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36 混沌の地



 王都を西にずっと進んでいくと、国境が見えてきた。

 境界には簡素な柵が設けられているだけで、物見櫓には少数の兵がいるばかり。


 魔物が積極的に攻め込んでくるわけではないということで、こちらに集中的に戦力を回す必要はないようだ。


 兵に向かってフォンシエは声をかける。


「この向こうに進みたいのですが、手続きなどは必要ですか?」


 兵たちは困った顔をして、それからフォンシエをまじまじと眺める。たった一人で来る者なんて、いないのかもしれない。


「許可なんぞなんにもいらねえが……この向こうは、化けもんしかいねえぞ」

「構いません。では、通らせていただきますね」

「……いざとなったら逃げろよ、あいつらがここまで追ってくるこたあねえから」

「助言、ありがとうございます」


 フォンシエはそうして柵を乗り越えると、向こうに広がる光景を眺める。

 右手に見えるのは岩肌。左手に見えるのは草原。そして正面にはうっそうと茂る森がある。


 どうにも分かれ方が奇妙だが、おそらく、これによって生息している魔物の種類が分かれているということなのだろう。


 フォンシエはひとまず、隠れるところがありそうな森から調べることにした。中心近くに行かなければ、絶望的な戦力差のある相手も出てこないようだから。


 久しぶりの戦いに、緊張感は否応なしに高まっていく。

 フォンシエは呼吸を整えながら、探知のスキルを生かして敵を探る。


 まだ、なにかがいる気配はない。しかし、ただこの土地を歩いているだけなのに、得体の知れない重圧感があった。


 喉は渇き、自然と鼓動は速くなる。

 この先になにかがいる。探知に引っかかった存在をたぐり寄せるように進んでいくと、見えたのは緑色の鬼だった。


(あれは……ゴブリンか?)

 

 じっくり見てみると、フォンシエが普段見ている個体とは違うことが窺える。明確な違いは、こちらのゴブリンのほうが非常にシンプルなデザインになっているところだ。


 フォンシエが観察していると、その小鬼の目がぎょろりと彼のほうを向いた。


「グギャアアアアア!」


 咆哮とともに、棍棒を振り上げ飛びかかってくるゴブリン。その動きはとても、普段の個体とは比べものにならない速さがある。


(気づかれたか!)


 フォンシエは剣を抜き、応戦の構えを見せる。

 しかし、まだ敵の力はわからない。牽制するように「初等魔術:炎」を用いて、火球をいくつも放つ。


 ゴブリンはそれを見るなり、さっと飛び上がり、樹上を飛び移りながら迫る。そしてフォンシエを近くに捉えると、手を突き出した。


 途端、そこで魔力が高まり、業火が放たれる。


「なっ……魔術まで使えるのか!」


 フォンシエはさっと木陰に隠れると、爆風を浴びて飛ばされる。しかし、そこでのんびりしている余裕もなかった。


 ゴブリンはすでに棍棒を振り上げ、全力で飛びかかってきている。

 強烈な一撃が放たれると、フォンシエは咄嗟に剣で受け止めた。


 重い。

 押し倒されそうになるも、ぎりぎりのところで堪えられたのは、相手のほうがまだ小さいからか。


 フォンシエはさっと距離を取ると、仕切り直して鬼神化のスキルを使って敵に飛びかかる。


 ゴブリンが棍棒でガードしようとすると、幻影剣術を使用。

 剣筋がぶれて見えると、ゴブリンは防ぐこともできずに、その一撃を浴びた。


 ザシュ! いい音がして血が舞い上がる。だが、その目は死んでいない。


「グガアアアアア!」


 血を噴き出しながらも向かってくる様は圧倒的。吠える声がフォンシエの耳朶を打つ。


 だが、引くわけにはいかない。気持ちで押されるわけにいかなかった。

 フォンシエは迫る棍棒を積極的に片手でいなすと、がら空きになった胴体へと蹴りを叩き込む。


 ゴブリンの体が宙に浮いた。

 そこ目がけて、フォンシエは剣を切り上げる。


 そして一閃。鋭い刃は、敵の胴体を袈裟に切り裂いていた。


 呼吸を荒げながらも、フォンシエは剣を構えて敵を見据える。死霊の魔物が取りついているわけでもなく、その肉体は消えていった。


 そこでようやく警戒を緩めたフォンシエだったが、なかなかに大きな魔石があって、思わず笑みがこぼれる。


(それにしても……まさかゴブリンがこれほどとは。どうなっているんだ、ここは……)


