供物
洞窟の中は、まるで迷宮のように入り組んでいた。
大小さまざまな側洞が枝分かれし、分岐の数は数えきれないほどだ。
オオボラは鉈の背で、岩肌にガリリと矢印を刻み込んでいた。
「何してるんだ、オオボラ?」
タカトの背中では、現実逃避を決め込んだビン子が寝息を立てている。
スゥ……スゥ……
まるで疲れきった子供のようだ。
タカトは肩にずれたビン子を支え直しながら、ため息をついた。
「分かれ道に印を残してるんだ。帰り道が分からなくなると厄介だからな」
タカトは妙に納得した。
たしかに、これだけの分岐があれば、どの道を来たかなんてすぐに分からなくなる。
もし帰り道を見失ったら……このまま一生、外に出られない。
やがて干からびて、朽ち果てて、骸骨に……
と、そのときだった。
タカトの足元に、何かがコツンと当たった。
「っ……!」
慌ててたいまつをかざす。
淡い炎が照らした先に、あったのは──
人骨。
それも、まだ若干肉が残る骸骨がひとつ。
骨のあちこちに、まだ黒ずんだ皮膚や筋がこびりつき、腐敗の名残が生々しく残っている。
頭蓋のくぼんだ眼孔からは、ヤスデやゴキブリがぞろぞろと這い出し、顎のあたりを這い回っていた。
その骸に群がる虫たちは、まるで宴の最中のように蠢いている。
――ひぃぃぃぃっ……!
声が喉まで込み上げたが、タカトは必死に押し殺した。
せめてもの救いは、ビン子がまだ眠ってくれていることだ。
もし、今のこれをビン子が見ていたら……大パニック必至。
小門探索どころの騒ぎじゃなくなる。
いや、それ以前に、また大声でも上げようものなら──
奥に潜んでいる“何か”を、呼び寄せてしまうかもしれないのだ。
「おい……オオボラ……ちょっとこれ見ろよ……」
タカトが小声で呼びかけると、オオボラは振り返りもせずに応えた。
「ああ。見えてる。人の骨だな」
「見えてるじゃねぇよ! マジでヤバくないか!? ここで人が死んでるんだぞ!」
「そうだな。服装を見るに、かなり位の高い者に仕えていた従者のようだ」
「いやいや! 身分とか今どうでもいいんだって! これ、死んでるんだぞ!? ガチで危ないって!」
「……ということは、この小門の奥に“何か”があるってことだ。そう考えると……ワクワクしてこないか、タカト」
「何が“ワクワクしてこないか、タカト”だよ! しねぇよ! こっちはビン子背負ってんだぞ!」
タカトは背中を揺らしながら叫ぶ。
オオボラはしゃがみ込み、骸骨の周囲に散らばる糞に目をやった。
松明の炎に照らされたその表面には、いくつもの足跡のくぼみが残されている。
「足跡があるな。同じ人間が何度か行き来したようだ。人数は……二人、か」
「は? 二人? ミズイがここ封印してたって話じゃなかったのか?」
※なお、タカトの中では“ババア”から“美魔女”へと評価が上がったことで、ついに「ミズイ」呼びが解禁された模様である。
そんなタカトの問いに、オオボラが眉をひそめて応える。
「そうだ……だが、足跡の感じからすると、これがついたのは……せいぜい数か月前だな」
数か月前──すでに封じられていたはずのこの洞窟に、人が出入りしていた。
では、この骸骨となった人物は──?
「オオボラ……まさか、お前……ミズイがこの人間を“送り込んだ”って思ってるのか?」
「その可能性はあるな。もしかしたら……この中にいる“何か”への──供物かもな」
──ということは、まさか、俺たちも……その“供物”なのか?
ぞくり、と。
タカトの背筋を、冷たい悪寒がゆっくりと這い上がった。
――ならば、今から引き返すか……
たしかに、それが一番確実な選択だろう。
だが、オオボラの眼差しは真剣そのものだった。
おそらく、キーストーン──いや、大金への渇望が、彼を突き動かしているのだろう。
この状況で「帰ろう」と懇願でもしようものなら──たぶん、殴られる。
いや、殴られるだけならまだマシだ。
ここは人目のない洞穴内。オオボラの手には頑丈な鉈。
最悪、足元の頭蓋骨の隣に、自分の頭が並ぶ羽目になりかねない。
そして、本来ならこの状況で真っ先に猛反対しそうなビン子は──いまや、タカトの背中でぐっすり夢の中。
……ならば、もう道はひとつしかない。
――さっさとキーストーンを見つけて、さっさと逃げ出す。
そう腹をくくり、タカトは目の前の分岐をにらみつけた。
だが、どちらに進めばいいか、さっぱり分からない。
こういうときのパターンは、決まっている。
一方が当たりで、もう一方が死に直結。
――さてさて……どちらが正解で……どちらが地獄の入り口か。
タカトの脳内パソコン腐岳も答えを出しあぐねていた。
そんなタカトは、オオボラに声をかけた。
「おい、オオボラ! どっちに行けばいいか──お前、分かってるんだろうな!?」
「いや」
オオボラは即答した。
「知らんのかいッ!」
「俺だってこの小門に入るのは初めてだ。当然、分かるわけがないだろうが」
「そりゃそうだ……」
素直に納得してしまうタカトであった。
──なら、どうすりゃいいんだよ……
「なら、いっそ外に出ようぜ」と言いかけたその瞬間。
オオボラが松明をかざし、地面の蝙蝠のフンを照らし出した。
「俺には分からんが……先に入った人間なら知っていたはずだ」
そう、地面にはあの骸骨のものと思しき足跡が、まだくっきりと残っていた。
その足跡は、分岐の一方に集中している。
「この足跡を辿れば──きっと何かある」
「おいおい、それって……その足跡の奴、死んでたんだぞ? つまり、その先には“死ぬ何か”があるってことだろ!?」
だが、オオボラはニヤリと笑う。
「ああ、一人は死んでた。……だが、足跡は二人分ある。ってことは、一人は生きて帰れたってことだ」
その顔を見た瞬間、タカトは思った。
──こいつ……いざとなったら、俺を置いて逃げるつもりじゃ……!?
不安を打ち消すように、タカトは改めて念を押す。
「オオボラさん……えっとですね……ヤバいやつが出てきたら、オオボラさんが戦ってくれるんですよね? 約束ですよね?」
「ああ、任せとけ! なんてったって、俺は対応戦力等級25だからなッ!!」
「……でも旦那、それって……制圧指標25“以上”の魔物が出てきたら、勝てないってことじゃ……?」
その言葉に、オオボラの眉がぴくりと動く。
少々バカにされたと思ったのか、不機嫌そうに口をとがらせた。
「だいたい、小門の中にそんな大物が出てくるわけねぇだろ!」
「本当ですね!? 信じていいんですね!?」
「ああ! 俺を信じろ!」
そう言い放ちながら、オオボラは鉈で岩肌に、白い矢印をガリリと刻み込んでいった。




