139 ケルベロス討伐
遺跡の中で二つの声が響き渡る。
一つは侵入者を威嚇するケルベロスのもの。そしてもう一つは、勇者たちが一斉に上げたものだった。
「うぉおおおおおおおおお!」
その声はケルベロスのいる通路の前後から響いていた。挟み撃ちにするなり、勇者の一人が光の海を発動させる。
光が広がっていき、ケルベロスを挟んで向こう側の勇者たちにまで影響が及び、彼らの能力が底上げされる。その光の中では、魔物はダメージを負うが、ケルベロスはちっとも効いた素振りを見せていない。
その中、たった一人だけ影響を受けない村人は、敵を睨みつけていた。
(……このままなら押していける)
光の矢が飛び交い、ケルベロスはすべてを回避できずにいる。
どれも致命傷には至らないが、皮を抉り血を流させている。この状態が続けば……。
「ワォオオオオ!」
ケルベロスがもはや捨て身で飛びかかってくると、フリートが前に出る。
「威勢のいいのは嫌いじゃねえ!」
彼は光の盾を用いて衝撃を受け止めようとする。だが、敵の巨体を前にしては押し出されることしかできなかった。
「くっ……!」
さらに三つの首のうち、受け止めていない二つが、彼へと噛みつこうとしている。すかさず、ほかの勇者たちも彼の左右で光の盾を用いる。
何枚もの光が重ねられて、ようやく敵は止まった。それでもなおも牙を剥き出しにし、爪を立ててくる。
光の盾が食い破られようとしたとき――
「いい囮だ」
背後から接近していたユーリウスが敵の首へと剣を突き立てた。
「ギャン!」
頭を動かされると、彼は勢いよく投げ出され、さらには爪に狙いを定められる。
しかし、そのときにはフォンシエは飛び出していた。
鬼神化で膂力を強化し、ケルベロスの尻尾を掴み、全力で光の翼を用いて加速。
「うぉおおおおお!」
ありったけの力で引っ張ると、そこにラスティン将軍も加わった。魔物素材の義手を広げて、がっしりと尻尾を掴んでしまう。
こうなっては、敵も前足を伸ばすことはできなくなる。地面に引っかけてその場にとどまろうとするのみ。
「今だ!」
勇者たちは一気に飛び込み、ケルベロスの足を切り裂いていく。光の剣は次々と傷跡を作っていった。
それに対して、敵は大きく口を開ける。その喉の奥は赤く輝いていた。
「隠れろ!」
あの業火が放たれてはひとたまりもない。
勇者たちは散り散りになり、通路から隠れられる小部屋へと逃れていく。だが、敵は今にも吐き出そうとしている。このままでは――。
「させるか!」
敵の背後から様子を窺っていたフォンシエは、咄嗟にスキルを用いるべく、魔力を高めていく。狙いはケルベロスの顎の下。そして勇者たち。
さらに逃げ遅れた勇者へと指示を出した。
「光の盾を使ってください!」
彼らがそれを発動させると同時に、爆発音が響き渡った。
ズゴォオン!
通路が赤く染まる中、フォンシエは「野生の勘」や「洞察力」などにより状況を窺う。
周囲には、「中等魔術:炎」とケルベロスが吐いた炎による熱が撒き散らされている。だというのに、壁面には傷跡一つ存在してはいなかった。そして、勇者たちの姿もない。
溶かされてしまったわけではない。つまり、敵の炎に飲まれる前に、フォンシエの爆風で吹っ飛ばされたのだ。
彼らはどうなったか――。
「ったく、遠慮がねえ村人だ」
「おかげで助かったじゃねえか。丸焼きになるところだった」
そんな声が壁の向こうから聞こえてきて、フォンシエはほっとするのだ。
しかし、呑気にしてもいられない。ケルベロスは振り返り、彼を睨みつけているのだから。
その顎には、ほんのりと焼けた痕跡が残っている。「中等魔術:炎」による爆風を浴びて、顎を上へと弾かれたのだ。
それにより炎はあらぬ方向へと向かっていくことになった。攻撃が失敗した不満もあり、彼への恨み骨髄に徹している。
「そんな怖い顔をするなよ。俺はただの村人なんだ。こっちにばかり気を取られても仕方ないだろ?」
フォンシエが一歩下がると、ケルベロスが一歩踏み出してくる。
歩幅はあまりにも差があり、距離は一気に近づいた。巨体の威圧感を感じながら、フォンシエは敵を見上げる。そこには眩しい輝きがあった。
