深淵の悲しみ 浅瀬の忠義(5)
アルダインのもとに向かった一之祐。
アルダインは王宮に住んでいた。
謁見の間でアルダインと対峙する。
まず先に、一之祐は王に面会を求めた。
しかし、アルダインは首をふる。
「王は気分がすぐれないためお会いできない」
ここ数年、王の姿は見えぬ。
そのため、最近の王の言葉は、宰相であるアルダインを通して伝えられるのみ。
だが、その言葉の勅書には、王の印が押してある。
すなわち、王の言葉と同義である。
それを疑うことは一之祐にはできない。
しかし、解せぬ。
以前までは、頻繁に騎士や神民、一般国民たちの生活を気になさっていた王が、姿を隠すとは考えにくい。
そもそも、王は不老不死。
少々気分が悪くなることもあろうが、伏せるようなことにはならないはずなのだ。
それが、部屋から一向に出てこない。
何かある……
そう思っているのは一之祐だけではない。
アルダインにくみしない騎士たちも、疑念を抱いていた。
だが、現状確かめる方法がない。
王が会わない以上、こちらから押しかけることはできないのだ。
一之祐は、権蔵から聞いた一連のエメラルダの騒動をアルダインに真実かを問うた。アルダインは、騎士の刻印のはく奪は軍事裁判によって正式決められたことである。
そして、それは、王の命令でもあるという。
すぐさま、アルダインの横に控えていた美人秘書ネルが一枚の紙をアルダインに手渡した。
アルダインはその紙を一之祐にかざす。
「王意である!」
それは王の印が押された勅書。
まぎれもなく本物である。
一瞬たじろぐも、すぐさま膝まずく一之祐。
アルダインは続ける。
「エメラルダを支持する者たちの謀反の知らせが入ったため、謀反の審議の裁判を執り行ったが、固く口を閉ざした。そのため王は急遽刻印をエメラルダの同意なく引きはがすことにされた。そして、謀反を防いだ功績で、王よりわが娘アルテラが騎士に任命された。すべて王の意思である」
と言って、王の勅書を膝まずく一之祐の額に押し付けた。
何も言わず、首を垂れる一之祐。
地につけた右拳が、さらに床を力強く押し付ける。
膝に控えた左の前腕の震えが先ほどか止まらない。
だが、勅書がある以上、そこにかかれたことは王の言葉と同義。
その内容が真実がどうであるかは関係ないのだ。
それどころか、本当にその内容を王がおおせになったのかどうかも、今は分からぬ。
しかし、王の印がある勅書がある以上、それに従うのが騎士の定めなのだ。
その様子を見たアルダインは、見下したような笑みを浮かべる。
「この決定文に不満があるというのであれば、それはすなわち王に対する不満と同義であるがいかがか?」
一之輔は奥歯を固く噛みしめる。
ぎちぎちと言う音が、一之祐の頬ごしに聞こえてくる。
承諾せざる得ない……
しかし、地につく右腕を、懸命に折り曲げ頭を下げようとするが、なぜか肘が反発する。
一之輔の直感が、明らかに、この勅書は偽物だと叫んでいた。
だが……
しかし……
勅書は勅書である……
ぐうぅぅ……
一之祐は、渾身の力を込めて、いう事を聞かぬ体を押し下げた。
小刻みに震える頭が、ゆっくりと下がる。
「決して不服はございませぬ……」
決して承諾しているとは思えぬ一之祐。
そんなことはアルダインは百も承知である。
だが、勅書の前では、その一之祐も頭を下げざるを得ない。
こんな面白いことがあるだろうか、いやあるはずがない。
あの百戦錬磨の猛将が、いやいやながらも膝を屈しているのである。
嬉しそうなアルダインは、そうかと言って、勅書をネルに渡した。
「では、お前が、逆賊エメラルダを処罰して来い! 王の命令であるぞ! はははは」
動かぬ一之輔は、小さく呟く。
「御意」
アルダインは身をひるがえすと、笑いながら奥の廊下へとと消えていった。
頭を下げていた一之輔は、ゆっくりと頭を起こす。
憤怒の目がアルダインが消えた廊下の奥をにらみつける。
強くかみしめた唇から一筋の血が床へと垂れ落ちた。




