小門
美魔女と化したミズイは、腰に手を当てて堂々と胸を張った。
その姿は、まさに自信に満ちあふれた女王のごとし──もちろん、その谷間も圧巻である。
彼女は目を閉じ、何かをブツブツと呟きはじめた。
そして、ゆっくりと指先をくるくると回しながら、最後に空を切るように一閃──。
(※ちなみに、冒頭のシーンでも分かるように、実際は呪文を唱えるだけで封印は解けるのだが……。この女、恩を着せるためにわざと大げさにぶちかましているのである。)
すると──なんということでしょう!
ミズイの背後、崖の岩肌に微かな震えが走る。
幾重にも重なる岩戸の表面が、ゆっくりと、まるで腐った傷口のように裂けていく。
ゴゴゴ……という重い音とともに、割れ目はじわじわと広がり、やがて大人ひとりがくぐれるほどの穴となった。
その裂け目からは、湿った空気が冷気を伴って押し出されてくる。
鼻をつくのは、腐敗した何かの強烈な臭気。
ミズイが数か月前に小門を開けたときよりも、明らかに濃くなっている。
ミズイはその暗い裂け目を、鋭く見据えた。
その口角が、ゆっくりときつく結ばれる。
――まさか……たった数か月でここまで悪化していようとはな……
それを見ていたタカトは、思わず目を見開いた。
――おいおい……まさか……ここが小門だったのかよ
なぜなら、彼の目の前にあるこの崖──そしてこの広場は、タカトがダンクロールと戦ったあの場所だったのだ。
あの激闘のあと、権蔵と合流した際にも、誰ひとりこの広場に“何か”があるとは気づかなかった。
「ほれ、小門の入り口じゃ」
ミズイはわざとらしく肩を叩いた。
まるで、「頑張って一仕事終えましたよ」と言わんばかりである。
「ありがとうございます」
オオボラは直立不動の姿勢で、深々と頭を下げた。
その律儀な態度に、ミズイはふと問いかける。
「しかし……お前たち、本当に小門の中に入るのか?」
「はい」
「で、何のために……?」
その問いに、オオボラは無言のまま口を閉ざした。
──キーストーンを探しに行くとは、今は言わぬ方がいい……。
だが、空気というものを一切読まない男がひとりいた。
そう、われらがタカトである。
「あのですね、お姉さまwww 俺たち、キーストーンを探しに行こうと思ってるんですが、その場所、ご存じないですか?」
その言葉を聞いた瞬間、オオボラの顔が引きつった。
──馬鹿か!! お前!!
というのも、一般的な“小門”とは自然に発生するものであり、基本的には常に開いている。
だが、この小門は、ミズイの手によって人為的に封印されていたのだ。
つまり、それは――この中に、誰にも渡したくない“何か”を隠している可能性が高いということ。
そんな相手に向かって、「キーストーンを探します」と告白したらどうなるか……普通に考えてアウトである。
案の定、ミズイの目が鋭く細められた。
「お前……キーストーンを探すということが、どういう意味を持つか、分かっておるのじゃろうな?」
「当然ですよ!」
タカトは満面の笑みで胸を張った。
「だって、キーストーンの場所を突き止めれば、大金貨500枚もらえるんですよ! お姉さまも、分け前いります?」
下心丸出しの笑顔。大金貨500枚のうち334枚を自分の懐に入れるつもりだったくせに、美人が相手だと、あっさり1枚や2枚差し出す気になる──それが、タカトという男である。
だが、ミズイの答えはあっさりしていた。
「……別に金などいらん」
そして、ひと言加える。
「それに──キーストーンの場所も、私は知らん」
その言葉を聞いた瞬間、オオボラの背中に、ぞわりと冷たいものが走った。
なぜならミズイの瞳は、“何かを知っている”としか思えない光を湛えていたからだ。
まるで、「知らん」と言いつつも、心の奥では企みを巡らせているかのような……。
そんな不安を胸に、オオボラは小門へと歩きはじめた。
「タカト、行くぞ……」
唇をかみ、決意を込めるように声をかける。
「……それじゃ! 行ってらっしゃい! キーストーンが見つかったら連絡よろぴくwww」
タカトは背を向けるオオボラに軽く手を振ると、近くの倒木の上にゴロンと寝転がった。
そして、ひとつ大きな生あくび。
とてもこれから命懸けの探索に行くとは思えない、眠たげな顔だった。
だが次の瞬間、オオボラはタカトのもとまでズカズカと歩み寄り、いきなりシャツの襟元をわしづかみにする。
「お前も来るんだよ! 分かってんだろうが!」
「えぇぇぇっぇ! ちょっとたんま! 今、俺、無性に眠いんだよ!」
そう、先ほどミズイにカプッ♡と噛まれてからというもの、体がやたらとだるい。
──もしかして……人魔症に感染した?
でも、じいちゃんが言ってたんだよな……
『アホは人魔症にかからん!』って!
ビン子だって、さっき念入りに言ってたじゃん。
『馬鹿じゃなくて、アホですから!』って!
なら、大丈夫。
人魔症なんて、かかるはずがない!
……だいたい、噛んだの魔物じゃなくて神様だし!
だったらこのダルさも、ただの寝不足!
ちょっと横になれば、すぐ治るって!
ほら、今ゴロンてして──
と、思ったのに。
無慈悲にも、タカトはズルズルと引きずられていくのだった。
こうして、オオボラを先頭に、タカト、ビン子の三人は岩肌を上っていった。
目の前の洞穴からは、鼻をつまみたくなるような、ねっとりとした悪臭が漂ってくる。
それは単なる腐臭ではなかった。
嗅ぐだけで、心の奥に嫌な影を落とす、どこか“死”を思わせるにおいだった。
その前に立ち止まるオオボラ。
背後からは、ミズイの視線がじっと突き刺さってくる。
まるでこの先の道を試すかのような──冷たく、硬い眼差し。
──この小門は、ただの穴じゃない。何か……得体の知れない危険がある。
そう確信させるには、十分すぎる視線だった。
オオボラの足は、一瞬止まりかけた。
──本当に、このまま入ってしまっていいのか……?
逡巡が胸をかすめる。
だが、目の前の小門は、大人一人が悠々とくぐれるほどの広さを持っていた。
発生からすでに長い年月が経っている証──それはつまり、中に眠るキーストーンの価値が“高い”ことを意味している。
……大金貨800枚、いや──1000枚クラスだって夢じゃない。
それほどの価値があるならば、多少の危険など踏み越えるしかない。
これはきっと、神が与えた最後のチャンスだ。
そして、オオボラは──
ついに、日の光と洞穴の闇との境界線を一歩、踏み越えた。
その瞬間、背中にぞわりと悪寒が走る。
その一歩は、まるで“もう戻れない”運命の岐路を踏み越えたような感覚だった。
……いや、錯覚ではない。彼はもう、引き返せない場所に足を踏み入れてしまったのだ。




