89 再び開拓村へ
森の中は木々が鬱蒼と茂っていた。
開拓村へと続く道は草で覆われてはいるが、まだ使えないこともない。森の中を歩くよりはよほどマシだ。
「水棲の魔物が攻めてきている、という話だったけれど、ここはまだ水浸しにはなっていないようだ」
空気には水気が含まれてはいない。だから水棲の魔物がやってきたのを追い返したというわけでもないだろう。
フォンシエは探知のスキルを使いながら進んでいくと、フィーリティアも狐耳を動かして音を拾っていく。
「あんなにフォンくんが頑張ったのに……」
フィーリティアは悲しげな顔になる。開拓村でかつての彼の行いを考えれば無理もない。
今はそこかしこから虫の鳴き声が聞こえてくる。そこには、魔物によると思しきものも多分に含まれていた。
けれどフォンシエはあっさりとしたものだ。
「仕方ないさ。それに、元々たくさん東にいたのがこちらに移動してきただけじゃないかな。昆虫の魔物は繁殖が早いけれど、水棲の魔物に追われている状況ではそうもいかないだろうから。こっちに来るなら、仕留めるだけだ。まとまっているなら、そのほうが都合もいいさ」
「木々を伐採したところが、まだ伸びていないのがせめてもの救いだね」
「これくらいの下草なら、吹き飛ばしてしまってもいい」
フォンシエは前方で生い茂っている草に目を向けると、そちらに手をかざす。魔力が高まり、微少な火球が生じる。それはとても、ゴブリンですら倒せそうもないサイズだ。
けれど、そこには勇者の光が含まれていた。
勢いよく放たれた火球は着弾するなり、眩しい光の粉を撒き散らしながら草木を吹き飛ばしていった。
そこには魔物が隠れており、衝撃で吹き飛んだ足が彼のところまで迫ってくる。ひょいと体を反らすだけで回避し、フォンシエは探知のスキルで生存しているかどうかを確認する。
魔物は予想どおり、木っ端微塵になっているためなんの反応もない。けれど、物音を聞きつけて近づいてくる存在がある。
「ティア。もう一度、俺と一緒に戦ってくれるかい?」
「もちろんだよ。一緒に頑張ろうね」
フィーリティアは嬉しげに尻尾を振る。彼女はフォンシエが倒れたときからずっと、彼が気に病んでいないかと心配していた。そして今、もう一度始めるチャンスがあるのだ。断るはずがなかった。
やがて木々の合間から、黄色く大きな蜂が現れる。毒針を持つ魔物ポイズンビーだ。その数は数十。おそらく、巣の警戒範囲に入ったのだろう。
フォンシエはかつて、その魔物の毒に開拓村の者たちがやられたことを思い出さずにはいられない。そしてルミーネもその被害に遭った。
あのときは、助けられる人の数も限られていた。無力さにうちひしがれることしかできなかった。
けれど今はもう、あのときとは違う。フィーリティアとともに頷くと、迫る敵へと視線を向ける。
「フォンくん。私が敵から守るから、その間に巣を見つけて!」
ポイズンビーは巣を駆除しなければ、あとから次々と現れるだろう。
フォンシエはその役割を担うと、探知のスキルを働かせながら、彼女のあとに続く。敵がやってきた方向に巣があるのは間違いない。
ブーンと音を立てながら、ポイズンビーが近づいてくる。そして毒針を勢いよく繰り出してきた。
だが、フィーリティアは光の盾を発動させると、針は彼女に届くことなく防がれる。そしてすぐさま、光の矢が放たれた。
数匹の蜂がまとめて吹き飛ばされる。フィーリティアは足を止めることもなく、次々と敵を蹴散らしていく。
もう、あのときのように迷いはしない。
そしてフォンシエもまた、彼女を信頼して自らすべきことを成すのだ。
探知や洞察力、野生の勘のスキルを駆使して、敵の動きや状況から巣を探していく。あれほど敵は大きいのだから、巣も相応に大きいはず。
そのスキルによる感覚に従いながら進んでいくと、木々の合間から、ポイズンビーの巣が見えてくる。
だが、そのときにはすでに敵に囲まれてしまっていた。
フィーリティアは光の盾で防ぐが、あまりにも敵が多すぎる。そちらに集中するせいで、光の矢を放つ余裕がないのだ。
光の海を用いて切り抜けようとする彼女であったが、フォンシエはそれを制止した。これから魔物を倒していくにあたって、魔力を温存しておきたいところなのだ。
彼は意識を集中し、「初等魔術:炎」を撃てるように用意しておき、ポイズンビーの巣に狙いを定める。
途中には飛び交うその魔物が大量にいて、さらに光の盾に張りついている個体すらいる。それにぶつけてしまえば、巣を爆破するどころか、二人までもが爆発に巻き込まれてしまうだろう。
警戒したポイズンビーにより、遠くから狙い撃つことも不可能になってしまう。
けれどフォンシエは緊張することもなく、自然にスキルを発動させる。それは敵の感覚を奪うスキル「怨嗟の声」だ。
物寂しい声が響き渡ると、ポイズンビーがふらふらとして、動きがおかしくなる。そしてろくに飛べなくなり、地面や木の枝にそれらが着地した瞬間、「初等魔術:炎」を発動させた。
火球は小さく、それでいてしっかりと魔力が込められている。そして勇者の光が爛々と輝いていた。敵が警戒したときにはもう遅い。
「食らえ!」
素早く放たれた火球は、針の穴を通す正確さでポイズンビーの間を突き進んでいき、やがて巣に到達する。
ドォン!
