ぎよぇぇぇぇぇぇえええ!!
タカトの背後から──この世のものとは思えないほどの絶叫が響き渡った。
「ぎよぇぇぇぇぇぇえええ!!」
叫び声が洞窟内に反響し、こだまする。
悲鳴の主はビン子。だが、その声はあまりにも壮絶で、とても女の子のものとは思えなかった。
そして次の瞬間、彼女はパニック状態のまま、タカトの背中に飛びついた!
不意を突かれたタカトはぐらつきながらも体勢を崩し──
「ぐっ……!?」
ビン子の両腕が、ぐいぐいとタカトの首に巻きついて締めつけてくる。
完全に反射でしがみついているのだろう。だが、力はやたらと強い。
──おいおい……マジで……息が……できねぇ……!
ビン子の持つ松明の明かりに、タカトの顔が照らされる。
歯を食いしばり、顔をみるみるうちに真っ赤に染めながら、彼は必死に耐えていた。
しかし、当のビン子は震えながらタカトの背で小さくすすり泣く。
「タカト……いま……私の上を……なにかが歩いたの……ぐすん……」
──ぐすん、じゃねぇ!!
今この瞬間、俺はお前のせいで文字通り殺されかけてるんだぞ!
怒りと苦しさで限界を感じたタカトは、頭を前に振りかぶると──
思いきり後頭部を、ビン子の顔面にカツンとぶち当てた!
ごっちーん!
間の抜けた音とともに、ビン子の腕の力がふっと抜ける。
その反動で、彼女の手から松明がぽろりと落ちた。
落ちたたいまつが、地面の上でじんわりと赤い輪を広げている。
そのかすかな明かりの中で──何かが、無数にうごめいていた。
タカトは思わず目を凝らす。
背中のビン子は恐怖に顔を背け、きつく目を閉じる。
──見なきゃよかった。
そう思った瞬間、タカトの背中に冷たい汗がじわりとにじんだ。
たいまつの明かりが照らし出す地面。
そこには、蝙蝠の糞らしき黒い塊が点々と転がっていた。
そしてその周囲を──ゴキブリの群れがびっしりと囲んでいる。
さらに──壁を見上げたタカトの視線が止まる。
湿った岩肌を、クモやゲジゲジ、カマドウマと思しき多足の虫たちが、這い回っているのだ。
しかも、数が多い。いや、多すぎる。
視界の端でも、ぬらりと動く影。
じっとりとした洞窟の壁が、まるで生き物のように脈打って見える。
タカトの額から、ひと筋の汗がたらりと落ちた。
湿度のせいで洞窟の空気は重く、ぬめり気すら感じる。
もう、言葉も出ない。
足も出ない。
ビン子がしがみついていなければ──今すぐにでも、自分がビン子にしがみつきたいくらいだった。
だが! 俺は男の子だ!
そう──俺がビン子を守らなくて、誰が守るってんだ!
ここで驚いていたら、この先ずっとビン子に笑われちまう!
ならば、俺は耐えてみせる! 踏み出すんだ、この一歩を!
だいたい、虫なんてキモいだけで毒はねぇ! 大丈夫だ、イケる……!
──だが、その瞬間だった。
ギュルルウルウル!
洞穴の奥から、甲高い音とともに何かが迫ってくる!
暗闇の中、うねるような影が──黒い塊となって、こちらに突っ込んできた!
「ぎょぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
さすがに限界を迎えたタカトはとっさに目をつぶり、叫び声を上げる。
もう、背中のビン子は声すら出せない。
次の瞬間──無数の何かが、二人の身体をビシバシと叩いていった!。
それは、洞窟奥から飛び立ったコウモリの群れだった。
どうやら、先ほどのタカトの絶叫に驚いたのだろう。
洞穴の奥に潜んでいたコウモリたちが、一斉に飛び立ち、出口に向かって飛翔していったのだ。
その羽ばたきは鋭く、容赦ない。
無数の羽音が、タカトの顔をビシビシと叩き、髪を乱し、口元をかすめていく。
ざわり、と頬をかすめた膜の感触。
ぬめっとした毛の感触。鼻先をかすめ、耳の穴に触れそうな気配。──もう、無理。
これには、さすがのタカトもビビった。
いや──マジでビビった。
小便が漏れそうなほど……いや、少し漏れたかもしれない……。
──まさか……また漏らしたの、バレたか?
思い返せば、ションベンを漏らしたのはダンクロールと戦ったとき以来だ。
いや、それどころか、万命寺の修業中にオオボラにどつかれてウンコ漏らしたこともあったっけwww
……もう、ここまできたら、今さら感が否めない。
だが、タカトにもささやかなプライドというものがある。
よりにもよって、好きな女の子の前でションベンを漏らすわけにはいかないのだ。
……が、先ほどから、背中のビン子の気配が……ない。
ぴくりとも動かないのだ。
「おい……ビン子……大丈夫か……」
不安になったタカトは、そっと彼女の腰を支えて、様子をうかがった。
しがみついていたビン子の顔は──完全に崩壊していた。
いや、それどころか、完全に気を失っていた。
さすがにこの状態のビン子に、「自分で歩け」と言うのは忍びない。
かといって、このままおぶっていくのは……
──重い。
だが、ちらりと見えたビン子の泣き顔に、タカトは何も言えなくなった。
「……ったく、仕方ねぇな」
ため息ひとつ。
タカトはビン子の体勢を直し、背中にしっかりと背負いなおすのだった。
……しかし、歩き出そうとしたその時、タカトの胸にふと疑念がよぎる。
──俺が大声出してから、ちょっと時間経ちすぎてないか?
蝙蝠が音に反応して飛び出したのであれば、もっと即座に出てきてもおかしくなかったはずだ。
だが実際には、タカトの声と蝙蝠の飛翔のあいだには、明らかにワンクッションの間があった。
まるで──タカトの声に、まず“別の何か”が反応し、
それに蝙蝠たちが驚いて飛び立ったかのように、思えてならなかった。




