さは、ただ虚無。
オオボラは天井を仰ぐ。
そこだけ異様に膨れ上がったドームは、爆風が天地を裂いた証。
中心から垂れる一本の石筍が、ゆっくりと滴を落とす。
まるで失われた神が、いまだ涙しているかのように。
――ここが爆心地で違いない。
縁に身を寄せ、足で罅を確かめつつ闇を覗き込む。
底は、地下三階を呑み込んだかのように深く、黒い。
壁面には無数の罅が走り、爆炎に焼かれて変質した命の石が鈍い光を帯びていた。
そして、底を覆う“何か”が蠢いている。
「……なんだ、これは」
黒い影が波打つ。
一瞬、濁流かと思ったが――違う。
魔蛇クロダイショウ(制圧指標15)の群れ。
さらに魔ムカデ、オオヒャクテ(制圧指標10)。
クロダイショウたちは滑る壁に阻まれ、這い上がることはできない。
だが、蠢きは絶えない。
地の底でうねる黒き海。
「……しかし、どうやって、これほどの数が、この穴で生きながらえていた?」
魔物といえども、飢えれば死ぬ。
ならば、ここには何か食料があるのか。
――もしかすると、あれか……蟲毒。
複数の虫を容器に閉じ込め、互いに喰わせ、最後に残った一匹を神格化して呪とする中国の呪術。
だが、これは違う。
互いに喰らい合う気配はなく、むしろ数を増やしている。
長大なものは大人用バットほど、短小なものは指先ほど。
大小無数の体が、底を埋め尽くす。
繁殖を繰り返し、この穴を巣窟としているのだ。
常識を逸した生命の奔流に、オオボラの胸に寒気にも似た予感が走った。
渦の中心に“それ”はあった。
黒き群れに巻かれながら、淡い青光を放つ塊。
崩れ、喰われ、砕け散り――しかし再び形を取り戻す。
繰り返し、繰り返し。
まるで果てのない輪廻のように。
それは青いスライム。
この穴にただ一つ残された“糧”。
無限に再生を繰り返すスライムだけが、群れの餌であり続けていたのだ。
クロダイショウも、オオヒャクテも、その再生する肉をむさぼり、命を繋ぎ、数を増やす。
――無限地獄
スライムとて生き物だ。
絶え間なく体を喰われ、抉られる痛みを、いかほどに味わい続けてきたのか。
想像しただけで、オオボラの喉に吐き気がせり上がる。
「いったい……誰が、何のために、こんなむごい仕組みを……」
穴の奥にかすかな淀みを見つけたオオボラは、足もとにあった石をつかみ、そこへ投げ入れた。
黒い波が揺れ、しばしののち、ぽっかりと口を開ける。
その裂け目の中に、白骨化した人間の骸が横たわっていた。
転落した愚か者か。
肉体は落ちたそばから魔物に食い荒らされ、残されたのは食う価値もない骨ばかり。
当然、剣や金貨、その他の持ち物も形を保ったまま、散乱している。
さらによく見れば、魔物のものと思しき骨も混じっていた。
──誰かが、ここへ餌を投げ込んでいるのか。
これではまるで、蛇やムカデの養殖池のようではないか……。
オオボラの背を、冷たい――いや、いやな汗がツーッと流れ落ちる。
というのも、一瞬、天井の深淵から、得体のしれぬ“何か”にじっと見据えられたような寒気を覚えたのだ。
だが、その視線に抗うように凝視を続けたオオボラの眼が、ふいに一点で止まった。
黒い波が閉じかける、その刹那――“何か”が、確かに見えた。
次の瞬間、オオボラはカバンを開き、ありったけのロープを引きずり出す。
岩に手際よく結びつけると、ためらうことなく、その束を闇の奥へと投げ込んだ。
――もし利用できるものならば、俺の国盗りの糧にしてみせる。
放り込まれたロープは、飢えた蛇どもにとって格好の足場となった。
穴の底でスライムしか喰えなかった魔物たちは、空から舞い降りた獲物に一斉に群がる。
それはまるで蜘蛛の糸に群がる亡者のよう。
幾百もの体がロープに絡みつき、溢れる渇きを満たさんと蠢く。
やがて黒き奔流となって、壁をよじ登り、ホール全体へと拡散していった。
ほどなくして、穴にはスライムだけが取り残された。
その瞬間を待ちかねていたオオボラは、垂らしたロープを伝って闇へと滑り降りる。
白骨の傍に散らばる手紙の破片や金貨を、まるで命を握りしめるように掻き集めると、即座に壁を駆け上がった。
背後に、何か得体の知れない視線が絡みつくように感じる。
――早く、この場から逃げなければ……。
オオボラの直感が警鐘を鳴らす。
しかし、手紙を置いては自分の人生がそこで途絶える――そんな予感も同時に走った。
握りしめる手紙は、ただの紙片ではない。
逃げるだけではなく、未来を掴むための唯一の鍵なのだ。
ホールの地面は、すでにクロダイショウとオオヒャクテの群れで埋め尽くされていた。
オオボラはたいまつを振りかざし、蠢く群れの中にかろうじて道を拓く。
「……これほど潜んでいやがったのか」
足の踏み場もなく、岩肌すら黒に覆われていた。
その時――。
蛇とムカデの奔流が、ふいに一つの方向へと流れを変えた。
オオボラの脳裏に、嫌な予感がよぎる。
――そういえば、タカトたちは……!
流れの先には、岩陰で眠るタカトの姿。
魔物どもは、彼の匂いに気づいたのだろう。
静かに、だが確実に、眠る少年を取り囲み始めていた。
オオボラはただ立ち尽くし、その光景を見据える。
すでにタカトの周囲は黒い渦に閉ざされつつあった。
――遅かったか……。
助けに駆け込んだところで、骸骨と同じ末路を辿るのは必定。
ならば――生き残るべきは、自分だ。
己の使命は国を掴むこと。そのために生き延びねばならぬ。
幸い、魔物たちがタカトに群がったことで、オオボラの足元には僅かに地肌が見えていた。
――今こそ、唯一の好機……。
だがそれは、友を切り捨てる決断でもある。
オオボラはたいまつを振り上げ、群れを裂くように必死で道をこじ開ける。
「悪く思うな……タカト。すべては、この融合国のためだ」
その言葉を自分に言い聞かせるように、胸に握りしめた手紙を強く押し付けた。
だが、出口はまだ遠い。
足元を覆う蠢く黒い塊が渦を巻き、追いすがる。
一歩でも遅れれば、間違いなく喰われる。
背後から迫る気配が、骨の髄まで凍らせる。
その瞬間――天井の深淵から、怒りに満ちた咆哮が轟いた。
「しごおぉおおおおおおお!」
ホール全体が震え、振動が四肢に鈍く響く。
黒い影が壁を這い、空中を裂くように降りてくる――まるで生きた闇が獲物を捕らえに襲い掛かるかのように。
「な、何だと!」
オオボラの心臓は破裂しそうに高鳴る。
おそらく、先ほどまで自分を凝視していたあの存在――
出口はすぐそこだ。
しかし、壁に刻んだ矢印に沿って外へ抜けねばならない。
「間に合うのか……!」
振り返れば、確実に骨まで引き裂かれる。
骸骨になるのはタカトか、それとも自分か――。
迷う余地はない。オオボラは全力で出口へ飛び込んだ。
死の予感に突き動かされ、全身の力を振り絞る。
振り返る余裕など、もう残されていない――ただ前だけを見て、命をつなぐために、走るしかなかった。




