タカトの金玉
三人はたいまつに火をともし、暗い小門の道へと降りていった。
外の空気とは打って変わり、洞窟内にはひんやりとした空気が漂っている。
それに混ざるのは、どぶ臭いような──いや、何かが腐ったような匂い。
その臭気が鼻にまとわりつくたび、ビン子は顔をしかめ、鼻をつまんだ。
そんな彼女の前を、どこか上機嫌なタカトが歩き、さらにその前をオオボラが無言で進んでいく。
「なあオオボラ……俺、人魔症とかにならないかな……」
タカトは先ほどミズイにカプッ♡と噛まれた首筋をこすりながら、ぼそりとつぶやく。
心配しているようでいて、どこかまんざらでもなさそうな表情だった。
たしかに噛まれた瞬間は“ババア”だったが、口を離せば美魔女そのもの。
嫌な思い出も、その後の甘美な記憶に上書きされればすべて良し──
タカトの顔には、薄っすらとニヤけた笑みが浮かんでいた。
ビン子の目にはその顔は見えなかったが、股間から放たれる“男の生臭い気配”はしっかりと届いていた。
洞穴の奥から漂ってくる腐臭に混じって、タカト特有の“夜な夜な香る匂い”が鼻をつく。
──こいつ……また、変な想像してやがるな。
タカトのズボンにはしっかりとしたテントが張られ、どこか歩き方もぎこちない。
たぶん、ミズイの柔らかい唇の感触でも思い出してるのだろう。
ビン子はそんなタカトにイラついた。
無言で彼の背中をにらみつけ──中指を立てた。
ふざけんな、このド変態! 性欲モンスター!
──私の気も知らないで! タカトのバァァァァッッカ!!
オオボラはたいまつの光で洞穴の先を照らしながら、タカトの問いにようやく答える。
「神様が、神の生気では人魔症にはならないって言ってた。たぶん大丈夫だろ」
それだけ。
まるで他人事のような声だった。
「おい、もっと心配してくれてもいいだろ!」
タカトはオオボラの背中を恨めしげににらむが──
首をこすっても、手に血がつくわけでもない。
噛み跡もなければ、特別な感覚もない。
どうやらミズイは、タカトの首に口づけをして、生気を吸い取っただけのようだった。
つまり──ミズイの生気がタカトの体内に流れこんだというわけではないようだ。
……いや、それはそれで、なんか残念なようなきがする。
――粘液と粘液が混じり合ってこそHっていうんじゃねーの?www
心の中で意味不明なガッカリ感を噛みしめる。
まあ、童貞タカトの考えそうなことだ。
だが不安は残る。
ミズイの言葉も信用できるとは限らない。
というか──そもそも神様なんて、信じられるか!
「神様が嘘つかないって、誰が決めたんだよ! 神様なんて嘘つきばっかりじゃねーか!」
タカトの怒声が洞窟内に反響する。
「アイナちゃんの写真集を捨てたって言ってたくせに、カバンの中に隠してたし!
貧乳を隠すために胸に“偽乳”としてパイ包み詰めてたし!
野グソ中に紙がなくなったって頼んだら、“髪”を広げてベッドで爆睡してたし!
あいつら全部! 全部、嘘つきの神なんだよぉぉぉぉぉっ!!」
怒りの大噴火。
過去の恨みが一気に込み上げる。
その叫びとともに、タカトはくるりと振り返り、後ろのビン子をギロリとにらみつけた。
「っ……!」
ビン子は一瞬で中指を引っ込め、
「あ、あたしじゃないです」というポーズで、手をひらひらと振り回したのだった。
よほどうるさかったのだろう、オオボラがため息をつくと後ろを見ることなく、タカトに言った。
「まぁ、人魔になったらなったらで、俺が責任をもって頭を砕いてやるから、安心しろ」
人魔になった後のことを心配しているんじゃなくて、人魔症になるかどうかを心配してるんですぅ!
しかも、頭砕くって……それで安心しろってどの口が言っているんでしょうか。
ということで
「もっと、嫌じゃぁぁあ!」
タカトは頭を抱え、洞窟に響き渡るほどの絶叫を上げた。
……と、その声に呼応するように、洞窟の奥がわずかにざわついた。
静寂のなかに、何かが身じろぎしたような──微かな音が、耳の奥に届いた。
鼻を突くにおいが、どんどん濃くなってきた。
どうやら洞窟の奥では、何かが腐っているらしい。
ビン子だけでなく、ついにタカトも鼻を覆った。
「なあ、オオボラ……なんか臭くねぇ? やっぱやめようぜ……」
弱音を漏らすタカトに、オオボラの苛立ちが爆発する。
「やっと見つけたんだぞ。お前、大金貨は惜しくないのかよ!」
だが、タカトの返事はどこか上の空だった。
「いやぁ、それは欲しいけどさ、今日じゃなくてもよくね……?」
もちろん金があれば、アイナちゃんの写真集が全部買える。
いや、それどころか、3セットは買える。
保存用、保存用の保存用、そして──“夜な夜な香る匂い”用だ!