衝撃とともに眩しい光を散らしながら、炎が上がる。目を凝らしながら、フォンシエは状況を確認する。
(巣はどうなった!?)
破壊したからといって、完全に消し飛ばすことができなければ、あのときのように残った個体が襲ってくることになる。
今回は高等魔術ではないため、発動までに時間はかかっていない。それゆえに、女王蜂は巣の中から飛び出す時間はなかったはずだ。
上がる煙が晴れてくると、巣の状況が明らかになる。あちこちには巣の残骸と、もはや原型をとどめていない魔物の姿。
そしてそれらはやがて魔石へと変わっていく。
「よし、あとは邪魔なやつらを倒すだけだ!」
フォンシエはフィーリティアが張った光の盾から飛び出し、ポイズンビーを切り裂く。
敵が数体、一気に迫ってくると、彼は「神速剣術」に光の証を使用する。途端、剣は勢いを増して、目にも留まらぬ速さで敵をことごとく切り裂いた。
そしてフィーリティアもまた、剣で敵を切り裂き、光の矢で貫いていく。数が減ればもはや、二人の敵ではなかった。
「……やったね、フォンくん!」
勇者からすれば、そこまで素晴らしい戦果というわけでもないだろう。けれどこれは、ある意味では過去の克服であった。あのときできなかったことを成し遂げることができたのだ。これ以上のこともあるまい。
「ああ。これで、少しは魔物も減っただろう。さて、魔石を回収していこうか」
放置してもいいくらいではあるが、フォンシエは勇者のように依頼を受けて金をもらっているわけでもない。基本的に魔物を倒して得た魔石だけで生活しているようなものだ。報酬の出る仕事を受けることもあるが、あまり金銭欲があるわけでもないため、チマチマと稼ぐほうが性にあっていた。
そうして二人は魔石の回収を済ませると、再び北へと歩き始める。道中でこれなのだから、開拓村はどうなっていることか。
あまり想像したくはないが、魔物がいれば倒すというだけのこと。すべきことは変わらない。
幾度となく出てくる敵を仕留めながら、二人はすっかり草の生えた道を進んでいく。あれから時間が随分とたって、この道も、そして二人も変わった。
けれど、幼馴染みの彼女との関係は変わらずにここにある。手伝ってくれる頼もしい勇者がいるのだ。
「もうそろそろ、見えてきそうだね」
フィーリティアがそう告げると、フォンシエは頷きつつ探知のスキルを働かせる。すると、そこには人がいないはずなのに、動く存在がある。
なにかは考えるまでもない。魔物だろう。
フォンシエは気配遮断のスキルを使用して、フィーリティアに先行しつつ村の様子を探る。
そこにあったのは、白く細長いものが、うにょうにょと動いている光景だった。
ハエの幼虫である魔物ホワイトマゴットだ。サイズは小さいが、人を食らうことで大きく成長し、やがて上位の個体に進化する。
それらが食い漁っているのは、この開拓村にいたと思しき人の死体だ。フォンシエは思わず息を呑む。
きっと、その人物は避難ができなかったのだろう。精神的な理由か、それとも身体的な理由かはわからない。
けれど、こんなところで無残な最期を迎えたかったはずがない。
その無念を晴らすべく、フォンシエは剣の柄に手をかけた。
だが、飛び出していくことはできなかった。いかに下位の個体とはいえ数が多いからだ。
フォンシエはどうするかと考え始める。もちろん、ここで撤退するという選択はない。
(……よし、やるか)
やがて彼は取るべき方法を決めると、フィーリティアに合図を出す。
彼女はフォンシエの行動を信頼し、いつでも彼を守れるように近くの木陰に身を潜めた。
そしてフォンシエは、この村から魔物を排除すべく動き出した。