 もしかするとゴブリンでも別の種類なのか、はたまたレベルが段違いに高いのか。


 警戒しながら再び歩き始めるも、探知に引っかかるものがすぐにある。

 それは数匹のコボルトだった。


 コボルト程度なら、と侮ることなかれ。おそらく、強さは先のゴブリンが例外だったというわけではないだろう。


 これではとても勝ち目はない。


 フォンシエは一対一になれる状況を探し続ける。そしてようやく、コボルトが一体でいるところを見つけた。手製の槍を持ちつつも、警戒はそこまで強くない。


(よし、これならいけるな)


 フォンシエは付近に敵がいないことを確認すると剣を抜き、敵を見据えて魔術を発動する。

 敵はたった一体だが、「中等魔術:炎」を行使せんとする。この一撃で吹き飛ばすつもりだ。


 コボルトよりもやや遠いところで魔力が高まると、その魔物ははっとして、動き始める。


 逃れる先はわかっていた。当然、魔術の発動する場所から遠いほうが安全なのだから。


 その魔物が動き始める途端、フォンシエは飛び出した。誘導されるがままに彼のところへと向かい始めたコボルトは、突如現れた彼に驚きを隠せない。


 そしてフォンシエは「初等魔術:炎」を放つ。狙いはコボルトの足元だ。


 いくつもの爆音が生じると、コボルトは突っ込めずに足を止めた。瞬間、その背後で魔力が高まる。


 ドォン!

 爆発音とともに、コボルトが炎に呑まれる。フォンシエは敵から目を離さずにいたため、その後の動きを見ることができた。


 コボルトは吹き飛ばされつつも、フォンシエへと槍を向けてきていた。

 鋭い石の切っ先が、彼目がけて突っ込んでくる。


 タイミングを見誤れば、一瞬で彼の肉体を貫くだろう。だが、フォンシエは息を呑み、ひたすら敵の動きに目を向ける。


(……いまだ!)


 一気に踏み込み、剣を横薙ぎに振う。

 槍の穂先は頬をかすめて一筋の線を描くも、そのときには刃がコボルトの胴体に達している。


 フォンシエはスキル光の剣を使用し、思い切り振り抜いた。


 抵抗がなくなったときには、刃は向こう側まで通り過ぎている。自身が切り裂いた敵を横目に見つつ、フォンシエは距離を取って構え直す。


 が、コボルトは胴体を真っ二つにされて、もう動けやしなかった。

 消えていき、魔石が残るとフォンシエはすぐに回収を済ませる。一息ついた彼だったが、ずしん、と重々しい音が近くから響いてきた。


 咄嗟にそちらに視線を向けると、そこには木々を押しのけ、彼を睨みつけるオーガの姿があった。


(……これはまずい!)


 ゴブリンでさえ苦戦するというのに、オーガなど相手にできるはずがない。ここの魔物はどうなっているのだと、叫ぶ時間すらも惜しい。


「ゴォアアアアアア!」


 オーガが叫んだ瞬間、フォンシエはバックステップを取る。しかし、その青鬼はひとっ飛びで距離を詰めてきた。


 咄嗟に鬼神化のスキルを用いるも、オーガはすでに拳を振り上げている。

 放たれた一撃を受け止めるも、フォンシエの体は耐えきれずに宙を舞った。


(くそっ……! なんとかして逃げないと!)


 木々に引っかかりながら落ちていったフォンシエはなんとか受け身を取り、獲物を潰さんと見下ろしているオーガを見上げ、睨みつけた。


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