……ただ、“夜な夜な香る匂い”用のページを、うっかり引っ付けてしまわないよう気をつけさえすれば、3セットも必要ない。
つまり、そこまで無理して稼ぐ必要はないってことだ。
というか、さっきから──
……金玉がムズムズする。
ミズイの唇の感触が残ってるからか?
それとも、アイナちゃんの写真集のことを思い出したからか?
──いや、違う。
これは……もっと根本的に、肉体的にも精神的にも、何かが苦しんでいるような、得体の知れない感覚だった。
「馬鹿言え! 俺はお前と違う!」
オオボラは振り返り、拳を握る。
「大金を掴んで、役人になる。そして、この国を変えるんだ!」
その言葉を聞いたタカトは、目をパチクリとさせた。
──いや、それ、マジで言ってる?
たしかに、オオボラが「この国を変えたい」って言ってたのは前にも聞いたことがあった。
だが。
――……大金で役人になる?
それって、つまり──わいろですか?
わいろで役人になって、正義の政治ごっこするつもり?
そして、そこから国を救うって??
――意味、分かんねぇ。
「……ああそうですか。それは結構なことで……はわあぁ」
まぁ、意味が分かんなくても、オオボラは本気で考えてるんだろう。
ここで茶々を入れても、どうせケンカになるだけだ。
そんなくだらないことで喧嘩するくらいなら、
万命拳の修行でボコボコにされたほうがマシだ。
あっちは、少なくともジジイども(※コウエン&ガンエン)が見ててくれる分、俺の株も上がるしな。
──ということで、どうでもいい。
タカトは、洞窟にこだまするような大あくびをかました。
「ふわぁぁあぁぁぁ」
あくびを噛み殺しながら、タカトはふと思った。
──しかし、この洞窟……なんか、どっかで……
そう、この「小門」と呼ばれる洞窟。見た目はただの岩穴にすぎない。
だが、どこか普通の洞窟とは“何か”が違う気がしてならなかった。
というのも──
洞窟に足を踏み入れた瞬間、タカトは股間にズキンとした痛みを感じたのである。
……え? なんで股間??
とはいえ、耐えられないほどではない。
ただ、なんというか、こう……ムギギギギって感じの。
たとえるならば──
”オラの息子”が頑張って起立!気をつけ!をしようとしているのに、それをピチピチパンツという名の先生が頭をつかんで無理やり席に戻そうとしてる感覚に近い。
──あれ? この感じ、前にもあったような……
そう、思い出したのはツョッカー病院の地下洞窟である。
あのときも、洞窟に入った瞬間、股間がムギギギギと疼いたのだ。
ならば! 対処法は分かっている!
対処法はあの時と同じ!
大きく息を吸い──
深呼吸! 賢者モード発動!
そうすると、不思議なことに「息子」の緊張が緩み、パンツ先生の押さえつけも和らいでいくのである。
まったく、男とはかくも単純で便利な生き物なのだ。
だが、ふと思った。
──てか、オオボラは痛くねぇのか?
気になったので、前を歩く背中に声をかける。
「おい! オオボラ! お前、金玉痛くねぇの?」
「は? 洞窟に入って金玉が痛くなるやつなんていねーよwww お前、まさかビビってんのか?www」
オオボラはたいまつを掲げたまま、そんなことを気にする様子もなく洞窟の奥へと歩みを進めていった。
──……いや、違うな。
オオボラの言うことが“普通”なんだ。
てことは、俺がただのビビりか、あるいは──普通じゃないってことだ。
だが、タカトは妙に納得した。
――いやきっと! オオボラの息子は、俺の息子よりチン長が低いだけなんだ。
だから、パンツ先生に押さえつけられても、痛くならないだけ。うむ、それでこそ説明がつく。
タカトは一人うなずきながら、再びオオボラの背中を追って歩き出した。
……だが、進めば進むほど、空気はどんどん濃密になっていく。
奥から漂う腐ったような臭いに混じって、今は──
強烈なコウモリの糞の匂いが鼻を突き刺してきた。
それはもう、目にしみるほどに濃く、生暖かく、鼻の奥にへばりつく悪臭だった。




