第28話 勇者と退職理由
「いや、そう言われても――」
と、俺は犬養課長の方をちらっと見る。
このオッサンがいちゃもんつけるんで、昼飯に行けないんだが。
その俺の視線の動きで、葵は大体の事情を察したらしい。
課長に向けて、うふふっとたおやかな笑みを向けた。
「犬養課長ぉ~。お疲れみたいですねえ、肩凝ってませんかあ?」
すすっとオッサンの背後に近寄って、肩をもみもみ。
葵みたいな美人に触られて、課長は随分ゴキゲンな様子だった。
「おお葵くん、疲れておるよ。こいつらの指導には手間がかかるからなあ」
指導らしい指導なんてして貰った事は無いが。
パワハラモラハラの類なら散々されてるが。
うちの場合、仕事は習うより慣れろだからなー。
「ご苦労様です。でも、あのう――ご指導中の所済みませんが、わたし、この二人とお昼ご飯に行きたいんですけどお。行ってもいいですかあ?」
最後にふっと耳に息を吹きかけていた。
それでもう完全にメロメロになったオッサンは、嬉しそうに頷いていた。
「ああいいとも! どこへなりとも連れて行くがいい!」
「わあ、優しい~! ありがとうございます!」
うーん、相変わらずゆるふわ系だが強かだな――
喋り方が間延びしてるせいで頭が弱そうに見えるが、実際はそんな事は無く滅茶苦茶頭はいい。
俺達と同期なのだが、葵は既に経理と財務の部門の主任になっている。
部署は違うが、ヒラの俺達よりは一段上に行っているのだ。
受付とか経理の方から社長が愛人をピックアップしているとか、そういう黒い噂を教えてくれるのもこの葵だったりする。
社内の事情通なのだ。
自分も社長に口説かれたことがあるらしく、その時は社長を俺達が引くくらいボロクソに言っていた。
キッパリ断ったらしいが、それでも冷や飯を食わされていないのは、彼女が有能過ぎて会社になくてはならないからだ。
完全にオッサンを転がした葵は、俺達に向かってほんわかと笑う。
「直君、和樹君。じゃあご飯行きましょ~」
俺達は葵に促され、その場を脱出した。
会社のビルを出ると、和樹が喜びの声を上げる。
「いやー助かったぜぇ。やっぱ持つべきものは美人の同期だな~。犬養のおっさんも葵にはいいなりだもんなあ」
「ああ、ありがとうな葵」
「ふふふ。ほ~んと、単純でキモいし臭いし、反吐が出ますねえ」
ああそうだったそうだった。
にこやかにどぎつい毒を吐くのだ、葵は。
気を許している俺達同期の前だけでだが――
「……お前の笑顔の毒吐きも懐かしいなあ」
「なつかしい? つい二、三日前も話してたじゃないですか」
「ああ、いや――何でもない」
「何か直のやつ、今日は変なんだよ。仕事のこと全部忘れてるし、いきなり辞めるとか言い出すしさあ」
「えええぇぇっ!? ど、どうしちゃったんですかあ!? 直君!」
「いやまあ――色々あってな。取り合えず飯食いながら話そうぜ。おっとその前に、退職届書くから封筒買ってかねえとな」
で、俺は途中でコンビニで封筒を買い、三人で昼飯に向かった。
落ち着いて話せるようにと葵が言い出して、いつもよりお高い、個室になっている和食屋に入った。
いつもは三人で吉松屋で牛丼とか珍しくないからな――
葵も吉松屋は好きらしいのだが、女の子一人じゃ入り辛いので、俺達と一緒なら気兼ねなく入れるので助かると言っていた。
和食屋に入り、注文をして待っている間に俺は退職届を書き始める。
文面はスマホでググったら出てくるので丸写しで。
そんな俺に葵がぐぐっと顔を寄せて詰め寄って来る。
「で――直君、いきなり辞めるなんてどうしちゃったんですかあ? ついこの間まで、文句は言うけれど元気そうだったじゃないですか。何かあったんですかあ?」
「いや実は――」
さて何と言うか。まさか本当の事を言うわけにも行くまい。
頭がおかしくなったと思われるだろう。
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