タカトの知らない世界(1)
タカトは、暗い廊下を恐る恐る歩いていく。
不安そうな目は、辺りをきょろきょろと伺う。
その動きに合わせて、先ほど婦長が忘れたランプの明かりが廊下の上で小さく揺れる。
「ビン子さーん。どこにいらっしゃいますかぁ?」
タカトはなるべく小さな声で叫んだ。
それでも、静まり返った病院の廊下には、やけに大きく感じられた。
お……と……だ……ま
歩を進めるタカトの耳に何かが聞こえる。
タカトの顔が引きつった。
――またかよ……
先ほど、トイレで用を済ましておいて本当によかったと今更ながら思う。
この残尿感なら、たぶん漏れることはないだろう。
おれ・・とん……だ……おれ……まち……
その音は、どうやら男の声のようである。
その低い男の声は、何か同じような言葉を繰り返し呟いているようである。
その声のもとへと、近づくタカト。
一つの病室からぼそぼそと漏れ出している。
タカトは病室のドアを少し開ける。
中を伺うタカトの目は、一つの黒い影を見つけた。
その影は、ベッドの上で背中を直立させ気が抜けたようにぼーっと座っている。
そして、つぶやく。
「俺は本当に跳んだんだ……俺の時間は跳んだんだ……間違ってない……」
タカトは、食い入るように男を見ていた。
その時、タカトの膝がドアに当たった。
ガタっ!
――やべぇ!
ベッド上の男は、首だけをくるりと動かしドア先をにらむ。
咄嗟にタカトは、ドアから目を離すと、後ずさった。
なぜなら、見てしまったのだ。
その振り向いた男の顔が、とてもとても楽しそうに笑っているのを。
病室の中から男が叫ぶ。
「本当なんだ! 俺はあの女に時間を跳ばされたんだ! 記憶喪失じゃないんだ! 信じてくれ!」
タカトは、怖くなり徐々にドアから離れていく。
しかし、今度は、隣の病室から何やら聞こえてくる。
やめておけばいいのに、タカトは、またもや、その隣の病室のドアを少し開けて中を伺った。
「もう、寝たいんだよぉ……夢を見るのが怖いんだよ……」
タカトは、また、食い入るように男を見ていた。
その時、タカトの膝がドアに当たった。
ガタっ!
――やべぇ!
ベッド上の男は、首だけをくるりと動かしドア先をにらむ。
タカトは、ドアから目を離すと、後ずさった。
なぜなら、見てしまったのだ。
その振り向いた男の顔が、ぐちゃぐちゃに崩れていたのを。
病室の中から男が叫ぶ。
「あそこには夢を実現にする奴がいる! 悪夢を現実にする奴が! 医療の国には絶対に行くな!」
タカトは、怖くなり徐々にドアから離れていく。
そして、廊下の奥へと目をやった。