「ほら、盲目になって、もっと恐ろしい勇者を見失う」
彼が見つめる先で、光の剣が輝く。
そこにいるのはフィーリティア。「勇者の適性」を持つ彼女の光の海は、ほかの者とは比べものにならない威力があった。
「やぁあああああ!」
フィーリティアが振り下ろした剣は、敵の首を切り裂いていた。三つの真ん中がごろりと落ちる。
彼女へと狙いを変えた二つの首に、それぞれフリートとユーリウスが飛びついた。
「最高の瞬間は渡さねえ!」
「この手で魔物は切り倒す!」
二つの光の剣が振るわれると、ケルベロスはさらに血を噴き出し、力なく前のめりに倒れ込んできた。
その二つの首は千切れかけていたが、まだかろうじて繋がっている。このまま放っておけば、回復してしまうかもしれない。
しかし――。
フォンシエは目の前に倒れてきたその犬の首に視線を向ける。そして剣を突きつけた。
「これでお終いだ」
眩しい光が放たれる。
村人が幾度となく光の矢を放つと、ケルベロスのどの頭も動かなくなった。
フォンシエはその姿を見ながら息をつく。
「……よし、やったぞ」
混沌の地の魔王を相手にしても、打ち勝つことができる。一人では勝てなかったとしても、これほどの人数がいれば、平和を守ることができるのだ。
彼がその達成感に浸っていると、ケルベロスの肉体が消えていく。そしてフィーリティアが歩み寄ってきた。
「フォンくん、お疲れ様」
「ありがとう。助かったよ」
「うん。……ところで、『恐ろしい勇者』って誰のこと?」
「……聞いてたの?」
フォンシエが言うなり、フィーリティアは狐耳をぴょこぴょこと動かす。この遺跡の中では「探知」もろくに働かないから、音には気を配っていたのだろう。
「フリートさんとユーリウスさんだよ」
「ほんとに?」
「うん。だってほら」
フォンシエはまじまじとフィーリティアを眺める。
「こんなにもティアは可愛いじゃないか」
フィーリティアは突然のことに、あっけに取られた。それから、すっかり顔を赤くして、狐耳をふにゃっと倒した。
「え、えっと……」
「おいフォンシエ! ぼけっとしてねえで、行くぞ!」
フリートの声が聞こえて、フォンシエはそちらに視線を向ける。彼はすでに歩き出そうとしていた。
「えーと……どこに?」
「この奥にケルベロスがいたんだろ? どうなってるのか、見に行こうぜ」
「今回は敵を倒すだけの予定でしたが」
「そう言うな。負傷者はいねえ。そんでもって、敵を倒したばかりの今、この辺を調べるには都合がいいだろ」
フォンシエは辺りを見回す。
勇者たちは問題ないと頷いた。唯一うつむきながら尻尾を揺らしていたフィーリティアを除いて。
「それじゃあ、まずはこのフロアに魔物がいないことを確認してから、奥に向かいましょうか。大きな部屋があるはずです」
「よし、話がわかるじゃねえか」
フリートとユーリウスは楽しげに、遺跡を調べ始める。
フォンシエも歩き出そうとするも、フィーリティアがじっとしていたので、振り返った。
「……ティア?」
「…………え? えっと……?」
「遺跡を調べようって話だけど……なにかあった? 大丈夫?」
「そ、そうだったね! 大丈夫だよ!」
フィーリティアはぐっと拳を握ると、「頑張ろうね!」と張り切るのだった。
やがて彼らは遺跡の地下に続く階段を降り始める。以前はこの向こうにケルベロスが待ち構えていた。
しかし、今は倒してしまったから、どうなっていることか。
緊張しつつ、ゆっくりと地下に向かっていく。足音だけが静かに響いている。
向こうは暗闇でよく見えない。フィーリティアは狐耳を動かすが、これといった物音もないらしい。とはいえ、以前も同じような状況で、突然ケルベロスが飛び出してきたから、油断は禁物だ。
(あともう少し……)
フォンシエはケルベロスと遭遇したときを思い出し、息を呑む。
しかし、最後の階段を降りても、異変はなかった。
向こうには闇ばかりが広がっている。勇者たちはそれを見つつ、光の翼を生やした。
まばゆい光に照らされて、付近の様子が明らかになる。
「なんだあれは……」
大部屋の中には、動くものはなかった。そして唯一、巨大な石像が存在していた。




